366 すばらしい出会い

 ●聖書箇所 [ヨハネの福音書14章9ー14節]

 人生は出会いで決まる、とはよく言われます。私にとって最高の出会いはなんと言ってもイエスさまとのものです。私の人生を全く変えてしまいました。こんなにすばらしいとは予想もしていませんでした。さてイエスさまとの出会いに関して、そこには人との関わりもあります。私がはじめて導かれた教会は東京の後楽園球場の近くにありました、公民館を日曜日の午前中だけ借りていた小さな教会でした。でもそこで出会ったO先生を忘れることはできません。よく私にいうことを尋ねてくれました。「君は何がしたいの?」。はじめはその意味が分かりませんでした。もちろん日本語が分からないのではありません。実は私は厳しい父親のもと、ただ命じられたままそれをすればいいという環境で育てられたので、とまどってしまったのです。でも何度か問われるうちにだんだんと意味が分かって来ました。今日この質問の意味が、その重大な意味が分かって来て、大いに感謝しています。こういうみことばがあります。

 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリピ2:13)

 そうです。これこそ聖霊さまの働く環境にふさわしいのです。あなたの中に聖霊さまはこれをしてみたい、という思いを下さいます。そして、それをすればいいのです。私はこれを知らず知らずの内にO先生から学んでいました。感謝!さて今回は弟子ピリポのイエスさまとの出会いです。イエスさまの嘆きは9節にあります。「父」を未だに認識できない彼。イエスさまからの提案は「信じないのですか」(10)、「信じなさい」(11)です。そして「信じる者は大きなわざを行います」と続きます。今回学びたいのは何を信じるべきなのかです。

時が満ちたこと

 「時が満ちた」とは珍しい表現ではありませんか。これはヘブル人の表現で、日本語では「時が来た」でしょう。「時が来た」のでイエスさまは立ち上がられました。今日私たちはこのことの重大な意味を知っています。救いは今私たちの手にあります。イエスさまが立ち上がってくださったおかげです。通常イエスさまが登場なさった時代は三つの有利な条件が認められます。

 1)政治的にローマ帝国がユダヤ地方等を含めて統一していた。
 2)道路網の整備が非常に整っていた。ちなみに主要幹線道路は85000キロ、支線まで入れると290000キロと言われます。わずかに国土が広いアメリカでインターステートハイウェイで85000キロです。日本の高速道路は数千キロです。
 3)文化的にはギリシアがローマ世界を征服しました。そのギリシア語で聖書は書かれました。

 実にイエスさまが活動しやすい時代にお生まれになったかが分かります。30才のデビュー、くしくも儒教の開祖孔子は「吾15で学に志し、30にして立つ」(『論語』為政篇)と言いました。私も信仰の世界に入ろうかどうしようか、神学校に入ろうかどうしようか、教会をいつ開拓しようか、と決断の時がありました。今でも新しい教会堂を建設する場合には決断を必要とします。このような重大な場面で間違いのない決断ができたらなんとすばらしいことでしょう。正直言って私も頓珍漢な決断をしてしまったこともありますが、「時が来た!」と正確に認識できたらなんとすばらしいことでしょうか。これは「練習」の一言に尽きます。ヒントは「ドアが開く」かどうかです。一旦決断してみて、事がスムーズに進むかです。進めば正しいことと考えていいでしょう。あまりにも無理に事を進めるのはよくありません。障害が多く現れるのは正しい決断ではないと見ていいでしょう(ただし全部が、ではありません)。「時が満ちた」ことを「今が、その時だ!」と認識できる者、そういう種類のセンスを持つ者はそれなりに大きなことができるものです。

受肉

 肉と言っても牛ではありません。豚でも鳥でもありません。神が人間の肉体をとられた(神キリストがイエスとなってこの世にお生まれになった)、の意味で神学用語です。ヨハネの福音書1章1、14、18節をご覧下さい。9節にありますようにイエスさまを見て私たちは目に見えない父なる神さまを認識できるはずだと言うのです。どうぞ福音書をお読み下さい。イエスさまのご人格とみわざを知ることができるでしょう。そして父なる神さまについても。ところで見えない存在が見えるようになる、あるいは地上の世界に実在するようになるメカニズムあるいはプロセスを考えてみましょう。はじめにことばがあります(ヨハネの福音書1:1、創世記1:1)。ことばはこれから実在して行く予定のものをイメージします。「光はこういうものにしようかなあー」、「植物はこうふうなものにしようかなあー」(創世記1:11)、「人間はこのようなものにしようかなあー」というふうに。エペソ人への手紙の1章4節を見ますと、あなたは「世界の基の置かれる前から」すでにイメージされていたことが分かります。そして「時至って」、すなわち「時満ちて」、私たちの地上の世界に姿を現したのです。天地創造のプロセスは創世記の1章と2章でよーく分かりますね。神のかたちをラテン語ではイマゴ・デイと言います。イマゴは英語になりイメージと発音されます。イメージがことばによって作られ、やがて地上の世界にその姿を現す、これは神の世界の本質的出来事です。もしあなたが肯定的なことばで、希望や夢をイメージして行くなら、実現します。これが受肉の教える真理です。「私の家庭はこうなる!」、「私の教会生活はこうなる!」「私の人生はこうなる!」というふうに夢をイメージしてください。神さまはきっとその望みをかなえてくださいます。

三位一体

 説明の難しいものです。父なる神、子なる神、聖霊なる神、と別の存在でありつつも、一人のお方である、という、これも神学用語です。たとえば光の三原色を例にとりましょう。赤、青、緑(絵の具は赤、青、黄)によってあらゆる種類の色を作り出すことができます。カラーテレビはそれぞれの色を発する光線銃を持っており、一つのきれいな映像を作ります。でも人間の有限な頭脳と言語で正確に表現しようということ自体に限界があります。でも何かの例で説明しないと、これも欲求不満の原因を作ることになるでしょう。それで説明してみました。他にもいくつかの説明例はありますが、どれも「帯に短し、たすきに長し」です。特にこの場面では父と子の関係が言及されています(ヨハネ10:30、ヘブル1:3)。ところで父とはどのような意味で重要なのでしょうか。
 
 父とは権威です。もし私たちが正当な権威とともに育てられているとするなら、その人生は安定したものになります。「私はこう生きる!」、「これが私の生き方!」とまよわず、肩ひじはらずに普通に言えます。正当な権威は幼少期に家庭で養われます。不幸にもこの権威に問題があった場合はどんなふうになるのでしょうか。男女平等に話しましょう。次々に女性を乗り換えて行く男性がいます。彼は彼女の中に理想の母を求めています。でも彼女はあくまで彼女あるいは妻であって、母親にはではなく、母親になれもしないのでまもなく彼は失望して他の女性に気持ちを向けます。これを繰り返します。反対に次々に男性を乗り換えて行く女性がいます。彼女は彼の中に理想の父を求めています。でも同様に彼は彼であってあるいは夫であって、父親には決してなれないので、まもなく彼女は失望して他の男性に気持ちを向けます。これを繰り返します。特に後者の問題において考えて見ましょう。何が問題であるかといえば、父性が彼女のうちに育っていないので、いつも自分の生き方に不安があります。つまり彼女の内側に正当な権威がないので、自分の生き方や自分のしていることに確信がありません。いかに父親の存在は大切かがお分かりでしょうか。

 聖書では父親に家庭教育の責任があると教えています(申命記11:19など)。では立派な父親に育てられれば全く問題がないかと言えばそうではありません。肉の父親はどんなに立派でもあくまでも有限な人間であって神さまではないと言う事。当たり前ですが、私たちはこれを理解しなければなりません。だれも完璧な父親ではありえないのです。せいぜい地上の歩みを、肉体のいのちが生きている間だけ、幸せに感じさせてくれるだけです。死後の世界にはなんの力もありません。そこで父なる神さまが必要とされるのです。イエスさまは父なる神さまを私たちに認識させてくださるお方です。イエスさまを通して父なる神さまが分かれば私たちの人生は永遠にわたって幸せであり、喜びを満喫できます。それは人々から尊敬を集める生き方でもあります。

 最後に、イエスさまとの、そして父なる神さまとのすばらしい出会いをし、それを宝物とした一人の青年のあかしを紹介しましょう。

 1908年(明治41年)。北海道の国鉄職員になった長野は自ら主宰して鉄道部員基督教青年会を組織した。その幹事長として、日曜日には順次各駅を訪問伝道し、著しい成果をあげた。そんな訪問伝道の一つが名寄行きであった。2月27日、塩狩峠を越えて名寄に来た長野は、そこで、事務を見、同時に基督教青年会を指導した。事故に遭遇したのは、その翌日の帰路のことであった。当時の新聞によると、長野の遺体は両方の大腿部とも切断の即死状態で、足を縫い合わせて親元に送り返されたという。キリストに倣い、人の命を救うために一身を投じた壮絶な殉教であった。「友のためにいのちを捨てるというこれよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:13)というキリストの言葉を思い起こさずにはいられない。彼の友人らも、長野の人生を「純金の生涯」「愛の権化」と評している。彼の懐には遺書があった。毎年正月に書き改めては肌身離さず持っていたという。そこにはこう書かれていた。「余は諸兄姉が、余の永眠によりて、天父(神)に近づき、感謝の真義を味わわれんことを祈る」。彼の愛と犠牲の死は旭川、札幌の人々の心を打ち、キリスト者になった人は数十人に及んだという。そして、今日まで多くの人々の生き方を変えてきた。……(月刊サイト2000年10月号)。

 殉職の事情を『レムナント』誌を借りて再現してみましょうか。

 作家三浦綾子さんの小説『塩狩峠』は、実在の人物をモデルにしたものです。明治時代に、北海道の鉄道員の中に、一人のクリスチヤンがいました。彼は、自分の人生を主イエスにおゆだねし、常日頃から神の栄光のために生きることを第一としていました。ある日のこと、彼が列車に乗っているとき、列車はちょうど塩狩峠の上り坂にさしかかりました。彼は最後尾の客車に乗っていました。やがて、何かにぷい音がしたかと思うと、客車の速度が弱まり、続いて止まりました。すると今度は、客車が反対方向に動き出したのです。「おかしいな」と思って客車の外を見てみると、客車を引っ張っているはずの機関車が、目の前からどんどん遠ざかっていくではありませんか。彼の乗っていた最後尾の客車とその前の客車との舳間の止め金が、何らかの原因ではずれ、最後尾の車両だけが切り離されて、坂を下り始めたのです。坂は長く、急な所もあります。乗客は総立ちとなり、救いを求め叫ぷ有り様に、車内は、騒然となりました。「大変だ」と思った彼は、すぐにその客車のデッキ上に出て、ハンドブレーキのところに駆け寄りました。彼は、それを力いっぱい回しました。列專は「キー、キー」とブレーキ音をたてながら、スピードを弱め始めました。しかしそのハンドブレーキは古く、また凍りつく冬の寒さのためでしょうか、完全にはききません。、列車の速度は遅くなりましたが、完全に止めなければ、この先の急な坂でまた暴走し始めるかも知れません。彼は、この塩狩峠を何度も通ったことがあったので、その先はまた急な坂となり、カーブもあることを知っていました。そこに列車がさしかかれば、列車は転倒し、多くの死傷者が出るに違いありません。彼の脳裏には、とっさに、その地獄のような惨事の光景が浮かび上がりました。何かいい方法はないでしょうか。線路のブレーキになるようなものを置くとかが、もし出来れば、列車は止まるかもしれません。しかし、それが材木のように堅過ぎればかえって脱線してしまうに違いありません。彼のまわりには、適当なものはありませんでした。彼の思いの中には、最後の手段に訴えるぺきだろうか、との考えが浮かびました。「なんとかしなけれぱ」と思った彼はついにその最後の手段に訴えることを決意したのです。自分の過去の人生のこと、婚約者のこと、同僚のこと、そのほか多くのことが一瞬にして彼の思いの中を通り過ぎました。彼の人生にはつらい時もありましたが、幸福に満ちていました。彼は何よりも自分の生涯において、主イエスの愛に触れることができたのです。彼は、瞬間的に祈ったかと思うと、次の瞬間には自分の体を線路に投げ出していました。彼は、自分の体をブレーキにするために線路に飛び込んだのです。「ガタン」という物音とともに急激にスピードを弱め、ついに止まりました。列車からおりた人々の目に映ったのは真っ白な雪のうえに広がった、彼の鮮血でした。その血は、数十名の命を救った彼の愛をあかししていたのです。彼は自分の命を、人々を救うための代償としました。彼の名は長野政雄。明治四二年二月二八日のことでした。今も塩狩峠には、彼の殉職をおぽえる記念碑が立っています。(『レムナント』)

 記念碑には「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば多くの実を結ぶべし」(ヨハネ12:24)とあります。みことばは父のことばであり、彼は父のことばを実践したのです。そして多くの人を永遠のいのちへと導きました。塩狩峠は「天塩国(てしおのくに)」と「石狩国」の国境にあることから名付けられましたが、彼は地上の国と天上の国とを橋渡しする役目を担う栄光に浴したのです。これはただひとえにイエスキリストの十字架の生き方を彼が見習ったものでした。