第169回

末期癌の状態で自宅で亡くなった78歳男性

01.9.16

末期癌の状態で自宅で亡くなった78歳男性

78歳男性のKさんは約10年前から私の病院で毎年上部消化管内視鏡(胃カメラ)検査や腹部超音波検査を受けられていました。
胃癌などの悪性疾患の早期発見の目的で毎年検査を受けておられました。
他の病院には行かず、私を信じ、長い間検査に通院して下さいました。
そのKさんが十二指腸癌で最近亡くなられました。
一昨年末の上部消化管内視鏡検査で十二指腸ポリ−プが発見されました。
入院でポリ−プ切除術を受けられました。
残念ながら、そのポリ−プから癌が発見されました。
10年も検査に通っていらっしゃったのに残念なことにすでに癌になっていました。
原発性十二指腸癌は大変めずらしく、めったに遭遇しません。
胃癌などに比べるとはるかに発症頻度が低い癌です。
いろいろ調べてみると十二指腸周囲に浸潤していました。
7ヶ月後、肝臓、肺、脊椎に転移してきました。
大変進行が早く悪性度の高い癌のようでした。
抗癌剤治療を試みましたが、全く効果がなく副作用の吐き気がひどく全身衰弱状態になりました。
本人には最後まで癌であることを告知しませんでしたが、もちろん本人は癌であると感じていました。
大変立派な人で最後まで家族や主治医である私の事を気づかってくれました。
抗癌剤治療が全く効果がないことが判明してから、私はKさんに自宅退院をすすめました。
娘さんには最後は病院ではなく出来れば自宅でみられたらどうかと提案しました。
自宅で死を向かえるためにホスピス医療を専門としている病院に在宅診療看護を依頼しました。
私の病院は急性期の患者さんの治療が主体で、末期癌の患者さんを入院や在宅でみることが困難なため、専門の病院に依頼しました。
亡くなる一週間前娘さんから電話がありました。
「父が先生に会いたがっています。最後に会ってやって下さい。今の病院さんには在宅で医療や看護をよくしてもらっているので満足ですが、父は先生を最も信頼しています。お願いします。」
私は看護婦を連れて昼休みに訪問しました。Kさんは座って食事をされたあとでした。
吐き気も癌性疼痛も麻薬のお陰でおさまっていました。
Kさんは私の訪問を大変喜んで下さいました。
別れるときしっかりと握手を求められ、「ありがとうございました」とおっしゃいました。
それから一週間後、急患の治療でばたばたと診療していた私に娘さんから訃報が届きました。
「先生、ありがとうございました。父は昨夜家族の見守る中、静かに息を引き取りました。この一週間ほとんど苦しみませんでした。お薬のお陰だと思います。一週間前、先生と会えたのでもう思い残すことはないと言っていました。本当に喜んでいました。ありがとうございました。」

Kさんの娘さんが私に感謝の意を伝えられると私は大変辛い気持ちでいっぱいでした。
めずらしい悪性度の高い癌であったとはいえ、毎年私を頼りにして検査を受けにいらっしゃっていた患者さんを救うことが出来なかった無念さが大変大きく私にのしかかりました。
しかも癌の早期発見の目的で検査を受けておられた患者さんを癌で亡くしてしまったのです。
そして自分の病院の特性上最後まで末期癌の状態を往診などでゆっくり見ることが出来ないため、臨終の場面で私が立ち会えなかったことに対する申し訳なさが私の精神を押しつぶしそうでした。

私はこの患者さんのためになにが出来たのだろう?
10年かかって結局癌で亡くしてしまった。
医師としてこういうことでいいのだろうか?何と自分は無力だろう。
申し訳なさと無念さで本当に落ち込み押しつぶされそうでした。

しかし、時間が経つに連れ、私はいまある立場に徹するしかないと思うようになりました。
医師という仕事をすべて完璧に遂行することは出来ないのです。
あれもこれもと思っていたらすべてに中途半端になります。
自分らしく生きて、今の立場に徹することしか方法がないのです。
目の前の患者さんのために全力をかけて診療することしかないのだと思います。
そして自分が健康でなければ、結局医師として役に立たないのです。
健康維持のためにも無理をしないようにしなければならないと思います。
やはり診療は自分のためにするものです。それしかありません。
そしてまた学んでいけるのだと思います。

Kさんのお陰で少しだけ、ほんの少しだけ昨日より今日進歩しました。私は診療を通して患者さんから学び、人間として少しだけ進歩しました。
自分のために生きると言う意味ではそれでいいのかもしれません。

Kさん・・・また、学ばせていただきました。ありがとうございました。

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