82.幸せ、決定版

●聖書箇所[箴言16章20節、エレミヤ書1章4−10節]

 ある国の王様が占い師に幸せになる方法を聞いたところ彼はこう答えました。「『私は幸せー』と心からそう思っている人の下着をもらったら良いのです」命令を受けた大臣は探しまわりますが、見つからなくてがっかりしながら歩いていると歌を歌っている羊飼いに会いました。ボロをまとってはいましたが、顔は爽快そのものでした。大臣は「あなたは幸せですか?」と聞きますと、「幸せですねー。お天道様は温かく照らしてくれるし、羊はいうことをよく聞いてくれるし、周りは気持ちのいい友人たちばっかりだし、言うことないねえー」と答えました。大臣は早速下着をゆずってもらおうとしましたが、なんと下着を着ていなかったのです。
 ほんとうの幸せは心の中にある、というわけです。箴言16章20節に従えば、幸せになるためにはみことばを心の中に留めることです。
 今回はだれもが求めている幸せがテーマです。題して幸せ決定版。預言者エレミヤに与えられたみことばを通して、なぜみことばを追い求めると幸せになるのかを考えましょう。

あなたの霊の親がだれなのかが分かります[5節]

 親子が何十年ぶりかで再開する番組があります。抱きあって涙を流す場面は感動的です。子どもだけでなく、親だって会いたい。そして会って親子であることを確認して安心します。

 あるイギリス人の未亡人に20年以上も消息の無い息子がいました。かつて彼が18才になった時に親子喧嘩をし、家を飛び出してしまいました。彼はインドで出世して隊長にまでなりました。
 ある日、多くの財産や妻子と共に故郷に凱旋帰国しました。彼らが家の前に来た時、そこには白髪の母親がやつれた様子で他人の服を縫っているのが見えましたが、その時はそのまま通り過ぎてホテルに入りました。
 次の日、彼は母親の家を尋ねました。「どなたをお探しですか?」と全く気付かない母親に、彼はこう言いました。「ウエイさんはいらっしゃいますか」彼女は「私がそうですが・・・」と答えました。「あなたには20年以上も行方不明になっている息子さんはいらっしゃいませんか。私は彼から一通の手紙をあずかっています」母親は驚いた顔をし、彼に椅子に腰掛けるよう勧めました。母親の用意した熱い牛乳に彼が砂糖を入れる様子を見て、母親は涙を流しながら言いました。「あなたを見ていると息子を思い出します。砂糖の入れ方がそっくりです」その時彼は堪えきれずに大きな声を挙げて泣き崩れました。「お母さん、私があなたの息子です」こう言う息子に母親は言いました「私はあなたのことを一日たりとも忘れたことはありませんよ」

 肉の親子にしてこうです、まして・・・。5節をお読みください。胎教ということばがありますが、それはお腹の中で、赤ちゃんが生まれ出て来る前に教育しましょうということなのですが、このみことばはもっとすごい。受胎する前にすでに神さまの心や思いの中にあなたはすでに立派にデザインされ存在しているというのです。そういう霊の親を知らないで生きることが決して幸せでないことは明らかです。みことばがあなたの霊の親がだれであるかを教えます。

生きる意味を教えます[5−8節]

 5節から8節にかけてお読みください。彼は神さまから期待されています。こういうこと(預言者)をしてほしい、だから生を与えたというわけです。実際生きる意味が分からないと人は生きていけません。
 さて、生きる意味がないものを、あるいは存在する意味が分からないものを私たちは何と呼ぶのでしょうか。答えはごみ。「私はごみ」という意識を持った人は(あくまでも自分勝手にそう思っているわけですが)いつも精神が不安定です。したがって人との関係も同様です。
 ノンフィクション作家の久田恵がこう書いています。
 「5年程前の話である。深夜のカラオケスナックで知り合った女友だちが、14才も年下の若者と恋に落ちてしまった。『彼は病弱だから、私がめんどうをみないと生きて行けないの』と青ざめた表情で口走る彼女がぬきさしならない状況にあると感じてはいたが、『彼と駆け落ちしたのよ』と電話をかけて来た時はびっくりした。それにしても、よくもまあ、一流企業に勤める夫や中学生の子供や観葉植物で飾り立てた美しいマンションなどを、病弱な一人の男のために捨てられたなあ、と思った。一時の熱情とはいえ、彼女をそこまで走らせたものはいったい何だったのだろう。数日後、彼女の夫が事情を知りたいと電話をかけてきた。さぞかし、うろたえているに違いないと思って、『大変でしたね』と言ったら、『いや別に。僕の母親を呼んで家のことはやってもらっていますから』と、悲しくなるほど冷静な口調で言った。お金はあるし、夫はうるさいこと言わないし、子供は育っちゃったし、シアワセと言えば、シアワセなんだけど・・・、と言っていた彼女の駆け落ちのわけが分かった気がした。彼女は、自分をかけがえもなく必要としてくれる男が今そこにいる、というたった一つの理由だけでたちまちどんな男とも恋に落ちる状況にあったのだ。私など『働かないで済むなんていいなあ』と結婚している友人をうらやむこともあるけれど、もっとも寂しい心境を生きているのは自分に無関心な夫と暮らしている妻という存在なのかも知れないな、と思った」(読売新聞・「ラブレター『男よ』」より)
 生きる意味、あるいは自分の存在する意味が分からないと確かに人は腰が定まらない。目移りさせてばっかりいます。つまり不幸ですね。進んでいる方向が間違っていると分かっている場合でも方向転換さえできません。エレミヤは預言者として神さまから呼ばれました。あなたも神さまから必要とされています。みことばをあなたが学ぶとき、あなたはそれを理解し、納得し幸せを手にします。

人間関係をよくしてくれます[7−10節]

 エレミヤの場合、人間関係に於てその問題は何だったでしょうか。7節以降をお読みください。答は若さです。人々からそれゆえにあなどられてしまっています。あなたにも人間関係における難しさがあるでしょうか。先輩と後輩、夫婦、親子などの人間関係に葛藤が。ところが不思議なことにみことばがあなたの中にしっかりと根を降ろすと、2つのものがエキスとなってあなたに余裕が生まれ、良い人間関係となって現われます。2つのものとは一つは正義です。正しいことを言わなければ信頼関係は築かれません。でもここで注意したいことがあります。正義だけでは決して良い人間関係には入れません。十字架を見て下さい。日本の棒が交差していますね。もう一つは何でしょうか。次の文章は『7つの習慣』(スティーブン・コヴィー著 キングベアー出版)からの引用です。 何年か前のことになるが・・・ある日、仕事から帰ると、3才になる娘の誕生パーティ−が始まっていた。彼女はリビングルームの一角に座り込み、もらったばかりのプレゼントを抱え、ほかの子供たちにそれを貸すまいとしていた。はじめ私は、娘を取り巻いてそのわがままぶりを見ていたほかの子供たちの親の視線に恥ずかしさを覚えた。当時私は大学で人間関係論を教えていたから、なおさら恥ずかしく思った。親たちが私の対応の仕方に何か期待しているのを痛切に感じた。部屋の中には、一種険悪な雰囲気が漂っていた。子供たちは皆、娘の周りに群がり手を差し出しては、プレゼントのおもちゃで遊ばせてほしいと頼んでいた。しかし、娘は頑固にもそれを拒否し続けた。私は、自分に言い聞かせたー「分かち合う」ということを娘に教えるべきだ。「分かち合う」ことは社会の基本で、大切なことだから−。単純に頼んでみることから始めた。
 「おもちゃを貸してあげてくれないかなあ」
 「いや」
 きっぱりと断られた。次に、理屈で訴えてみることにした。
 「君がおもちゃを貸してあげれば、今度よその家に行ったときに、おもちゃを貨してもらえるよ」
 「いや」
 またしても即座に答が返ってきた。娘を全くコントロールできない姿を晒し、私は恥ずかしくてたまらなかった。今度は買収にかかった。小声で、
 「おもちゃを貸してあげたら、いいものをあげるから。ガムがあるぞ」
 「ガムなんかいらない」と娘は叫んだ。
  もう、どうすればいいのか分からなかった。最後の策として脅迫した。
 「貸してあげなければ、おしおきだぞ」
 「いいもん。これ、あたしのだもん。貸してなんかあげないもん」
 そう言うと、娘は泣き出した。
 最後は実力行使である。娘の持っているおもちゃを力づくで取り上げ、ほかの子供たちに渡した。
 「さあ、これで遊んでいいよ」
 娘には、人に貸し与えるという経験の前に、所有するという経験が必要だったのだと思う(そもそも所有していないものを、どうして人に与えることができるだろうか)。
 こうして最後に彼はこう結んでいます。
 父親として、娘にそうした経験をさせてやるためには、自分の側にもっと高い精神的な成熟が必要だった。

 そうした経験とはもちろんおもちゃをたくさん与えてやれば、と言ったようなものでありません。それは愛をあげること。これが2つめの答です。神さまははるかに高い精神的な成熟を持つ方として、あなたがみことばを本気で受け取ることを通してあなたの中に愛を持たせようとしていらっしゃいます。そうです。みことばをしっかりと信じる者には愛がドーンと与えられます。この余裕があなたのことばを麗しいものにします。そして人間関係を良好にしてくれますし、人間関係が良好な人は幸せです。

 ルイ・ブライユ(1809-52)は3才の時に視力を失いましたが、15才の時に点字を発明しました。彼はどんな時にも明るくほがらかでした。臨終のことばはこう伝えられています。「神さま、永遠に輝く希望を私の目に見せてくださったことを感謝します」
 彼は点字により自らみことばに親しみ楽しむだけでなく、多くの人にみことばを通して幸せを与えました。あなたの中にみことばを貯えてください。


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