205 私を輝かせてください

●聖書箇所[詩篇13篇]

 輝きって、あなたにとってどのようなイメージでしょうか?あるいは輝いているって?きっとだれもが肯定的な明るいイメージを持っておられるのでしょう。今回は輝くための条件について考えましょう。というのは人生には落ち込みを経験するっていうようなことが多くありますから。1ー2節を見ると作者は確かに落ち込んでいるようにみえます。このままではいけませんねえ。

 前進意欲・成長欲求[3-4]

 「私は進む、前へ!」「私はもっと成長したい」、「私にはできる!」「私は愛の力をもっともっと得て行きたい!」というような思いです。心の中の状態がこのようですと、その人は確かに輝いている人と言えます。反対に「もうだめだ」とか、「もう進めない、これはもう仕方ないんだ!」なんて言って閉じこもるのは良くありません。これは避けなければなりません。閉じこもると何が起きる?裁きが始まります。裁きの対象はふたつ。ひとつは他者。

 日米独の10代動機に連鎖

 「大事件を起こし有名になりたかった」。日本の医療少年院には今、そんな言葉を口にする少年が増えている。おとなしく普通に見える少年が負のエネルギーをため込む。そして疎外感に耐えられなくなり、自らの存在を訴えるために学校や杜会に復しゅうの刃を向ける。少年事件の連鎖ーそれは国境を超えていた。……米要人警護部(シークレツト・サービス)は今年五月、全米で起きた学校襲撃事件三十七件について、四つの共通項を挙げた報告書をまとめた。学校や家庭での「疎外感」、未来に絶望した「自殺願望」、学業や家庭での「ストレス」、それに「銃や爆弾が入手しやすい環境」これらが少年を犯行に駆り立てるという。(『読売新聞』2002.12.4)

 現代の10代の環境を作ったのは大人ですから、大人にも責任がありますが、だれでも内側にうっぷんがたまっていれば、いつかはきっかけが与えられて爆発するのは当然です(うっぷんが原因であって、きっかけとは区別しなければなりません。きっかけはあくまできっかけであって、口実にしか過ぎません。しかし爆発ー他者を攻撃ーする者はきっかけを原因にすり替えます)。ふたつ目は自分。自分を責めてうつ的になります。だれでも失敗をし、罪を犯すのです。大切なことはやり直すことです。これこそ十字架と復活という福音の精神です。十字架は外面的に見て明らかに敗北です。イエスさま無実の罪、すなわち冤罪で、しかも不法な手続きによって処刑されようとしているのに何の抵抗もなさらないからです(できないように見える)。しかし悪の力が全く無駄である事を証明すべく復活されました。私たちはもはや自分を責めるべきではありません。もう一回のチャンスを自分に与えてやるべきです。そこに新たな輝きのスタートがあります。そのためには自己肯定。それも自分が勝手にそう思うのではなくて、権威筋からの御墨付きが必要です。天の神さまがあなたを歓迎しておられます。あなたは「私は神さまに受け入れられている」としっかりと信じるべきです。これが分かればあらゆることが肯定的に受け止められます。何か辛いことがあっても、悲しい事があっても、周囲から批判されても、中傷されても、どんな否定的に見えることでも肯定的に受け止められます。

 ある十代の少女に卵巣癌が発見されました。お医者さんは彼女にも家族にも正直に話しました。肺にも腹部にも転移していて化学療法を施してみるが、六ヶ月か一年の命だと言うのです。彼女には幸い信仰がありました。一つの決意をし、家を出て一人暮らしを始めました。アパートを借りて残ったお金で地域の新聞に広告を出しました。「私は癌です。同じように癌になっている人のためにできることをさせてください」と。彼女の決意とはこれでした。神さまがくださった命を最大限有意義に使おうというものでした。彼女は一生懸命に人々に仕え、その生活は輝いていました。六ヶ月経ってお医者さんに診てもらいに行きました。検査の結果が出ました。なんと癌が消えていたのです。どんな場合でも前向きに生きることはすばらしいものです。

 勝利の予感[3-4]

 「私は勝つ!」という思いです。心の中にこのようなイメージがあるといいですねえ。肯定的なイメージがあなたの人生を肯定的にします。男性が恋人とピクニックに出かけました。ボートに乗って岸から3キロメートル先の小島を目指しました。着いた時に彼女が言いました。「私、アイスクリームが食べたいわッ」。彼は彼女を愛していたので、腕を棒にしながらなんとか往復してアイスクリームを届けました。しかしボートを漕ぐ間、「どうしてこんなに辛いのか?」と考え続け、「そうだ!ボートにエンジンを付ければいいんだ!」と思いつきました。モーターボートの誕生です。やがて彼女と一大財産を獲得しました。ライト兄弟が飛行機を飛ばした頃、すでにガソリンエンジンもグライダーもありました。ただ両方を組み合わせただけです。想像力のすばらしさです。私たちは敵(人間関係が悪くなっても、問題を誰かが起こしても人を敵とは考えないでください。人の中に入るサタンが敵です)に取り囲まれるとつい心が萎えてしまいます、否定的なイメージを抱いてしまいます。これがあなたから輝きを失わせます。ではどのようにしたら輝きを取り戻せるのでしょうか。主と契約をするのです。「あなたは私の指揮官、私はあなたに従います」という内容のものです。するとあなたは輝きますよ。モーセを見てください。

 主はモーセに仰せられた。「これらのことばを書きしるせ。わたしはこれらのことばによって、あなたと、またイスラエルと契約を結んだのである。」モーセはそこに、四十日四十夜、主とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、彼は石の板に契約のことば、十のことばを書きしるした。それから、モーセはシナイ山から降りて来た。モーセが山を降りて来たとき、その手に二枚のあかしの石の板を持っていた。彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。アロンとすべてのイスラエル人はモーセを見た。なんと彼の顔のはだが光を放つではないか。それで彼らは恐れて、彼に近づけなかった。(出エジプト34:27-30)

 「主は私を確実に祝福してくださる」という思いがあなたの心を解放し、軽くし、良い前向きな、すなわち勝利のイメージを抱く者へと導きます。ただし、ただしです。従うと口で言うだけでは不十分です。実際に行動に移さなければいけません。

 ある日礼拝のあとで、猛烈に押しの強い、大柄なビジネスマンがやってきて、私の説教した精神の力を体得したいといった。何やらとてもよいもののように思える、どうしたら体得できるだろうかと彼はたずねた。この種の質問に対して、いつも答えていることだけを私がいうと、そのとおりにやってみるといって、彼は帰って行った。ところが、数週間後にまたやってきて、さっぱり効果があがらないといった。祈り、聖書を読み、生活の中のよくない部分をきれいにしたのに、相変わらず力が授からないのは、どういうわけかという。今度は私は、彼と深く話し合った。すると彼の心が、仕事上の競争相手に対する憎しみでいっぱいになっていることが、たんだんにわかってきた、押しが強いだけに、敵愾心も大きかった。心の医師として私は、彼が望むものを手に入れるためにせねばならないことが何であるかわかったが、同時に、それをいえぱ、相手はがんとして受けつけないだろうと思った。案の定、彼はいうことを聞かなかった。私たちの間には、だいたい次のようなやりとりが行なわれた。「解決策はあります。もしあなたがそれを望むなら、何としてでもやりとげねばなりません」と私はいった。「もちろん、そのつもりです。で、解決策っていうのは何ですか?」「あなたの競争相手を好きになることです」「何ですと?」「その人たちを好きになれなくてはダメです」「気でも狂ったんですか?どんな連中だか、ごらんになったことがあるんですか?」「いいえ、全然。でも、あなたの敵を愛さなければならないと、聖書はいっていますよ」「そんなむちゃな!できるわけがない!」「あなたは、精神の強さを身につけたかったのではないんですか?」「そうとも!」「私を心の医師と認めたはずですが」「ああ、認めたよ!」「そうですか。では、競争相手を好きになれば、あなたの望むものは手に入ると診断します」「嫌いな奴らを、どうやって好きになれるっていうんだ?」「お教えしましょう。簡単にはできないでしょうがね。毎日三回、どうぞ競争相手に力をお貸しになり、私よりたくさんの収益をあげさせてください、と祈りなさい」「断わる、そんなこと!」彼はさけんだ。「お教えしましょう。簡単にはできないでしょうがね。毎日三回、どうぞ競争相手に力をお貸しになり、私よりたくさんの収益をあげさせてください、と祈りなさい」「断わる、そんなこと!」彼はさけんだ。「はあ、でも、精神的に強くありたいと思うなら、やらなくてはなりません」。彼のようなタイプの人間は、約束をさせればそれを守り、最後にはしぶしぶながらも聖書の言葉に同意するようになると私は確信していた。一〇日ほどたって、彼はまたやってきて、その間のことを一部始終話した。「あれから家へ帰って、××や△△のために祈ろうとしたけれど、どうしてもできませんでした。次の朝起きた時もダメ、その日の昼もやつぱりダメでね。ところがその晩、どうしてもやらないわけにはいかないとわかったんです。そうでないと、牧師さんとの約束を破ることになりますからな。そこで、私はひざまずいて、『××や△△に祝福をお与えください。そして、今年は私よりもたくさん収益をあげさせてください。ここまで祈ってから天を見上げてこう言いました。私のことなどお考えになってはいけません、今のは本気じゃなかったんです!』」私はあやうく、大声で笑い出すところだった。こういう人聞こそ救われるにちがいないと思った。「でも」と彼は、言葉を続けた。「そのあとでやっといえたんです。確かに私は本気じゃありませんでした。でも、本心でそう祈れるような人間にしてくださいまし!」そのあとの一週間はこんな具合に悪戦苦闘の連続でしたが、とうとう夕べ、すぱらしいことがあったんですよ。祈っていたら、突然大きな手がおりてきて今までずっと心にのしかかっていた重苦しいものを取り払ってくれたような気がしたんです。そうしたら、いっぺんに幸福になってしまいましてね!きょうは、それをいいたくてうかがったわけなんです」まったくそのとおりだと思う!彼は、実践したのだから、本当の幸福を手に入れることができたわけだ。(ノーマン・ヴィンセント・ピール『人生向上の知恵』三笠書房)

 実践することの大切さを教えてくれる話ですね。従うことを実践してください。そうすれば神さまは契約書通りにあなたを祝福してくださいます。

 賛美[5-6]

 神さまをほめ讃えましょう。神さまを誉めましょう。するとあなたは神さまのお心を自分のものとすることができます。神さまのお心ってどんなものでしょうか。やさしさ、思いやり、暖かさ、明るさなどなど。すべては輝きにつながりますね。ひとことで愛、でしょうか。愛があるところ、輝きがいっぱい。

 TV番組「大草原の小さな家」をあなたはご存じでしょう。お父さん役をしている人は俳優兼プロデューサーです。熟心なクリスチャンで、したがってプログラムも非常に信仰的な内容です。ある時、彼は舞台で芝居をしていると、弟子の一人が「先生、靴の紐がゆるんでますよ」と教えました。「あッ、ありがとう」といって、すぐに靴の紐をぎゅっと縛りました。いよいよ自分の番です。するとそれを緩めたのです。それを見た人が「先生、先生はさっきせっかく締めたのに、なぜまた緩めるんですか」と尋ねました。「自分が出る場面はあなたも知っているでしょう。長い旅をして疲れ果てて、倒れそうになっているところだから、靴の紐がしっかりと結ばれていたら、不自然なんだよ、だから」「それなら、どうしてさっきは締めたんですか」「いや、それは教えてくれた人に対する感謝の気持ち」将来は名優になりたいと思っていたこの青年は、感動して聞きました、「先生、どうしたらそういうようなことができるようになれるんですか」と。「僕は以前、人から何かたとえ小さな事でも、注意でもされると、むかっときていた。まるで、自分は無意味な存在に思ってしまったんだ。全くゆとりのない人間だった。しかしイエス様と一緒に生きるってことを知って分かった。いつも一緒にいて、この私を慰め励まし、たとえ誰かが責めても、私を責めないで励ましてくださるイエス・キリストと共に生きはじめたら、どんな状況でも『ありがとう』と言えるようになったんだ」。これを聞いた青年は、俳優になることをやめて、牧師になりました。

 どのようにしたら賛美は可能でしょうか。ふたつあります。一つはたくさん讃美歌を歌うこと。それもあなたの好きなものを。人間には個性があります。ということは好き嫌いがあるということ。「村の小さき教会、今も、そこにありや」という讃美歌がありますが、私はこれが嫌いです。一向に成長しないイメージを私は受けるからです。でも大好きな方もいらっしゃるでしょう。思い出の教会に帰って来た。昔と同じ。そこに信仰の原点と神さまの愛を感謝することも可能です。でも人の好みはさまざま。あなたを元気にする歌を聞いて歌って、大いに楽しんでください。心は晴れやかになるでしょう。ふたつ目は過去の恵みを数えること。あなたにはきっとたくさんのすばらしい思い出があるはずです。「あ−、あの時、神さまに祈った、見事に解決された」とか。現在もきっと感謝できることがたくさん見つけられるはずです。具体的にひとつひとつ思い出しては感謝をささげるのです。あなたの心の中はとっても温かいもので膨れ上がるでしょう。それはあなたが内側から発散する輝きの原資です。