~ビーノで乾杯!(1)~  

                           

  《アぺリティボ》          

 パック旅行なんかクソくらえという勇ましい題名の本が本屋さんの
棚にあった。それを見て私は、今年の夏のスペイン旅行記をまと
めてみた
くなった。私の今回の旅は「パック旅行」でなく「オリジナ
ルツアー」で
あるが、そんなに勇ましい旅ではなく、失敗と不安の交差
した旅であった。
しかし、それだけに今思うと、本当に思い出の多
い旅であった。
 日程は昭和57年7月27日(火)から8月12日(木)の17日間であったがこの
旅行を計画し動き出したのは、5月12日(水)スペインのマヨルカ
島に住む
女房の友人の吉田さんから手紙を受取ってからである。そし
て、彼女に
「パック旅行」でなく、パリまでの飛行機の往復を買って、
あとは自分で
来てはどうかと持ちかけられ、その気になってしまった。

 しかし,出入国の手続やパリでシャルル・ド・ゴール空港からオルリー
空港へバスで移動するのはどうすればよいかとか、もし万一、吉田さんと
会えなかった時はマドリッド(以後マドリーという)でホテル
を探さなく
てはならない、などなど考えただけでも心配なことが沢山
出てきた。
  
 
***
  6月9日(水)参加者が最終決定、女房の友人の小池さん、佐藤さん
   女房と私の4名である。そして現地で吉田さんと彼女の彼Mr.Ralph
  が案内してくれる。準備は着々と進み、コースもマドリーとガリシァ
 地方を中心に回るよう決めた。ただ、私たちの出発1ケ月前に、マヨ
   ルカの吉田さんが牛追い祭で有名なパンプローナへ移ってしまったの
 で、以後連絡がとれなくなりヤキモキした。結局、出発の2日前
 国際電話が入ったので、マドリー・バラハス空港への到着時間を
  知らせた。そして、必ず出迎えてくれるとの言葉に一安心した。
 翌26日航空券を受け取り、あとは出発を待つのみとなった

   いよいよ出発!
    成田空港での約3時間半も4人でいると知らぬ間に過ぎてしまう。
搭乗手続もスムーズに済み、税関、出国手続も手順どおりである。過去
2回の海外旅行はパック旅行であったので、添乗員さんの言
われるまま
に動いておればよかったが、今回は違う。自分ですべ
て行わなければな
らない。女性陣はワイワイ、ガヤガヤとまこと
に楽しくやっているが、
男一人の私としては責任感と緊張感が
あるのだ。それでもやはり3回目
という慣れはある。
  
***  
  エールフラ
ンスは予定どおり飛びたった。機内食、映画、音楽を楽しみ
 なが
らの旅はつづく。アンカレッジを経て翌28日午前6時40分パリ、
  シャルル・ド・ゴール空港(CDG2)へ到着した。フランスへ一旦入国
 し、オルリー空港(ORY)までバスで移動、
そこからマドリーヘ発つのだ。
 しかし、まだ時間がかなりあるので
シャルル・ド・ゴール第1空港(CDG
 1)の売店に行って
ぶらぶらしてみようということになった。
 
 
前途多難な旅
  CDG2からCDGlへは無料
のシャトルバスが通っている。15分で着いた。朝
 の空港は客で
賑い始めたところであった。円形の建物なので自分の居る位
 
 置がなかなか掴めない。そういえば、
 初めての海外旅行の時、女房が一人
 
歩いていて迷ってしまい、び
 っくりしたことがあった。売
 店を見た後、2階、3階を
見学
 しに行こうという話となり、
 ドーナッツ状になっている建
 物の内
円に美しく幾何学的に
 
 交差しているエスカレーター
 に乗って上へ上へ
と進んだ。
 4階のエスカレーターを降りた
 所で、JALのワッペンを付け

 
 フランス人から「山口さんですか」と聞かれた。
 「いいえ」と

 返事をし、4階をぐるり回って見たが、見るべきものは何もない。 もう1階
 へ戻ろうと言うことになり、下りのエスカレーターを探した。
ところが、
 下りのエスカレーターがないのだ。いくら探してもない。
エレベーターも
 階段もない。どうも様子がおかしい。そこで先程の
フランス人に尋ねてみ
 ると、何と私たちはすでに出国しているという
のだ。出国手続もしていな
 いのに『あなたのいる所は税関の外側です』
何がどうなっているのかさっ
 ぱりわからない。先程CDG2でフラ
ンスに入国してそれから出国手続も
 していないのになぜ?
そのフランス人も話しているうちに、「サーテマス
 マスヤヤコシクナ
リマシタネェ。」とカタコトの日本語。どうしたら良い
 ものか。見る
とゲートのむこうにエールフランスのバスがいる。私たちは
 あのゲー
トの向こうに出なければならない。つまり、再び入国しなければ
 なら
ないのだ。ヤヤコシクなってしまった。英語もカタコトの私にフラン
 ス語がわかるはずがない。もうこうなったらJALのMr.Franceに頼る
以外に
 ない。『私たちは見学しているうちに迷ってしまい、知ら
ぬうちにここに
 来てしまった。』とゲートにいる立派な髭をはやした役人に説明してもら
 
うよう頼んだ。Mr・Franceは、「イッテミマショウ」と快く応じてくれ
 た。

  髭のおじさんはニコニコしながら「OK!あちらから出なさい」という。
 超法規的措置である。私はMr.Franceと堅く握手をした。

 「メルシ。」(ありがとう)
  なぜこんなアクシデントが起きたきたのか。CDG1では地階と1階は売
 
店等があり自由に歩けるが、2階以上は出入国者のフロアーである。つまり
 2階へのエスカレーターに乗った時点で自動的に出国したこ
とになるという
 のだ。そんなことは全く知らずにエスカレーターに乗
ってしまったという
 わけである。

  
  ピレネーを越えて
  フランスに着き、今回の旅行の出発点に立つ前からこんなアクシデ ント
 に遇い前途多難であった。私たちはバスで再びCDG2にもどり、
日本人
 案内係の人にオルリー空港行きのバス停を教えてもらった。そ
して、一応
 行き先を確認して1人26フラン(約1000円)の料金を払
ってバスに乗ったも
 のの、知らぬ所を走っているのは不安なものであ
る。本当にオルリー空港
 に行くのだろうか。
ORY空港では搭乗手続と出国手続を早目に行い、無事
 AF515
に乗ることができた。
  
***
  ところで、成田で預けたスーツケースはマド
リーで受け取ることになっ
 ているが、間違いなくこの便に乗せてく
れただろうか。いつも受け取るま
 で心配なのだ。しかも今回は、
CDGで降りてORYからマドリーヘ飛び立つの
 だ。
ピレネーの山々を越えてしばらくすると眼下に赤茶けた台地が広
 る。これがスペインなのだ。

 「小池さん いよいよスペインだョ
 胸の鼓動が聞こえる。
                                                 (つづく)

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