253 キリストにあって新しく!(元旦)

聖書箇所 [コリント人への手紙第二5章17節]

 新年あけましておめでとうございます。2004年です。

 森繁久弥の随筆です。

 「年が明けるーーとはよくよく考えると不思議な言い回し方だ。何も昨年まで閉まっていたドアが開くわけでもないし、正月から日が差して長い夜が明けるでもない……」(『週刊朝日』1992)

 私たちは年頭のあいさつで「おめでとう」と言いますが、いったい何がおめでたいのでしょうか。何かが新しくなったのでしょうか?いや確かに年は新しくなりましたが、繰り返しになりますが、いったい何が新しくなっているのでしょうか?確かに「新しい」ということばは魅力的です。「新薬」と言えばいままで治療不可能だった病気が直る(と思う)し、「新しいファッション」と言えばなんとはなしにうれしくなります。でも新薬には恐ろしい副作用があり、新しいファッションに身を包んでもスタイルが良くなるわけでもありません。そしてなんといっても新しいものはすぐに古くなります。今朝のニュースはもう夕方には二ュースではありません。聖書はこう言います。

 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。(伝道者の書1:9-10)

 世に新しいものは何もないと言います。確かに新宗教が登場してもその主張に新しいものはありません。先日ある宗教団体から訪問者がありました。機関誌をただでくれると言うのです。その号は「愛」がテーマでした。よく見るとコリント人への第一の手紙第13章を紹介していました。私は本物を読んでみたらいかがですかと言って帰しました。では私たちには何の希望もないのでしょうか。ギリシア語には「新しい」と訳せることばが二つあります。一つはネオス。これは時間的な新しさを表します。newsの語源です。すぐに古くなります。もう一つはカイノス。これは質的な新しさを表します。いつまでも新しさを保ち続けるといったらいいでしょうか、その種の性質のものです。
 今回のみことばにはカイノスが登場します。

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新し(カイノス)くなりました。

 真実の新しさとはキリストにあってはじめてあり得るのです。キリストによってのみ起きうるのです。なぜ?キリストは神だから。神だけが何もないところから造り出すことができます。神だけが全く完全に更新することができます。では何をキリストはあなたのために新しくしてくれるのでしょうか。

あなた自身

 新しいあなたって、どんなふうなあなたなのでしょうか?いつもうきうき、明るくて、前向きで夢を追い掛けて……といったところでしょうか。罪の世界に私たちは生きています。ゆえに問題に悩まされることは避けられません。一難去ってまた一難。これが人生でしょう。ならばたとえ問題があっても力強く乗り越えて行く、こういう生き方ができる、これもきっと新しいあなた、魅力的なあなたなのです。ではどうしたらこういう自分をあなたは生み出すことができるのでしょうか。簡単な方法があります。それはだれかに好きになってもらう。これが一番!女性が美しくなる時は?いつですか?答え→恋をしている時。男性だって同じです。なぜ美しくなる?それは「自分にもいいところがあるじゃん!」と思うから。すべての人が劣等感を持って悩んでいます。「私にはいいところなんてなあーんにもにもない!」という思いが劣等感です。これを吹き飛ばしてくれるのが、「好きになってくれる」という経験です。あなたを好きになってくれた人を大切にしましょう。そうしてなんといっても重要な人物はイエス・キリスト。なんとあなたのために命まで捨てて下さいました。自分を好いてくれる者がいると思う時、私たちは自らを新しい自分と認識できるのです。

家族

 家族と過ごす時間は長いものです。ならば余計家族について真剣に考えなければなりません。気持ちの良い家族、思いやりのある家族などなど、理想と言える表現はいろいろとありますね。真の家族は互いのものを共有するというのが原則です。うれしいことがあったら、みなで喜ぶ。悲しいことがあったらみなで悲しむ。これでうれしいことは倍加、悲しいことは半減。そういう家族を生み出すためには一人一人がイエスさまを直接見て行くことです。視聴覚教育です。人は見ているものに似て行きます。親子ってほんとうに似ているものですねえ。考え方、歩き方、しゃべり方などなど。電話の向うにいるのが親なのか、子どもなのか分からなくなる場合がありませんか。私たちはなぜ聖書を読むのでしょうか。聖書は神が著者です。著作には著者の人格が表現されています。聖書を学んでいるとだんだん神の人格があなたに伝染して来ます。特に福音書を読み、親しんでいるとあなたはイエスさまに似て来ますよ。イエス・キリストは人として最高の人格の持ち主です。一人一人がイエスさまを見ることが大切です。こうして家族は新しくされ続けます。

教会

 教会って何?礼拝をするところ、というのは一つの正しい答えです。でも礼拝って一人でできないこともないですねえ。でも他に仲間がいた方がいい、かも。両者の違いは?教会の一つの存在価値は非日常の時空間であることです。自分一人では、そして肉の家族だけでは経験できないことが経験できるのです。ディズニーランドはなぜ流行るのでしょうか?園内を見ると年輩の男性がミッキーマウスの帽子をかぶり乍ら真顔で歩いています。もし同じいでたちであなたの家の前を歩いていたらあなたはどう思いますか?私たちには非日常時空間が必要です。気分転換です。いつもとは異なるペースです。教会において私たちは非日常の時空間を経験できたらなんとすばらしいことでしょうか。心はうきうき。気分もすっきり、では?こういう世界には愛があります。そう思いませんか。どうかあなたの教会を新しくしてください。この新しい年にあなたが教会をカイノスしてくれませんか。「今日、来て、良かった!」と来ていただいたすべての人に言ってもらえるような教会にしましょう。聖霊があなたの中にすばらしいアイディアをくださいます。どうかそれをあなたの中にしまい込んだりしないでください。霊の家族と分かち合ってください。聖霊から来たアイディアであるかどうかは簡単に判別できます。あなたもうきうき、周囲の人々もうきうき、ならばイエス!

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新し(カイノス)くなりました。

 新しい年に新しい出発と祝福とをあなたの上に祈ります。