278 悪魔に勝つ方法

聖書箇所〔1ペテロ5章1−11節〕

愛の神が願っていらっしゃることは、あなたが幸せであることです。親ならだれでもそうでしょうし、また当然のことです。一方悪魔のそれはあなたが不幸になることであり、あなたが生活する場(家庭、職場、学校、教会などの社会)を不愉快にし破壊することです。イエスさまを信じることがなぜ必要なのか、それはこのような悪魔の働きを頓挫させるためです。ちなみに悪魔とは?それはもともと天使のリーダーの一人でしたが、高慢になって天から落とされた者です。同時に平天使たちの三分の一が同じ運命をたどり、悪霊となりました。両者の違いは悪魔は心に働きかけ、悪霊はそれに加えて身体に対しても物理的力を行使することです。悪魔は虎視眈々と私たちを狙っています。そこで悪魔に勝つためにはどうしたらいいかを学びましょう。

謙遜でいること〔5〕

 へりくだる者に恵みをあたえられる(5)

謙遜な人は悪魔に勝つことができます。反対に高慢なとき、人は悪魔と同盟し、自分のみならず他者をも不幸にして行きます。ところで謙遜とはどういう意味でしょうか?天国と地獄とが存在することは、神のことばである聖書に書いてあり、これを承認することは神の主権を承認することと同じです。これが謙遜です。同様に聖書をまるまる信じることも謙遜です。親に従うことが子どもの義務であり、正しい態度であるのと同じです。あのみことばは受け入れることはできません、という態度は謙遜ではありません。ちなみに神の存在を承認するだけでは決して正しい信仰ではないし、また謙遜でもありません。イエスさまは「悪霊だって、そんなことは知っている」とおっしゃっています。さて謙遜を身に着ける必要がありますが、どうしたらいいでしょうか?このように考えると良いでしょう。謙遜は徳ですから成長があります。だれでもだんだんと謙遜になって行きます。時間をかけてじっくりと成長するといいのです。死の直前まで成長を求めるのが正しい態度です。それには今、出来ることと出来ないこととを受け入れることです。これはそのまま神の主権を受け入れることを意味しています。神は生きていて、世界とあなたのために働いておられます。今、起きているすべてのことに神の意志が介在しています。このペテロの書いた手紙の宛先人たちは小アジアに住むクリスチャンたちです。信仰のゆえに迫害され苦しんでいました。ペテロはそのような人々を慰め励ますためにこの手紙を各地の教会に回覧しました。迫害とは外部からの攻撃ですが、これは受ける者がコントロールできるものではありません。でも自分がそれにどのように反応するかは自分でコントロールできる部分です。私たちの人生には常に自分が出来る、すなわちコントロールできる部分とできない部分とがあります。これを受け入れなければなりません。出来ないことを受け入れることは、そのことがいつまでも出来ないことを受け入れるという意味ではありません。今年出来なくても来年出来るかも知れません。大切なことは今、神があなたの人生に干渉してくださっていることを認めることです。これが謙遜であり、もはやあなたにはぶつぶつ言う暇などありません。同時に悪魔はあなたに話しかけることばを持ちません。
 ある人が天国の様子に興味を持って、見学に行きました。ちょうど食事時でしたが、なんと騒がしいことかと驚きました。けんかしている人、泣いている人、叫んでいる人、血を流している人などなど。見るとテーブルを囲み、ナイフとフォークを手に、目の前のごちそうにあずかろうとしているのですが、それぞれとても長くて上手に口にまで運ぶことができません。無理に食べようとするから、隣の人や目の前の人を傷つけます。彼は続いて天国の様子を知りたいと思い、出かけて行きました。同じように食事時でしたが、平和で温かくて、美しい光景がそこにはありました。互いに目の前の人に食事をとってあげているのです。
 私たちにはそのときそのときで出来ることと出来ないこととがあります。そのことには神の善意のご意志が働いていますので、受け入れればいいのです。まったく同一の条件で私たちは天国を経験することができれば地獄を経験することもできるのです。謙遜が鍵です。悪魔はあなたが地獄で生活することを望んでおられます。

自分を生きること

 自分を生きる人は悪魔に勝つことができます。ところでもしねたみに囚われているとすると私たちは不幸です。私は小さいころから母から「他の人をねたんではいけません」と幾度となく言われました。そのせいか、(良い意味で、と私自身は思っていますが)他の人の様子に関心をあまり持ちません。つまり自分を生きています(と信じています)。ねたみから解放されるには自分を生きることがもっとも有効です。ねたみを持っていると劣等感や優越感の間を行ったりきたり、とても疲れます。イエスさまを殺した犯人はねたみです。新星のごとく現れた彼を人々はねたみました。ねたみはやがて殺人の罪へと進みます。よくこのように言われます。「すべての罪を人間が克服できたとしても最後まで残るのは、ねたみ」
 ねたみを克服しないかぎり私たちは平安を持つことはできません。それには自分を生きること。それは自分の個性を大切にすること。自分の持ち味を、カラーを打ち出すこと。そして誇りに思うこと。あなたはあなたの持ち味を、個性を誇りにしていますか?あなたは自分の家庭を誇りにしていますか?あなたの教会についてはいかがですか?正しい誇りは十字架を土台にしたものです。「私のすべての弱点・穢れ・罰・呪いは十字架の上で焼却処分にされた!今私は新しい人である」と信じるのが十字架を信じることであり、誇りにすることです。少なくない人が劣等感を克服できないでいます。十字架は克服のための特効薬です。

 お元気ですか。毎月この欄を、読んでいてくださって感謝しております。さてテレビで人気者のさんまさんの修行時代のお話です、さんまさんが田舎から芸人になろうということで大阪に出て来ました。喫茶店でアルバイトをしながら修行をすることになりました。アルバイトの初日のこと。さんまさんはまだコ一ヒーの人れ方しか教えてもらっていません。他のメニューは何も作れないのですが、店長が言いました。「わしちょっと出掛けてくるさかい、しばらく店番しとってや」。「店長、そんなこというたかて、ぼくコーヒーしかできませんよ」「まあ、ええわ、客来たら適当なもん作って出しとき」そう言って、店長は川掛けてしまいました。「店長はよ帰らんかいな、客が来たらどないしよう」と心配しておりますと、しばらくして運悪く客が来ました。「何なさいますか」。「ウインナーコーヒー」、「え、何ですか」、「ウインナーコーヒー一じゃ」。「あの……、ウ、ウインナーコーヒーですか」。「だからウインナーコーヒー言うとるやろ」。「あ、わかりました。ウインナーコーヒーですね」。昔の事ですし、旧舎育ちのさんまさんはウインナーコーヒーが何であるか分からなかったのです。「ウインナーコーヒーなあ、きっとあれやろ。でもまさかな…、やっばり都会ではそういう飲み方が流行ってるんかいな…、まあええわ、出したれ」。というわけで冷蔵庫からウインナーを取り出すと、フランパンの上でジュウジュウいためだしたのです。そしてそのいためたウインナーをコーヒーの中に人れました。「お待たせ致しました」。さあ、そのお客さんはどうしたと思いますか。さんまさんがカウンターの陰から心配そうにのぞいていますと、そのお客さんはウインナーを食べなからコーヒーを飲みだしたのです。そして何ひとつ文句を言わず、満足げにお金を払って店を出て行ったのです。結局、そのお客さんもウインナーコーヒーが何であるか知らなかったのです。‥‥‥(大和カルバリーチャペル牧師・大川従道『石の枕』)

 さんまさんの無知までも芸にしてしまうしたたかさがむしろ感動を呼びます。私たちクリスチャンはもっともっとあらゆるものを自分の中で益にしてしまうことが出来るのではないでしょうか。聖霊さまがあなたの心に語ります。「これがあなたの長所。これがあなたの持ち味!」聴いてみてください。自分を生きている者に悪魔はもはや手を出すことはできません。

目標を持つこと

 目標を持って生きている者には悪魔も手を出すことは困難です。逆に目標を持っていないと悪魔に足元をすくわれます。周囲にきょろきょろしている人、、それが悪魔の好みです。

 競走馬に付ける目隠しのことを、「ブリンカー」と言います。馬の視野は、何と340度近くもあるそうです。馬は、ほとんど全方向を見渡せるのです。この長所も、競馬場では邪魔になります。それは、他馬の動きを気にしたり、周りの様子を見物したりするようになるからです。そこで、馬がレースに集中できるように、前方だけに視覚を集中させるようにした目隠し器具を着けるのです。これを、「ブリンカー」、あるいは「遮眼革」と言います。同じようなもので、鼻の上に着ける「シャドウロール」という器具もあります。これは、馬が地上の影に驚いたりしないようにするものです。‥‥‥(『クレイ』2003.11)

 あなたには人生の、あるいは今年の目標がありますか?持つことをお勧めします。目標がないと、あっちふらふら、こっちふらふらします。気がついたら寄り道ばかりで気がついたらまったく前進していなかったということになりかねません。その間、時間・エネルギー・お金、これらが浪費されただけでした、ということになりかねません。すごろくではあるまいし、そんな残念な結果に終わらないためにしっかりと個人的な目標を持つようにしてください。ところで私は「あなたの目標は?」と聞いています。お母さんたちに聞きますと「私の子どもがこれこれこういうふうになりますように」などと返答して来る場合が少なくありません。私は「あなたのお子さんの目標を聞いているのではありません。あなたの目標を聞いているのです」と応えます。お母さんがお母さん自身の目標を持って生活している姿を見せれば、マネをして行きます。それで子どものことはOK。良いモデルになってください、お母さん!

最後にお笑い。

天国への道..

 ある町に赴任した牧師が、まず手始めに地域を知ろうと思い、あちこち歩き回りました。何でも見てやろう式に精力的に歩いているうちはよかったのですが、道に迷い、とうとう教会に戻れなくなってしまいました。やがて向こうから女の人が歩いてきました。牧師は喜んで道を尋ねました。
 「すみません、教会へはどうやって行くのでしょう」
 その女性は親切に教えてくれました。やれやれ助かったと牧師は胸をなでおろし、にこやかにお礼を言いました。
 「ありがとう、助かりました。お礼と言ってはなんですが、地上での道を教えてくれたあなたに、私が天国への道をお教えしましょう。実は、その教会の牧師なんです。私は」
 女性はあきれ顔で首をすくめました。
 「フン、こんな所で道に迷っているくせに、もっと遠い天国への道を教えるですって?いいえ、結構です」
 (『話のタネ』)

 聖霊さまがあなたの心の耳にあなたの地上における目標を教えます。その目標をひとつひとつ尋ねて行けばあなたは間違いなく天国に到達できるし、良い待遇を受けることができます。天国目指して進むあなたにもはや悪魔は誘惑をすることができません。