28.神はどのようなお方か?

 実際のところ、神さまはどのようなお方なのかを今回は一人の人の人生から学んで行きましょう。まず出エジプト記2章1節から10節と使徒の働き7章20節以降とをお読みください。
 赤ちゃんが生まれました。しかしイスラエル人の男の子が生きて行くのには実に困難な時代でした。舞台はエジプト。イスラエル人は長いことエジプトにとどまっていましたが、イスラエル人が祝福されてくるにつれエジプト人はねたむようになって来たのです。ついにパロ(エジプトの王のこと)は「イスラエル人の男の子は殺してしまえ!」と命令を出します。赤ちゃんはモーセ、お母さんはヨケベデと言います。彼女はパロの命令に背きました。それはそれは大きな決断でした。でも成長した彼はイスラエル人のための救世主、エジプトの縄目から救い出すヒーローになりました。彼女の信仰と勇気は実を結びました。
 彼女は悪い環境をどのように打開して行ったのでしょう。それはまた彼女を助けてくださった神さまはどのようなお方なのでしょうかという質問でもあるのです。

あなたを主役とします

 彼女は困難なときに子どもを産みました。でも何かを直感しています。なにかある!?神さまには何かご計画がある!ならば今私にできることがあるはずだ!「私が主役だ!」とでも言えましょうか。これが信仰です、神さまの期待を感じること。
 ヨハネの福音書15章16節をお読みください。あなたが選ばれたとするならば、当然理由があるに違いありません。これを単純に信じるのが信仰であり、私たちを強くさせどのような試練をも乗り越えさせていくものです。これを自覚できる人は何と幸いでしょう。神さまの摂理を信じられる人はなんと幸いでしょう。
 摂理とは神さまによる舞台設定で、神さまがある状況をお作りになるということです。しかしそれだけではありません。それをすばらしい方向へ発展させて行くべくだれかを近くに配置されます。あなたは神さまの摂理を信じますか。あなたが主役となるべきときがあることを信じますか。ここに祝福の鍵があります。

悲しみを通してあなたを鍛えます

 彼女はモーセを隠すことに決めました。だが子どもは次第に大きくなり行動範囲が大きくなります。もはや隠すことができません。お母さんとしては辛い日々であったでしょう。彼女はモーセを生かすことがみこころであることを知り、貫きました。彼女は逃げません。
 あなたはいかがですか。みこころと思いつつ進むが、思い煩いがあなたを襲うことはありませんか。サタンは消極的な声を持って誘惑します。あなたはみこころの道を進まなければなりません。途中で投げ出したくなってもあきらめてはいけません。
 詩篇37章7節にはこうあります。
「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。」
 大きな恵みを前にして少しの忍耐が必要です。たとえ悲しみが続いても信じ続けてください。
 ローマ人への手紙5章1節から5節をお読みください。しばらくの時間を神さまに信仰を持ってささげた後に祝福があなたに届きます。
 待つ間あなたは一つのことを学びます。謙遜です。
 あなたがお願いをしている間神さまは何もしていらっしゃらないと思いますか。神さまはサタンさえも用いられます。ですからサタンがあなたに消極的な思いを吹き込むときはあなたが祝福の方向へ向かっていることを知るべきです。悲しみの間神さまを信じつづけたらサタンはもはやあなたに対して何もすることができません。サタンが与えるものはただ失望させることだけですから。
 十字架においてサタンはすでに敗北しました。あなたの罪は贖われ、あなたからすべての呪いは去りました。あなたの前にあるのは祝福を勝ち取るためだけの悲しみです。
 詩篇126篇5節をお読みください。この教えを文字通りに生きた人がいます。アブラハムです。何十年もかけて祈って来たことがかなえられました。一人息子イサクが与えられたことです。彼にとってバラ色の生活が始まりました。ところが神さまは突然いけにえとして差し出しなさいという信じられないような事をおっしゃるのです。神さまはアブラハムをテストされました。彼も、そしてイサクも従いました。言われた通りに差し出し、ささげる瞬間、神さまの声が聞こえました。「おまえの信仰はよく分かった。私をどんなときにも信頼していることがよく分かった!」。神さまはイサクに代わる別のささげものをご自身用意してくださいました。悲しみの代価は大きいもです。アブラハムは以来、より一層祝福されました。へりくだりとは神さまのやり方を学ぶことです。私たちは神さまよりも自分の方があたまがいいとか、優秀であるとか勘違いするのです。

あなたの強い願いに応えます

 強い願いを持ち続けたら神さまは応えてくださいます。願いがかなうかどうかはその強さに比例します。ヨケベデには子どもを育てたいという強い願いがありました。
 信仰とは現在いまだ手にしていないものを手に入れる方法です。このような信仰を持つ者には、神さまは直接物事に干渉して働いてくださる、知恵をお与えになるかのどちらか、あるいは両方をしてくださいます。
 彼女はモーセをカゴの中に入れてナイル川に浮かべ、神さまはモーセを王女に拾わせるように導きました。彼女の祈りは通じました。この一連の出来事は決して偶然ではありません。神さまが道を開いてくださったのです。カゴを手に入れる、防水加工をして浮かべる。姉ミリアムに見張り役をさせる。このように積極的かつ前向きに行動する者を神さまはお見捨てになりません。知恵と行動する勇気が与えられ、状況が結果的には好転します。たとえ一時的に悪くなろうとも心配は要りません。
 さて水の上に浮かべられたモーセを見つけた王女は自分の子どもにしてしまいます。そこへすぐにミリアムが駆けつけて乳母として自分のお母さんを連れて来ます。ヨケベデはこうして自分の子どもを自分のでなく王女の費用でしかも自分自身で育てることができました。まったくウソのような話です。神さまは必ずあなたのために不思議なことをして下さいます。

あなたの未来を良くします。

 モーセが生まれたこと自身大きな問題でした。男の子だったからです。でもこれはすでに現実です。大切なことは希望を持ちつつ未来をどう生きるかです。彼女はそれに挑戦しました。
 私たちの弱さはとかく最悪への展開を予想することです。こわいのです。ご自身の大切な一人子をお捨てになるほどにあなたを愛しておられるのになぜ悪く考えるのですか。あなたを天国に住まわせようとわざわざ天から来てくださった方がなぜ悪い方向へあなたを導くでしょうか。
 あなたは肯定的な新しい世界に生きなければなりません。聖霊さまがあなたに語る前向きの思いを口で宣言してください。神さまがあなたを以前にも増して祝福してくださるように。