34 聖書の魅力

聖書箇所[ペテロの手紙第一 2章1−6節]

 一人の若者が都会で勉強するために自宅を離れます。父親は誘惑が多いだろうととても心配してこまごまと注意を与えました。そして新しい聖書を手渡し、困ったことがあったら、これを読むようにと言いました。やがて若者は案の定、都会の華やかさの中で遊び始めました。ついに生活費用が底をつき、「金を送つてくれ」と手紙を書きました。父親からの返事はただ一言,「聖書を読みなさい」でした。窮状はさらにひどく、ついに父親に揃えてもらった家財道具や本まで売ってしまいました。友人から借金までもしました。そうして二度目の手紙を父親に送りました。返事は前回と同様でした。さらに三度目の返事も同じでした。ついに彼はいままで一度も開いたことのなかった、ほこりだらけの聖書をしぷしぷ手にしました。なんと多額の小切手がはさんでありました。彼は自分の目を疑いました。愛する息子のために父親が入れておいたのです。

 韓国ナザレ園の創設者である菊池政一牧師はある聖書の一節で、その事業のスタートを切りました。

    神はみこころのままにあなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。(ピリピ2:13)

 マルチン・ルターはこう言いました。

      聖書にはいのちがあって、私に語りかける。
      聖書には足があって、私を追いかけて来る。
      聖書には手があって、私を掴んでくれる。
      聖書は生きている。

 聖書はあなたを愛する神さまからのプレゼントです。ぜひ多く読んでいただきたいので、今回はその魅力に迫りましょう。キーワードは4つ。

期待感

 聖書を読む時には、期待感を持って臨んでください。[何かが起きる。なにか素晴らしいことが起きる!]と。ヨハネの福音書9章1節からしばらくお読みください。目が見えない人が登場します。人々は「何が彼をこんな目に遭わせたのですか!」と、責任と原因を追求をしています。イエスさまは彼らとは異なる態度をとられました。すなわち「神のわざがなされるためです」。彼は目が見えるようになりました。あなたにもすばらしいことが起きますよ。期待感こそが信仰です。信仰をもって読む、とは期待をして読むという意味です。あなたはこう考えるべきです。「何かが起きる!きっとすばらしいことが!」もし聖書を読むことが単に義務であるなら、それは辛いことでしょう。食事も外出も義務であるなら、それも辛いことでしよう。聖書を読むとはそのようなことではありません。宝の山から実際に宝を堀り出そうとすることが聖書を読むことの意味です。
 またみことばは種でもあります。あなたの心は畑です。もう分かるでしょう。芽を出し、実を結ぶのに時間がかかることもあります。しかしその場合でも期待感が必要です。期待感こそ信仰の名にふさわしいのです。どうか、「神さまは私のために、私の人生を舞台にすばらしいことをして下さる」と堅く信じて読んで下さい。信じる者が聖書から祝福を得るのです。ちなみにこの9章の記事から菊池牧師は励まされ、福祉事業に邁進して行きました。盲老人ホーム、救護施設、特別養護老人ホームなど。

 

悔い改め

 聖書を読むということはとりもなおさず、神さまからおことばや助言をいただくという意味です。それだけに御前に出るときの心構えとか姿勢とかが大事になります。だれも天皇陛下のことばをいただこうという時に、遅刻をしたり、いいかげんに聞いたりしないでしょう。もしそうしたら偉い方を軽くあしらうことです。
 聖書を読んで恵みを得ようとするなら、あなた自身を神さまの御前に出る者としてふさわしく整えることが大事です。詩篇24篇をお読み下さい。悔い改めの心が大切です。悔い改めの心とは、いわば柔軟な心です。聞く前に「何を聞かされても、俺は自分の考えは変えないぞ」という姿勢では何の得るところもないでしょう。悔い改めの心はあなたに聖さを与え、それゆえに神さまと波長があって来ます。聖霊に満たされて行き、平安な思いに包まれます。これは自分の人生への安心感です。私の人生には祝福が溢れる、という確信です。人生を良いものにしようと思ったら、常にこのような柔軟性は必要です。さらに良いものを得ようとする心、もっと改善しようという積極性、強い成長欲求とも言えます。

 最近次のような文章を目にしました。神さまのおことばを聞くときの姿勢について考えさせられました。

 この礼拝は喜ばれるだろうか

 次は近い将来に起こるかも知れない状況を描いて見たものです。聖日の朝です。家族3人が、全員コンピューターの前に集まっています。

 夫:さあ、みんなで礼拝を始めよう。スイッチを入れてインターネットに入りました。そこから、聖日礼拝というところをクリックしてその日のメッセージが聞けるところを探します。そして、そこからメツセージをダウンロードしてリアルシステムでメッセージされる牧師先生のメッセージをその場で聞きます。メツセージが終わると再び、礼拝に入り示された賛美歌を一緒に歌います。娘はそばですでに居眠りをしています。交わりの部屋に行って少しの間、交わりの時間を持ちます。

 妻:あなた、祈りの課題がたくさん載っているわ。

 夫:うちは何を載せようか。
 
 それまで気になっていた他の人の情報をざっと見て初期画面に戻ります。その時、夫が何か忘れたのか。またすぐにマウスを動かしました。
 
  夫:うっかり、敵金するのを忘れるところだった。そして振込み口座をクリックして、献金をしてその日の礼拝のすべてが終わりました。

 キリストは礼拝の墓本精神は「霊とまこと」だと言われました。私たちは自分自身に問わねばなりません。神はどのような礼拝を神が喜ばれるのだろうか。真の礼拝がどんなものであるのか私たちはいつも考えなければなりません。真の礼拝とは私たちの便宣を考えたものではありません心をこめた礼拝とは礼拝の主人公であられる神を中心とした、その方にすべてを捧げた礼拝でなければなりません。(訳:孟)

                 みことばの石橋/チョン・チャンボク、チュ・スンジュンダーウインの遺言(『リビングプレイズ』)

 時には罪を悔い改めなければならないかも知れません。でも勇気を持ってください。神さまはあなたを愛してくださっています。すべての罪は赦され、あなたの中にみことばがすう−っと入つて来るでしょう。 あなたは前向きの思いで満たされるでしょう。

 ダーウインの遺言

 進化論の創始者であるチャールズ・ダーウィンは、人生の最期を非常に憂鬱裏に送りました。ダーウィンが息を引き取る数ヶ目前、ホップ婦人が病室に彼を訪ねました。聖書を開いていたダーウィンにホップ婦人が訊きました。「今何をお読みになっているのですか。」ダーウィンは微かに笑いながら答えました。「聖書です。とても高貴な生命の書物ですよ。」ホップ婦人は聖書の創世記を開いて見せながら、ダーウィンが主張した進化論の虚構性を説明しました。すると、ダーウィンの顔がひどくゆがみ、驚くべき告白をしまた。「私は本当に未熟な若者でした。全てのものと現象に対して疑いを抱いて接近しました。進化論もその中の一つです。しかし、人々が進化論を学問ではなく、創造論と敵対視される宗教のように信奉するようになったのです。どうか人々に神の偉大な創造とイエス・キリストの救いの恵みを証ししてくださし。」真理は死の前でその頁偽が明らかになります。ダーウィンは死を前にして創造論を真理だと告白しました。(訳:上田)

                    幸福のドアを開ける193の話/イム・ハンチャン(『リビングプレイズ』2002.12)

料理法

 みことばを読むは、食べるとも表現されます(エレミヤ15:16、エゼキエル3:1−3)。ですからたとえば魚を食べるようにします。煮たり、焼いたり、甘露煮にしたりと調理方法はいろいろあるはずです。生で食べる方法もあります。
 もう少し具体的に考えて見ましょうか。聖書の中には骨のように硬くて消化することが難しい箇所もあります。ならばよく勉強している人に教えてもらうことです。無理をして歯を欠いたり、あごをはずしたりしてもよくありません。あるいは硬い部分、つまり意味が分からない部分はとばしてもいいのです。あなたがひとりでできる工夫を書きましょう。次のようなものを活用することができます。

 ・入門講座の類
 ・聖書物語(小学生高学年向けは大人にもいいものです)
 ・子ども向け絵本(聖書ダイジェストとして使えます)
 ・聖書を各書ごとに解説した本やテープ(オーディオとビデオ、以下同じ)
 ・聖書地理の本やメッセージテープなど
 ・中近東の歴史を記したもの

 上記の材料を活用しながら、情景を想像しながら読みます。現代はラジオよりも映像の時代ですから不得意の人も多いのですが、ラジオドラマを聞く要領です。ただし通奏低音とでも言いましょうか、聖書を貫く一つのものがあります。何でしょう。それは愛。神の愛。これを忘れずに読んでください。最近新聞で驚くべき記事を読みました。

 東日本のある町に住む専業主婦のA子さんは、たまたま目に入った書類から、夫のHIV(エイズウイルス)感染を知ってしまった。夫が自分から話してくれなかったことに対して、怒りはなかった。テレビのドキュメンタリー番組などを見て、HIV感染者が激しい差別にさらされていることは知っていた。「夫も、言おうとしながら、なかなか言えなかったのだと思いますよ」それよりも、夫が治療を全くしていない様子なのが気になった。どうしたらいいのか。考えた末、自分も感染することにした。「ぴっくりされるでしょうけど……。感染者の気持ちは感染者にしか分からない、と思ってしまったんですね。お互いに気を使うのは嫌だし、私も感染すれば、夫も病院に行ってくれるのでは、と思って……」。それからは避妊を一切拒否した。「私、死ぬのかな」とも思った。でも、自分のことよりも、とにかく夫の体が心配だった。「今でも後悔してはいません。・・・・・・                                         (『読売新聞』2005.5.18)

 この妻は本当に夫を愛していますね。父なる神さまはご自分のひとり子をあなたのために捧げられました。あなたを愛しておられるからです。そうしてもう一つのことを忘れることはできません。ドイツでは演奏が放送されたときには「ただいまの演奏は○○交響楽団によるものでした」とは言わないそうです。こう言うそうです。「ただいまの解釈は○○交響楽団によるものでした」。つまり聖霊により正しい解釈がなされます。霊の耳を澄ませて聞いてください。「神さま、今、何を私におっしゃりたいのでしょうか」と聞きましょう。あなたの中の聖霊さまが、あなたが今読んでおられるところの意味が分かるようにしてくださいます。

従順さと謙虚さ

 みことばを読むこととお祈りとを組み合わせてデボーションと言います。これは呼吸にも例えられています。吸う方がみことばをいただくこと、吐く方が祈ることです。みことばを読んでも心の中に入って来ないことがあります。なぜでしょうか。ひとつの理由は肺の中にもう十分空気が入っている状態、あるいはコップにはすでに水が縁まで一杯になっている状態と表現したら分かりやすいでしょうか。
 まず今一杯になっているものを出さなくてはいけません。つまり反抗する心を捨てなければなりません。

 聖書には戒めやら助言やらが多く出て参ります。もしそのようなものを見つけたら「ハイッ!」と言って従いましょう。「でも・・・」などと言っていては一向に恵まれません。どのようにしたら従順になれるでしょうか。なぜ「こうしなさい」とおっしゃっているのかその意味を知ってください。神さまはあなたの親です。親が子を思わないはずがありません。あなたを思っておっしゃっておられます。確かに率直になれないこともあるでしょう。でも「これもいや!あれもいや!」と言っていては、やがてだれからも愛想をつかされてしまいます。実はこのようにして聖書を読むことがつまらなくなる人が多いのです。助言を聞くつもりがなければ、もはやだれも何も言わなくなるでしょう。もしあなたが全知全能でなければ聞く必要があります。もし助言を聞かないなら、すべては自分でことを片付けなければなりません。でも神さまはあなたを愛しているので、いつも助けたいのです。このようにしてついには、あなたは最高の恵みを手にすることができます。それは神さまのご人格に似てくるということ。聖書の著者は神さま。著作物は著者の人格そのものです。感染力は抜群。おおいに感染されてください。あなたの中に「神のかたち」が回復して行きます。聖書をもっともっと自分のものにして神さまの祝福を受けて参りましょう。


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