274 幸運な人ヨセフ(2)

聖書箇所[創世記]

今日は幸運な人(39:2)について、ヨセフ(英語でJoseph)の人生を参考に学びましょう。

日本語では「ヨ」とか「ホ」となり、ローマ字では「Jo」あるいは「Je」となりますが、この部分はヤーウェを指し、全体としてヨセフは「ヤーウェが加える」の意味です。ちなみにファミリーレストランで有名なJonathanは「ヤーウェが与える」という意味です。今回はヤーウェがヨセフのみならずあなたにももっともっと恵みを加えるように学びましょう。それによってあなたも幸運な人であってほしいと願っています。ところで幸運な人ってどのような人なのでしょうか?
 それはチャンスを上手に生かす人!のこと。愛と善意と誠実のヤーウェ神はすべての人に対して平等かつ公平です。したがってどの人にもすばらしいチャンスをくださっています。そこで今からお話しすることは何がチャンスなのか、そしてチャンスと認識した時にどのようにして生かすべきか?です。以下三つのポイントそれぞれにおいてこれらを説明して行きましょう。

孤独のとき

これは一つの大きなチャンスですヨ。そうは思っていなかったですか?さて、あなたには孤独を感じるときはありますか?「だれも私のことを分かってくれない」「こんなに尽くしているのに、どうして理解してくれないのだろうか?」

ヨセフは大きく二つの孤独を少年時代に味わっています。一つは肉親を次々に亡くしたこと。三つの死を経験しています。まず年老いた、ヤコブ(ヨセフのお父さん)のお父さんイサク(つまり、おじいさん)のお嫁さんリベカの時代からの乳母デボラの死。

一族は涙の中でかしの木の下に葬りました。次に旅の途中お母さんラケルを亡くしました。その後お父さんとその兄弟たちとおじいさんんおイサクとを亡くしました。肉親を亡くす者の気持ちはいかばかりでしょうか?

もう一つの孤独経験はお父さんのヤコブによるえこひいきです。族長ヤコブの11番目の子で、最愛のラケルから生れた最初の子であり、年寄り子でしたので特にかわいがりました。他の異母兄たちよりもヤコブに愛されました(創37:3)。彼には特別に「そでつきの長服」があてがわれましたが、これは生計のために働かなくても良いという意味がありました。貴人や金持ちが着る服でした。いつもお父さんの目の届くところにいるようにされました。お兄さんたちは野で汗だくになりながら働いていたのにです。このような中でさすがの気のいいヨセフも孤独を感じざるを得ませんでした。しかしこのような孤独のときにチャンスはありました。彼は夢を見るのです(39:5,9)。私たちが孤独を感じるときとは周囲の人々が歓迎をしてくれないという思いのときです。でもそのようなときに、天が開いていることを私たちは忘れるべきではありません。天からすなわち神からすばらしい夢が与えられます。何がすばらしいのか?って。その夢が実現してしまうのです(42:6)。

夢こそ希望。どうか孤独を感じるとき、神から夢をいただいてください。

静岡県にある聖隷福祉事業団の創設者長谷川保は、日本で初のホスピスをつくった人でです。また、寝たきり老人を介護する、特別養護老人ホームを初めてつくった人でもあります。彼の口癖は「法律の先を行け」。彼は、「エデンの園」という有料老人ホームもつくりましたが、あるとき専務理事にこう言いました。「私の残りの人生は、あと十年くらいだと思う。その間に全国にエデンの園をあと百か所つくりたい。そうすると、一年に十か所つくっていかなきゃならん。一か所に十人から十五人の看護士、ヘルパーがいるとすると、百人ずつ養成する学校を作らにゃならん」、専務理事は「はい、わかりました」とその実現のために努力しましたが、結局に実現できたのは十一か所でした。氏が召天する少し前、それを言われた氏は高笑いしてこう言いました。「十一か所できれば、大成功だぞ。人々は、いつも失敗せんようにと、びくびくしながら仕事をするから、確かに失敗はせんかもしれんが、どれだけの仕事を残せるか」

彼の前に道はなく、彼のうしろに道がつくられていったのです。なんと小気味良かったことでしょう。夢のある人生とはこのようなものです。

ひどい仕打ちを受けたとき

ヤコブ一族はへブロンの谷に住んでいました。牧草は豊かでしたが、羊や家畜のすべてを養うのには不十分でした。そこでヤコブの息子たちはだんだん遠くへ進出します。早速シェケムの人々とあつれきが生じます。そんな苦労を尻目にヤコブに特別に可愛がられていたヨセフはテントの中。あるときお父さんから使いを頼まれました。お兄さんたちの様子を見てきてほしいというのです。ちょっとノー天気の彼はお兄さんたちに会える喜びや外出できる喜びから勇んで出かけます。ここから大変なことが始まります。この話は37章13節から36節までで知ることができます。なんと兄たちは彼を殺そうとするのです。ねたみの恐ろしさです。ねたみは殺人罪です。さすがに長男ルベンが止めにはいりますが、結局穴の中に放り込まれミデアンの商人たちに売られてしまいます。弟を殺そうとしたり、穴の中に突き落としたり、物のように売り飛ばしたり、なんということでしょう。

でもこれは罪の世界の現実。

南アフリカに住む人の話です。

ある家の主人が帰ってみると、9人の泥棒が忍び込んでいました。主人は泥棒を驚かせたので、8人まで逃げ出しました。しかし、ひとりは捕まえ、プールに叩き込みました。

見ていると、その泥棒はおぼれそうになりました。そこで主人はプールに飛び込みおぼれそうになっている泥棒を助けました。

『ケープ・タイム』紙によれば・プールから上がったその泥棒は、感謝するどころか、仲問に戻って来るように呼びかけ、自分を救ってくれた主人にナイフを向けたというのです。家の主人はこう語っています。

「あいつがナイフを出したのを見て、もう一度プールに押し倒してやったよ。しかし、水の中で空気をつかむような格好をしておぼれそうになっているのを見て、かわいそうになった。だからまた、助けてやったのさ。それにしても、助けてもらった直後に、助けてくれた人にナイフを向けるとは、とんでもない奴だ」‥‥‥(『クレイ』2004.9)

ヨセフの優れたところはこのような目に会っても決して愚痴をこぼさないこと、誰かを責めたりしないこと。やがて彼はエジプトの総理大臣にまで上り詰めます。出世したことが素晴らしいというよりも尊敬され愛されてこの地位に着いたことがすばらしいのです。ゆえにひどい仕打ちを受けることはすばらしいチャンスです。何のチャンス?人格を磨くチャンス!実はヨセフはイエスの型です。共に父親から他の子どもたちの様子を見に行ってくれないかと依頼され、行った先でひどい目に会わされ、しかしそれにもかかわらず愚痴もこぼさず(ヨセフは創世記45:5、イエスはTペテロ2:23,24)、やがて多くの人々から絶大な信頼と尊敬と愛を向けられ、最高の地位にまで上り詰める。ひどい仕打ちを受けたとき、それは私たちには人格を磨く大きなチャンスです。

すべてが成功しているとき

兄たちによってミデアンの隊商たちに売られたヨセフはエジプトにおいて大きな奴隷市場に出されます。牛馬と同じように並べられ買われて行きました。しかし買った人がエジプト王に使える政府高官でした。ここにも神の御手の働きが見えます。これ以降、確かに辛いこと(注1)はありましたが、全体として運が向いてきます。彼は成功への道を確実に進みます(注2)。彼の心の特徴はこのような場合にも決して有頂天にならないこと。彼は謙虚なのです。これがさらに祝福を彼の元に運んで来ます。謙虚さこそチャンスを生かす最高の方法です。

神のサイン

ムーディーがアメリカのある中小部市で伝道集会を導くことになり、大会の何日か前にそこに到着しました。ところが、ムーディーが朝起きて新聞を見ると、1面記事に「高慢な伝道者ムーディー」という記事が載っていたそうです。記者たちのインタビューの求めを事情があって断ったために、怒った記者たちがそんな記事を書いたのでした。その記事を見て、今度はムーディーのスタッフたちが怒り出しました。「先生、これはとんでもない記事です。人格殺人ではないですか。どうしますか。」と大騒ぎです。しかし、ムーディー牧師は黙ってその記事を読むと、愉快そうに笑いながらこう言いました。「この人たちは私のことをよく知らないんだね。私はこの記事よりもずっと高慢なのだが、これくらいなら上手く書いてくれたんじゃないかい?みんな、これは神が私たちに謙遜になるようにと語っておられるサインだよ。もう少し謙遜になれるよう、みんなで祈ろう。」(『リビング』2004.7)

そうは言っても謙虚になることはなかなか難しいものですね。でもイエスさまを信じたあなたには聖霊の神が助けてくださいます。

○「ブドウの房は重いほど下に垂れる」
 ある時弟子が先生に尋ねた。
 「先生、真理がどこにでもあるなら、道に落ちている石のようにありふれたものでしょうか」
 「そのとおりだ。だから誰でも拾うことができる」
 「ではどうして人々は拾わないのでしょう」
 「真理という石を拾うには身をかがめなければならない。むずかしいのは身をかがめることなのだ」(『ユダヤ式交渉術』三笠書房)


(注1)ポティファルのもとでのヨセフは,主が共におられたので,そのなすすべてのことにおいて成功を収めた.彼は,ポティファルの側近に任じられ,家の財産の管理をすべてゆだねられた.しかし,ポティファルの妻のざん言により,無実の罪をきせられ,数年の間王の監獄に入れられることになった.そこでも彼は監獄の長に認められ,全囚人の監督を任された(創39章).その頃,パロの献酌官長と調理官長とがパロに対して罪を犯したために,ヨセフと同じ監獄に入れられた.彼ら2人は夢を見たが,その夢の意味をヨセフが解き明かすと,その解き明かしの通りになり,献酌官長はもとの役に戻り,調理官長は木にかけられて殺された.ヨセフは,献酌官長に自分のことを思い出してくれるように願ったが,彼はヨセフのことを忘れてしまった(創40章).

(注2)それから2年の後,パロが2つの夢を見て,エジプトのすべての呪法師にその解き明かしを命じたが,解き明かすことのできるものはだれもいなかった.その時,先の献酌官長がヨセフのことを思い出し,監獄でのいきさつをパロに話した.パロはヨセフを呼び出して,その夢の解き明かしを命じた.ヨセフは,その解き明かしで示されていることは,これから神のなさろうとしていることであって,エジプト全土が7年間大豊作の恵みにあずかり,その後7年間のききんが起り,地は荒廃するというものであった.そしてヨセフは,そのききんのために,豊作の7年の間に備えをするようにパロに進言した.このことは,パロとすべての家臣たちに認められ,パロはエジプトの全地をヨセフに支配させることにした.これはヨセフが30歳の時であった.ヨセフは,オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテと結婚し,ききんがくる前に2人の子マナセとエフライムをもうけた.ヨセフは,豊作の7年間,食糧を町々に蓄えた.そして豊作の7年が終ると,7年のききんがやってきた(創41章).カナンの地にいたヤコブたちもききんにあい,穀物を買うために,ヤコブは末の子ベニヤミンを除く10人の子供たちをエジプトに遣わした.この10人は,ヨセフのところに来て,顔を地につけて伏し拝んだ.これは,ヨセフがエジプトに売られる前に見た夢の成就であった.ヨセフは,弟ベニヤミンのことで兄たちを試みた.2回目にベニヤミンが連れてこられた時,ヨセフは自分の身を明かし,彼らを赦すことを告げた.ヨセフは,自分がエジプトに売られたのは,ヤコブの家の救いのために自分が先に遣わされたのであると言い,父と共にエジプトの地に移り住むように勧めた(創42‐45章).ヤコブとその一族とはエジプトに移り,ヨセフのゆえにエジプトのパロの歓迎を受けた.そして,彼らはゴシェンの地に住むことが許され,エジプトの地で大いなる国民となるという神の約束を受けた(創46‐47章).‥‥‥父の死後,兄たちはヨセフを恐れたが,ヨセフは兄たちに神の恵みと計画の大きさを語った.(『新聖書辞典』いのちのことば社)

参考

■ヨセフ(〈ヘ〉yosep,yehosep)
 族長ヤコブの11番目の子で,ラケルから生れた最初の子である.「ヨセフ」という名は,「主がもうひとりの子を私に加えてくださるように」と言われた「加える」の動詞〈ヘ〉ヤーサフに由来する(創30:22‐24).ヤコブが20年間ラバンのもとで仕えてから,カナンの地に帰る6年ほど前に,パダン・アラムで生れた(創31:41).ヨセフの生涯の記述は,非常に具体的で詳細に記されており,しかも全体に調和があり,まとまった形で記録されている.ヨセフは,父ヤコブの年老いてからの子であり,しかもヤコブが愛したラケルの最初の子であったので,他の異母兄たちよりもヤコブに愛された(創37:1‐3).彼には特別に,「そでつきの長服」が与えられた.結果としてヨセフは兄たちから憎まれることになった.特に,兄たちがヨセフに仕えることになるという夢の話をしたので,ますます憎まれるようになり,ヨセフは兄たちに殺されそうになったが,長兄ルベンに助けられ,穴に投げ込まれた.しかしルベンがいない間に,他の兄たちはヨセフをイシュマエル人に売り,イシュマエル人はヨセフをエジプトに連れていった.ヨセフが17歳の時のことであった.兄たちは,ヨセフの長服を血に浸して父ヤコブのところに持っていき,ヨセフは野獣に殺されたと偽った.こうしてヨセフは,エジプトの王パロの廷臣で,その侍従長ポティファルに売られ,奴隷となった(創37章).ポティファルのもとでのヨセフは,主が共におられたので,そのなすすべてのことにおいて成功を収めた.彼は,ポティファルの側近に任じられ,家の財産の管理をすべてゆだねられた.しかし,ポティファルの妻のざん言により,無実の罪をきせられ,数年の間王の監獄に入れられることになった.そこでも彼は監獄の長に認められ,全囚人の監督を任された(創39章).その頃,パロの献酌官長と調理官長とがパロに対して罪を犯したために,ヨセフと同じ監獄に入れられた.彼ら2人は夢を見たが,その夢の意味をヨセフが解き明かすと,その解き明かしの通りになり,献酌官長はもとの役に戻り,調理官長は木にかけられて殺された.ヨセフは,献酌官長に自分のことを思い出してくれるように願ったが,彼はヨセフのことを忘れてしまった(創40章).それから2年の後,パロが2つの夢を見て,エジプトのすべての呪法師にその解き明かしを命じたが,解き明かすことのできるものはだれもいなかった.その時,先の献酌官長がヨセフのことを思い出し,監獄でのいきさつをパロに話した.パロはヨセフを呼び出して,その夢の解き明かしを命じた.ヨセフは,その解き明かしで示されていることは,これから神のなさろうとしていることであって,エジプト全土が7年間大豊作の恵みにあずかり,その後7年間のききんが起り,地は荒廃するというものであった.そしてヨセフは,そのききんのために,豊作の7年の間に備えをするようにパロに進言した.このことは,パロとすべての家臣たちに認められ,パロはエジプトの全地をヨセフに支配させることにした.これはヨセフが30歳の時であった.ヨセフは,オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテと結婚し,ききんがくる前に2人の子マナセとエフライムをもうけた.ヨセフは,豊作の7年間,食糧を町々に蓄えた.そして豊作の7年が終ると,7年のききんがやってきた(創41章).カナンの地にいたヤコブたちもききんにあい,穀物を買うために,ヤコブは末の子ベニヤミンを除く10人の子供たちをエジプトに遣わした.この10人は,ヨセフのところに来て,顔を地につけて伏し拝んだ.これは,ヨセフがエジプトに売られる前に見た夢の成就であった.ヨセフは,弟ベニヤミンのことで兄たちを試みた.2回目にベニヤミンが連れてこられた時,ヨセフは自分の身を明かし,彼らを赦すことを告げた.ヨセフは,自分がエジプトに売られたのは,ヤコブの家の救いのために自分が先に遣わされたのであると言い,父と共にエジプトの地に移り住むように勧めた(創42‐45章).ヤコブとその一族とはエジプトに移り,ヨセフのゆえにエジプトのパロの歓迎を受けた.そして,彼らはゴシェンの地に住むことが許され,エジプトの地で大いなる国民となるという神の約束を受けた(創46‐47章).ヨセフは,父ヤコブが死んだ時,父をミイラにし,父の約束に従ってカナンの地に行き,そこで7日間葬儀を行った.父の死後,兄たちはヨセフを恐れたが,ヨセフは兄たちに神の恵みと計画の大きさを語った.ヨセフは110歳で死んだ.そして自分の遺体をカナンの地に葬るようにとイスラエルの子らに遺言した(創50章).出エジプトの時に彼の骨はカナンの地に運ばれ,シェケムに葬られた(出13:19,ヨシ24:32).

■ヨセフ

 〈ヘ〉yosep, yehosep.「彼は加えて下さる」の意味.*ヤコブの11番目の男の子.最愛の妻ラケルの最初の子.兄弟たちの中で父から最も愛されたため,兄たちに憎まれ,エジプトに奴隷として売られた(創世37章).エジプトの王パロの廷臣のもとで仕え,後に無実の罪で牢獄に入れられたが(同39章),パロの見た夢を解き明かしたことにより,王に次ぐ地位に引き上げられ,エジプト全土の支配をゆだねられた.彼の30歳の時であった.果して夢の解き明かしの通り7年の大豊作の後に7年の大飢饉が全世界を襲ったが,エジプト全土には食物があった(同41章).飢饉がカナンの地をも襲ったため,ヤコブは息子たちを穀物を買いにエジプトに遣わした.こうして,今はエジプトの支配者となったヨセフと兄弟たちが再会することになった.12人の兄弟同士が再会に至る場面は,創世記の中で最も感動的な物語となっている(同42‐45章).ヨセフの招きによって,ヤコブ一族70人はエジプトに移り住んだ(同46,47章).ヨセフの子マナセとエフライムは12部族の先祖となった(同41:45,50‐52,48:5).ヨセフは110歳で死んだ(同50:26).(岡本昭世)(『新聖書辞典』いのちのことば社)