25.あなたをむしばんでいるもの=原罪

 あなたの中に今何かのやましさがありますか。それはいったい何なのでしょう。この世界にはあなたを愛する神さまがいらっしゃるというのにです。それは思い込みなのでしょうか。
 実はあなたの中にもう一人のあなたがいます。それを潜在意識と呼ぶこともできます。この潜在意識というあなたが、いろいろに足を引っ張って、あなたにとって本当に残念な結末に導きます。
 ロ−マ人への手紙3章23節にはこうあります。「すべての人は罪を犯したので神の栄誉を受けることができず」。言い換えるならば神さまの恵みを受けることができないというのです。大変なことです。もうおわかりでしょう。私たちには根本的な問題があります。それを原罪と言います。創世記3章に記されています。人(私たちの先祖アダムイブ、彼らの中にあなたも入ります。納得できないかも知れませんが、そうなのです。その証拠にあなたは罪を犯しながら毎日生活をしています。)は神さまの戒めに背きました(11、12)がそのことを指しています。
 その結果どうなったでしょうか。本来祝福を楽しむ場であるはずの家庭が夫の妻に対する横暴やさまざまに苦痛や困難の伴う出産・育児の場に変質してしまいました(6)。職場生活だって同様です。この原罪から解放されない限り私たちには十分な祝福の生活はありません。

 今回は原罪は実際にはどのようなものを生活の中に持ち込み、私たちは普段どのように対応をしているか、そして最後に真に効果的な克服方法は何であるかを学びましょう。

 原罪は実際にはどのようなものを生活の中に持ち込んでくるのでしょうか。

心の平安や落ち着きを奪います

 いつも平安でいられるというのは至難のわざです。あなたはきっとうなづかれでしょう。一種の綱渡りのようなものです。でも平安でい続けられるというのは魅力的なことですから私たちは強く望んでいます。イライラしているのはごめんです。原罪が私たちのこの切なる願いを砕きます。

過去ばかりを振り返らせます

 楽しいものであればいいのですが、過去にあったさまざまな辛いものが私たちを苦しめます。そういう時は自己嫌悪感と無力感に陥り、そうこうしているうちに近くにいる人々を責めさばくようになります。ここには未来への期待も夢もありません。一瞬ひらめくアイディアもすぐにしぼんでしまいます。せっかくできることが目の前にあってもできなくなってしまいます。ある人たちは地獄に行くことを想像して苦しみます。信仰とは全く逆の世界です。というのは信仰とは新しい世界に進み出て、今まで経験しなかった喜びを得、それを糧としてさらに別の新しい期待に胸を膨らませることだからです。

生きる自信を奪います

 あなたはご自分の生き方に自信がおありでしょうか。「私はこう生きている!これが私の生き方です。」というふうに。周囲の目を気にする傾向が強い人は自信がない人です。方向が不安定なために次々に問題が発生して、というよりも実際のところ自分で作り出します。残念なことです。確信をもって生産的な歩みをしたいものです。

 さてこのような事態に私たちは一般的にどのように対応しているのでしょうか。

罪はないことにする

 神さまは存在しないことにするという意味です。原罪は神さまとの関係で発生しますから、神さまはいないとするのです。これは法律をなくせばいいという考えです。創世記3章8節をご覧ください。「身を隠した。」のはこの考えに基づくものです。神さまは呼びかけます。「あなたはどこにいるのか」。神さまから見えない所があるはずがありません。太陽の存在を否定しても、また曇り空で見えなくても太陽は存在します。決して解決にはなりません。罪という事実は存在します。

良いことをする

 (−1)+(+1)=0の計算です。でも罪の性質を忘れています。本を盗んで見つかった時に、返せば罪は消えるのでしょうか。消えません。決して消えません。罪の事実は残ります。どんなに良いことをしても罪を帳消しにすることはできません。イエスさまはそれをあるときこう表現なさいました。「白く塗った基」。やがてはげて来てだれの目にもはっきりとわかるようになります。罪とはそういう性格を持っています。

忘れる

 忘れるために忙しくするという手があります。家に帰って来たときにすぐテレビのスイッチを入れるという人は少なくありません。一つの理由は孤独感を癒すためです。だれでも人の声が聞こえていれば多少の安心感は得られますし、少なくとも耳は忙しくなります。興味のある話が聞こえてくればもっといいでしょう。忘れるためには。でもいつまでもそうしているわけにはいかないでしよう。またなんら根本的な解決にはなっていません。罰はどこまでもいつまでも罪を追いかける性質がありますから。逃亡している犯罪者がやつれ、人相が変わってしまうのはそのためです。

では根本的な解決はどこにあるのでしょう。

 赦される

 罪の解決は世界にたった1つしかありません。それは赦されることです。でもそれにも条件があります。だれかが代わりに罰を受けなければなりません。そうでなければ帳尻があいません。
 イザヤ書53章6節をご覧ください。神のひとり子イエス・キリストのことが言われています。彼には自分自身罪がありませんから、他の人の罪の罰を受ける資格があります。彼はあなたの身代わりとなって十字架で死なれました。そして三日目にはご復活なさいました。罰を受けなくてもいい、新しいあなたはこうやってイエスさまの中で生まれます。

 そのために梅い改める

 あなたがすることは何でしょうか。それはただ梅い改めることです。「神さま、ごめんなさい。私は神さまに対して従順ではありませんでした。確かに私は罪人です。赦してください。ごめんなさい」。神さまの心があなたに触れます。「あなたの罪は赦されました!」と。真実に神さまに立ち返るとき、運命の歯車がウマク回転するようになります。新しい夢が実現に向かいます。新しく生まれ変わったあなたは明るい心で前向きに物事に対処することができるようになります。