376 天国ってどんなとこ?
聖書箇所 [ヨハネの黙示録21ー22章]
ある人が聖書を読もうと椅子に座りました。そのとき彼は不思議なことに宙に浮くのを感じました。その瞬間です。猛スピードでいくつかの天を通り過ぎました。やがて着いたところにはなんとイエスキリストが立っておられました。そこは天国の入口でした。彼には分かったのです。イエスさまであることも分かりました。彼の心の中にはなんとも言いようのない平安やら喜びやらがいっぱいでした。案内されてついて歩くと、どの道も金でできていました。ふわふわするようなうきうきするような変わった感じでした。でも幸せを強く感じました。
あなたはこのような報告を信じますか。ときどきこの種の体験話が聞かれます。少なくともこの話の中には印象深い語句が含まれています。それは「いくつかの天」です。パウロによると少なくとも天は三つあることが分かります。コリント人への第二の手紙12章2節に紹介されている体験は恐らくパウロ自身のものでしょう。第一の天は大気圏、第二は悪魔や悪霊が落とされ、いま活動する領域、第三は神さまのお住まい。さて今回は天国について学びたいのです。やがて今、私たちが見ている物質の世界は滅び、全く新しい天地が生まれます。でもこのように話すとある人たちは疑心暗鬼です。ほんとうかな!?
20世紀の科学が発見したものの一つは反物質です。陽子に対して反物質、中性子に対して反中性子。両者が出会うと何が起きるのでしょうか。それぞれの存在が消えます。道に穴があいているとしましょう。ころころとボールがころがっていってそこに落ちました。穴もボールも消え、そこには平面があるだけです。それぞれを+1とー1に例えてみましょうか。足すと、すなわち(+1)+(−1)=0。では現在の物質世界の存在の根拠はどこにあるのでしょうか。それはペテロの第二の手紙3章7節をご覧下さい。みことばが支えています。創世記1章の最初のいくつかの聖句をご覧ください。みことばが存在して(語られて)、たとえば「光あれ!」(1:3)、すると光は存在を始めました。もしみことばが「もう終わり!」と語るならば、存在は終わります。存在しなくなります。さて、やがてやって来る天国についてできるだけ聖書に忠実に説明してみましょう。
巨大な連邦国家
連邦国家とはかつてのソビエト連邦とか、現在のアメリカ合衆国のようなものです。いくつかの国が集まって、全体として一つの国を形成します。全体としての国は、外交や軍事力を独占的に保持し行使します。天国においてはいくつもの国が存在し、それぞれの首長には初代教会の指導者たちや旧約聖書の偉人たちが就任するでしょう。首都は新しいエルサレムです(21:2)。それは立方体であって一辺が日本列島の長さです。約2200キロメートルです(21:16)。全住民が収容されうるだろうかと心配しないでください。すべての人が首都に住むわけではありません。人々の暮らし振りはイエス・キリストが暖かい太陽となり、人々の心は常にぽかぽかです。従って互いに愛しあっており、助け合っておりうるわしい世界がそこにはあります。理想的な社会が現出しています。もちろん国ですから入国管理がされており、パスポート(「いのちの書」20:12、15)とビザが必要です。それは(「いのちの書」20:12、15)に名が記されていることであり、印(エペソ1:13、4:30)を押されていることです。あなたもどうかいただいてください。イエス・キリストを罪からの救い主と告白すればそれで手続きはすみます。あなたの自由意志により、入国することは極めて簡単です。
永遠に生きる体
ピリピ人への手紙3章21節をお読み下さい。私たちに与えられる体は霊でできた肉体です。それはイエス・キリストがご復活ののちに持っておられる体です。それはどのような性質を持ったものか、関心があなたにはおありでしょう。ルカの福音書24章34ー43節をお読み下さい。イエスさまは焼き魚をめしあがられました。とすると牛肉やらチョコレートパフェなどもきっとあなたは食べることができるのです。安心されましたか。またヨハネの福音書20章19節もお読み下さい。これは超能力と言えるでしょう。なんと不思議で魅力的な世界でしょうか。
さらに死もありません。病気もありません(21:4)。「涙がない」(同4)というのは、一切の水がないという意味でしょうか。確かにほとんど同じ成分である「海がない」とあります。水はあります。6節をご覧下さい。「いのちの水」(創世記2:4ー)はすべての人の心と体をいやします。この泉は首都の中央を流れます。
神さまと恋愛の関係
天国では男女の区別はありません。ルカの福音書20章34ー36節をご覧下さい。天使は女性にイメージされる場合が少なくありませんが、女性ではなく、男性でもありません。創世記18章2ー3節では男性のイメージですが、実際は中性と言えるでしょう。天国に於いては私たち人間は天使のようです。もちろん結婚もありません。あーあ、寂しいなあー、とお考えでしょうか。実は地上にあるものは影です。本体は天国にあります。創世記2章24節には「二人は一体となる」とありますが、実際は一体にはなれずに相変わらず二体で生きるのが地上の結婚生活です。でもこれは影だから仕方がないのです。でも天国にはこの理想形があります。理想が現実になります。
天国は地上にあるものや地上で経験できるものよりもっともっとすばらしいものになります。とこのように言いますのは、20章12ー14節などにある神さまのお考えを誤解されている方が少ないからです。
二つの意味があるのですが、一方しか見ていない方がいらっしゃるのです。日本語で「さばかれる」と訳されている語は「正当に判断する」意味であり、もし地上で苦しい人生を過ごされた方がいらっしゃれば、天国では特別な祝福が受けられるでしょう。もしそうでなければ神さまに正義はありません。これが多くの人に理解されている一般的な理解です。
でももう一つの意味があります。もし地上で麗しい結婚生活など、恵まれた生活をしておられたとすれば、それは影なのですから、本体はつまり天国における恵みは計り知れない程の恵まれたものになるでしょう。私たちは天国に於いて神さまに恋をして過ごすので、退屈だとかそんなことは全くないのです。建設的で前向きで気持ちの良い生活が天国にあります。
22章4節に「神を仰ぎ見る」とあります。私たちは神さまを見てうっとりとするのです。今の私たちには想像もできない美しい世界がそこにはあります。
これが私たちに約束され、用意されている天国です。天国はイエス・キリストのご再臨の後にあなたの前に現れます。どうか楽しみにしていてください。そしてご再臨はそれほど遠くないうちにあるでしょう。