32.アビガイル
第1サムエル記25章1−42節をお読みください。神さまから愛され、かつ人からはぜひお付き合いをして下さいと言われる人は幸いです。アビガイルはそのような人でした。というよりこのように神さまによって変えられたと言った方がいいでしょう。彼女が生きた時代、預言者サムエルは死に、サウル王も晩年を迎えていました。あるときダビデは自分の部下への援助をナバルに丁重に依頼します。ところが彼は全くひどい男で、ダビデのメンツを完全につぶしてしまいます。怒り狂ったタビデはとっさに復讐しようと攻撃命令を発します。その情報を聞き付けたのがナバルの妻であるでアビガイルでした。結論を言いましよう。立流な働きでした。流血の事態は避けられ、ダビデも罪を犯すことから守られました。
神さまに愛され、かつそれを自覚する人は神さまのみこころをこのように無意識のうちにも行い、多くの人々から賞賛を勝ち取ります。これは単なる偶然ではなく、神さまからの報酬であり、恵みです。彼女から学びましょう。
現在の人間関係を神さまからのものと理解しています
人はひとりで生きることはできません。社会の保護と援助とを常に必要としています。そのもっとも基本的なものは親、配偶者、子どもで構成される一次社会としての家庭です。神さまがあなたを今の家庭に置いて下さいました。まずこれを知らなければなりません。アビガイルはこれをわきまえることのできる利口な女であると言われています。「彼(ナバル)の妻の名はアビガイルと言った。この女は聡明で美人であった。」(第1サムエル記25:3)ところでこのナバルは上記の節で分かるように頭迷で、行状が悪く、自分勝手で、恩知らず。かつてダビデに世話になったことなどどこ吹く風、無視したばかりか、侮辱まで加えました(25:10、11)。
もしあなたがこのようなタイプの人と付き合わなければならないとしたら、きっと心中は穏やかではないでしょう。しかしアビガイルの偉さはこんな彼をありのまま受け入れたところにあります。これが信仰です。そしてここから恵みは始まります。アビガイルがダビデに言ったことばを23ー31節から学びましょう。社会はそのつど、一定の状況の中でリーダーを必要としています。アビガイルのような理解をするものこそ神さまに喜ぱれ、実質的なリーダーとして立てられ、その働き(社会に貢献する、与えること)のゆえに祝福されます。
隣人への恩返しの気持ちを忘れません
あなたの身近に出会うすべての人があなたの隣人です。直接間接とを問わず私たちは他者のお世話になっているからです。先に述べましたように、ダビデは復讐を思い止まります。そのきっかけとなった先の23−31節で彼女は何を言っているのでしょうか。
「あなたさまはお若い、これからのお人です。しかも神さまから特別の愛顧を受けて、神の民・イスラエルの王に任じられる栄光に浴しています。あなたさまは神さまが期待をかけておられるだけあって有能であり、かつまた有能な部下を多く持っていらっしゃいます。実に恵まれたお方でいらっしゃいます。それなのになぜこのような大きな罪を犯そうとなさるのでしょうか。若者の罪を流し、どんな良いことがあるのでしょうか。あなたさまは神さまを信じておられるでしょう。みこころを知ることがおできになるはずです。決して軽率なことをなさらないでください」
これは15と16節で分かるように、ダビデがかつて夫の、したがって彼女の部下たちに良くしてくれたことを意識していることは明らかです。恩を忘れない人の姿はなんと魅力的で美しいものでしょう。人々はこのような人の周囲に集まります。
人々に仕えようとしています
ナバルは愚かで、エゴイストで、全くひどい男です。かと言ってさらにもうひとつの罪を追加させてもいいとは彼女は考えません。ところで彼女は夫にこのことに関して彼をいさめたりするとか、何も話していません。これは何を教えているのでしょうか。真実を話すのだから何を言っても許される、有効である、良い結果をもたらすという考え方は必ずしも正しいとはいえないということでしょうか。たとえば意識、無意識のうちに復讐の気持ちが混じる場合があることもあります。しかし、です。言うべきことは言わなければなりません。行動しなければならないときは行動しなければなりません。このバランスの上に本当の愛はあります。また人によってすぐにその真理を受け入れることができる場合と、そうでない場合とがあります。ここにセンスの問題があります。
アビガイルはさっそく最悪の事態を避けようと有効と思われる行動(18−35)に出ますが、夫にはそれを知らせませんでした(19、36)。この見究めのセンス、これは仕える信仰から来るものです。
私たちはものごとに一生懸命に取り組んではいますが、事実として失敗があります。おまけに人をさばいたり、場合によっては逆恨みをしたりしてしまうことさえあります。常に人に仕える意識を持ちたいものです。
「あなたがたのうちの一番偉大な者はあなたがたに仕える人でなければなりません。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」(マタイ23:1−12)
アビガイルがなぜ偉いかと言えば、仕えるセンスに理由があります。ナバル、彼の部下たち、そしてダビデに仕えました。神さまは仕える人を高め、祝福して下さいます。
「キリストは神の似姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまでも従い、実にに十字架の死にまでも従ったのです。それゆえ神はキリストを高く上げてすべての名になさる名をお与えになりました」(ピリピ2:5−9)
もしあなたが人に仕えるなら、神さまはあなたをほおってはおきません。必ずそれに見合った祝福を用意して下さいます。
人を動かすすべを知っています
25章35節をお読み下さい。ダビデが復讐を思い止まったお陰でナバルは命拾いをしました。おそらくこの場合ナバルの妻という立場にあったアビガイルだからこそできたと言って間違いはないでしょう。あなたにもあなたによってでなければ動かされない人たちが周囲にいらっしゃいます。神さまはあなたの働きに期待して、その場所に、その立場に今あなたを置いていらっしゃいます。このことを自覚し、感謝をもってその人に向かってあなたのできることをなさってください。あなたは生きておられる神さまをさらに実感し、喜びに心は一層満たされるでしょう。アビガイルがこの後にさらに深い幸せの世界に入って行ったように。
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