320 人生の成功とは何か?

聖書箇所 [詩篇37章3-7節]

 最近私の家の外壁を塗り替えました。20年以上も経って汚さとひびが目立って来たからです。でも驚きました。真っ黄色!妻が決めたのですが、事前に何色でもいいと返事をしていたので何も言えませんでした。良い事もあります。私の家を訪ねるときに見つけやすいことです。

 さて、あるペンキ屋さんの話をしましょう。腕のいい彼は依頼されて道具ととともに目指す家に近くまでやって来ました。「あッ!これだ!この家だ!」。早速仕事にかかりました。要領よく、テキパキ仕事をして、出来上がりに彼も満足しました。とそのとき、「あっッT!しまった!隣の家と間違えた!」。これは有名な能率と効率の話です。能率良くペンキは塗ったけれども、効率はゼロ。

 もし私たちの人生がこのようであったら大変な事です。一生懸命に大切なことと信じて励んで来たことが実は大切な事ではなかったなんて。いったい人生の成功とは何でしょうか。私たちはだれも自分の人生を失敗させたいとは思ってはいません。つまり成功を望んでいるはずです。成功とはどのようなものなのでしょう。私の知り合いが大きな銀行にスカウトされ、その契約金で7000万円のマンションを購入しました。これは人生の成功でしょうか。つまり物や金の多さが成功でしょうか。発展途上国のいかにも貧しい身なりの子どもたちの顔の明るさにはハッとさせられますね。今回は神さまの教えてくださっている真の人生の成功についてダビデの人生と彼の表現を通して学びましょう。この詩は神さまからとても愛されたダビデの作品です。

義を輝かすこと[6節]

 義を輝かしている人にはいつも平安があり、将来への希望があります。なぜなら「私の、この道は神さまが導いてくださっている道だ!」という確信があるからです。最近一人の兄弟のお葬式がありました。半年前に高齢で夫婦一緒に洗礼をお受けになった方でしたが、とても良いお葬式でした。ときどきお家に出かけて話を伺う事がありましたが、主イエスさまを信じてからの変わり様を夫婦で互いに明るくお話をしておられたのが印象的でした。それがまさに義を輝かしている時でした。あなたもこのように義を輝かすことができます。それは永遠のいのちを輝かすことでもあり、神のいのちを輝かす事でもあります。それには自分の中にそれがあることを意識する事です。主イエスさまを信じた時に与えられるものを意識することです。内面にあるものを外に表現することは日本文化の神髄でもあります。日本の文化に親しんで来た者にはこのことが理解できるでしょう。

 熊谷次郎直実は鎌倉の武士です。播磨の戦いで見るからに若武者と戦いました。歴戦の勇者である彼はあっさりと彼を捕え、「名を名のれ!」と言いました。でも「首を切れ!」の一辺倒。直実の内面にあるものは「義」です。これは武士道の神髄であり、この場合、「力の差が大きい者同士では戦えない」というものです。まだヒゲの生え揃わない、あどけない子どものような武者の首を撥ねるとは決してできないことでした。これは彼の中の義がそうさせるのです。あなたの中に神の義がありますね。それをどうか輝かせてください。そういう人を成功者と言うことができるでしょう。

深い愛を持っていること[3、7節]

 愛についてはあなたはよくご存じでしょう。ギリシア語でエロス(性愛)、フィリア(友情)、そしてアガペ(神の愛)。他にもいろいろあります。マニア(取り憑かれる愛)、ルダス(遊びの愛)、プラグマ(実利的な愛)などなど。今回は旧約聖書から学んでいますから、ヘブル語の愛について学びましょう。

 1)ヘーン 
   これは一回限りの愛。たとえば、お年寄りが交量の激しい道路で立ちすくんでいたとしましょう。親切な青年が向こうまで手を引いて案内してあげました。これなどがそうです。

 2)ヘセッド 
   幼馴染みの間にある愛が良い例でしょう。友人が骨折した。家も近い、職場も近い。だから朝夕、車に乗せて通勤を助けた。

 3)ツェダカー 
   これは結婚の場合がぴったりでしょう。「嬉しい時も、悲しい時も、健康の時も、病気の時も愛します」と誓約します。約束をあくまでも貫いて愛するのがこの愛です。

 もうお分かりでしょう。以上の三つは愛のレベルを並べたものです。ホップステップジャンプ、といったところでしょうか。それにしても最後の愛が「非常にレベルが高い!だれが実践し得ようか」と思わずため息をつきたくなります。私たちは失敗もし、罪も犯し、それゆえに自己嫌悪感にも捕われます。自分を成功者どころか、失敗者と見なしてしまいます。ダビデの経験が参考になります。ご存じの通りに、彼は実に多くの失敗と罪を重ねて来た人です。でも立ち直るのです。あなたにも立ち上がってほしい、そのつど。そのために旧約聖書の神髄とも言える箇所をご紹介しましょう。それはエゼキエル書16章。どうぞお読み下さい。神さまの優しさがじわーっと伝わって来るではありませんか。「あなたの神である私はあなたがどんな失敗をしても、どんな罪を犯してもゆるし受け入れる。私はあなたを愛している」という愛のメッセージをどうか受取ってください。なぜ、神さまはこのようにまでおっしゃるのか。それがアハーバーです。それは「選び」です。あなたは愛する者、愛せる者として神に選ばれ、この世界に送り込まれた者です。神がお選びになったのですから、神が最後まで面倒を見てくださる、責任を持ってくださるのが筋ではありませんか。あなたは愛することができるし、愛することに挑戦するあなたは人生の成功者です。

幸福の思いがあること[4節]

 私は加山雄三の歌、「君といつまでも」が好きです。特に「ぼかー、君といるときがー、一番しあわせなんだー」というせりふが好きです。明るくて、聞いているだけで幸せな気分に浸れます。成功者は幸せな人に限ります。限られます。ではだれが幸せ?物を多く持っている人?お金をたくさん持っている人?幸せとは心の態度です。「私はしあわせ!」と心底から言える人は幸せです。どのようにしたらいつも幸せでいられるのでしょうか。どうか神さまを賛美してください。賛美と言うと、あなたにはどのようなイメージがありますか。集会に遅れている人がいて、「賛美でもして待っていましょうか」という時、賛美に対して一つの定義をしていますね。それは「暇つぶしにするもの」。これが果たして真の賛美でしょうか。賛美とはほめる、ことです。「あなたの○○、すばらしい!」「これは、これは、上手ですねえ」。ほめる時、何が起きるのでしょう。相手の心の扉が開きます。開けばしめたもの。あなたの大切なメッセージを気持ち良く聞いてくれます。これはコミュニケーションの初歩です。多くの人がこれは正しい事だから、という理屈で相手に突然説明するのです。でも相手からすればあなたはオウム真理教かも知れないのです。警戒するのは当たり前。それが常識というもの。まずは信頼関係から。それにしても自分の大切にしているものを理解してもらえたときの心地よさ、なんとすばらしい!だから幸せ。

夢を追いかけていること[4、5節]

 夢を追いかけている人は若い人です。肉体年齢が若くても夢のない人は老いた人です。昔の札幌農学校と言えば、クラーク先生、クラーク先生と言えば「少年よ、大志を抱け!」が思い出されます。マサチューセッツ州の農学校校長でしたが、教頭として札幌に赴任しました。私もクラーク先生に習って一言を発したいと思います。「夢のある人であれ!」あなたは口を開くとき、愚痴ばかり言ってはいけません。否定的なことばっかり言ってはいけません。詩篇81篇10節にはこうあります。

            わたしが、あなたの神、主である。
            わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。
            あなたの口を大きくあけよ。
            わたしが、それを満たそう。

 夢を追いかけている人は神さまが祝福してくださるので、その人生は必ず成功します。夢のことを言うと年輩の人から不安そうな感想を聞きます。この年寄りにどんな夢が持てるのですか。まず若いかどうかは肉体年令が決めるものではないということ。
サムエル・ウルマンの詩をご紹介しましょう。

 題名は『青春』。
 
 青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う。

 具体的にはこのようにお話したら納得いただけるでしょうか。「30年も信仰生活していると、こんなにすばらしい人格になるんだあー」と周囲の人々を感動させること。良いサンプルを提供すること。あるいは天に宝を積むことに真剣になる事。いかがでしょうか。それには心を柔らかくしなければなりません。聖霊さまをお招きしましょう。聖霊さまの特徴は平安と変化。ここち良い風、と表現できる風、それは平安をもたらします。でも風は常に変化しています。向き、気圧など。聖霊さまは風に例えられます(ヨハネ3:8)。変化がなくなったら、それはもはや風ではありません。

 『人生の三つの箱』という本があります。人は人生において一時に三つの箱のいずれかに入り込んで中々出てこない、と言うのです。その箱とは学習、仕事、遊び。著者の提案は入り込んだままでいないで、時々別の箱にはいったらいいではありませんか、です。ある人は「否定的」という名の箱から中々出て来ません。勇気も持って出てみてはいかがでしょうか。柔軟性のある心は常に夢を私たちに与えてくれます。そして夢は叶えられ、そういう人を人々は憧れを抱きつつ見、この人こそ成功者だと感想をもらすのです。
 あなたの人生が成功する人生であることを祈っています。