67キリストにある新しく造られた者
●聖書箇所[コリント人への第2の手紙5章17節]今日のみことばは大変有名で、私たちを励ましてくれるものです。その意味はイエスさまを信じる者は、以前とは違う人、すなわち新しい人になったというものです。けれども一方で失望感を持つ方もおられるようです。特に信仰に入りたての方が悩まれるようです。「新しい人とは現実の存在なのだろうか!?」 でもよーく聞いてください。この声はサタンのものです。「『新しい人』なんてウソだよ。本当はそんなもの、ないンだよ!」つい誘惑に乗せられたアダムと同じ轍を踏まないように充分に注意しなければなりません。あなたがイエスさまを主と告白していらっしゃるなら確かに新しく造られた人です。もしこの確信がないと神さまの子ではありながら恵みを充分に受けられないという大変残念なことが起こります。
はじめにあなたが確かにもうすでに新しく造られていることの証拠を3つ上げた後、あなたが新しい人にふさわしい祝福を持って生きるための知恵を学びましょう。
第1に心の中の葛藤。あなたは内側にある汚れに悩んでいますか。偉大な使徒パウロも深く悩んでいます(ローマ7:15−25)。生まれながらの人、古いままの人には「私は新しくされていないのではないだろうか?」という不安や葛藤はありません。新しい心を持った者だけが自己の中にある古い部分(どうか勘違いしないでください。新しくされたとは神さまによる法的な宣言です。分かりやすく言えば無罪の宣告です。これでお分かりでしょう。無罪を宣告されてもまだ刑務所に留まることが利口ではないことが)と葛藤して悩みます。
第2にみことばによる宣言とそれに本来伴っている保証(第1コリント5:17)みことばは神さまの保証書です。認定証です。
第3に自己義認、自己満足、正当化(これらは、たとえば、他の人もしていることだからとか、この程度のことならとか、あの場合は仕方がなかったんだとかという考えです)に自分自身とまどいを覚えること。それは神さまの子としてあなたのうちに聖めが始まったことを教えています。
それでは続けてあなたが新しい人にふさわしい祝福を持って生きるための知恵を学びましょう。
肉の働きを消す[ローマ8:13]
世界や日本の歴史において偉大な指導者の存在を私たちは知ります。彼らは歴史が必要とする人物でありましたが、歴史を導かれる神さまの配慮でもありました。彼らは賜物(神さまからいただいた能力)を使ってなすべきことをしました。世界に歴史があるように私たちにもそれぞれ自分史があります。信仰とは希望のものを手に人れること(ヘブル11:1)であるとするとこの信仰をあなたの自分史の中でどのようにして最大限活かすか、真剣に考えなければなりません。あなたのなすべきことがあります。世界が神さまの働きの場として位置付けられているようにあなたの心と生活という場所に神さまの出番を用意しなければなりません。そのために肉の働きを消さなければなりません。肉の働きとは何でしょうか。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、めいてい、遊興そういった類のものです(ガラテヤ5:19〜21)。どのようにしたら消して行くことができるでしょうか。第1に「私には〜の罪があります」と正直に認めて、告白し、悔い改めましょう。(第1ヨハネ1:9、詩篇51:6、7)。- 第2に神さまによる罪の赦しを信じ受け入れましょう(マタイ9:2、第1ヨハネ1:9、詩篇51:6、7)。
- 第3に現状を感謝しましょう(Iテサロニケ5:18、19)。
十字架と復活のイエスさまを見上げる[ヘブル12:2]
さあ、あなたの中に聖霊さまのいのちが流れ込んで来ています。サタンはあなたの身代わりに流されたイエスさまの血潮によって、もはやあなたを罪ある者として告発することができません。あなたから幸せを奪うことはもはやできません(黙20:10、ローマ8:28〜39)。サタンはちょうど任期切れの議員のようです。「私の任期は永遠だぞ!私にはお前をどのようにも取り扱うことができるぞ!そんなに簡単に新しい人なんかになってたまるか」とうそを言って脅しているだけです。やがてこのうそはすべての人に知られるようになりますが、多くの人には現在はまだ隠されています。しかし信仰によってこのうそを見破ることができます。イエスさまの十字架と復活において、あなたの古い人は死に、新しいあなたが生まれました。イエスさまを見上げ続けることによってあなたは容易にこの真実を確認することができます。
もしイエスさまを見なかったら何を見るでしょうか。「相変わらず汚いじゃあーないか。ちっとも聖くなっていないじゃないか。だったら以前のように、この世で歌って踊って飲んで騒いでいた方がいいじゃないか」と口で告白し少なくとも心の中で思い、その不健全な思いやそれをイメージする自分を見つめることになります。罪人というのは弱いものです。感情は揺れ動きやすく、意見は左右されやすいものです。確かに救われて後も古い部分は残ります。それを見れば「なるほど!」と思うのも無理はないかも知れません。そうしているうちに不信仰は芽生えて来ます。
サタンは一人でも多くの人を地獄へ道連れにしたいと思っています。でもイエスさまを見続ける者は、すでに罪に勝利している自分をイエスさまの中に見るのです。これは未来のもっともっと造り変えられたすばらしいあなたを見ることです。この積極的かつ肯定的な考えと信仰があなたに勝利を約束します。
常に感謝する生活をする[Iテサロニケ5:18、19]
楽しいときだけでなく、辛い時にも感謝しましょう。試練とは勝利者に与えられる特権です。敗北が決定している者には試練も訓練も必要ありません。新しい人、サタンに勝った者にだけ試練は与えられます(ヘブル12:5〜10)。試練はあなたを磨いて天国人にふさわしく整えます。天国での立派な生活を約束します。一般的に私たちの受ける試練は何かの罪から来ています。神さまはあなたの中にある修正すべきものを教えておられます。悔い改めるべきことがあります。心当たりがあるなら決して逃げてはいけません。よく祈り、みことばに励まされて、感謝する心を持ちましょう。感謝する心は信頼する心です。神さまに信頼する者は決して失望させられることはありません(ローマ10:11)。
試練とは霊的なカウンセリングです。神さまは私たちの人数が多いからといって十把一からげにしてお取り扱いなさることはありません。神さまから見て、あなたにはとても高い価値があります。人の親でさえ、「子どもの一人ぐらいいなくなったっていいさ」などとは考えません。まして神さまにおいてそのようなことが!ご自身のひとり子をさえ措しまずに十字架において死に渡されました。御子キリストの血が神さま発行の血判状の上にあります。あなたは神さまに愛されています。神さまの本質は愛と赦しです。神さまへの正しいイメージを特ちましょう。そして試練という名のカウンセリングを感謝をもって受け止めて参りましょう。問題に悩まない人はいません。カウンセリングの全く不必要な人はいません。「私はどんな問題でも自分で解決できます」と言える人はいません。罪人であるということはなんと厄介なことでしょうか。しかし「私には解決できません。どうぞ助けてください!」と神さまに叫ぶ者を主は受け人れて助けてくださいます。御子キリストにあってすべての問題は解決されて行きます。安心して神さまのふところに飛び込んで参りましょう(ローマ8:28〜30)。そうする者のことを「キリストにある新しく造られた者」といいます。
最後にまとめましょう。新しい人とは、第1に聖さを追求し(汚れとの葛藤に悩まない者は高慢です)、第2に積極的かつ肯定的に物事を考え、第3に試練において神さまの愛を知って生きる人のことです。
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