23.神を味方にする
神さまは昔からあなたの味方です。いつも助けようとしていらっしゃいます。実際あなたは助けられているはずです。これを表す記事がルカの福音書15章にあります。迷子の羊を、それもたった一頭の羊を探し回ります。神さまはたった一人のために一番必要なものを持って馳せ参じてくださいます。これが神さまに関する正しいイメージです。見つけられたら羊角いの腕の中に羊は抱かれ、心地良さを経験します。羊飼いは神さまであり、羊はあなたです。ただし腕に抱かれることを拒んだら平安を楽しむことはできません。再び危険な世界に戻ることになります。羊にもすべきことはあるのです。神さまは本来あなたの味方ですが、あなたにもすべきことがあります。今回はあなたが今危険から救われ、問題から解放され、毎日喜びつつ天国を楽しみに生活するための方法を探りましょう。私は神のこどもです、と告白しましょう(ローマ10:9−11)
告白が大切です。私はイエスさまを救い主と信じ受け入れました、私は新しく生まれ変わりましたと言ってください。生まれながらの人は皆死んでいます。イエスさまはあなたを生かし、地上の人生を祝福し、天国の楽しみを与えることができる唯一の方です。あなたの罪は全く赦されます。これ以上の恵みはありません。けれどもこのことを大胆に告白していかなければなりません。私はクリスチャンです、私は神さまのこどもです、私は救われました。この告白が弱々しいとき恵みは少ないのです。本当に私の人生は良い人生なのだろうかと疑問ばかりが先に立ちます。否定的になります。告白は切符のようなものです。正々堂々と祝福の電車に乗ることができます。従順であるようにしましょう(詩篇51:17)
従順さは宝物です。従頻な人は成功します。反抗的な人は悲しい結末を覚悟しなければなりません。しかしこの従順さは一般的に人に向けられるときに注意しなければなりません。どの人も罪人ですから、つい従順な人を自分の個人的な利益のために利用したくなります。これを、人を操作する、と言います。夫と妻、親と子ども、友人同士などの間でさえ起き得ます。結果がどのようになるかはだれもが予想できるでしょう。裏切られた無念さ、恨み、憎しみ、復讐の心、煮えくり返る思いなど。「あなたのためにこう言うのですよ!」なんて真ッ赤なウソだったのです。これら両者ともに人の弱さです。
肝心なことは神さまに対して従順であることです。神さまに対して従順であるから人に対しても従順であるというのが健康な在り方です。聖書をよく学ぶことによってどのようにすることが本当に神さまに対して従順であることかが分かります。
とすると、ときに人に対して不従順であることの方が神さまに対して従順である場合もあります。これは正しいことです。あくまで神さまに従うことです。神さまだけがあなたに祝福を保証することができます。神さまのあなたへの善意を信じてください。あなたのためには最善をなさいます。必ず結果は良くなります。たとえ人々があなたを裏切ろうが神さまは自ら復讐を果たし、あなたはその事実を見て、経験させられた試練は祝福であったことに気が付かされます。神さまはあなたに良いものをプレゼントするためにいろいろな人をいろいろに活用なさいます。神さまの頭脳に信頼してください。
苦しみに感謝しましょう(詩篇119:67)
信じる者が受ける試練があります。でも尊いものであり、感謝しなければなりません。いくつかの理由があります。1.スポーツ選手のトレーニングのようなものです。それ自体は苦しいもので、多くの場合うきうきしてやる人はいないでしょう。ただし目標をきちんと持っている人は嫌がらないで一生懸命にやるでしょう。でもいつも目標を私たちは知っているわけではありません。またもし教えられても理解できるかどうかも分かりません。そして試練の中においてこそ私たちは理解して行きます。2.決定的なダメージを避けるため。ペテロは大きな試練を経験しました。イエスさまを3度も否んだのです。しかも多くの人が見ている前で。他の弟子たちもそれを知ってしまいました。なんと恥ずかしいことでしょう。でも彼は立ち上がることができました。これは彼の人生において決定的なダメージにはなりませんでした。なぜならイエスさまが彼のために祈っていてくださっていたからです。あなたのことはすべての人に忘れられようが心配ありません。イエスさまが祈っていてくださいます。
3.あなたの信仰の大きさと力をテストする。テストを通じて自分の客観的な実力が分かります。ある試練を受けてある人はひどいダメージを受けますが、他の人はそれほどでもありません。このテストによってあなたは反省もでき、更なる献身、すなわちもっと自分自身を神さまにささげて行こうと進むこともできます。神さまに熱心な人を神さまは愛してくださいます。