だれのために、ナンのために自分は診療するのだろう?
ときどきそういう問いが心に浮かんでくる。そのたびに考えてみる。
だが答えはいつも同じである。「自分のために診療する」である。
もう少しいえば、「自分を肥やすために診療する」ということである。
「患者さんのために良い診療を・・・・」という気持ちはもちろん、ないわけではない。
それがないと言ったらうそになるであろう。
だが、それは意識の裏においているものである。これを表におくほど私は思い上がってはいない。
もしこれを第一の目標に考えていたら診療なんて仕事は、とうてい長く続けられるものではない。
生身の人間を相手にしている診療は、いつも良い結果が出るわけではない。
むしろ、がんばっても良い結果が出ない事がほとんどである。
がんばって治療してきたのに、目の前で患者さんが亡くなっていくときは、「こんな辛い仕事はもうごめんだ」といつも思っている。しかし、しばらくすると、ノドもと過ぎればなんとやらで、また性こりもなく次の診療をしている。自分の無力さを痛感して、もう嫌だ、もうごめんだと思いつつ、なぜ、「また自分は診療する」ことになるのだろう?
自己分析をしてみると、「自分を肥やしたい」という欲求が一番のようである。「患者のため」という思い上がった意識からでは絶対にないのである。
診療することによって、医師である自分自身が肥えるのである。
患者さんの診療をとおして、自分の考えを掘り下げる事が出来るし、未知だった何かを発見することはよくある。
診療そのものが勉強であり、自己教育につながっている。患者さんから学ぶことばかりである。だから自分は診療が続けられるのであろう。
やはり「診療は自分のためにする」のであり、「患者のために」などという思い上がりでは良い診療はできない。
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