56.パン種の与える祝福
●聖書箇所[マタイの福音書13章33節]
私たちは毎日朝起きて、食事をし、仕事や学校に行き、家事をし、夜寝ます。同じことを繰り返す生活のことを通常人生と言い習わします。ところで今次の戦争中、土を掘り起こさせ、その後すぐに埋めさせることを繰り返させる虐待の仕方は捕虜たちへひどい苦痛を与えました。意味のないことをし、あるいは繰り返すことに私たちは耐えることができません。けれども全く単純なことでも建設的な意味があるなら喜んで繰り返すことができます。駅前まで毎日バスで往復する作業が可能なのも通勤しているという意味があればこそです。幼稚園まで子どもを送ることも成長を信じればこそです。
もし喜んで日々生きようとするなら人生の意味を、これを知ることこそ人生最大の祝福ですが、見い出さなければなりません。イエスさまがその意味をパン種のたとえの中で教えてくださっています。
当時パン作りは日常生活で繰り返されるありふれたことであり、イエスさまの目にもそれは同様でした。パン種(酵母)はパンを膨らませるときに使う、ビール酵母や乳酸菌などと同じ微生物の一種で、その一群をイーストと言い、種と言います。通常、細菌、ばいきんと言われている類です。この種を入れるとふわーっと大きく膨れ、軟らかく、食べやすいパンになります。天の御国とは神さまの愛を受け入れる者たちのことであり、信仰それ自体でもあります。パン種によって大きく成長するというのです。それはあなたが受ける祝福の成長でもあります。このパン種のたとえから2つの教訓を学びましょう。
外部の力により
人生におけるさまざまなことがらは外部からの信頼できる力によって起こされているので、私たちにとっては必ず益となるということをまず知ってください。
さてパン粉自体にはパンを膨らませる力はありません。パン種が外部から入れられてパンは膨らんでいくように、世界、人間、物にこの世界の造り主である神さまが力を注入なさって、それによってそれらは動かされます。世界、人間、物自体に自らを動かす力はありません。ですから私たちの出会いまた経験するあらゆる出来事は偉大な神さまの善意と演出が背後にあると言えます。
もう一度言いましょう。人間には自らを変えて行くだけの力はありません。放っておいても硬いパンは軟らかくはならないばかりか、むしろ硬さを増して行きます。水分は失われ、ぼろぼろとなり、空しく土に帰ります。私たちは一所懸命に正しい向上心を養わなければ、必ず悪い方向へ向かって行きます。道徳も文化も落ち放題です。
女子高生が売春で補導されました。両親は血相を変えて警察署に飛んできて、わが子を見るや否や「ばかもの!」と叫びました。しかし彼女も負けてはいません。「なによ!私がどんな悪いことをしたのさ。相手のおじさんだって喜んでいるんじゃないのさ!いつもお父さんは言ってるんじゃーないの。だれにも迷惑をかけないで生きろって。こずかいを自分で稼いだんだし、いったいだれに迷惑をかけたのさ!」親に教わったことを忠実に実践した結果でした。お父さんは反論できませんでした。
私たちは内在する罪の傾向に従うかぎりさらに堕落して行くことは避けられません。良い方向へ向かうことは実に難しいことです。人間の中には自らを正しく良い方向へ導く力、パン種はありません(ローマ7:14−25)。ですから外部から良いパン種を注入してもらわねばならないのです。それはたましい(霊魂)の親であるまことの神さまだけがおできになります。「あなたはどこにいるのか?」(創世記3:9)とはこの事実を私たちすべての人間の代表としてのアダムとエバに神さまが教えようとなさったときのことばでした。
では私たちを愛してくださるまことの神さまはどのようなパン種をくださるのでしょうか。それは第1に罪が赦された命。イエスさまが十字架の上であなたをあがなってくださり、それゆえに新しい命があなたには備えられました。この命を感じるとき、神さまが常日頃たくさんくださっている生活上のあらゆる良いもの、すなわち新しい日、友人、家族、食物などをあなたは思いっきり楽しむことができます。
第2に試練と困難。私たちの弱さはすぐに感謝を通り越して高慢に結び付きます。そこでこれらが必要です。しかしありがたいことに耐えることができないようなものは与えられません(第1コリント10:13)。そればかりか試練や困難を通して成長させていただくことができます。こうしてあなたの中にパン種(命)が外部(あなたを造られた神さま)から注入されることによって、あなたに新しい命は生まれ、あなたの人として真の成長はスタートします。
あなた専用の人生計画が
命は、そして人は生まれるだけでは不足です。次の段階へと進まなければなりません。なんと、神さまはあなたの人生に関して専用のすばらしい計画表をもっておられます。パン種はパンの内側から働き、全体を大きくして行きます。でも時間はかかります。最低30分はかかり、長ければ数時間のこともあります。しかも膨れ方がそれぞれまったく違います。同じものはありません。さらに変化して行くさまは目では見にくいものです。
さてイエスさまを信じる者にはすでに良いパン種が入れられており、それは確実な変化と成長とを保証するものです。でも各人各様に神さまのお取扱は違っています。単純に他の人との比較は無意味です。世界にあなたという人はただ一人で、その成長の仕方やパターンもたった一種類です。神さまの下さった成長の形(内容)やペースを受け入れましょう。神さまは世界の誕生以前にみ思いの中で、あなたをはらんでくださいました(エペソ1:4、5)。今予定のときが来て生まれ、あなたは生きていらっしゃいます。神さまの願いはあなたが信仰を持たれ、キリストの十字架と復活という福音の上に永遠の祝福があることを受け入れ進むことです。十字架と復活という福音は神さまの愛だけがあなたの人生を勝利に導くものだと教えるものです。
愛は偶然や出会い頭を完全に退けます。人生にはいろいろの危機が訪れます。出産、入学、進級、卒業、就職、結婚、転居、子どもの結婚、老い、死など。これらのできごとを前にまことの神さまなくしてほんとうの希望があるでしょうか。善意の神さまのご計画のもとで一つ一つが私たち自身の平和と安全と幸福を目指していると受け入れることが神さまのみこころであり、それらを喜びを持って、神さまへの信頼を持って生きるとき、神さまのご栄光は表わされます。ですから単純なことがらであっても、ただ繰り返すことがらであっても、あらゆることに建設的な前向きの意味があります。その神さまの下さる意味を生きるとき、あなたの人生は祝福されます。なぜでしょうか。その神さまのご計画の中で神さまの同労者として、世のため人のために働く者とさせていただくことができるからです。
神さまは人々を幸せにするお仕事を持っておられ、これがご自身の栄光となります。しかしこの任務の達成のために働き人を求めていらっしゃいます。すなわちイエスさまの福音を伝える人をです。人々に幸福を運ぶ人をです。もしあなたがこのような務めを喜んで受け入れなさるなら、神さまはあなたを同労者としてあなたがこの地上でみじめな弱々しい生活をすることを許すことはなさいません。このようなことが分かるとき、すなわちこれを大きな信仰を持っていると言います。この大きな信仰によって神さまはあなたの生活の中にも他の人の生活にも奇蹟を起こしてくださいます。他の人に幸福を配る者を主は祝福しないではいられないのです。
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