キリスト教入門講座・全16課
第7課 幸福(救い)への道


 「あなたは幸福になりたいですか」と問われれば、ほとんどの人が「はい」と答えるでしょう。私たちの、幸福 への思いはとても強いものです。この課では幸福とは何 か、またどのようにしたら得られるか学んでまいりましょう。

幸福の第一の条件は、愛があることです。

 「親切であわれみ深い人は幸福です」(マタイ5:7リビングバイブル)。
人の心から愛が消えたら社会はどのようになるでしょうか。愛の代わりに何かが入ってくるに違いありません。それは憎しみです。先生と生徒、夫と妻、親と子が憎み合う。なんとつらく悲しいことでしょう。あなたのご主人やお父さんが、「お前には食べさせてやっているんだ」という態度、子どもさんが「しかたない。学校に行ってやるんだ」という態度であったらどうでしょうか。愛のないところには幸福はありません。

第二の条件は、正しさがあることです。

「どこまでも正しく生きることが幸福の鍵です。」(箴言10:2リビングバイブル)。不正は良心を痛ませます。悪い思いや行動に対しては、まず心の中で黄信号や赤信号が点滅します。つまり罪責感が心の中から平安を追い出すこととなります。
 五十歳過ぎの立派な紳士が牧師先生に相談に来られました。「妻が入院したので、一生懸命に看病しましたが、やがて疲れてきました。悪いことに美人の看護婦さんがしょっちゅう誘惑してきました。とうとう自制できずに妻が亡くなるその時に関係を持ってしまいました。」一時の快楽と引きかえに激しい罪責感に苦しんでいたのでした。もし不正な生活をしているなら、人は幸福にはなれません。

第三の条件は、心の中に平和があることです。

「平和をつくり出そうとしている人は幸福です」(マタイ5:9リビングバイブル)。人々の心からは平和が失われています。その理由を三つあげることができるでしょう。第1に優越感と劣等感の争いです。両者は一つのことの裏表でしかありません。劣等感の強い人は優越感を強く持つものです。人と比較して、自分をさばくので平和がなく、返す刀で他の人を激しくさばきます。そして自分の運命に悲観しています。
  • 第2に精神的飢餓です。日本は物質的には大変恵まれていますが、多くの人の心は空虚です。生きる意味や使命、目的を持っていないからです。そのために病気になる人さえ出てきています。
  • 第3に人の意見に左右されるばかりいることです。人間関係なくして生きることができないのが私たちですが、かといって会う人ごとに意見を変えてはいられません。自分を失うことになるからです。
  • 第4に病気その他の悪い環境です。環境から悪い影響を受けてしまう弱さを私たちは持っていますが、その原因を作った人や目に見えない働きを憎んだりしていると幸福は遠くへ逃げ去ってしまいます。

第四の条件は、喜びがあることです。

「救い主である神様を、心から喜びます。・・・これから永遠に、どの時代の人々も、私を、神様に祝福された者と呼ぶでしょう」(ルカ1:47〜48リビングバイブル)。
 ほんとうの喜びは一時的なものでなく、永遠に続くものでなければなりません。繁栄をきわめたタビデ王は、王の特権を乱用して水浴している美しい人妻バテ・シェバを奪いました。そればかりではありません。邪魔になった夫ウリヤを戦争の最前線に出して死なせてしまいます。しかし、まもなくダビデ王はこの喜びが一時の泡のようなものであることを知ります。罪の意識が喜びを駆逐していくのです。永遠に続く喜びを持つことは幸福の条件です。
 さて聖書では、幸福を救いということばで表しています。ですから私たちは「どうしたらこの私は救われますか」と神さまに問わなければならないのです。

救われるためには−−−

第一に、真の幸福、救いへの飢え渇きを持ちましょう。

 あなたは愛の中で、愛に満たされて生きていらっしゃいますか。正しい生活をしていらっしゃいますか。劣等感、不安、葛藤によって自分と自分、自分と他の人との間にさばき合いや憎み合いがありませんか。心の底から、魂を満足させ、納得させるほどの深い頑丈な喜びが生まれているでしょうか。もし、胸に手を当て正直に考えてみて、疑問に思われるなら、遅くはありません。今求めてまいりましょう。
 生まれながらのすべての人は、幸福であるべき真実の自分を見失っており、これを聖書は次のように表現しています。「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」(イザヤ53:6)。今こそ神さまの願いを知るべき時です。それは「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして」(ピリピ3:14)生きることです。そして「人の子(キリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです」(ルカ19:10)。まことの神さまはキリストを通してあなたに幸福を与えようとしていらっしやいます。

第二に、罪を悔い改めましょう。

 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)。悔い改めとは何でしょうか。それは考え方を変えることです。神はいない、という考え方をやめて、神はいると考えることです。生まれながらの人は、愛の神さまなんているもんか、いつまでも変わらない愛で愛してくれるなんて信じられるか、といった前提で生きています。ところがもともと人の不幸というものは最初の人アダムとエバが、神など要りません、私たちの力だけで生きます、と言ったことから始まりました。
 ほんとうはどの人も、父なる神さまに造られた神さまの子なのです。神さまの援助を拒むのは得策ではありません。今こそ、心の中にまことの神さまのいのちを生き返らせましょう。実は私たちのだれもが真のいのちを捜し求めていたのです。でも隠れていて見えません。いったいどこにあるのでしょうか。「あなたがたの真のいのちは、キリスト様と共に天の神様のもとにあるのです」(コロサイ3:3リビングバイブル)。
 さあ、いのちを復活させましょう。天地の造り主、ただひとりの愛の神さまがいらっしゃることを認めなかったことと、今までのあらゆる罪を悔い改めましょう。「神は、高ぶる者を退け、へり下る者に恵みをお授けになる」(ヤコブ4:6)。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。……心を清くしなさい」〈ヤコブ4:8)。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(第1ヨハネ1:9)。あなたが罪を告白なさるなら、あなたを愛してくださる神さまはそれを即座に赦し、あなたを受け入れてくださいます。

第三に、イエスさまを救い主と信じましょう。

 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)。イエスさまはあなたのすべての罪を背負い、身代わりに十字架で罰を受け、罪から来るすべての罰や呪いや不幸を滅ぼして三日目によみがえってくださいました。これを福音と言います。すなわち、十字架と復活の福音です。福音とは良い便りのことです。イエス・キリストはあなたに良い便りを持って来てくださったのです。信頼してすなおな心で今受け取りましょう。信仰とは信頼することなのです。「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる……。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:9ー10)。今、「小さな勇気を出して次のお祈りを、声に出して、してみましょう。すぐに救われ、幸福への道を踏み出すことができます。「父なる神さま。今まであなたを知らないでいたことを赦してください。人に対して犯した数多くの罪を赦してください。イエスさまが私の罪を背負って十字架に死なれ、死を滅ぼして三日目によみがえったことを信じます。イエスさまは今私の救い主になりました。私は神さまの子になりました。主イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン。」

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