98.見つけますよ!元気印のあなたを

聖書箇所 [ローマ人への手紙8章31−39節]

 米国ニュージャージー州ではテレビでタックス・アムネスティ(税金恩赦)というキャンペーンを張りました。軽快な音楽が流れる中、人込みが画面いっぱいに映し出され、ナレーターがこう言うのです。「あなたは納めるべき税金をまだ払っていないのではありませんか。今がチャンス!今なら利息免除!逮捕もしません!」。そして最後に「必ずあなたを見つけますよ」。なかなか頭のいい、センスのいいやり方ですね。
 今回は税金を払っていないあなたではなく、本来の元気なあなたを見つけますよ、というものです。

自分の存在に焦点をあててください

 あなたはまずあなたの存在自体の大きさあるいは重みについて真剣に考えなければなりません。なぜそのように言うのかといいますと、この私たちの住んでいる世界では働きやスピードや効率ばかりに焦点が当たられているからです。どのくらい速くことを成し遂げたかとか、どのくらい立派な(何が立派であるのかをだれが判断するのかという大きな問題も含んでいるでしょう)仕事を成し遂げたかとかに評価の目を向ける傾向が強いからです。
 あなたが「御子(イエス・キリスト)」(32)を(心の中に)いただいたのは、そして「神に選ばれた」(33)のは、あなたに立派な行為があったからという理由ではありません(もちろん他の人にも同じことが言えます)。ただ神さまはご自分の子どもとしてあなたを、存在しているあなたを愛しておられるからです。あなたの存在自体が神さまにはいとおしいのです。
 このことを日常生活の中で経験できるはずです。家族を考えてみましょうか。夫が帰ってくる。ほっとする瞬間ですね、そして子どもが。帰宅した立場からは、そこに妻と母親がいるのです。いる、ということに非常に大きな意味があります。もしあなたがあなたの存在、そしてまもなく他者の存在に焦点を当てて日常を過ごす習慣を持たれるなら、あなたは元気を取り戻すことができます。というのはあなたの心があなたの環境を結局は作るからです。

 作家のヴァーノン・ハワードはその著書の中で小さなノートに美しいことば−−愛、喜び、清らかなどなど・・・(ガラテヤ人への手紙5章22、23節の「聖霊の実」やピリピ人への手紙4章8節などに取り上げられた「数々の良いこと」を思い出させてくれますね)−−をたくさん書きためている人について触れています。そしてこう言うのです。

 「バラ色のことばだけを使って世界を眺めて来たらバラ色になった」

 あなたもいかがですか。美しい、あなたを明るくするようなことばを多く使ってみませんか。幸せ、嬉しい、暖かいなどなど。きっと次のことばを使うよりも元気になること請け合いです。不幸、悲しい、つまらない、陰気などなど。さあ、言ってみましょう。「私は今ここに存在している。これ自身が価値あることであり、神さまが大変喜んで下さっていることだ」。

 ロジャー・フォン・イークは創造性研究のパイオニアとして知られていますが、「頭脳のチャンネルを合わせる」という言い回しで次のように主張しています。

 「まわりを見まわして、青い色のついているものを5つ見つけよう。実際に試みていただきたい。「青」を意識していると、青がすぐさま目に飛び込んでくるだろう。机のうえの青い本、ソファのうえの青いクッション、壁の絵の中の「青」。
 同様に新しい言葉を覚えれば、一両日中に6回はその言葉を耳にするだろう。同じように新しい自動車を買うと、すぐに同型の車をあらゆるところで見かけることもおそらくご承知だろう・・・。なぜかと言えば、人は自分の捜しているものを見つけるからである。陰謀を捜せば、陰謀を見破るだろう。善行の例を捜せば、やはりそれを見いだすだろう。全ては頭脳のチャンネルの合わせ方次第である」(『眠れる心を一蹴り』新潮社、浅沼昭子訳、1988年)

 あなたを取り囲んでいる「患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣」(35)を吹き飛ばすことができるのはあなたです。これらに焦点を当てずに、「私は今ここに存在している。これ自身が価値あることであり、神さまが大変喜んで下さっていることだ」と言うあなたです。

あなたの感情を豊かに表現してください

 あなたはきれいなものを見たときに「きれい!」って率直に口にできますか。悲しいことがあったときに、素直に涙を流すことができますか。そうできる人はたとえいっとき元気がなくなってもすぐに元気を取り戻すことができます。
 母親を亡くした女性がいました。彼女はそのときから鬱病になってしまいました。クリスチャンは泣いてはいけない、そう思っていましたから。
 感情を正直に表わすことができない人の心は傷ついています。何か心の中に固いかたまりがあります。それを溶かすのが正直な感情を吐き出す行為です。学者の研究によると涙の中には有毒物質が含まれているそうです。ならば余計がまんしてはいけないと言えるでしょう。
 パウロは感情がとても豊かな人です。今回の聖書箇所を文章で読めば冷静に見えますが、もしこの部分を声優さんなどに情感豊かに表現してもらったら非常に迫力のあるものになったでしょう。悲しみは半分に、喜びは倍になるのが感情を吐き出すことの恵みです。私たちは人として互いに分かち合うべきではないでしょうか。周囲を見渡して「私を訴えたり、さばくものばかり!」と憤らないで。どうか覚えてください。神さまの世界に「絶望」の2文字はありません。パウロの情熱あふれるせりふを味わってください。感情を豊かに表現したあなたは上からイエス・キリストから癒しをいただくことができます。癒されたあなたはさらに自由に感情を表に出すことができるのです。こうしてあなたは元気を取り戻します。

形勢の逆転に期待してください

 私たちは失敗を恐れます。失敗そのものも好まれない性質のものではありますが、そのあとに襲って来る自己嫌悪感がかなりきついと言うのが正直なところではないでしょうか。
 でも失敗を恐れる必要はありません。失敗には理由があります。それは高慢。高慢なときに神さまがあなたを叩きます。これが試練であり、新たに困難がやって来る理由の一つです。あなたはここで悔い改めます。あなたは成功へのきっかけを掴みます。
 聖書は偉人伝ではないことを知ってください。私は子どものころ偉人伝を読み、強い劣等感に悩まされました。偉人は例外なく早起きであり、「あーあこれで私には偉人になる資格がない!」と思いました。また偉人は子どもの時代からすでに偉人であることにも気がつきました。私はやがてそのトリックが分かりました。前者は、昔は電気がなかったのであり、後者は失敗の事実を記述していなかったのです。翻って聖書はこのような不親切な記述はしていません。正直に信仰の英雄たちの失敗を書いています。
 ダビデについて考えて見ましょう。彼は8人兄弟の末っ子。お兄さんたちが目立つ割には彼はじみでした。でも神さまは彼を引き上げて、王として立ててくださいました。また彼の出身はイスラエル人の中では最も弱小のベニヤミンでした。でも神さまは彼を見ておられました。でも彼も人間、高慢になるときがやって来ました。そうです、バテシバ事件。彼は真剣に悔い改め、神さまはそれを受け入れてくださいました。今も多くの人に尊敬され愛されているのにはこのような理由があるのです。このようなことをローマ人への手紙の著者であるパウロはよーく知っていたでしょう。彼はイエス・キリストの12弟子には入れてもらえませんでした。自分を「月足らず」と呼んでいます。でも13番目の弟子として12弟子を凌駕する働きを残しました。彼はバルナバとマルコのことで大けんかをしました(使徒15:36-41)。
 信仰の勇者は失敗の勇者、遅れてきた勇者でもあったのです。これは神さまのやり方でした。もしこのことを理解なさるならあなたは元気を取り戻すことができるでしょう。

自分らしさを愛する

 人と人がいるとそこには緊張感があります。まして目の前にいる人が立派な人であったなら余計圧力を感じるものです。パウロは自分の道を進む達人です。
 ところで立派な人があなたにこう言う時、あなたは強い圧力を感じないではいられないでしょう。「私のようになりなさいよ!」と。さあ、あなたはどう応答したらいいのでしょうか。こう提案しておきましょう。「私はあなたのようにはなりません!」
 でもこのように答えるには理由が必要ですね。その理由は「私はあなたではないから」。いかがでしょうか。賛成していただけるでしょうか。神さまはあなたをオリジナルな存在として生まれてくるようにしてくださいました。決してコピーではありません。コピーは決してオリジナルを超えることはできません。コピーである限り決してオリジナルに劣等感を持たないではいられません。あなたはオリジナルな存在として生きて行くべきです。あなたは「私は私らしく生きます」と言ってください。
 でもただそのせりふであったなら、あなたは単なるわがままを言っているのであり、エゴイズムを発揮しているに過ぎないのかもしれません。パウロにもその可能性は常にありました。これを克服する方法はたった一つ。愛とやさしさがあなたの目に輝いていることです。イエス・キリストからあなたはこのような愛をやさしさをいただくことができます。わがままとエゴイズムでは真の元気は回復できません。あなたがイエス・キリストによって聖められるときあなたは真の元気を回復します。


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