357 みことばパワー
 ●聖書箇所 [テモテへの手紙第二3章15節ー4章2節]

 まだ社会福祉が不十分であった明治時代。石井十次は医者になろうと岡山の医学校で学んでいました。あるとき孤児を預かり、大きな葛藤に直面します。このまま医学の道を進もうか、それとも孤児のために働こうかと。徹夜祈祷を続ける中、ある朝ついに決断をします。孤児救済のために一生をささげると。そのときの心境を彼はこう書きます。「妻は泣き、友は悲しみ 世人は発狂せしと評せとも 余は、言うべからざるところの福を感ぜり」
 晩年、病床から後継者たちを呼んでこう言い残しました。「君たちにまず第一に必要なことは、聖書信仰に堅く立つことだ」
 何が彼を動かしたのでしょうか。みことばです。みことばには力があります。パワーがあります。今回はこのみことばパワーはどんな働きをするのかを見て行きましょう。

あなたの中に存在する愛にスイッチを入れてくれます

 あなたの中にはイエスさまとともに愛が存在します。愛っていいですねえ。この響きがなんとも言えない!
 ある中学校の先生が悩んでいました。彼には愛があります。だから余計悩みます。

 なかなかクラスの生徒たちが勉強をしてくれないのです。なんとか説得をするのですが、言うことを聞いてくれません。あるとき、一つのアイディアが閃きました。早速小学校へ出向き、相談。幸いOKをもらえました。それは小学校の1ー3年生の遅れた生徒たちの助手として中学生たちを使ってもらうというものでした。提案してもそれほど乗り気ではありませんでしたが、なんとか賛成をしてもらいこの計画はスタートしました。なんと出かけるたびに中学生たちのことば使いや身だしなみまでが変わって来るではありませんか。遅れているとは言え中学生、小学生に算数を教えることは難しくなかったのです。そればかりか勉強のあとに一緒に遊びました。目が輝いて来る中学生たち。ある日のこと。熱っぽい中学生が登校して来ました。「おい、どうした!?」「風邪みたい……」「そうか無理したらいかん、休んだ方がいいなあ、今日は」「先生、休むなんて!待ってる子どもがいるんだからあ……」。こう言うといそいそと小学校へと出かけて行きました。

 (「聖書はすべて、神の霊感によるもので)「教えと戒めと矯正と義の訓練」(16)は私たちが身につけるものとして愛を目標としています。ゆえに「神の人」としては「すべての良い働きを」するのですべての人に「有益です」(17)。愛はだれにも益を与えます。だれをも生かします。愛とはなんとすばらしいものでしょうか。ところで愛を持っていることと使えていることとは違います。これは非常に大切なことです。愛は使わなくてはいけません。ここにすばらしいニュースがあります。みことばがあなたの中に存在する愛にスイッチを入れてくれ、あなたは愛を実際に使い始めることができます。どうか「私の人生の土台は聖書にある」と明確に決心してください。すると愛はあなたの中で作動し始め、まずあなたが生きた者となります。創世記2章7節には人が生き始める場面があります。「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった」。動物は食べて、排せつして、寝て、起きれば、それで生きているのですが、私たち人間の場合は違います。愛が作動してはじめて「生きている」と言えるのです。4章1節を見てください。生きているかどうかは神の前の出来事なのです。生き始めるためには「いのちの息」、すなわち聖霊さまが干渉してくださらなければなりません。3章15節はこのことを教えています。

あなたを第二の救い主にしてくれます

 残念ながら第一の救い主(イエス・キリスト)にはなれません。しかし第二にはなれます。私たち人間は救いを必要としています。最近少年らによる凶悪事件が相次いでいます。彼らの事件後の発言を拾ってみましょう。

 新潟少女監禁事件の佐藤宣行(37)。
 「どうして部屋に来る。……うまくいっていたのに……。ああ、これで終わりだ」、「お母さんにあいたい。なぜ来てくれないのか?どうしているんだろう」、(面会に来た母親に)「どうして来なかった?馬券が買えないじゃないか」

 佐賀バスジャック事件の少年(17)。
 (面会に来た母親に)「あんた、何てことしたの。人を殺していいと思っているの?」「どうして僕が悪い?みんなが注目する英雄的なことをやってのけたんだでもまだやりたいことがあるな」「自分のことは新聞に出ているのですか?ちょっと見せてもらえませんか」
 愛知主婦惨殺事件の少年(17)。「人間がどの程度で死ぬか確かめたかった」(『文芸春秋』2000.7)

 私たちには想像を絶する世界がここにはあります。多くの識者は彼ら少年たちの問題点を「父性の不在」と指摘しています。『父性の復権』(林道義)はこう書いています。

 「父親の役割は家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えることにある。この役割が失われると子供は、判断の基準、行動の原理を身につける機会を逸してしまう。……健全な権威を備えた父親が必要だ」

 私たちの住んでいる日本の社会にはいま父性が喪失しているのではないでしょうか。かつては「地震、雷、火事、親父」と恐れられていましたが。ちなみに日本の最高神は天照大御神で、女神です。聖書にある「主の祈り」を書き換えなければなりません。「天にまします我が母よ」と。聖書は教育権は母親にではなく、父親にあると教えています。しかし父性が極端に強かったり、弱かったりするというのは決して日本だけの特殊現象ではありません。これはアダムの堕落以降のすべての人間社会の問題です。創世記3章1節以降にある堕落の事件はアダムが父性(というよりは、この場合はその中の家庭におけるリーダーシップの部分ですが)を働かせなかったことに起因していますから。聖書が書かれた頃、奴隷制度がありました。聖書はこの制度を否定しています(ピレモン15-17)。妻にも子どもにも人権が認められなかった頃、正当な権利を訴えた(エペソ5:25、28など)のが、聖書、すなわちみことばでした。そうしてヨーロッパ社会は変えられて行きました。私たちもいまこそ健全な父性の回復の為に私たちは行動を起こすべきです。どうかみことばを語って下さい。友人たちに、家族に。もしそれができないのなら、どうか教会に連れて来てください。教会ではみことばが語られます。あなたが連れて来た人が救われたら、あなたはその人に対して第二の救い主!再臨のときにはあなたがその人の手を引いて、空中に上がって行くのです。想像してください。なんとすばらしい光景でしょうか。

あなたを徳の高い人にしてくれます

 どのようにしてあなたを徳の高い人に成長させてくれるのでしょうか。二つの道が用意されています。

 1)みことばが語られるときに聖霊さまが働くことによって。
 働きは必ず実を結ばせます。それを御霊の実と呼び、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です(ガラテヤ5:22、23)。働きは招いたも者がその実を受け取る権利を有します。

 2)みことばという極めて価値の高いものを伝えようとするのですから、それなりにコミュニケーションには悩むに違いありません。この、悩む ことが良いのです。
 これがあなたを成長させてくれます。父なる神さまも悩まれました。どうしたら私の愛を分かってもらえるだろうかと。そうして遂に御子をお捨てになりました。

 具体的には私たちはどのように振る舞ったらいいのでしょうか。与えられるみことばに従って、世の人とはちょっと違った生き方をすると良いのです。私は以前会社に勤めていましたが、退社後同僚たちから飲み屋に誘われましたが、私は断わりました。なぜ?もっと自分に投資しようと考えたからです。夜学に通いました。これは「この世と調子を合わせてはいけません」(ローマ12:2)というみことばをいただいたからでした。私たちの心の中には空洞があって、適切なもので埋めてくれることをそれは待っています。
 
 エルビス・プレスリーは十代の頃、三つの目標を立てました。金持ちになること、有名になること、幸福になること。成功した後、新聞記者が彼に質問しました。「あなたは目標を達成しましたか?」。彼はこう言いました、「私は成功した。でも地獄にいるように寂しい……」。

 パスカルはこう言いました。「人の心には神の形をした空洞がある。これは神以外のいかなるものをもってしても満たされることはない」。

 私たちはその空洞を酒、たばこなど悪習慣などでつい埋めてしまいがちです。でもそれでは人間としての成長はできません。みことばだけが真の意味であなたを徳の高い者へと導いてくれます。