「仮名遣い」って何? (入学手続き)
Q 歴史的仮名遣いでは「い」と発音するところを「い」と書いたり「ひ」と書いたり「ゐ」と書いたりするのはなぜですか? A 説明の後に答えがあります。
同じ発音を表わすのにいくつかの仮名の書き方があるとき、(個々の語について)どれを使うのが正しいのかという決まりを仮名遣いといいます。
え? どうしてそんな決まりがあるのでしょう。同じ発音ならいつも同じ仮名でいいのではないでしょうか。例えば「王を追おう。」という文を考えてみましょう。私たちはこれを「おおおおおお」と発音しています。(エエーッ?とおっしゃるかもしれませんがよく内省してみてください。)
ここで発音される6拍はどれも「お」という音です。ですからこの文は次のように書けるはずです。「おおおおおお」
しかし何だか困った感じですね。
実はこの問題は話し言葉と書き言葉のずれによって生じたのです。
大昔、初めて文字が使われたときは話し言葉と書き言葉はぴったり一致していました。つまりしゃべる通りに文字を書けばそれがそのまま書き言葉になったのです。ところが、話し言葉は時代を経ると発音が徐々に変化していきやすいものですので、その変化したものをそのまま文字に書いてしまうと意味が分かりにくいものになってしまうのです。それでは大昔にしゃべる通りに書いた形はどうだったのでしょう。それは
「わうをおはう」
でした。
さあ、これで仮名遣いの意味に気付きましたね。
元の通りに「わうをおはう」と書くのが「歴史的仮名遣い」です。
今の発音に近づけるけれども分かりにくくならない程度に「おうをおおう」と書くのが現代仮名遣いです。
わうをおはう
↓ ↓
おうをおおう今読むときはどちらも「おおおおおお」と発音します。
歴史的仮名遣いはもちろん今の発音通りではありませんが、現代仮名遣いも今の発音通りではないことが分かりますね。※ふつう国語辞典では見出し語を現代仮名遣いで表し、そのすぐ後にその歴史的仮名遣いが平仮名か片仮名で示してあります。(歴史的仮名遣いが現代仮名遣いと同じときは省略してあります。)
ふだん使わない歴史的仮名遣いがわざわざ示されているのは、それがその語の本来の形だったからなのです。
Q 歴史的仮名遣いでは「い」と発音するところを「い」と書いたり「ひ」と書いたり「ゐ」と書いたりするのはなぜですか? A 例えば「書いて」という言葉は大昔、仮名が発明された頃も「かいて」と発音されていました。だから「書いて」と書かれていました。「買い物」はその頃「かひもの」のように発音されていました。だから「買ひ物」と書かれていました。「している」はその頃「してうぃる」と発音されていました。だから「してゐる」と書かれていました。
歴史的仮名遣いとは、その頃書いたのと同じ書き方をすることなのです。
仮名遣い学習の勧め
平安時代に仮名が発明されてから後、日本人は日本語を自由に読み書きできるようになりました。これは日本語の歴史にとってとても大きな出来事でした。それからおよそ千年、日本人は仮名をずっと引き継いできたのですが、近年になって仮名についての大きな意識変化が起こっているのです。
言葉の発音とは時代とともに少しずつ変化するものですから、平安時代以降、言葉の発音通りに仮名を書くと昔の人が書いた綴りと違ってしまうことが起こり始めます。また昔は印刷技術が普及していないので書物は殆んどすべて手書きで写されて伝えられていきましたから、元の書き方が正確に後世に残ることは期待できませんでした。こうして仮名遣いは少しずつ混乱していったのです。
しかし人々はいつの時代でも仮名は昔から書かれてきた通りに書くものだという意識は持ち続けました。もちろん間違えたりよく分からないので適当に書いたりもしましたが、意識はそうであったのです。少なくとも今自分が発音する通りに書くのが正しい書き方だと考えることはありませんでした。古典文学も今自分が書く日常の文章も仮名の使い方に特に違いはないと思っていたのです。このような規範意識が昭和時代まで長く続いてきました。そして現代の私達はというと、仮名は今発音するようにふつうにそのまま書けばよいのだと漠然と考えています。今、その私達がここで歴史的仮名遣いを勉強してみるということは、少し前の時代から平安時代に遡る長い長い歴史を作ってきた無数の日本人達と同じような意識を共有してみるということに他なりません。
何でもよいのですが例えば「いはず」という文字を見ると日本人は千年もの間、誰しも自然に同じ語、同じ意味を読み取ってきたのですが、現代人だけはそれができません。何か仲間外れに遭っているような気がしませんか。
さあ、そのような意識で対してみると私たちの日本語は一体どのように見えてくるでしょうか。試してみる価値が大いにありそうです。
これで入学手続き終了です。あなたは歴史的仮名遣い能力8級に認定されました。
このサイトでは仮名遣いの学習がすべて無料で自由にできます。
成績表に名前を載せると今後の勉強の励みになります。ご希望の方はお送りください。
それでは 「読み方」のとびらへ へ進んでみましょう。
もう少し簡単な説明がほしい方は次のページも参考にして下さい。
※歴史的仮名遣いでは「王」は「わう」、助詞は「を」、「追おう」は「おはう」と書きます。
現代仮名遣いもまったく発音通りというわけではなく、「おお」と発音する漢語は「おう」と書き、助詞は「お」と発音しても「を」と書き、〜しようという意味の動詞の語尾は「お」と発音しても「う」と書きます。したがって「おうをおおう」となります。
現代仮名遣いが発音通りではない理由は、長年の習慣を無視していっぺんに完全に発音通りに書くとあまりに不自然と感じられるからなのです。「わうをおはう」という発音が「おおおおおお」に変化していった理由を模式的に説明します。
「わ」は唇をすぼめずにぞんざいに言うと「あ」になりやすいものです。「わたし」が「あたし」になるのもその例です。
「は」も息を出さずにぞんざいに言うと「あ」になりやすいのです。「おはよう」をいい加減に言うと「おあよう」となります。
次に、「あう」の発音は口を大きく開けてからすぐ閉めなければならないので面倒です。そこで最初から口の開け方や唇の形を「あ」と「う」の中間にして楽をすれば「おお」と発音することになります。「会う」を「おお」と発音する方言もあります。
「を」は昔は「うぉ」という発音でしたがこれも唇をすぼめずにぞんざいに言うと「お」になります。
発音の変化について正確なことは完全版で学習して下さい。ちなみに「尾を覆おう」も発音は「おおおおおお」です。これは歴史的仮名遣いでは「ををおほはう」、現代仮名遣いでは「おをおおおう」です。
「仮名遣い学習の勧め」に書いた「いはず」は「言わず」の意味です。
「歴史的仮名遣い」とは、厳密には「和語」についての仮名遣いのことだけを言います。その和語が最初に仮名で書かれたときにはこう書かれた、という考え方をするものです。これに対して「漢語」を仮名で書くときの仮名遣いは「字音仮名遣い」といいます。これはその漢字を輸入した当時はこう仮名表記した(であろう)という考え方のものです。このページに出てきた「わう(王)」は字音仮名遣いです。ふつうはこの「字音仮名遣い」をも含めて「歴史的仮名遣い」と呼んでいます。
「歴史的仮名遣い」の別名として「旧仮名遣い」や「古典仮名遣い」「復古仮名遣い」などがあります。また、「現代仮名遣い」を「略仮名遣い」、「歴史的仮名遣い」を「本仮名遣い」と呼ぶことは両者の関係を分かりやすく表すものとして推奨できますが、広く普及している名称ではありません。(参照)