163 あなたはオリーブの木

聖書箇所 [詩篇52篇8節]

  生活環境の中にはたくさんのシンボルがあります。たとえば縦横同じ長さで十字に組まれた赤いものは?と問われれば、すぐに赤十字!とだれも分かりますね。多くの場合に、建物の尖塔にある十字架はキリスト教会を表しています。いや、あれはイスラム教じゃあないんだよーとか、仏教じゃあーないんだよ、などと説明は無用です。これがシンボルの効用です。今回は聖書にたびたび登場する一つのシンボル、オリーブの木について学びましょう。何を意味しているのか。

 神との和解・平和

 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。(創世記8:11)

 有名なノアの洪水の時のことです。もうそろそろ地表から水は引いたかなあと思ったノアは鳩を放ちました。するとオリーブの葉っぱをくちばしにくわえていました。これは、神はもう怒ってはおられない、のメッセージです。平たく言えば、「私はあなたを愛していますよ。私はもうあなたを怒ってはいないどころか、いつもいつもあなたには強い関心を抱いていますよ。あなたが何をしていても、成功するかな、大丈夫かなーと心に思い必要な助けを送る準備をしていますよー!」という思いです。国連の旗にもオリーブは描かれています。世界平和のシンボルです。さらにオリーブは常緑樹ですから、いつまでもいつまでも平和を!の願いが込められています。神さまとの間に平和があるとその人は自分と和解できるのです。多くの人が自分と戦っています。「こんな自分嫌いだ!」「自分のこの部分が嫌だーッ!」と少なくとも心の中で叫んでいます。これは苦しい戦いです。出口の見えない戦い。こういう戦いをしている人は決して幸せな人ではありません。
 山本周五郎の作品に『季節のない街』があります。「くまん蜂の吉」という男がいて、酒をのみ出すと手を付けられない乱暴を働きます。奥さんや子どもたちも日本刀に追い掛けられ、近所の人たちも恐れをなして近付くことができません。そんな中、ある日「たんば」という老人が彼にゆったりと近付き、なにやら耳打ちします。そのとたん吉は振り上げていた刀を下ろし、頭を下げ、力なくうなだれるのです。周囲の人々は驚き、やれ催眠術だ、剣術の達人だと勝手に想像します。果して何を言ったのでしょうか。こう言いました。「少し代わろうかね?一人じゃ骨が折れるだろうからな!」。
 吉も好き好んで暴れているわけではないのです。何かに憑かれたようにそうしてしまいます。だれか止めてくれないか?と心の中では叫んでいます。自分ではもはや止められません。ところが神と和解した人はこのような戦いを真に終らせ、平和の心を内に持つ事ができます。ではどのようにしたら戦いを終らせることができるのでしょうか。つまり神さまとの平和を得る事ができるのでしょうか。それは悔い改めること。あなたの中にある罪を悔い改めてください。罪こそがすべての争いの元凶です。ねたみ、悪口、皮肉、憎しみ、赦さない思いなどなど。十字架のイエスさまが代わりにその罰を受けてくださいました。あなたはそれを信じるだけで悔い改める勇気があなたの中に生まれます。この勇気の代わりにあなたは赦しを得、平和を得ます。今、十字架においてあなたは神との和解を得ていますよ。それを喜んでください、というメッセージがここにはあります。

 試練に負けないたくましさ

 わたしは荒野の中に杉や、アカシヤ、ミルトス、オリーブの木を植え、荒地にもみの木、すずかけ、檜も共に植える。(イザヤ41:19)
 
 私は以前教会員たちを連れてギリシアに行ったことがあります。教会成長ツアーと銘打って、大いに楽しいときを過ごしました。車窓からいつでもどこでも見られるものと言えば、オリーブの木でした。対照的だったのは咲いている土地が決して地味豊かではなかったことです。聖書にある通り、荒地と荒野に自生します。非常にたくましい木です。あなたはどんなに辛くても悲しくても、困難に出会っていても決して負けないで最後は祝福を勝ち取る!というシンボルがオリーブです。ちなみに地中海沿岸一帯に、そして日本では瀬戸内海沿岸一帯に自生しています。樹齢500、800、1000、2000年と言われます。若木でマラソンチャンピオンの頭に載せる冠を作ります。なぜ私たちは試練にも負けずに強いのか。それは今生きておられるイエスさまを内に持っているから。ここで注意してほしいことがあります。「十字架のイエスを信じる」という言い方です。間違ってはいないのですが、これが私たちの信じる仕方としては誤解を招きやすいのです。十字架だけでは死んだイエスのイメージです。敗北したイエスのイメージです。その証拠に三年半同じ釜の飯を食った、と言う表現が適切でしょうか、仲間たちである弟子たちはことごとく逃げ去ってしまったではありませんか。弟子たちはこういう意味では極めて正直です。出世を夢見てイエスさまに従っていたのですから、ボスが死んでしまったらもう望みはありません。ですから元漁師は漁師に戻って行きました。この事実は当時の人々は十字架にかけられたイエスを見て、敗北者として受けとめていたことを証明しています。ところがそうして逃げた弟子たちが再結集して行きます。なぜ!それは復活なさったイエスを彼らが体験したからです。イエスは今生きておられます。あなたの中に。それを信じ、体験するときにあなたにはイエスさまのエネルギーを利用する道が開かれます。もはや試練には負けなくなるのです。
 スウェーデンの福音歌手レーナ・マリアはすばらしいクリスチャンです。生まれつき肩から先の腕がなく、左足も半分の長さです。それでも夢を掲げ、音楽大学に入り、車の運転を習い、ついに歌手になる夢を実現させました。彼女は両親に感謝していると言います。なぜかと言うと甘やかさなかったから。彼女は自分の中の生きているイエスさまを感じていたのです。だから私にはできる!といつも分かるのです。そしてあなたもできる!

 聖霊の祝福

 オリーブの収穫の時期は10ー12月です。オリーブの用途、それは祝福と言い換えていいでしょう。4つあります。1食用(。列王記47章)。ギリシア旅行で印象深かったのはいつも食事のときにはオリーブが出されること。いかになじみのあるものなのかと思いました。食事のあるところ、どこにもオリーブの実。それは食事が神さまから私たちに向けられた大きな祝福の一つであるとのメッセージです。どうか食事を大いに楽しんで下さい。
2燃料用。聖所(神殿の中にあります)で明かりを取るための燃料として使われました。明かり、それは心の明かり、家庭の明かり、社会のあかりです。もしあなたの中にあかりがあればあなたの行くところどこにも明るさがあります。与える者は受ける。あなたの人生は多くの明るさを周囲の人々から受取る人生になるでしょう。
3任職用(。サムエル10:1,16:13)。神さまによる任命式に使われました。神さまはあなたを神の子に任命してくださいました。子どもは親の保護を受けます。あなたはすべての危険から守られます。神さまがあなたを守ってくださいます。いやし用(ヤコブ5:14)。いやしの祈りをするときに額に付けます。神さまのみこころはあなたの心がからだがいやされること、そしてあらゆる問題が解決されること。親が願っていることで当たり前と言えば当り前ですが、実際に私たちには必要です。あなたはオリーブであって、これらの祝福に満たされますよ。それにはよーく祈ること。イエスさまはその模範です。イエスさまがよく祈られたところをご存じですか。オリーブ山、そしてそのふもと。ふもとのあるのはゲツセマネの園。ゲツセマネとはオリーブの油絞りの意味(マタイ26:36)です。イエスさまの祈りはオリーブを絞り出しました。油となって絞り出されました。油は聖霊さまです。オリーブの提供する祝福は結局は聖霊さまの祝福です。たくさん祈ってください。そして聖霊さまの祝福を得てください。