モラルハラスメントについて考えるとき
提案したいこと




「モラルハラスメント」という言葉がずいぶん知られてきました。
それとともに、「自分が嫌だと思ったら、それはモラルハラスメントだ」
という主張もよく聞くようになりました。

確かに、された本人の感覚は大切にしたいと思います。
しかし、嫌だと思えばすぐにモラルハラスメントだとしてしまうのは、
早すぎるのではないでしょうか。

モラルハラスメントだと思っても、別のことが起きていることもあります。
また、暴力ではない可能性もあります。

モラルハラスメントとは言えないからといって、
問題がないとは言えません。
ただ、その場合はモラルハラスメントというくくりとは別の方向から
考えていく必要があるでしょう。

ぜひ、「嫌だからモラルハラスメント」と
簡単に結論づけてしまわないでください。


      


モラルハラスメントの加害者のことを、
「人格障害」や何らかの障がい、症候群など、
診断名のようなものとともに語られることがあります。

そのような障がいや症候群などの診断名をつけられた人のすべてが、
モラルハラスメントをするわけではありません。
ですから、その特徴だけで加害者だと決めてしまうのは
早すぎると思います。

ただ、確かにそれらの障がいなどがある場合、
モラルハラスメントをしやすいのかもしれないと思います。

ですが、たとえそうだとしても、
その人が持つ障がいや症候群などの特徴は
モラルハラスメントが起きる背景や要因の1つであり、
ただ1つの原因というわけではないのではないでしょうか。

そのようなとき、その人の特徴そのものを
モラルハラスメントの原因だととらえてしまうと、
モラルハラスメント自体ではなく、
その人の特徴に視線が向いてしまいます。

わたしたちがモラルハラスメントについて考えるときに必要なのは、
障がいや症候群の特徴ではなく、
モラルハラスメントという暴力行為自体についての
考察なのではないでしょうか。

加害者の障がいや症候群など、何らかの診断名や、
性格的な特徴などを考えていくと、
モラルハラスメントという暴力の「支配コントロール」という本質を
忘れて話が展開してしまうように思います。

ですから、モラルハラスメントを考えるとき、
その暴力行為自体を、そして、支配コントロールという構造を
ぜひ押さえながら考えていってください。

また、診断名というものは、
その人を責めたり排除したりするためではなく、
その人のためになるように使ってほしいと考えています。
ぜひ皆さんにも、そのようにとらえていてほしいと願っています。

(2010年3月)