121.ストレスに勝とう

聖書箇所 [詩篇94篇19節]

  多くの人がストレスで疲れています。「私のうちで思い煩いが増すときに」と詩篇の作者は言います。いつの時代も人は疲れるものです。どのように対応するか、が大切。「主が慰めを下さる」と信じて、今回はこのテーマで考えましょう。

生きる原理を知る

 心地よい疲れってありますね。反対に後味の悪い疲れもあります。どこに違いがあるのでしょう。前者は成功に終わった場合、後者は失敗に終わった場合、と区分けできるでしょう。では成功とは?それは生きる原理に照らし合わせなければ判断できません。あなたにとって生きる原理とは?「神に生まれ、神に帰る」。これに尽きます。言い換えれば神さまに喜ばれているか、これが判断基準です。神さまに喜ばれていれば、人間の目で失敗に見えても、すべては益となるのですから、つまり無駄なことにはならないのですから、決してストレスとはなりません。糸の切れたタコのようにさまよう人がいます。風を受けて、それなりに一生懸命なのでしょうが、あっちでもない、こっちでもないというふうに。足が地に着いていないと言ったらいいでしょうか。電車に乗ってふと気がついて、「私はこれからどこへ行くんだろう?」とか「そもそもどこから乗ったのだろう?」と思うようなものです。これではストレスがたまらない方が不思議です。目の前の出来ごとやものが奇妙なまでに大きく、ことごとく重大かつ解決困難なものに見えて来ます。生きる原理とは「神から生まれ、神のもとへ帰る」ことです。最初の人であるアダムと神さまの間は本来非常に安定しており、そのおかげでストレスなどありませんでした。神さまとエバの関係も同様です。神さまとの間には聖なる三角関係がありました。これが本来の人間の姿です。では今は?今は故障しています。でもいつまでも故障したままではいけません。 私は過日教会員を数名伴ってオーストラリアのシドニーの教会を訪問しました。着いた翌日、さあ、出かけようと張り切って準備を始めました。まずはひげそりと思い、プラグをコンセントに差し込みました。そのときです。火花が飛び散りました。「やったー!」と瞬間、その意味を悟りました。ひげそり機がショートしたのです。私はストレスを感じました。「これからいよいよ旅行が始まると言うのに。あーあ」。でも思い直しました。「これはまだ買ったばかり、保証期間中だ。帰国したら、無料で直してもらえる」。そのとおりでした。今あなたは旅行中であって、もし何か問題があったとしても帰国したら必ず解決できます。やがてあなたは神さまのもとへ帰ります。どうか、私は神の子だ、ということを忘れないでください。

問題を主に預ける

 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)
 なんとすばらしい、またありがたいおことばでしょう。しかし多くの人が自分の肩に重荷を背負い、降ろす場所がありません。いつもいつも背負い続け、疲れています。何がいけないのでしょうか。身体の病気の60ー100%(学者により数字は異なる)は心から発すると言われています。それにしても重荷を負い続けることから来るストレスは並み大抵のことではありません。どうしたら解決ができるでしょうか。解決しなければなりません。私に以前一つのストレスとなることがありました。それは車のことです。考えれば購入した時点からだったなあーと思うのですが、だんだんクラッチの滑りが激しくなって行った頃のことです。坂道を登ることが難しくなってきました。それでも道路を走っているうちは事前に少しスピードを上げておけば、それで助かるのですが、百貨店などの地下駐車場に入れなければならないときなどは悩みました。地上に戻って来れないかも知れないと思い悩むことがままありました。でももうこのストレスともお別れ。どうやって?車を買い替えたからです。お話ししたいことはこういうことです。問題を三種類に分けてください。一つは自分でできることは自分でやらなければならない。あなたは身体中べたべたして気持ちが悪いときに祈りますか。「私の体から汗を取り除いてください」というふうに。私はシャワーを浴びたらいいと思います。祈るなとは言いませんが、常識的にはこう答えたいですね。二つ目は、自分には解決できない場合にはどなたか協力者にお願いする。私が牧師をしております勝利教会グループには5つの県にわたっていくつかの教会(チャペルと呼称)があります。でも牧師は私一人です。私は神さまではありませんから、同一の日曜日、同一の時間に他の教会で奉仕することは不可能です。でも私には協力してくれる仲間の説教者がおります。みなで手分けして説教に出かけます。これで何の問題もありません。あなたも協力者を見つけて下さい。三つ目は自分も他人もいかなる人間も解決できない場合です。もし私たちが真剣に生きようとするなら必ずこの種の悩みに直面するはずです。代表的なものが罪です。罪は厳密な意味では弁償など訳に立たない、回復などできない、極めて解決の難しい問題です。私は控えめに言っています。解決不可能な問題です。あなたはあなたの中に罪があることを認めますか。その罪をどのように解決しますか。あなたの口から発したことばは二度とあなたのもとには帰っては来ません。人の心を傷つけ、その人に復讐や憎しみの心を生じさせ、二重に三重に罪は罪を生み出します。イエスさまの前にへりくだり、悔い改めるとき解決します。イエスさまのあがないによってのみ罪という問題は解決されます。
 問題を主に預けるとはどういうことかと言いますと、祈ったり、十分に思索したりして、ストレスを起こしている問題を分析し、整理することです。 あなたは中国伝道に出かけたハドソン・テーラーをご存じでしょうか。次々に救われる人が起こされ、教会もどんどん建てられて行きました。彼の働きによるものでしたが、あるときから神経衰弱に悩まされるようになりました。檻の中の熊のように部屋の中を行ったり来たり、身体中から冷や汗がたーらたら。考えはまとまらなくなり、体は震え、不眠症になって行きました。そんなとき、与えられたのがヨハネの福音書15章25節でした。彼は「イエスさまをでなく、自分を木(幹)と高慢にも理解していた」と悟り、悔い改めました。そうして周囲の人を見回すと自分と同じ枝が見えて来ました。一本一本が、すなわち一人一人がとってもいとおしく見えて来ました。すると献金も集まりはじめました。新たな協力者たちも現れて来ました。こうして彼の働きはさらに拡大して行きました。

 モーセはあるとき非常に激しいストレスに襲われました。多くの人が彼のもとに押し寄せ、問題の解決を迫ります。解決方法はこうでした。 モーセは、イスラエル全体の中から力のある人々を選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民のかしらに任じた。いつもは彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセのところに持って来たが、小さい事件は、みな彼ら自身でさばいた(出エジプト記18:25、26)。

休息を規則的に取る

 人は365日連続して働くものとしては造られてはいません。24時間連続して働くものにも造られていません。先の大戦で負けた理由の一つは月月火水木金金であったからです。国民にも兵隊にも休みが与えられていませんでした。常に疲れ切っていました。 サバスとは英語で安息日、本来「休む」を意味するヘブル語です。創世記2章2、3節をご覧下さい。その起源を見つけることができます。もちろん神さまがお休みになったのはお疲れになったからではありません。私たちへの模範です。「休みなさい、休み自体に価値があるのです」というメッセージが発せられています。ちなみに聖書を預けられたユダヤ人は土曜日を安息日とし、休みますが、6日目に人間が創造され、さあ生活を始めよう、とした日は日曜日と計算できますね。主のご復活の記念日がここには隠れています。クリスチャンたちは日曜日に礼拝し、心も体も休ませます。出エジプト記31章14節には「安息日を守らない者は殺されなければならない」と厳しい表現が見られます。その意味は、休みを無視すれば人は死ぬ、です。過労死はその一つの例ではありませんか。サバティカル・リバーは安息川。安息日には流れが止まる川のことです。信じますか。こういう川があることを。もちろんユダヤに伝わる伝説です。川だって安息日には休むというわけです。サバティカル・イヤーと言えば、安息年ですが、大学の教授などに与えられる7年目ごとの休暇のことです。キリスト教文化の国には一般的なことです。本来は畑に対する休み、すなわち休耕を7年目には与えるべしという考えです(出エジプト記23:10-11、レビ25:3-7、ネヘミヤ記10:31)。どんなに肥沃な土地でも休ませなければやせてしまいます。ヨベルの年もあります。安息年が7度巡って来た翌年の50年目です(レビ記25:8ー)。三つの意味があります。一つは畑を休ませる。二つ目は売られていた土地は自動的に売り主に返却される。三つ目は、身売りされていた人は解放される。このことをイエスさまは十分に深い意味に於て実現させるためにこの世界に来てくださいました。ルカの福音書4章16ー21節をご覧下さい。休みに対して罪責感を持ってはいけません。休むことそのものに価値があります。このように前向きに休みを取る者は疲れにくく、精神衛生上も良好であり、ストレス対策に有効です。

 エリヤは異教の預言者たち450人と単独で戦って勝ちましたが、燃え尽きてしまいました。思いやりに溢れる神さまの助言は「休みなさい」でした。列王記第一19章をお読みください。スポーツをするのもいいでしょう。休むことの本来の意味は普段のペースと異なることをするのですから。気分転換を図ることことなのですから。休暇holidayはholyとday。holyのギリシア語における意味は異なる、です。従来と異なるペースを規則的に演出するようにしてください。ストレスに有効なはずです。

内面的な力を活用する

 疲れている場合にただご飯をたくさん食べれば回復するというわけではありません。内面的な回復が必要です。内面的な力が求められています。この内面的な充実さは外面に現れます。その点、人は決して騙されません。魅力的な人の周囲には多くの人が集まり、そうでない人の周囲には少ししかあるいは全然集まりません。ここに客観的に内面の力を測る方法があることに私たちは気がつきます。いまこそ内面的な力、聖霊さまのお力を活用すべきです。あなたの中で大きな力を発揮し、ストレスを撃退してくれます。聖霊さまのお力を用いるのには次のようにします。
 第一にイエスさまを信じて下さい、このときにあなたの中に聖霊さまが宿ります。ただし、ある(または、存在する)こととそれを使用(活用)できることとは別物です。ここではまずあなたの中に聖霊さまをお迎えします。
 第二に、みことばを信じてください。みことばを信じて心に貯えているとき、聖霊さまがスタンバイしているのです。
 第三に、祈りです。それも想像力を駆使した祈りです。私はクリスチャンであるとか、ノンクリスチャンであるとかに関わらず立派な人や一流と言われる人々の発言には謙虚に耳を傾けるようにしています。先日新聞で武宮正樹棋士(注)の談話を見かけました。彼はこう言っていました。
 「先日、サッカー日本代表の岡田監督がスポーツ精神の話をしていたのをテレビで見まして。スポーツ(SPORTS)というのはディスポーツ(DISPORT)、つまりポーツ(港)の外側、大海原のことなんですね。港は平穏だけど、外海に出れば何が起きるか分からない。だから自分で考えて、生きた知恵で行動しないと対処できない。なるほど囲碁はまさにスポーツそのものだと思いました。盤上は千変万化だから、それこそ創造力を働かせないと打てません。囲碁に限らず、創造力は人間が生きていく上でも、とても大切なものなんです。創造力がないと、言葉は悪いけど、死人と同じじゃないですか。…(途中略)…(創造性を身に着けるためのアドバイスを求められて)自分が楽しいと思うことをひとつでも体験させることです。英才教育ではありません。自分がしたいと思うことを子どもに選ばせる。楽しいと思うと、心も休もリラックスしますし、自然に創造力が鋤<。お父さん,お母さん、自身は創造力を鋤かせていますか。自分の感性に合うような楽しいこと、美しいことを探ててみてはいかがですか」(読売新聞8月10日号)
 厳密な意味では人間には創造する力はありませんので、彼が言うことは想像力と理解した方がいいでしょうが、主旨はその通り。なるほど好い事言うなと感心しました。聖書にこういうことばがあります。
 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。(ピリピ2:13)
 志とはしたいこと、好きなことです。どうか想像力を駆使した祈りをしてみてください。あなたの中で聖霊さまは豊かに働いてくださるでしょう。聖霊さまは自由な霊です。どうか狭い場所に聖霊さまを閉じ込めないでください。伝統やら前例などに閉じ込めないで下さい。
 第四に、感謝すること。何に対してもどんなときにでも感謝することを忘れないでください。ブツブツ言っているときに聖霊さまはあなたを避けて通ります。聖霊さまは人格です。人格には好き嫌いがあります。あなたは聖霊さまに好かれたいですか。(ヨハネ3:8)。もし好かれたいなら好かれるあなたであって下さい。すなわちいつも感謝する生活をしてください。あなたの中に聖霊さまが解放されているとき、あなたは内面的な力を存分に活用できているときです。 ロバート・シーモアはギャングの一員でした。アニマルと呼ばれるほど乱暴でしたので、刑務所でも暴れ、独房に入れられてしました。あるとき看守が一冊の新約聖書を差し入れました。彼はばかにして投げ飛ばしましたが、他にすることもないので、読んでみました。ちょうどそこはテサロニケ人への第一の手紙5章18節でした。「すべてのことについて感謝しなさい」。彼は冗談半分にこれを実行しはじめたのです。一週間後看守が独房を覗きました。なんと彼はにこにこしながら「I love you!」と言いながら看守を抱き締めました。何が起こったのでしょうか。シーモアによると感謝を始めてから5日目にもう一人の人が独房に入って来たと言うのです(これがイエスさまとの出会いだったと彼は言います)。そして言いました。「I love you!」。これ以来彼は内面からすっかり変えられてしまいました。今は伝道者をしています。感謝の力はほんとうに大きいのです。ストレスからいつも解放されたあなたでありますように。

[注 たけみや・まさき 1951年生まれ。日本棋院九段。66年、16才でプロ入り。76年から本因坊通算6期など囲碁界のトップで活躍中。「宇宙流」と呼ばれる独創的な棋風が多くのファンに親しまれる]


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