282「成功型」人間になろう

聖書箇所 [ヨシュア記1章1−9節]

 「成功型」とは1章7節の最後の文章にあるものを指します。すなわち、神さまの祝福を日々着実にいただき、それを楽しむ生活です。決して金持ちになるとか、英雄になるとかを指すものではありません。本来私たち人間のすべては神さまによって「成功型」に造られていたのです。罪が入ってその歯車が狂い始め、子孫に遺伝しています。これを本来の姿にどのようにして復活させるか、今回のテーマです。モーセーヨシュアのラインから学ぶことが出来ます。モーセもはじめは「成功型」ではありませんでしたが、自ら学び、それを弟子ヨシュアに教えました。ヨシュアはその実と言ってもいいでしょう。

人を見ずに、神を見る

 いつも神さまを見るようにしてください。神さまは今何をお考えだろうか。何をしてほしいとお考えだろうか。神さまってそもそもどのようなお方だろうか、などなど。神さまを見上げることに集中してください。人を見ずに、神を見る、と言いました。わざわざ人を見ずに、と添えたのは、私たちは人を見やすいからです。モーセが最初に受けたのが、このレッスンです。出エジプト記3章7−15節をご覧下さい。神さまからイスラエル人を導く指導者となるように召命を受けています。しかしすんなりと話は進みません。なぜでしょう?モーセは神を見ないで、人を見ています、「人々は私を受け入れるだろうか」と。人を見る、とはどのような意味でしょうか。それは人に期待しすぎること。もしあなたが人に期待を強く持てば、そのイメージがはじめに比べてどんどん大きくなり、すなわちはじめは「あの人、このようにしてくれるかも知れない?」と思う程度ですが、次第に「きっとこのようにしてくれる」というふうに期待感は高まり、やがて「必ず、このようにしてくれる!」と確信するに至ります。するとあなたの心の中に何が起きるでしょうか。答え、それはさばく思い。なぜなら期待はずれに終わるから。これは罪です。実は、罪が「失敗型」(「成功型」の反対)人間を作ります。

数千人の事故の被害者を調査したフランダース・ダンバー博士によると、「事故型」と呼んでもいいような人々がいると言うのです。これはどのような型かと言いますと、どんなに良い環境に置かれても事故に会いやすい、というものです。短期間に交通事故に遇ったトラックの運転手が、ではしばらく外出しないでいようと、自宅にいたところ、階段を踏み外して腰の骨を折ったなどです。この種の学者たちによれば、これは将来への不安に基づくものです。それで言い訳を作るために事故が最適、という訳です。なんのことはない。私たちの心の問題ではありませんか。

私たち人間ならだれでも良心を持っています。神さまが造ってくださったものです。良心には二つのことを認識する能力があります。一つは罪であり、もう一つは罪を犯せば罰を受けなければならないこと、です。さてさばくことは罪です。良心はそれを知っています。そして自分がそれゆえに罰を受けなければならないことも。つまりこの種の事故は自分自身が招いていると言えます。「事故型」人間は自分自身で事故や災いを呼び込んでいるのです。この習性を変換させなければなりません。「成功型」に。そしてそれは可能です。

 どうか神さまを見てください。そのためには「神さまは私に最善をなさる」と信じることです。イエスさまも常に神を見て進まれました。人々はほめたたえたり、けなしたりとさまざまな反応をしましたが、終始彼は冷静で、神を見ていました。ゆえに救い主としてその人生を成功させ、数限りない人々に尊敬されています。

人に与えることを考える

 与えること。しかしこれはなかなか難しいのです。難しいことを承知で書いています。なぜ難しい?人間はだれでも常に欲しいのです。どこに出掛けるにも、何をするにも、「欲しい」気持ちでいっぱいです。だから与える姿勢を持つことは難しいのです。でもあえて言います。人に与えることを考えるようにしてください。これがあなたを「成功型」人間にしてくれます。出エジプト記2章11−14節をご覧下さい。モーセが自らイスラエル人の指導者として立ち上がろうとしたときに起きた事件が見られます。だれも彼を支持してくれませんでした。「行くぞーッ!!」と号令をかけましたが、後ろにはだれも従ってはいません。彼は大きなショックを受けました。プライドは傷つけられ、ついには事の発覚を恐れ亡命します。なぜこのようなことが起きたのでしょうか。彼の心の中にある動機が見抜かれたからです。彼の動機は、と言えば、エゴイズム。動機は心の中にあるものですから、外からは見えないもののように思えますが、実は見えます。人々はそれを見抜きます。「なあーんだ、自分の個人的な野心のために、そんなかっこのいいこと言ってー」と反応します。弟子であるヨシュアの受けた恵みの一つはエゴイストである、あるいは未熟なモーセの成長を目の当たりにできたことです。愛の人に変えられていく姿をヨシュアはつぶさに見る特権にあずかっています。32章11−13節では愛のモーセの姿を見ることができます。愛の、それは与える者の姿を示している意味です。
 このときイスラエル人は、モーセが神さまからできるだけ多くの祝福を持ち帰ろうと算段を重ねているのに、親の心、子知らず、彼らはただ受けることしか考えていません。ついに金の子牛を偶像として作ってしまいました。「もう、ヤハウエの力なんか信じない、役立たずだ!」という叫びが彼らにこのようなことをさせました。なんという恩知らずなイスラエル人でしょうか。一方、モーセは人々への愛情に基づいて考え、かつ行動しています。神さまの怒り(9節)に際しても、彼のそのような気持ちをいかんなく披露しています。11節以下をお読み下さい。モーセの、人々に仕えよう、与えようとする思いと姿。

 あなたも与える人になることができます。簡単なことを二つ提案しましょうか。何事も練習です。やってみてください。一つは近くの人に「元気ですか?」、「風をひかないようにねッ」などとやさしい一言をかけること。もう一つは笑顔。デール・カーネギーは彼の著書である「人を動かす」の中で笑顔についてこう言っています。

 与えても減らず、与えられた者は豊かになる。
 そんな金持ちでも、これなしでは暮らせない。
 どんな貧乏人もこれによって豊かになる。
 家庭に幸福をもたらす友情の合言葉。
 疲れた者にとっては休養、失意の人にとっては光明。
 悲しむ者にとっては太陽、
 悩める者にとっては自然の解毒剤となる。
 買うことも、強要することも、盗むこともできない。
 無償で与えて、はじめて値打ちが出る。

みこころに焦点を当てる

 神さまの思い、ご意志に焦点を当てるようにしてください。神さまの思いはあなたに祝福を与えたい、というものです。でも親の心、子知らず。出エジプト記32章9−10節をに注目してください。偶像を作ることによって彼らは祝福からから遠くなるばかり。神さまはここで怒っておられます。なぜ?愛がその動機です。一方、私たち人間の怒りはどのような動機に基づくものでしょうか。それは欲求不満のはけ口であったり、ではありませんか。ちょうど空腹時のいらいらを近くにいる人にぶつけるように。動機が正しければ、すなわち愛に基づくのであれば、よい結果になります。悪ければ悪い結果になります。前者は「成功型」、後者は「失敗型」。もしあなたが良い動機でことを行うなら成功型人間として二つのすばらしい恵みをいただくことができます。一つは真の安らぎ。いかがですか。安らぎが欲しいですね。与えられますよ。神のご意志はあなたのすべての思いを満足させるだけの力と内容を持っているからです。もう一つはあなたの身近な人が変えられること。これはありがたい!ビクトル・ユーゴーの名作『レ・ミゼラブル』をあなたはご存じでしょう。
 たった一つのパンを盗んだだけで19年の獄中生活を送ったジャン・バルジャン。刑を終え、社会に復帰しますが、彼を知る町の人々は彼を暖かく迎え入れることをしません。ある日、ミリエル司教の家に行き、暖かいもてなしを受けます。ご馳走をいただき、用意されたやわらかいペッドに心が安らぎます。実に久しぶりでした。ところがいざ眠ろうとしたとき、きれいな銀の燭台が目に飛び込んできました。彼は悩みますが、結局自制心を失い、そのうちの一つを盗んで逃げます。まもなく彼は警察に捕まり、司教のもとに連れられて来ます。ところがなんと驚くことにミリエル司教は、「それは私が彼にプレゼントしたものだ」と言ってジャン・バルジャンをかばいます。「私は二つ持って行くように、って言ったのに、どうして一つしか持っていかなかったの?」と言いながら、もう一つを彼に差し出します。このときです。ジャンのかたくなな心が溶け始めたのは。「これがキリストの愛なのか」、と彼は悟ります。同時にジャンは、このとき心の中で「私はミリエル先生のようになろう」と決心をします。やがて彼は成功を収めて行きます。

 「成功型」に自分を体質改善しようとするならば一つのことをお勧めします。それは心の耳を澄ませ聖霊のお声に敏感になること。

 18世紀の人、ジョン・ウエスレーは英国から北米に派遣された宣教師でした。一生懸命に伝道しましたが、決して実ることなく、心身ともに疲労困憊。失望し、帰国を考える中、ある人が聞きました。「君に質問したいことがある」、「イエス・キリストとは何者ですか?」。「全世界の救い主です」と答えました。でもこの答えは質問者を満足させませんでした。「イエス・キリストはあなたにとって何者か?」と再度聞いたのです。ウェスレーにとってこの出会いと質問は衝撃的なものでした。この時から「イエス・キリストは私の個人的な救い主である」と確信を持ち、再度北米に渡り、伝道者として大成功を収めました。

 あなたの心の中で神の声が聞こえますか。そして神のご意志を知ることが出来ますか。それを認識して、自分のものとする者は「成功型」人間として祝福に祝福を重ねて人生を生きることが出来ます。