キリスト教入門講座・全16課
第9課 聖霊


 もう少し自制できればこんなことにはならなかった。こんな体験をお持ちではないでしょうか。肝心なときに力不足。これは人間の宿命なのでしょうか。パウロは正直に心の中を言っています。
「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。……私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」 (ローマ7:15,24)。
 たった1つだけ希望があります。それは聖霊の神さま(三位一体の第三位格)から来るものです。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます」 (使徒1:8)。
 この方は文字通り、助け主と呼ばれ、主イエスさまから送られる、主イエスさまの分身です。この方はいつまでも、信じる私たちの中に住み(これを内住と言います)、ともに歩み、不可能を可能にしてくださいます。この課では聖霊さまの恵みについて学びましょう。

第1に、正義を行う力を与えます。

 「いのちの御霊(聖霊さまのこと)の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放した・・・それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです」 (ローマ8:2、4)。
 肉に従って歩むとは、生まれながらの生き方を指しています。努力は大変すばらしいものですが、それでも神さまの律法(人のあるべき姿やとるべき行動の基準)を決して満足させることはできません。というのは律法は、ことばや行いという表にあらわれたものだけでなく、心の中にも適用されるからです。しかし聖霊さまは、罪に満ちたこの世の誘惑に負けないで純粋に正しく生きようとする私たちに、必要な力を与えてくださいます。

第二に、正しく決断できる力を与えます。

「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます」 (ヨハネ16:13)。
 私たちは常に決断を求められています。特に大切なことには間違いが許されません。造り主の神さまは私たちにいろいろな能力、たとえば五感を与え、また理性などを下さいましたが、神さまから離れることによって欠陥が生じました。そればかりでなく、正しい知識、情報の絶対量が不足することとなりました。そこで、聖霊さまはいつでもどこでも使えるようにと、聖書記者を40人ほどお選びになって聖書を書かせられました。
 もしあなたが聖霊さまに導かれて聖書を読むなら、人生をいつまでも正しくかつ幸福に導くことができます。

第三に、あなたの中にある可能性を引き出します。

 「それぞれが賜物を受けているのですから、……神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです」 (第1ペテロ4:10−11)。
 賜物とは別名タラントとも言い、能力のことです。神さまはすべての人に何かの賜物を与えておられ、神さまの助けによってのみ、正しくかつ大きく使うことができます。私たちは能力を開発すべきです。あなたの中に住まわれる聖霊さまこそ、あなたを高めてすばらしい人生に導いてくださいます。

第四に、あなたの人格を高めます。

 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」 (ガラテヤ5:22−23)。
 聖霊さまはまことの神さまとして、すばらしい人格(神格と言った方が正しいでしょうが)を持っておられます。「朱に交われば赤くなる」のことわざどおり、人は交わる友によっていかようにも変わるものです。もし聖霊さまと交わるなら、あなたのうちにある古い性質は排除されていき、実際に聖くなるのです。

第五に、人と建設的に交わることのできる力を与えます。

 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」 (ピリピ2:3−4)。
 いかに物質的に豊かであっても幸福とは限りません。幸福とは心の問題だからです。その心が楽しく、健全であろうとするなら、まず人間関係を健全にしなければなりません。
 さて夫婦、親子、兄弟姉妹、嫁姑、友人同士、上司部下など、いかがでしょうか。争いはないでしょうか。憎み合ってはいないでしょうか。もしあるとすれば、もちろん望ましいことではありせん。争いはよくありませんし、赦し合うことこそ美しいことです。
 でもただひとつのことがわかりません。どうしたらほんとうの平和が得られるのか。「平和」を叫ぶ団体に聞いても教えてはくれません。近くにいる者同士互いに争いつつ、遠くにいる人々に「平和!平和!」と呼びかけるだけですから。では私たちにはもはや希望はないのでしょうか。いいえ決してそんなことはありません。平和そのものである聖霊さまがいらっしゃいます。

第六に、祈りの力を与えます。

 「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」 (マルコ11:24)。
 祈りの力は問題を解決する力です。イエス・キリストは十字架で死なれましたが、私たちの受けるべき罰や呪いを代わりにお受けになるためでした。まことのただひとりの神さまは、すべての不幸な人をあわれんで、この十字架から、罰のない呪いのない人生を与えようとしていらっしゃいます。そしてこれを受け取るためにはたった一つの方法があるだけです。それが祈りです。祈りとは、イエスさまのあがないによって初めて許された、神さまとの交わりですが、真に力があり、生きたものとなるためには聖霊さまの介入が必要です。つまり聖霊さまによって私たちの願いは届けられ、恵みは降りて来ます。

 では以上述べた聖霊さまのお働きはどのようにしたら受け取っていくことができるでしょうか。

第一に、イエスさまを心に受け入れましょう。

 「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません」 (第1コリント12:3)。
 イエスさまを個人的に救い主として受け入れましょう。そうすればあなたの中に聖霊さまが住んでくださいます。それは、イエスさまが十字架に死なれたのち、三日目によみがえられたように、あなたも罪に汚染された古い人が死んで新しい人によみがえることなのです。

第二に、感謝と悔い改めの祈りをしましょう。

 「すべてのことはあなたがたのため……感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われる」 (第1コリント4:15)。
 今までに受けた恵みの数々を一つ一つ口に出して感謝しましょう。神さまは、あなたが神さまを知るようになる、はるか以前からあなたを知り、恵みを下さっている方です。そのこと一つ一つを覚えて感謝するなら、神さまの愛であなたの心は明るく、気持ちは楽しくなり、喜びに満たされます。
 「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに」 (詩篇139:13−16)。
悔い改めも同様に、一つ一つの罪を具体的に告白することによって、しましょう。直ちに聖められます。「風(聖霊さまのこと)はその思いのままに吹き」 (ヨハネ3:8)。感謝と悔い改めとはあなたの心を肯定的、かつ積極的にします。このような人を聖霊さまは特に好いてくださいます。

第三に、聖霊さまを歓迎し、聖霊さまに祈り、力をいただいたことを信じましょう。

 熱心に、心を込めて、長く、夢を持って祈りましょう。
 「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11:13)。
 聖霊さまの内住だけでなく、充満(聖霊充満)したら私たちは真の力を体験します。やってみてください。


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