159 踊ってみませんか

聖書箇所 [マタイの福音書11章15ー19節]

 「私、幸せーッ!」って心底から叫ぶ事のできる人はどれほど世界にいるのでしょうか。幸せかどうかの鍵は実は心の中にあります。
 ノーベル賞作家で、日本では非常に人気のあるヘルマン・ヘッセがこう言います。「運命は心の中にある」。私たちは「もう少し環境が違っていたら、今の私は違っているのに……」とか「周囲の人がもっと良い人だったら、私はもっと幸福であったのに……」と考えやすいのではないでしょうか。
 宮本武蔵がこういう話をしています。「三尺の板の上を歩くのはいともたやすい。しかしそれを天守閣の上に渡すとなると話は変わる」。そうです。幸せかどうかは心の問題です。もし私たちの心の中に自由、明るさ、希望などがあったら心踊る?のでは。いかがでしょうか。イエスさまはおっしゃいます。「笛を吹いてやっても踊らなかった」。そうです。愉しい事を提案してもそうはやすやすと踊れない、これが私たちの生活ではないでしょうか。それではいけません。踊れるように今回は学びましょう。鍵はTPOです。Time,Place,Occationです。順に見て行きましょう。

 Time(時)

  いつ、です。それは今。今、この時を私たちは大切に、そして楽しまなければなりません。私は今、メッセージをパソコンに向かって書いています。楽しみつつやっていますよ。毎日多くの仕事がありますが、どれも楽しみつつするようにしています。ルンルン気分で。あなたはいかがですか。笛を吹いてやっても踊らない人は今を楽しんでいない人です。では代わりに何をしているのでしょうか。人の中のあらさがしです。

  ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているのだ。』と言い、人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言い(18-19) 

 ヨハネとはバプテスマのヨハネです。彼が断食をしていると神学知識を振り回して、『あれは悪霊につかれているのだ。』と言っています。逆にイエスさま(人の子)が飲食をしていると『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み……』と言います。つまり、もうお分かりでしょう。飲食とは無関係なのです。彼らはただ非難をしたかったのです。そうしてそのためにいつも鵜の目鷹の目で口実を探していました。なんといじわるなのでしょう。こういう心では決して幸せは感じないでしょう。感じないばかりか、いつもいつも不平たらたら。 私たちはこうであってはいけません。感謝のことばを忘れないようにしましょう。小さなことでも「ありがとう!」と言いましょう。朝、起きて、「神さま、新しい朝をありがとうございます!」と言いましょう。「朝ご飯をありがとう!」と言いましょう。ギリシアの格言にこのようなものがあります。「もっともはやく年取るものはなにか?それは感謝の心」。はじめは感謝をしても、すぐにその気持ちを忘れてしまうことを教えています。感謝する心に不幸はありません。

 Place(場所)

 それは天国。あなたは天国を知っていますか。神さまからの偉大なプレゼント。私たちは天国を待ち望むことを忘れてはいけません。そうです、天国人はそうでなければなりません。ちなみにイエスさまを信じると天国人になれます。愉しみとは何かをご紹介しましょう。天国預金。今は低金利の時代ですねえ。あなたは天国にどのくらい預金できていますか。1000万円?1億円?100億円?善行を積むと膨大な金利で増えて行きますよ。2倍、30倍、60倍、100倍です。私たちの地上の生活は天国における預金を増やすためのものです。どのくらいたまったかなあーと想像するのはなんと愉快でしょう。・小さいことにくよくよしない。私は何年か前に遠近両用の眼鏡を買いました。でもまもなく度が合わなくなりました。でもいいこともあります。目が良く見えないので、小さなことにこだわらなくて済みます。私たちはつい目の前のことに一喜一憂して、そのために心が荒れて来るのではないでしょうか。天国人は短期間で結論を出しません。一年や二年で最終的な評価を下すのは良くありません。人生良い時もあれば悪い時もあります。よーく全体を見なければなりません。天国人は良い神さまが私の味方だと知っているので、安心して長い目で物事を見る事ができます。こういう態度が日々の生活にも反映され、落ち着いたものになります。愛情と友情。
 南米アマゾン川ではたびたび濁流が発生します。そういったときに巣を流されたアリは、三万匹も集まってサッカーボールほどの大きさになり、川を流されて行きます。その間水面の上に出たり、下に入ったりしますが、それを交代でします。やがて岸に無事に辿り着きます。
 いい時もあれば悪い時もある、その中で大切なのは友情であり、愛情です。自分だけが良いところを独占してしまっては嫌われます。縁の下の力持ちにはときにならなくてはいけません。教会はそういうことを学ぶところです。どうか友情交換の場、愛情交換の場として教会を一緒に建て上げて行きましょう。わくわくするではありませんか。地上天国と呼ばれるゆえんはここにあります。そうしてイエスさまは罪にまみれた地上の世界を新しく作り直すために来てくださいました。これが天国作りです。イエスさまが来られた理由は天国と言う希望の国を作るためです。イエスさまはそのために十字架でいのちをお捨てになりました。天国とはそれほど価値のあるものです。あなたのかけがえのない財産です。こういうふうに考えるとあなたは毎日の生活が心踊るものにできるのではないでしょうか。

Occation(機会)

 チャンスを大切に、と言いたいのです。幸せは英語happinessですが、動詞happenから来ています。これは古英語ではhap。その意味は「たまたま起きる」。ですからたまたま起きることhappeningハプニングが人を幸せにします。happyにします。あるいは、たまたま起きることhappeningハプニングをこれはチャンスだと認識して自分のものとして取り込んだ人が自分をhappyにできると言えます。これはセンスの問題です。ただし私たちにはいつがチャンスなのかは分かるものなのです。私たちは自分を生かすものが何であるかを知っています。happeningハプニングには三種類あります。
・人との出会い。あなたは、「この人なら、私を分かってくれる!」と思える人に出会ったことはありませんか。だれも分からなくてもあなたには分かるはずですよ。
・出来事との出会い。うれしいこともあれば、辛いこともありますね。でもともに無意味なものはありません。神さまはあなたの生活している世界を支配しておられます。偶然はありません。その出来事からあなたは大切なメッセージを、そうです。神さまからのメッセージを受取る事ができます。
・仕事との出会い。金銭上の報酬とは無関係に考えてください。「これが、私のしたかったことなんだーッ」と思わず叫んでしまったことってありませんか。そうです。そういう仕事があなたを生かします。でも反応の鈍い人もいます。

  『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』(17)

 先に「弔いの歌を歌」うのはだれかについて説明しましょう。バプテスマのヨハネです。そして彼の仲間です。中身はこうです。「あなたがたは罪にまみれ、その汚れの故に滅びる。悲しまなくてもいいのか?」。荒野からヨハネはこう叫びました。でもこういう親切な呼び掛けに無反応な人々は、つまり「悲しまなかった」人々は。「笛を吹いてやっても、踊りません」。無感動、無反応!なんと悲しいことでしょう。笛を吹くのはイエスさま。そのメッセージはこうです。
 「あなたの罪は赦されました。あなたは新しく変えられます。あなたは新しい人になります」。
 でもこういう声に心踊るためには一つのことが必要です。それは謙虚さ。すなおになること。すなおであれば、あなたの心の中に響くものがあります。それは「私はあなたを愛していますよーッ!」という、神さまの声。これを聞いて心踊らない者がいったいどこにいるのでしょうか。あなたは踊る人です。いや、もう、すでにもう踊っていますね!