83.ノア物語の真相
●聖書箇所[創世記1、6−17章]
今回はあの有名なノア物語の真相に迫りましょう。あまりにも乱れてしまった人間社会を神さまが大洪水によって滅ぼされた、けれども信仰篤い義人ノア(妻と息子夫婦も、計8人)は助かったという、例の話です。
義人と聞くとよほど立派な人と思い、私には関係ないやとお思いでしょうか。ちょっと挑戦的にどの程度に立派な人なのか調査して見ましょう。名づけてノア物語の真相。
さて真相に迫りますが、これからのお話を解く鍵語を差し上げます。それは「回復」です。何があなたには回復されるのでしょうかというアプローチで話を進めましょう。
信仰
6章9節をご覧ください。物語が展開される前にノアが救われるべく選ばれた理由は「正しい人」で「全き人」であったと述べられています。
ところで修飾句は「その時代(あるいは世代)にあって」ですが、「時代(あるいは世代)」は複数です。ということは他の時代においても果たして「正しい人」で「全き人」、すなわち義人として通用しているのだろうかという疑問は避けられないでしょう。すると当然義人の代表選手アブラハムに登場してもらわなければなりません。
17章1節をご覧ください。彼は「全き者」と言われます。ノアの「全き人」と同じ語「タミーム」です。違いは「神の前に」か「神とともに」歩んだかです。こんな小さなこと、とお思いになるでしょうか。でも聖書のことばはすべて霊感を受けているのです。
ヘブル語の聖書学者たちの間では「神の前に」(アブラハム)の方が「神とともに」(ノア)よりも上位にあると考えられています。まだ私の子どもたちが幼かったころ1人しか通れない場所を通らねばならなかった時のことを思い出します。小さい娘を腕に抱き(ともに)、年長の息子を先に(前に)行かせたことを。
さらに7章7節をご覧ください。「雨が降って来た(必ずしも大洪水を予期させない段階)ので」ではなく、「大洪水の大水を避け(ざるを得ない段階)るために」箱船に入ったことが分かります。なぜなのでしょう。もしかすると彼はほんとうに大洪水になるとは信じてはいなかったのではないでしょうか。もちろん神さまに言われたので、木を切り倒し、鋸を引き、箱船を組み立てはしてはいました。でも信じきってはいなかった。もしこれが真相であるならば大洪水になることが決定的になるまで腰を上げなかったのは当然でしょう。
ノアに関して、6章9節(「正しい人」で「全き人」)と7章1節(「正しい人」)とを比較しましょう。前者は第3者の前における褒め言葉、でも神さまはノアに対して面と向かってはその半分です。つまりこういうことではないでしょうか。ノアはあるときは信じたけれども、信じないときもあった。全面的に信じたとは自分自身思っていたけれども実は一部分信じていない部分もあった。なんと彼は普通の人なのではないでしょうか。でも彼は義人と呼ばれます。なぜなら最後は神さまに信頼したから。
あなたもきっとノア、です。あるときあなたに信仰は与えられ、信じることが不十分である時もありつつ、神さまに顧みられるのです。あなたは神さまに愛されているからです。
良いことをイメージする力
6章11節をご覧ください。5節と内容的には同じことを言っていますので、何か相違点があるか注目してみましょう。ただ単に「堕落」ではなく、「神の前に」と付加されています。これには3つの意味が考えられます。
- 人々の目の前で公然と
- 人々の目には隠されていたが、神の目には知られていた。
- 人々は罪とは認識していなかったが、神の目には罪であった
たぶん3つすべてが含まれた「神の前に」でしょう。この節を13節と比較して見ましょう。「堕落」と「暴虐」は現状を分析した結果に対する報告であり表現です。聖書の教える堕落は性的な不道徳(6:12)と偶像礼拝(申命記4:16、9:12)と社会的な不正(詩篇14:1-3)です。堕落が社会一般に拡大すれば暴虐です。そしてこの暴虐が人間を滅ぼすための判決理由です。もう少し具体的に調べましょう。1章28ー30節をご覧ください。菜食主義が言われています。ところがノアの洪水のあとでは変更がなされています。
9章1−3節をご覧ください。肉を食べて良いのです。肉が好きな方、安心されましたか。でも続けて読んでください。サラダも食べなければいけませんね。
普通に考えればある規則が制定される場合には先行する一定の条件あるいは状況が必要です。ということは人々は菜食を守っていなかったのです。それどころかむやみやたらに動物をおもしろがってしかも残虐に殺していたのです。ですから肉を食べても良いというのは神さまによる譲歩なのです。それにしても人間の堕落には歯止めがありません。悪いことばかり考えます。
8章21節をご覧ください。「思い計る」とはイエツェル、イメージする力を含んだことばです。ですが本来は神さまからいただいた能力なのですから、良いことを人はイメージできたはずですし、できるはずです。(私の想像ですが、フロイトは生の欲求と死の欲求という2つの本能を人は持っていると言い、精神分析の創始者になりましたが、この部分からからアイディアを得たのではないでしょうか。彼はユダヤ人なのですから)。これを神さまはあなたに回復してくださいます。十字架はあなたの中の悪いイメージをお払い箱にし、おかげであなたは明るい夢を描き、希望を話し、目標を掲げることができるようになります。十字架はまさにウルトラC、いやFなのです。
神の似姿
1章26、27節をご覧ください(エペソ人への手紙4章24節とコロサイ人への手紙3章10節も)。神さまは、あなたが正しいことと愛すべきこととを好み、優れた人格を持った者として生きられるようにしてくださいます。すなわち「神の似姿」を持った者として。
さて、ノアは大洪水のあと、何をしているでしょうか。9章20節をご覧下さい。まず確認したいことがあります。彼は現代の私たちのすべての祖先です(9:19)。
さて、この立派な人はまずぶどうの栽培を始めています。英雄になったとは書かれていません。比較をしてみたいのですが、聖書物語の舞台である古代メソポタミヤ地方にはいくつもの洪水伝説があります。『アトラハシス物語』、『ギルガメシュ叙事詩』などが有名です。聖書のノア物語のオリジナル版ではないかとよく言われます。書かれた年代がより古いからです。
ところで話の内容が互いに似ていても、決定的な違いがあります。前者では主人公が洪水後に神の地位に着くのですが、ノアの場合はそうではありません。人間はあくまでも人間です。ですから、と言いましょうか。ノアの人間らしさが読者には目に焼き付いて離れません。彼は人類史上初の酔っ払いになりました。9章20節で確認してください。ユダヤの伝説では酒が人間をどのように変えるかを次のような話で警告しています。
サタン「何をしている?」
ノア「ぶどうを植えている」
サタン「酒にはどんな性質があるのか?」
ノア「そのままでも干しても甘くおいしいし、酒(ワイン)も作れる」
サタン「じゃあー手伝いますよ」
サタンはこの後何をしたでしょうか。ぶどうの木の下で雌羊、続けてライオン、さらには猿と豚を殺し、ぶどう園に彼らの地を振り掛けました。何を意味しているのでしょうか。人が酒を1杯飲むと雌羊のように穏やかになる。2杯飲むとライオンのように猛々しくなり、大口を叩く。3杯飲むと猿のように踊りだし、4杯飲むと豚のように汚濁の中を転げ回る。
神さまはノアと新しい契約を交わされました。9章9−16節までをお読み下さい。「肉なるもの」を滅ぼさない。とおっしゃっています。「肉」とは痛みの分かるものです。この語から神さまの心の痛みを私たちは知る事ができます。神さまご自身の心の痛みと私たち人間の心の痛み。虹は弓の意味も持つ語です。虹を思い浮かべて下さい。もはや弓は人間に向けられていないばかりか、矢がないのです。
どうか覚えてください。神さまの思いは人間を滅ぼすことにあるのではなく、和解であり、本来の「神の似姿」(創世記1:26、27)を回復することにあります。私たち人間は神になってはいけません。偉くなってしまってはいけません。神さまの前にへりくだり、いただいたはずの本来の「神の似姿」を回復すべく信仰を働かせて行かなければなりません。愛と思いやりとを持った者へと自らを前進させて行かなければなりません。
ノア物語の真相とは
さてまとめなければなりません。神さまは全能ですから「ノアよ、助かれ!」という一言で助けることは可能であったはずです。でも箱船をわざわざ作らせていらっしゃいます。これは時間的な猶予を与えるという神さまの思いやりであり、私たち人間に与えられたチャンスです。悔い改めが求められています。これを理解しなかった人々は相変わらず神さまと戦い続け、ついに大洪水で滅んでしまいました。7章13節をご覧ください。「ちょうどその同じ日に」とはどういう意味でしょうか。それは「あなたが理解した時」を意味しています。そしてそのとき、あなたはノア(ヘブル語でノアッハ、すなわち休息、休みの意味)となるのです。
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