3 人はどこから来たのか? 創造論と進化論
遠い遠い昔、自然に発生した。それ以外は分からない。
[創造論]
「はじめに神が天と地とを造られた。」(創世記1:1)と あるように神さまによってこの世界は造られた。
どんなふうにという経過説明は創世記1章1節から2章3節までをご覧下さい。 6日間で造られました。
生命は全くの偶然で誕生し、その偶然が重なって進化して人間が生れた 。進化の法則は単純から複雑へ、単細胞から複数細胞へ、小より大へ、 下等より高等へ、種から種へ、突然変異、自然淘汰、適者生存、獲得形質の 遺伝などです。簡単に言うと、アメーバのような単細胞から進化して、やがて爬虫類 が生まれ、猿になり、類人猿になり、やがて人間が誕生した。
[創造論]
「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き 込まれた。」(創世記2:7)とある ように人の肉体は土の塵と同じ材料で、霊魂(心とか精神)は別に造られた。人間は はじめから人間である。
本来「科学的である。」というのは、「仮説を立てて証明を して行く。」ことです。たとえば湯川秀樹博士が中間子理論でノーベル賞 を受けましたが、「中間子」は実在するという仮説から出発した結果 だったのです。
もし証拠がないのであれば、少なくともその間は事実であると言うことは できません。進化するためには種から種へ変化しなければなりませんが、 その中間種が見つかっていません(それゆえにミッシングリンクという。)。 「進化論は事実である。」とだれも言うことはできません。
[創造論]
創造論の仮説は「創造神は実在する。」というものです。
結論として何が問題でしょうか。理性的に考えて進化論と創造論の どちらが正しいかと問えば、50%の正解率をそれぞれが持つでしょう。 しかしここでは進化論の持つ問題点と創造論の持つ魅力を指摘してみたい と思います。
ところで創造論を唱える聖書は何を教えている でしょうか。以下のようです。
人はどこから来たのでしょうか?また世界はどのように誕生したのでしょうか? とっても大きな質問ですが、答えを避けるわけにはいかないでしょう。 日本の学校教育の現場ではほとんど進化論が事実として、また科学として教えられています。しかし世界と人の誕生についてはもうひとつ、 創造論という考え方があります。今回は両者を比較してみましょう。
第一に、世界の始まりについて
[進化論]遠い遠い昔、自然に発生した。それ以外は分からない。
[創造論]
「はじめに神が天と地とを造られた。」(創世記1:1)と あるように神さまによってこの世界は造られた。
どんなふうにという経過説明は創世記1章1節から2章3節までをご覧下さい。 6日間で造られました。
第二に、人間について
[進化論]生命は全くの偶然で誕生し、その偶然が重なって進化して人間が生れた 。進化の法則は単純から複雑へ、単細胞から複数細胞へ、小より大へ、 下等より高等へ、種から種へ、突然変異、自然淘汰、適者生存、獲得形質の 遺伝などです。簡単に言うと、アメーバのような単細胞から進化して、やがて爬虫類 が生まれ、猿になり、類人猿になり、やがて人間が誕生した。
[創造論]
「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き 込まれた。」(創世記2:7)とある ように人の肉体は土の塵と同じ材料で、霊魂(心とか精神)は別に造られた。人間は はじめから人間である。
第三に、科学的かどうかについて
[進化論]本来「科学的である。」というのは、「仮説を立てて証明を して行く。」ことです。たとえば湯川秀樹博士が中間子理論でノーベル賞 を受けましたが、「中間子」は実在するという仮説から出発した結果 だったのです。
もし証拠がないのであれば、少なくともその間は事実であると言うことは できません。進化するためには種から種へ変化しなければなりませんが、 その中間種が見つかっていません(それゆえにミッシングリンクという。)。 「進化論は事実である。」とだれも言うことはできません。
[創造論]
創造論の仮説は「創造神は実在する。」というものです。
結論として何が問題でしょうか。理性的に考えて進化論と創造論の どちらが正しいかと問えば、50%の正解率をそれぞれが持つでしょう。 しかしここでは進化論の持つ問題点と創造論の持つ魅力を指摘してみたい と思います。
1. 進化論の提出する証拠は疑問だらけ
- 1985年6月2日号の読売新聞に、大英博物館所蔵の『始祖鳥は偽物? 』という記事が掲載されました。始祖鳥というのは鳥が爬虫類から進化した証拠のはずでしたが、英国天文学会の大御所的存在であり宇宙物理学者の フレッド・ホイル氏がクレームをつけたのです。
実は1953年には「ピルトダウン事件」がありました。ピルトダウン人と いうのは猿と人間の中間種と言われていましたが、チンパンジーの骨でし た。 - 化石で見つかっている馬についてはどうでしょうか。小から大に、 という法則に従っているというのですが、それぞれ離れた大陸から発見 されているばかりでなく、現在でも小さい馬は馬として存在しています (たとえば英国産のポニー)。また足指については4本(または3本)から 1本へ並べられていますが、これでは単純から複雑へという原則に反して います。
更にいったいどうして動物園にいる猿はいまだに進化しないで 猿のままで、あなたは人間に進化したのでしょう。 - 突然変異によって進化したということについても同様。突然変異によっては進化どころか退化してしまいます。
- 用不用説、獲得形質遺伝説なども疑問だらけです。
- カークトは自ら進化論者でありながら一般進化論を批判して「生命の ないものから生命が誕生した、つまり自然に生命が発生した」とい う考えは評拠が不十分だと言っています。
- それで進化論はみずからの科学性の限界を克服しようとして(それ自身科学性の不十分を露呈しているが)、しばしば心理学約手法を使う。 つまり生命の発生の時期を、50億年だとか、数百億年だとか、遠い昔であるというのです。実際聞いた人は進化は真実のような印象を受けるでしょう。進化論は単なる想像です。
2. 進化論のもつ基本的なイデオロギーの悪魔性
それは偶然という考え方です。辞書を引くと「たまたま」「計らずも」 とかあります。あなたはたまたま生れてきたのであって、これからも運命の いたずらのまま生きるのです。こんな考えには何の魅力もありません。進化論には人生の目的とか、意味とかはな く、冷たい単なる解剖学的説明があるだけです。進化論は「あなた」に ついて説明することはできません。しかし創造論はこの世界にはまことのただ1人の神さまがおられ、 この方があなたをを造り、あなたを愛し、あなたの人生に強い関心を持って おられると教えます。ところで創造論を唱える聖書は何を教えている でしょうか。以下のようです。
−−−生れながらの私たちがその神さまを知ることがないのは「罪」 のためである。でも愛の神さまはそのあなたの「罪」をご自身のひとり子イエス・キリストに背負わせ、身代わりに罰を受けさせる という事件においてあなたの罪を赦すという形であなたから「罪」を 取り除き、 あなたが神様のもとに帰ることができるように道を開いて下さった。−−−
さあ、今いかがでしょうか。あなたはこのあなたを愛しておられる神さまのもとに帰 りたいとお思いにならないで しょうか。すべての子どもは親の指導を必要としています。そしてあなたは神さまに造られ、本来は神さまの子どもです。ルカの福音書には放蕩息子の話があります。すべての財産を使い果たし、帰 ってきた息子を何の条件もつけずに父親は歓迎しました。今神さまはあなたを無条件で歓迎しておられます。あなたが今この父なる神さまのもと に帰るとき、あなたの人生には目的と輝きが生れます。ご一緒にヨハネの第一の手紙 4章9節をお読み下さい。