64.ヤコブ
●聖書箇所[創世記26章34節−35章29節]
天地の造り主であられる神さまは全能の力をもって私たち人間に恵みの歴史を導いておられます。したがって神さまに愛されているあなたはその恩恵を受けなければなりません。体験しなければなりません。
さて今回は、その恵みをただ単に受け取るだけではなく、たっぷり受け取れるための学びをしましょう。神さまによる、偉大なヤコブへの取り扱い(訓練)からいくつかの示唆を得ることができます。
神さまに選ばれたことを知る
ヤコブは強情でずるがしこい男ですが、晩年にはこのように告白しています(創世記48:15、16a)。心境の変化がうかがえますね。
神さまに訓練されるにはまず訓練生として選ばれなければなりません。選ばれるには何かの基準が必要です。たとえば偏差値、点数、身長の高さ、ある派閥に属していること等など。多くは外面的なことが挙げられます。これらが神さまに採用されればきっとヤコブではなく、エサウが選ばれていたことでしょう。彼の方が人あたりが良く、利口で、實大でもありました。
しかし神さまはヤコブを選ばれました(第1コリント1:27、28)。後にヤコブはすばらしい、イスラエル(神の王子)の名で呼ばれますが、以前は虫けらとまで言われています(イザヤ41:14)。人の足下を見る性格だからです。猟から疲労こんぱいして帰って来た兄エサウを見て、風上でしかも目立つ所で煮物をするパフォーマンスをするのです。長子の特権を一杯の煮物と交換させようという魂胆です。長子の特権とは震的及び物質的相続権です。このもくろみは大成功します。どうしてこんな男が生まれたのでしょうか。
もっとひどいこともありました。父親の死の床で自分をエサウであるとだましたのです。この時はお母さんが共犯でした。こんなひどい男!しかし主は選ばれました。神さまはよくご存知でした、やがてはへりくだり、「まるで私は虫けらだ!」と悟る日が来ることを。
私たちも自分の罪深さ、強情さ、そして利己主義を率直に認めるとき、神さまは訓練生として私たちを受け人れてくださいます。即ち信仰をくださいます。罪人を自認する者に神さまの十字架のあがないの恵みとすべての必要な祝福と助けは与えられます。心理学者はこの年になって性格は変わるだろうかなど言います。ヤコブがエサウをだましたのは70才、母親とともに父親をだましたのは80才になってから(147才まで生きた)と思われます。しかし神さまに不可能はありません。間違いを認めるのに遅すぎることはありません。
神さまの鋭い洞察力を信頼する
人生の訓練を有益なものにするには鋭くかつ適切な洞察力が要ります。でも人間には中途半端なものしかありません。特に試練の中にあると被害妄想的になりやすく、判断力も分析力も格段に低下します。このようなとき神さまの知恵に信頼しようとする者は幸せです(ヤコブ3:17)。神さまがあなたとあなたを取り巻く環境や状況を見る位置は高く、その見方は客観的かつ確実です。人は肉体をもって生きています。それはとりもなおさず五感によって生きることです。ところが人生は永遠であるのに、それでは死後の人生を確認することはできません。霊的な五感が必要です。
神さまがヤコブのどこに注目なさったのでしょうか。物質的、世的、肉的なものばかりを追いかけているようでいても実はその生き方の中に目に見えない世界への飢え渇きがあると見られたからです。目に見える世界の向うには目に見えないもっと広い世界があり、目に見える世界はその入口でしかありません。霊的なものに目を向ける者には神さまは見る目をくださいます。
60年や70年の人生で体験することは、氷山の一角でしかありません。真の洞寮力をもって正しい判断が全人生に下せるようにならなけれなりません。どうしたら良いでしょうか。主イエスさまを心にお迎えして、聖霊さまを歓迎いたしましょう。あなたの中になされた聖霊さまによるはじめのわざ−永遠のいのちをいただいたこと−に注目し、感謝しましょう。何が起きてないかでなく、何が起きているかを知りましょう。イエスさまを信じる者には心ず変化が起きます。神さまの愛があなたを内側から変えて行きます。このことを知るときあなたの中に住んでいらっしゃる聖霊さまはあなたの心に語ってくださるし、それとしてあなた自身認識できるのです。これが神さまから与えられる洞察力です。祈り深く、謙虚であってください。あなたにはいつでも神さまの導きがあります。
神さまの忍耐を信じる
ヤコブは陰謀家です。ヤコブとは「押しのける者」という意味です。にもかかわらず神さまに愛されます。人格が変化し、成長するには時間がかかるでしょう。しかし神さまによる聖めのわざ(聖化)は選ばれている者に対して着実に進みます。神さまのお働きに休みはありません。しかもとても忍耐強いものです。人生には節目があります。そのときどきが大きな飛躍のときです。それは試練と呼ばれます。失敗をした、できなかった、悪いことをしてしまった等。落胆、葛藤、自責の時です。これらは神さまがあなたを責めるために与えるのではなく、聖めるためです。あなたを大きく飛躍させるためです。
ヤコブの節目を見てみましょう。
第2は伯父ラバンにだまされる事件です。先に自己正当化と自己義認とにより自ら墓穴を堀り、しかし一旦自我が砕かれたのですが、再び高慢になり、鼻をへし折られるようにしてラバンに何度もだまされます。神さまはヤコブに自分の性格を教えておられます。まるで鏡を見るようにはっきりと彼は自分を見ました。嫌悪感をもよおすような人を神さまはあなたの近くに置いてあなたを訓練なさいます。これは訓練です。ですから後には大きな祝福が与えられました(創世記31:7)。神さまの訓練から逃げたら祝福はありません。
第3は「ペヌエルの危機」と呼ばれています。「押しのける」ヤコブはなおも肉の知恵によつて問題を解決する態度をくずしません。ラバンのもとをようやく離れた彼は好意的に迎えようとするエサウを信じることができず、恐れてさまざまな工作をします。そのような時に忍耐の神さまに会う経験をします。これで3度自我の砕きを経験させられました。
第4は「第2のベテルの危機」と呼ばれます。ヤコブは家に直行せずにシケムに寄り道をしました。そこでは彼の息子たちによる残虐な行為に顔色を変えました。息子たちがしていることの中に自分を見てがくぜんとなりました(創世記34)。この時自我は根本から砕かれ、イスラエルという名が与えられました。ここまで来るのに随分と時間がかかったものです。その間ずうーっと神さまは忍耐してくださいました。
あなたをもヤコブと同じようにして待っていてくださいます。あなたにとって無駄な時はありません。すべてが益となります。神さまの訓練を感謝して受け止め、勝利の人生を歩んで参りましょう。祝福をお祈りいたします。
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