237 ルツ記のキリスト

  聖書箇所[ルツ記] 

  あなたは旧約聖書を読むことが苦手ではありませんか。実は多くの人がそのように言います。どのように理解したらいいのかととまどうことが多いのです。そこで今回はこの問題にも答を用意したいとも考えています。この問題についてまず解決したいとお考えのあなたはこのメッセージで解答の決定版を手にすること請け合い。たとえばルツ記をどのように読んだらいいか、という質問に答える形で今から話を進めて参りましょう。
 いったいルツ記って、一言で何を言いたいのでしょうか。21世紀に生きる私たちにはどのような意味があるのでしょうか。さあ、答を言いましょう。ルツ記、それは1000年後に上映される予定の予告編!どのような内容の映画でしょうか。『十字架と復活のイエス・キリスト』というものです。ルツからオベデが生まれますが、この人はダビデのおじいちゃん。もうお分かりですね。メシアの家系がここにあると気がついてほしいですね。ルツ記とはあなたが十字架と復活のキリストに出会う場、です。そうしてあなたは新しく変えられる!三つのトピックによってこのルツ記を読んで行きましょう。

ナオミの失敗

 ルツ記は本来ユダヤのベツレヘムに住んでいた一つの家族(夫はエリメレク、妻はナオミ)の誤った判断からスタートしています。神さまを信じて平和に暮らしていましたが、飢饉に襲われ、モアブという外国に移り住みます。これが悲劇の始まりでした。その後10年経ち、夫も二人の息子も死んでしまいます。ここに一つの教訓があります。軽率な行動を避けよ!です。カッとなって損をすることはありませんか。ナオミたちは神さまを信頼すべきでした。たとえ試練があっても、善意の神さまに期待すべきでした(1:1-5)。嫁の一人と共に(これがルツ、1:15-17)ナオミはベツレヘムに帰ってきました(1:6)。これは悔い改めを意味しています。真の悔い改めとは原点に帰ることです。みじめな思いと共に、しかし勇気をもって帰って来ました。この勇気と信仰は神さまのお心にかないました。即座に神さまの恵みはナオミに届けられます。なんとすばらしい神さまでしょうか。一つは嫁であるルツが一緒に赴くと言ってくれたこと。なんという慰め!ナオミは傷心です。自分の信仰のなさを思い、また失われた夫や息子たちを思い出します。でもこのようなときに「お母さんの神さまは私の神さま!」と言ってくれるなんて。ルツは傷付いたナオミへの神さまからのあたたかいプレゼントでした。あなたにも時には傷付き、悲しいときもあるでしょう。そのようなときに友人はありがたいものです。神さまはあなたに信仰の友を送ってくださいます。ちょっと見回したらきっと気がつくはずです。二つ目の慰めはボアズ。帰国して生活のあてのない二人。さっそくルツは落ち穂拾いに出かけます。当時は簡単には女性が働けない時代です。でも神さまはなんとやさしいことでしょう。旧約聖書の律法にはこのような規定がありました。すなわち自分の畑だからといって、すべてを実一つ余すことなく収穫してはいけなかったのです。残りを、事情があって働けない人々に摘ますように配慮しなければなりませんでした。ルツは決して計算したのではありません、ただ彼女が赴いた畑がボアズの畑でした。彼は大金持ちで信仰熱く、人格の優れた人でした。ボアズとは「能力がある」という意味です。能力あるボアズはルツとナオミを救います。彼はイエス・キリストを現わしています。彼との出会いは決して偶然ではありません。神さまの演出です。あなたの人生も同様に扱われます。あなたには必要な救いが与えられます。二つの慰めは悔い改めたナオミに対する、神さまからの愛です。悔い改める者には神さまの熱い愛が臨みます。アメリカ映画に「ピクニック」というのがありますね。「人を愛するって、その人が完全だからって愛するんじゃないわ」と流れ者(ウイリアム・ホールデン)を追って家を出て行く娘(キム・ノヴァク)はこう母親に言い残します。あなたは完全ではなくてもいいのですよ。愛はそのようなものです。不完全な者を愛は愛します。ゆえに愛こそがあなたを捕らえます。新しいあなたを生まれさせ、その新しいあなたの前進を助けます。その愛とは命を捨ててくれるほどの愛です。あなたはキリストが十字架の上であなたのために命を捨ててくださったことを信じますか。私たちは折に触れ悔い改めをし、キリストに出会う感動を新たにしたいものです。

ボアズの親切

 彼は信仰の人です。自分のもとで働く労働者にもあたたかい声をかけます(2:4-16)。ここには美しい労使関係が見られます。彼はどの人をも尊敬します。決して見下しません。でもこれは難しいことではありませんか。ボアズの態度はキリストのそれです。破産したルツやナオミへあたたかい接し方をしています。ところで私たち人間は本来とても美しいものです。なぜって、神さまがお造りになったものだから。でも醜さもあることを認めないわけにはいきません。最近(2003.8)ウインドウズを狙う新種のウイルスが発見されました。なんとウインドウズに欠陥がみつかったので直してください、と発売元がそれを公表したところ、その部分を攻撃するウイルスでした。なんという汚さでしょうか。人の弱味に付け込む。このウイルスを作ったのは犬やネコではなく、まぎれもなく人間なのです。このような人間をキリストは愛してくださいます。このような愛こそがあなたを幸せにしてくれます。
 10才の少年がニューヨークの靴屋のショーウインドウの中を覗いていました。高級車で着飾った一人の婦人がそれに気がついて、車を降り、少年の手を握り店内に入って行きました。店員に「お湯とタオルとたらいを用意して頂戴、それと靴下10足も」と言い、ひざまずくようにして彼女は少年の足を洗い、靴下と靴を履かせてやりました。少年は彼女の手を涙を流しながら握り、言いました。「おばさんは神さまの奥さんなの?」
 あなたの日常の生活にもさまざまな神さまの恵みがあるはずですよ。どうか数えてみてください。そうして一つ一つに感謝をしてください。あなたは今一度キリストに出会う経験をするでしょう。

三角関係

 もちろん、ルツ、ナオミ、ボアズの三人の関係を意味しています。この三人の態度から良好な人間関係の秘訣を得ることができます。

1)自分から出向く、あるいは知らせようとする。ルツは生活の糧を得ようと落ち穂を拾いに行きましたが、そこで得たもの、それは落ち穂という収穫そのもの、およびボアズとの出会いですが、これらを丁寧にナオミに報告しています。自分から理解してもらおうと努力をすることはすばらしいことです。まず謙虚さがないとできません。「聞きに来い、分かってくれてるはずだ!このくらい察してくれよ!」という態度は危険すぎますし、高慢です。私が説教者としていつも心掛けることは、送信者である私に理解の鍵があるという姿勢です。もし何かを伝えようとして相手が、つまり受信者が理解できなかったら、送信者に責任があります。そこで私は自分の教会に集う人々になんとか理解してもらいたいといろいろと工夫をしています。老いた方もいますし、若い者もいます。また文化や言語の大きく異なる外国人も多くいます。自分から知ってもらおうとすることは良好な人間関係のこつです。

2)経験を分かち合う。ナオミは自分が未亡人になった経験から、若くして未亡人になったルツに再婚を勧めます。人生経験とはペーパーテストでは補えないものです。それだけ貴重なものです。それを分かち合おうとすることは愛以外の動機は考えられません。同時にこのような助言が生かされるためには

3)従順さを実に付けている、ことが大切です。従順さがないとせっかく良いものが目の前に用意されても逃してしまいます。ルツは従順な女性として傑出した存在です。また従順な人は私たちの社会を気持ちの良いものにしてくれる力がありますね。ノーベル賞を受けた田中耕一さんは最初の記者会見に現れて「作業服で申し訳ありません」と言いました。あるいは「きのうは久し振りにいつもの作業服で仕事ができて、ほっとしました」とか、「自分自身と、テレビに出ている田中耕一という男が、全然違う者のように見えて来ました。とんでもなく『いい人』というイメージが出来上がっていて、『違うんだよな』と思っても訂正できませんし」などと率直かつ、自分の気持ちに従順でした。日本人はこのような人に好感を持ちます。ある人が言いました。「田中さんのノーベル賞って、私たちみんなで取ったような感じがしますねえ」ほんとにそんな感じがしますね!

4)ほめる。ボアズの成熟した人格が目立ちます(3:10-18)。ルツを彼女はほめます。あなたは褒められたことがありますか。きっとおありでしょう。ほめたことは?もちろんあるでしょうね。気持ちのいいものですね。互いの長所を見合うことは良好な関係をさらに発展させてくれます。

 結論を言いましょう。人間関係の決め手はコミュニケーションの良好さに尽きます。つまり人間関係の秘訣は成熟した人格にあります。成熟した人はコミュニケーション能力に優れているのです。ここで閑話休題。コミュニケーションに関するおもしろい話。
 
 電話で宿の予約をとろうとして「明日の夜、2人、空いています?」と聞くと「はい、大丈夫ですよ」と言われたので「女性2名でツインを一泊」とお願いしたところ、少し間があいて「……ここは火葬場ですが」と言われた。

 小学校の卒業アルバムに添付する寄せ書きに「将来は、大工になりたい」とちゃんと書いたのに、大工の「大」の上半分がかすれて印刷されたため「ハエになりたい」になっていた。

 先日父はメガネを作りに行った際、「無色ですか?」と店員にレンズの色を聞かれると、何を勘違いしたのか、「いえ、銀行員です」と、自分の職業を答えていた。

 甘味屋さんで、母は田舎汁粉を、私は御前汁粉を頼みました。店員さんが、「田舎はどちらですか?」と聞いたら、母はとっさに、「はい、新潟です」と答えてしまいました。(インターネットより)

 さて、ボアズはついにルツを買い取ります。この辺りの事情は注に書きますので、参考にして下さい。先祖伝来の家名と土地とを守ることが当時、いや、今でも世界の各地で当り前のこととして理解されていますが、日本でも同様です。田舎に行けば行くほど外部の者には土地を売り渡すことはしません。お金に困った人が出た場合には一族の中で買ってくれる人を探します。ですからここで、買う、と表現されているのは、決して人身売買ではありません。この結婚はルツにとってもナオミにとってもすばらしいものでした。神さまからの最高のプレゼントになりました。しかし買うという表現は十字架を連想させます。その通りです。イエス・キリストは十字架の上で血をもって私たちを買い取ってくださいました。あがないと言います。このことにより私たちは晴れて自由の身になりました。ハレルヤ!私たちはこうして究極の人間関係は、同時に究極の幸せはキリストにより与えられるものと理解できます。今の時代、聖霊さまがあなたの中でそのことを教えてくださいます。つまりキリストのお声を聞かせてくださいます。良好な人間関係は幸せの実際的な条件です。

注:
■ルツ (〈ヘ〉rut,〈ギ〉Rhouth) モアブの女.ルツ記の主人公.ルツは,士師時代(前1390―1044年頃)にあったききんのためにベツレヘムから逃れてきたエリメレク,ナオミ夫妻の子マフロンと結婚したが(ルツ4:10),義父エリメレクと夫に先立たれてしまった.そのため,故郷に帰るというナオミに従ってベツレヘムに行く決心をした.その時,モアブに残って再婚することを勧めるナオミに対し,ルツは真の神に対する信仰を告白し,ナオミに従ってベツレヘムへ行った.ベツレヘムでのルツは,落ち穂を拾って,ナオミを助けていたが,ある日エリメレクの親族の一人であるボアズと知り合い,ボアズから親切にもてなされた.ルツは,ナオミの勧めでボアズに求婚した.当時の習慣では,子のない寡婦は夫の地を相続することができなかった(民27:8‐11).そこで,それを買い戻した者は寡婦を養う義務が生じ,その女が若い場合は彼女をめとり,子を生み,その子に土地を与える義務があった(創38:8‐9).ボアズは,マフロンの一番近い親族を探し,買い戻しの意志のないことを確かめたうえで,ルツをめとった(ルツ4章).ルツはエッサイの父であるオベデを産んだ.そしてエッサイからダビデが生れた.ルツは異邦人でありながら,その信仰によってイスラエルの民の中に加えられ,救い主イエス・キリストの祖先の一人となった(マタ1:5).

■ボアズ (〈ヘ〉boaz,〈ギ〉Boes, Boos) ルツ記の主要人物の一人でベツレヘムに住む富裕な土地所有者.ルツのしゅうとめナオミの夫エリメレクの親戚.モアブの野からベツレヘムに来たルツは彼の畑で落ち穂を拾った.ボアズは遠い親戚のやもめのルツに親切を尽した.彼は古代の習慣であったレビラート婚に基づいて,ルツの買い戻しを拒んだ最近親者に代って彼女を妻とした.?歴2:11によれば彼はヘツロンの子孫である.彼とルツとの間に生れた子オベデはダビデの先祖となった(ルツ4:17‐22.参照マタ1:5,ルカ3:32).(『新聖書辞典』いのちのことば社)