288 神の子としての特典

●聖書箇所[ヨハネの手紙第一 3章]

イェス・キリストを信じた人はだれでも神の子です。今回は神の子についての学びをしましょう。その前に「ダブリンのろば」という話をしましょう。腹ぺこのロバが小屋に入っていきました。なんとそこにはロバの大好物が飼い葉桶には山盛りになっていました。おまけに二桶もありました。ロバは『どちらにしょうかな」と考えている聞に餓死してしまいました。一方に決めてもすぐに疑いが来てしまうのです。『疑う』は英語でdoubtですが、ラテン語duoから来ています。これは「二つ」の意味です。振り子のように迷いを暗示していますね。そうです私たち人間の弱さは迷うこと、一度決めてもそれに確信が失われてしまうことです。しかし天地の造り主なる神さまは一度お決めになったことに関して確信が揺らぐことは決してありません。『この人を神の子として選んだのは失敗だったかな」なんていうことはありえません。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネ15:16)

あなたは神さまによって神の子として選ばれました。どうか素直に喜んでください。さて、今回のテーマは神の子としてどんな特典が用意されているのか、というものです。結論を言えば、8節です。「悪魔のしわざを打ちこわすため」です。「悪魔のしわざ」って何でしょう。それはあなたを不安に陥れること、不幸にすること、長い間築き上げてきた人間関係と信頼関係を壊すこと、そして地獄へ導くことなどです。神の子はこのような悪魔のしわざから解放されるのです。具体的にその特典を見て参りましょう。ところで8節の『子」と1,2節の『子ども」は原語では異なる単語です。前者はキリスト、後者はイエス・キリストを信じた者、すなわちクリスチャンのことです。

みことばがその人のうちに留まる(3:9)

『神の種』とはみことばです。みことばはこの世界に関する解説書であって、この世界におけるあらゆることに関しての正しい解答です。あなたは今難しい問題に直面していますか。目の前にある二つの道を前に迷っていますか。いつ決断すべきか、葛藤がありますか。このようなあなたにはみことばから解答が与えられます。なんとすばらしいことでしょうか。もちろん簡単な問題はきっと私たちの生活の中にはたくさんあるのです。簡単なのですから、それほど悩むこともないのです。でも極めて困難な場合は。そうです。みことばがあなたを助けます。期待して下さい。期待こそ信仰です。ところで種にはいのちがあります。なければ、もはや種でなく単なるごみです。このいのちは神の霊、聖霊さまによって起動し、活動します。先週、ある方から電話がありました。「私の心に、○○書○章○節が深く印象付けられたのです」というのです。話を聞いて行くとその人の置かれた状況から判断してまさに与えられたみことばであると私は確信できました。当然その人の中にはそのみことばが働き、間題が解決されました。ただし常にだれにもこのような形で示されるとは限らないのでご注意下さい。比較をして劣等感を持たないようにしてください。示された人には認識できるように神さまの方で配慮してくださいます。ただし、いつもみことばの前に心を開き、聞こうという謙虚な姿勢でいることが必要です。神さまは必ずあなたをみことばをもってあなたを助けます。みことばがあなたを助けます。期待して下さい。もう一度言います。期待こそ信仰です。種にはいのちがあります。神の種であるにはいのちがあります。いのちは神さまによって育てられます。

可能性が広がる(3:21,22)

あなたには大きな可能性があります。このメッセージを伝えようと一人のメッセンジャーがこの世界に来て下さいました。イエス・キリストです。21,22節はなんという大きな希望をあなたに与えることでしょう。

愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。

神さまの心は広く、大きく、深いのです。神の子であるあなたも同様です。あなたはもしかすると自分自身を小さくしていませんか。「これもできない、あれもできない、どうせだめだ!」とか。自分の周りに自分で柵を築いてはいませんか。こうしているともちろん小さな自分のままですが、大きな誘惑に会います。欲求不満なのでつい肉の欲求に負けてしました。これこそ悪魔の思う壷です。実はこの手紙はグノーシス教という当時の新興宗教の悪い影響を受けていた小アジアに散らばるクリスチャンたちにヨハネが書いたものです。この宗教は霊肉二元論に立ち、悪である物質、すなわち、「身体」は私のせいで悪であるのではない、と欲望そのままに生きることが正当化できる宗教でもありました。それで「これが私の可能性」とクリスチャンの初心者たちは誤解し、道を過ったのでした。ヨハネが言いたいのは『それは間違った可能性だ、真の可能性は愛に基づく」でした。この手紙には愛の字が踊っています。彼はそれゆえに愛の使徒と呼ばれます。あなたが神の子として受け取っている愛を発動させるとき、あなたの可能性は大きく広がります。
 フランス皇帝ナポレオン・ポナパルト(18-19世紀)は晩年にこう言いました。

アレキサンダー大王、シーザー、シャルル・マニュ、そして余は大帝国を築き上げた。何によってか。武力によってである。しかし私の十何世紀も前に他の方法で大帝国を築き上げた者がいる。イエス・キリストである。何によってか。愛によってである。今日でも彼の為にいのちを惜しまない者が絶えない。
 ナポレオンの空しさが分かりますね。

 所はイギリス。名誉革命の頃。一人の若い兵士が死刑を言い渡されました。本人もショックでしたが、彼には婚約者がいました。彼女も大きな衝撃を受け、悩みました。なんとか免除してもらえないだろうかと、裁判官のもとへかけつけました。次に当時の最高指導者であったクロンウエルにも直訴しました。いずれも答えはノー。彼女はとうとう教会の鐘を鳴らす係の老人に訴えました。広場にはもうすでに人々が集まっていました。その中心には死刑執行官たちに囲まれた彼女の婚約者がいました。夕暮れ時に鳴らされる教会の鐘の音を合図に死刑は執行されます。老人はこの鐘の音を鳴らす係でした。しかし老人はうなずいてはくれません。広場では人々が今か今かと鐘が鳴るのを待っていました。しかし一向に鳴りません。老人は定刻に鳴らし始めていましたが。実は彼女は高い教会の塔に登り、鐘の舌にぶら下がっていたのです。老人は耳が悪くて聞こえません。ただ、いつも通りに作業をしていました。彼女は鐘が大きく揺れるたびに揺られ、身体中血だらけになっていました。やがてこのことは多くの人に知られ、彼は助かりました。『愛(の)力は死のように強い」(雅歌8:6)のです。

生きる誇りを持つ(3:19)

生きる誇りって何でしょうか。

「それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです」

ちょっと砕いて言い換えてみましょうか。『私は、今、正しく価値ある道を歩んでいる。ゆえに私には神から来た平安がある」いかがでしょうか。これが生きる誇りです。あなたはこのような誇りと共に生活をしておられますか。誇りは何から生まれるのでしょうか。それは「私は他の人とは異なる・違う」意識です。イエス・キリストの場合は5節に表現されていますので分かります。「罪がない」です。この異なり・違いが彼の人生を価値あるものにしてくれました。すなわち救い主になれたのです。あなたを救うことができたのはこの異なり・違いのゆえです。あなたにも他の人とは異なるもの・違うものが与えられています。それを認識してください。ちなみにこのような記事を見つけましたので紹介しましょう。人間を人間たらしめている遺伝子の総体を「ヒトゲノム」と呼ぶ。35億文字で書かれた「ヒトゲノム」の情報が近く完全に読み解かれようとしている。それはいま、色々なことを語りかけようとしている。我々が人間であるのはまず人間の遺伝子、つまり「ヒトゲノム」を持つからである。人閻は必ず人聞から生まれる。人間からイヌは生まれない。それはゲノムが違うからである。人閻が生まれながらにして持ち、決して変更できないのがこの「ゲノム」である。……一方、一人一人の人間は少しずつ違う。それはゲノムの中に、ほんのわずかの違いを持った遺伝子が含まれているからである。……人間がこうした遺伝子のわずかな違いを持っていることを『ゲノム」の個別性という。「ゲノム」の個別性によって生ずる一人一人の多様性を認めることは、基本的人権のもう一つの側面である。(多田富雄[免疫遺伝学者]『日本経済新聞2000年1月7日)

異なり・違いの認識があなたの生きる誇りとなるでしょう。そして生きる誇りと共に生きる人にはいつも本物のほほえみがあります。

「ほほえみ」という詩を紹介しましょう。

 ほほえみ 少しも元手はかからない
 しかし、多くのものを人に与える
 ほほえみ 人に与えても少しも減りはしない
 かえって人を限りなく豊かにする 
  ほほえみ お金で買うことも、
 借りることも盗むことも出来ない
 ほほえみ 生み出すのに時間はかからない
 しかし、受けた人の記憶の中で永遠に残ることさえある
 ほほえみ それなしに生きていけるほど
 強い人、豊かな人はこの世にいない
 ほほえみ それは家庭を幸せにする
 職場を明るくする
 それは友情のしるし
 ほほえみ それは疲れた心に休みを与え、
 失望した人に励ましを与え
 悲しむ人に光をもたらす
 ほほえみ それは人生の諸問題に対して
 神さまが与えて下さる妙薬
 ほほえみ 心の奥底からわき出て
 惜しげなく与えた時だけ値打ちが出てくる
 ある人はほほえむことが出来ないほどに疲れているだから、
 その人にあなたのほほえみを上げてください
 あなたのほほえみを必要としている人は
 その人から知れないから
(作者不祥)

 このような恵みにあなたがあずかることができるのはなぜでしょうか。それは神の子はいつもキリストを見ているから。2節をお読みください。人は見ている者に、ものに似るものです。子は親に似ています。実によく似ています。良いところも悪いところも。すべてが。キリストからは良いものだけを受けることができます。このキリストが基準です。基準が神の子にはいつも備わっているので、迷わず生きる誇りを持ちつづけることができます。