なぜ鏡には左右逆に写るのに上下は逆にならないのか。上下の方向と左右の方向には本質的な違いはないのにおかしいではないか。
この問に対する答えは決して難しいものではないのだが、わかりやすく説明するのが大変困難である。わかりやすい説明を見たことがない。
論理が正しくて、十分に納得しやすい説明がいちばん良い。これをAとすると、
論理は正しいかもしれないが、十分に納得しにくいというのがBである。そして、
説得力があるが、論理に誤りのあるものがC、
説得力も論理も承服しがたいものがDである。
よくあるのがBである。読めば読むほどわかりにくくなる。もう少し凡人にもわかるように言って下さいと言いたくなることが多い。
さて、次のような説明はA、B、C、D、どれに分類されるだろうか。
1.人間の構造がそうなっているのだ。人間の目が左右に二つ並んでいるから、鏡に反射すると右の物が左に、左の物が右に見えるのだ。
2.世界の構造によるのだ。重力が下向きに働いているからなのだ。もし、重力が横向きの世界、あるいは無重力の世界ならば違ってくる。
3.立っているからなのだ。床に寝て鏡に写ってみれば上下が逆に写るではないか。
4.「左右」という言葉が問題なのだ。「東西」に置き換えてみればよい。鏡に写って東の手を上げてみれば鏡の中でも東の手が上がっているではないか。だから逆に写っているということはない。
1.は魅力的だ。すっきりしている。ためしにちょっと片目をつぶって考えてみよう・・・
2.は重厚だ。思考実験にもってこいだ。人が横になって壁のような地面を歩いている世界を考えるなんてわくわくしてくる。考える自分の身体も傾いてくる。
3.は追試実験可能な点で優れている。成功すれば無敵の説だ。
4.は哲学的だが、これで問題解決だ。納得できれば。
こうやってみると、この問題というのはどうも必然的にユーモアを誘うらしい。あなたは上の各説を微苦笑なしに読めたであろうか。
放送大学の先生も物理の授業で「人間の目が左右に付いてるから・・・」と口走ってしまうほど実はこの問題は根が深い。
世の中には正しい説明もないことはないのだが、そしてよく読めば理解はできるのだが、どれもどうもまだるっこしい。すっきりしない。もっとスパッと切れ味のいい説明がありそうな気がする。
一つここで私が自分でAだと思う自説を挙げてみよう。
鏡像は上下左右をそのまま上下左右に写す。したがって左右は逆にならない。
ためしに透明な板にひらがなの「あ」を書いてそのまま書いた面をこちらに向けたまま手に持って鏡の前に立ってみよう。鏡には「あ」の文字が正しく写っている。文字を鏡に写すと逆になるというのは書いた紙の面を向こうに向けて鏡に映すからである。紙を左右方向に転回して向こうに向ければ左右逆に、上下方向に転回して向ければ上下逆に写る。
これでおしまいである。もう少しくどくど書いてもいいのだが、エッセンスは以上である。
ただ、これではBだと言われかねないので、補足する。
鏡像は前後(鏡と直角方向)は逆となる。したがって厚みのあるものの場合、上下左右は変わらないが前後だけ入れ替わったという物体が鏡の中に見えることになる。
想像していただきたい。まず鏡に向かう。目の前にサイコロを置く。上の面が1、下の面が(見えないが)6、右が5、左が2、手前の面が3、向こう側(見えないが)が4である。そうして鏡の中のサイコロを見ると、上下左右の面の数は同じで、手前の面が4、向こう側(見えないが)が3と、こちらと向こうが逆になっている。

帽子の例も分かりやすい。帽子のふくらんだ方を手前に、へこんだ方を鏡に向けて持つ。鏡の中の帽子はこちら側がへこんでいる。次に、そのまま帽子のふくらみを手で押し込んで向こう側がふくらむようにする(靴下の表裏を引っくり返すように)。すると鏡のなかの帽子はこちら側がふくらんでいる。
よろしいだろうか。さて、この先が問題である。
人間を見てみよう。まず鏡に向かう。鏡とあなたの間にお子さんを鏡に向いて立たせる。このとき鏡の中に写るお子さんは実物と何が違っているか。前後が入れ替わっているだけなのである。自分自身の姿についても同様である。
この事実は明らかなことではあるが、どうも変な感じがする。つまり、サイコロや帽子の例では感じなかったが、人間など生きているものの前後の方向が入れ替わってしまうなどということは現実世界では想像もできないということなのである。人間が帽子のように前後にぺコンぺコンとなるわけでなし。
しかし前後だけならおかしいが、前後と左右が共に入れ替わるということなら現実世界ではよくあることではないか。つまり、向こう向きの人が左右に反転しこちら向きになると、前後と左右が入れ替わることになるのである。
さあ、答えが出たことになる。
人は鏡像を見ると、前後のみが反転した事態を飲み込みにくいので、前後および左右が反転した事態と(錯覚して)受け取るのである(ふつうは前後の方向が反転していることには関心を示さない)。
ちなみに、もし人間や動物が上下対称で左右不対称のものであったなら、我々はきっと言うだろう。「どうして鏡は左右は変わらないのに上下が逆に写るのだろう。」と。
以上が私の自信ある説明である。最後のあたり、上下対称人間のことなどもっと詳しく書くと面白いのだが、シンプルを求めてみた。それでもこれだけくどくどと書く必要があった。
ネット上を検索してみるとさすがに正しい説明がいろいろ見つかるが、やはりくだくだしいものが多い気がする。
もっといい説明があるような気もする。
愉快な説明もあるような気がする。
自説あるいは他説をご紹介下さい。 短いものでかまいません。