聖書箇所 [創世記1章]
創世記っていう名前はだれがつけたのかを私は知りませんが、なかなか良い名前だなあといつも思っています。漢文を思い出してレ点を補えば、世界を創った記録、というふうにズバリの表現です。もう少し砕いて言えば、新しい世界を神さまが創ってくださった、その記録です。それにしても新しい世界ということばは何と魅力的な響きなのでしょう。これは神さまが魅力的なお方であることと決して無関係ではありません。いやむしろ関係づけるものがあります。というのは新しい世界を創ってくださっただけではありません。実はそれだけでは私たちには実質的な祝福とはなりません。ちょうどおいしい料理を見せてくれただけと同じことです。見せられるだけでは不満が募ります。そこで、そこでです。神さまのお心づかいに思いをはせなければなりません。もう一つのものも同時に創られました。それは何?新しい世界を楽しむための道具。それは信仰。今回は信仰について学びましょう。
天(上)から与えられるもの
ガラテヤ人への手紙3章23、25節に、信仰が「現れる」という表現が見られます。これは「やって来る」という意味です。やって来るのですから、あなたが信仰について考え始める以前にすでに存在しています。ところで信仰って何?とても大切な質問です。確認しておきましょう。それは信頼能力。これがないと人間は生きてはいけません。たとえば電車に乗る場合を想定してみましょうか。「東京行き」と表示された新幹線。でもこんな表示、信頼できないとすればその人は電車には乗らないでしょう。スーパーで食品を購入したり、食卓にのせたりするのも信頼すればこそ。私たちの社会を健全に育てる能力こそ信頼です。これほど重要なものは他にはありません。さらに信仰にはもう一つ忘れてはならないものがあります。何を信じるか?です。何でも信じてしまう人がいますね。それはいけません。何を信じるのか、何を信じてはいけないのか、これを判断できなければいけません。マラトンの戦い(B.C.490)をご存じでしょう。
ギリシア軍はペルシア軍と戦い、勝ちました。その良い知らせを届けた兵士がエヴァンジェリスト(約40キロ走って、これがマラソン競技の起源)。ご存じ現代の日本語では福音伝道者と訳されます。本来はギリシア語で良い知らせ、すなわちユーアンゲリオンを告げた人のことです。ユーアンゲリオンを福音と訳します。福音とは十字架と復活。イエスさまは私たちの罪のあがないとなられた、救い主となられたことです。イエスさまにあって罪と罪がもたらすすべての裁き、呪い、そして災いは克服されたという宣言であり、その事実です。信仰に関して悩む方がいらっしゃいます。曰く、信じられない。なぜか?それは信仰にしろ、福音にしろ自分で創ってしまうから。自分で創ってしまうというのは、イタリア料理を食べて日本料理の味がしないと文句を言うようなものです。イタリア料理にはイタリア料理の味がしていいのです。なぜこのようなことを言うかと言いますと、身近な人に無理な要求をする人が少なくないからです。人はそれぞれ神さまにより独自の味つけをされて創られており、それ以外の味はなくても良いのです。あくまで私たちは自分らしく生きればいいのです。神さまがそのように創られたからです。福音をすなおに受け取る、ありがとうと言って謙虚に受け取る、それだけであなたには信仰が与えられます。
ギアを入れ換えて動かすもの
信仰が与えられている、それは車で言えばすでにエンジンは動いている状態と言えます。ところがそれだけでは私たちにはストレスが溜まります。ちなみに私には常にストレスがありますが、それは何かを当ててください。それは渋滞の中にいる時。私はいつもいつも空しさを感じます。「道路というのはその上を車が走るもの、ではなぜ前に進めない!?」。莫大な浪費ではありませんか、時間と労力と。前にも進めない、後ろにも退けない、脇道にもそれることができないのですから。私には大きな問題です。あなたには問題はありませんか。信仰があるのに、なぜ?というため息がもれる時もあるかも知れません。私たちには希望はあるのでしょうか。次の1ー3節を見ましょう。
初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
「地は形がなく」はトーフーでめちゃくちゃ、「何もなかった」はボーフーで空っぽの意味。「大いなる水の上にあり」は方向性のないことを意味します。これが世界の創造される前の状況です。あなたはめちゃくちゃで空しく、かつ前にも進めず後ろにも退けない状況ですか。希望はどこにあるのでしょうか。「神の霊は水の上を動いていた」にあります。神の霊とは聖霊。「動いていた」はスタンバイしていたの意味です。今にも動き始めそう、すなわち問題解決に向けて進んで行きそう、という意味です。ではいつ解決は起きるのですか?そう、みことばが来る時。
神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
あなたにもみことばが与えられます。感動する心に、期待する心に。みことばが与えられる時、ギアが入ったと表現できます。車は動きだします。「すると光ができた」。
アフリカの聖者と言われたシュバイツアーは38才の時に名声を捨てて伝染病の蔓延する地に赴きました。そのきっかけはまだ子どもの頃の経験にありました。パチンコで鳥を打ち落とそうと狙い定めた時、教会の鐘の音が聞こえて来ました。同時に「汝、殺すなかれ」というみことばも。当時アフリカでは多くの人々が毎日毎日病気で亡くなっていました。それを知りながら何もしなくてもいいのかと彼は悩みました。何もしない、それは不作為の罪。とうとうアフリカの地を踏みました。みことばはあなたにすばらしいアイディアとそのためのエネルギーを与えます。あなたはみことばをいただいてどんな問題も克服して前進できます。
イマジネーションが引っ張るもの
創造の前に想像があります。想像、それは計画性であり、青写真です。世界の創造の秩序は実に立派なものです。一日目=光と昼・夜、二日目=天の上の水と天の下の水、三日目=陸地と植物、四日目=天体・太陽と月や星、五日目=空の鳥と海の魚、六日目=陸上動物と人と食料。一日目と四日目、二日目と五日目、三日目と六日目というふうに対応します。最終日に人間、すなわちあなたが創られていますが、最高傑作として創られています。あなたがこの世に生を受けたのは決して偶然ではありません。思いつきではありません。神さまの優れた頭脳とセンスで組み立てられました。これを素朴に信じる人は幸せです。肯定的な想像、イマジネーションがいつもいつもあなたの中を駆け巡るからです。それは幸せのための有力な条件の一つです。
それにはあなたの過去について肯定的な評価をしなければなりません。「私の人生は不幸だ、私はいつも損をしている」と過去を振り返っては言っている人がいますが、そうしているかぎりは決して不幸から脱出できません。私は17才の時から自立して生活して来ました。17歳というのはほんとうに子どもです。でも私にはそうするしか道はありませんでした。たくさんの理不尽なことを経験させられました。なぜ自分だけこんな目にあわされなければいけないのかと不平不満も多い人生でした。でも少しずつ否定的な評価が変化を見せ始めました。肯定的に変えられていったのです。現在、私の中で経験されたすべてのことが益となっています。役に立っています。感謝です。何一つ無駄なものはありません。他の人と比較する必要はありませんが、自分に与えられているものもあれば、ないものもあります。それでもいいのです。私は非常に健康で病気をほとんどしないのですが、これは一つの弱点です。病院にお見舞いに行っても入院している人の気持ちが分かりません。でも虐待されている子どもの気持ちは分かります。容易に共感することができるのです。これは私の人生で神さまがくださった賜物と考えています。神さまはいつもすばらしいことをなさいます。ハレルヤ!
正しい自尊心を求めるもの
正しい自尊心とは何でしょうか。信仰とは神の目ですべてのものを見て行くという姿勢ですが、神さまはあなたをとても大切な存在と見ておられるので、私もそれには賛成します、というのが正しい自尊心です。エゴイズムとははっきりと異なります。エゴイズムの人が夢を語ると、身近な人はそれにすぐに反応してしかめっ面をします。でも正しい自尊心を持つ人が同じことをするとうれしくなり、一緒に挑戦しましょう、取り組みましょうと言ってくれます。つまり夢の共有ができます。神を愛し、自分を愛し、人を愛する、これこそイエスさまの語られた正しい律法理解ではありませんか(マタイ22:34-40)。創世記1章31節を読んでみてください。神さまのお造りになったものはすべて良いものです。あなたも当然良いものです。他の被造物は単に命令されているだけですが、人間だけは「我々は創ろう」と実に丁寧なのです。この自尊心は圧倒的な力を人間の人生に与えます。というのは潜在意識あるいは無意識と言われる世界に植え付けられたものであるから。「親は死んでも、子どもを育てる」と言いますが、親の子どもへの影響の大きさを言っています。性格、習慣、ことばづかいなどなど、そっくりコピーです。すると中央コントロールセンターと言われる潜在意識あるいは無意識の中に何があるかが鍵です。あなたの中には正しい自尊心がありますか。それとも正しくないそれですか。正しくないそれには二種類あります。一つは通常言われるプライドです。天狗になっている場合。もう一つは自分を虐める思い、劣等感から来ます。神さまはあなたを深ーく深ーく愛してくださっています。これを理解してください。あなたの中に神の愛がしっかりと刻み付けられると正しい自尊心が芽生えて来ます。神の愛はイエス・キリストの十字架の死で示されています。とてつもなく大きな犠牲です。私の兄は残留孤児でした。4才の時に中国の大連で誘拐され、行方不明になりました。以来両親は大金を注ぎ込んで探し続けました。なぜ?自分の子どもだから。あなたは神の子、ですね。愛こそがあなたに真の信仰を育ててくれます。この信仰はすべての問題を解決してくれ、夢へとあなたを誘います。
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