前には、定評ある英文タイピングの教科書である Philip S. Pepe: Personal Typing 30 (5th edition), (Gregg and Community College Division / McGraw-Hill Book Company) をテキストに使っていました。
しかし、これでは練習文つきでの配布はできません。 練習文の部分を「Xxxx xxx xxxx xxxx.」のように伏せ字にして配布し、 各自で同書を入手して練習文を打ち込んでもらえばいいのですが、 手間がかかりますし、同書は日本国内ではなかなか入手できないようです。
(私は一度、新宿の紀伊国屋で見かけたのですがそのときは購入を見送りました。 あとでほしくなって出張のたびに大都市の大きな洋書屋さんを見てみましたが、 結局、新宿の紀伊国屋以外ではみつけられませんでした。 余談ですが、 紀伊国屋で洋書売り場のどこにあるのかわからなかったので店員さんにたずねたところ、 「洋書でおさがしですか?」と確認されました。 英文タイプの本イコール洋書、とカン違いしていると思われたのかもしれません。)
また、英語にあまり慣れておらず、 将来もそれほど英語を使うことのない練習者にとっては、 英語の練習文というのは親しみにくいもののようです。
そこで、ローマ字書き日本語で書かれた練習文を作ることにしました。 その際、「学校へ」を gakkouhe と書いたりする、 かな入力の補助のためのローマ字つづりやわかち書きは使いたくないと考えました。 そのため、助詞の「へ」「を」が全く使えず苦労しましたが、 できたものにはこのような部分は全くないはずです。
以下に、 練習文の全文とそれを漢字かなまじり文に改めたもの、および“解説”を載せます。 本文書の再配布は、もう少し手を加えたいので、しばらくの間お待ちください。
使える文字が
・・ER・・UI・・ ・・DF・・JK・・ ・・・・・・・・・・の8つだけなのでかなり苦しい文章となっている。
「駅で寄付できる古い笛」。 駅前で「笛を集めて恵まれない地域の子供たちに送っています。 もう使わなくなった、古い縦笛はありませんか? 世界の子供たちに音楽の喜びを!」 などと呼びかけている光景なのかもしれない。
「ふるえる息で笛吹くふり」。 寒い朝。笛を吹こうとするのだがふるえてうまく吹けない。 だから吹くふりでごまかしちゃお、 という光景なのかもしれない。
「ふるえる息で笛吹く夫婦」。 同じく寒い朝、夫婦で合奏をしているのかもしれない。
「塾で寄付できる古い笛」。 駅だけでなく、塾でも寄付ができるようになった、 のかもしれない。
「塾で栗植える古い夫婦」。 長年連れ添った夫婦が塾に栗の木を植えている。 子供が世話になったお礼、なのかもしれない。
「駅で寄付できる古い筆」。 笛のほかに、筆も寄付を募っている、のかもしれない。
ずいぶん最近になって気づいたのだが、 fuku(服)という単語はこれらの文字だけでできているのだ。 「寄付できる古い服」のほうが自然だったかもしれない。
ほかには ike(池)、riku(陸)などが使えたかも。
kufuu de ikiru furui fuku(工夫で生きる古い服)はちょっと短いか。
使える文字は4つ増えて
・・ERTYUI・・ ・・DFGHJK・・ ・・・・・・・・・・となる。
「駅で寄付できる古い机」。 笛、筆に続いて机も寄付できるようになった、のかもしれない。
「宇宙で増えて地球で減って」。 何が増えて減ったのかは作者の私にもわからない。
「杖ついてツゲ植えるヒヒ夫婦」。 ヒヒというのは動物のヒヒである。 その夫婦が杖をつきながらツゲの木を植えている、のかもしれない。 (ヒヒが実際にそんなことをするかどうかは知りません。)
「植木つついて息継ぐキツツキ」。 キツツキが植木をつついては一休みし、ホッと一息ついている、のかもしれない。 (キツツキが実際にそんなことをするかどうかは知りません。)
「いで湯でゆっくり夕暮れ夫婦」。 “夕暮れ夫婦”というのは私が即席で作った言葉(のつもり)。 ひなびた温泉宿で、人生の夕暮れ時をゆっくり過ごす夫婦、なのかもしれない。
「ヒゲで木靴拭くヒヒ夫婦」。 またまた登場のヒヒ夫婦が、ヒゲで木靴を拭いている、のかもしれない。 (ヒヒにヒゲがあるのかどうか、あったとして実際にそんなことをするのかどうか、 私は知りません。)
使える文字は3つ増えて
・・ERTYUI・・ ・・DFGHJK・・ ・・・・BNM・・・となる。
「ぶち犬に身ぶり手ぶりで命令」。 この犬は言語を解さない、のかもしれない。
「銘々で寄付できるぬるいミルク」。 集まったミルクは困っている人たちに配る、のかもしれない。
「身ぶり手ぶりでぶち犬に命じる」。
「別にミルクでゆっくり煮るブリ」。 ブリはミルクでゆっくり煮て、あとでなにかと合わせる、のかもしれない。 (こういう料理が実在するのかどうかは知りません。)
「人間に身ぶりで命じるぶち犬」。 ぶち犬君は出世したのか、 こんどは人間に命令する立場になっている、のかもしれない。
「夫婦別々に煮るぬるいミルク」。 別々に煮るのは、二人が遠く離れて暮らしているから、なのかもしれない。 (「ミルクを煮る」という言い方があるのかどうかは知りません。)
使える文字はさらに3つ増えて
・WERTYUI・・ ASDFGHJK・・ ・・・・BNM・・・となる。Aがはいったことにより、練習文作りはずっと楽になった。
「さらさら流れるさわやかな川」。
「赤い傘かわいくさした一年生」。 この文章は五七五になっている、 と長い間思い込んでいたのだが実は「いちねんせい」は六文字なのだった。
「さわやかな空気に満ちた一日」。
「きみが初めて笑ってくれた晩」。
「わからなければ私に聞きなさい」。
「朝からうれしい話がありました」。
この日はおさらいなので、新しい練習文は出てこない。
使える文字は1つ増え、また「,」「.」が加わって
・WERTYUIO・ ASDFGHJK・・ ・・・・BNM,.・となる。
「この本に、楽しい話が出ている。」
「僕も音の速さで飛んでみたいな。」 超音速旅客機のことを聞いた少年の気持ち。
「男も女も、全く同じ仕事。」
「大人も子供も、おそろいのよそ行き。」
「おとといの夜、友だちの家に寄った。」
「大人も子供も、同じ値段ですよ。」
使える文字は3つ増えて
・WERTYUIOP ASDFGHJK・・ Z・C・BNM,.・となる。
「数々の栄誉に燦然(さんぜん)と輝く芝居。」
「ざっと見積もって、全部でどのくらいですか。」
「みなさん、ちょっとこちらにご注目ください。」
「ねえ、和子ちゃん、お茶飲んでいってくださいね。」
「ぱらぱら、ぽつぽつ、雨が降り始めた。」
「ずっと前に、いっぺん全部終わった仕事です。」
Lとセミコロンが増え、
・WERTYUIOP ASDFGHJKL; Z・C・BNM,.・となる。また、大文字も出てくる。 Lは普通の日本語には出てこないので、ちょっと苦しい練習文になる。
「朝がきた。鳥たちの声。静かな日。」
「日が沈む。夜がきた。みんなで遊ぶ。」
「CDの音とLPの音、どっちが好きかしら。」
「次の時間に、LLの部屋で教えてあげる。」 LLというのは language laboratory の略。 今では「AV 教室」ということが多いのではないか。
「鳥が楽しげに鳴く;春がきたのだ。」
「雪がちらちら降る;冬がきたのだ。」
残りのQVXを習う。
QWERTYUIOP ASDFGHJKL; ZXCVBNM,.・第八日目と同じく、苦しい文章がならぶ。
「示すべきところのもの、がQEDの意味でした。」 QEDは数学などでは「証明終わり」の意味で使うが、 元々の意味は「これが示すべきところのものだった」である。
「質問の初めがQで示されているのです。」 「Q&A」で 「Q.この文章はどういう意味ですか」のように使われることを言っている。
「X、Y、Zでまたわからない数が表わされている。」 これは代数の話である。
「キリストが文字Xで表わされることがあります。」 “Xmas”などがその例です。 元来はXではなくギリシア文字のΧ(カイ)なのでしょう。
「人差指と中指でVの印ができる。」 いわゆるVサイン。
「そのVIPの人なら、けさのTVに出ていました。」
「L、Q、X、Vがみんな使われる珍しい文です。」 そういうのを思いついたらぜひ私に教えてください。
「珍しく、X、Q、V、Lがすべて出てきているね。」 上と同じく、かなり苦しい文章。 四つの文字の出てくる順序は変えてある。
この日はおさらいなので、新しい練習文は出てこない。