オレンジ
朱々


「あれ もう来てたの?」
ふわり と猫のような足取りで近寄って 擦り寄って。


「エマさんこそ 時間通りに来るなんて珍しいじゃん。」
その人の気配に 振り返って 頬に寄せられた唇に微笑んで。


ふたりだけの秘密の場所と秘密の時間。
押し黙るしかない関係だけでは息が詰まるから 時折ここで落ち合って
わずかな時間を共有する。

「ふふ。そーだろ?俺が時間通り来るワケないって考えて おまえ遅れて来ると思ってたんだけど。」
「残念。エマさんが来るのを今か今かと待ちわびる ひとりの時間も愛しちゃってるの俺。」
「ばーか。どのツラさげてそんな戯言吐けるんだよ おまえは。」

漆黒の髪が揺れ 一緒にかさりと乾いた音が聞こえる。
目を遣れば 薄茶色の大きな紙袋がひとつ。

「エマさん それ何?」
「ここに来る途中の店で買ったんだ。美味そうだろ?」

覗き込めば 朱に黄金を絡めたような艶やかなオレンジ。
両手の指以上の数があるだろう その中から無造作にひとつ掴み取る。

「吉井。今食いたい。剥いてよコレ。」
「え〜?俺が剥くの?」

ニッコリ微笑まれれば それだけで抵抗出来るワケもなく軽く陥落する。
少しでも離れがたいというように 緩慢な動きで長身がソファから立上がる。

リビングに続くカウンターキッチンの向う側から 果物ナイフを手にして再びソファで待つ人の横に座る。
手渡されたオレンジの皮に十字にナイフで切れ目を入れそこから白い指が厚い表皮をグッと捲りあげていく。
白い繊維と薄皮に包まれた 瑞々しい果実。

「オレンジってこの薄皮を剥くのが難しいんだよね。」

脆い果肉は少しの刺激で弾けて 透明な雫を溢れさせる。
充分に男の指でありながら それでも綺麗でしなやかな指先が甘い香りに濡れていく。

「うっわー 手がベトベト。」
「ほら 剥いたヤツ皿に置けよ。」

ガラス皿に崩れながらもなお 食欲をそそられる果肉を盛り最後の一房の薄皮をはいで 指先で摘まみ恋人の口元に寄せる。

「エマ 口開けて。」

薄く開いた唇の間から見える桜色の舌先に滴るオレンジを乗せてそのまま果汁で濡れた唇を指先でぬぐう。

「おまえの指が濡れたままだから いくら拭ったって仕方ないじゃんか。」

そう囁かれ ふいに手首を掴まれる。

「ちょっ…!なにを―――――」

人差し指がずるりと温かな粘膜に包まれる。
柔らかな舌が絡み付き付根から先端にいたる指の腹を舐めあげていく。
窄めた唇に目を奪われ 固まった身体とは裏腹に内側から熱がじわりとせり上がってくる。

「あ…あの そんなことされると非常に……ヤバイんだけど…」

上ずった声に反応して くぐもった笑いが小さく聞こえ
同時に上目遣いになった瞳に 酷薄な光が揺らめき出す。
人差し指が解放されると 次には中指との狭間に熱い舌が蠢いて果汁を舐めとっていく。

そんな風にして 五本の指を替わるがわる口腔に含まれワザとであろう ピチャピチャという濡れた音で聴覚まで刺激されて。

「えま……ソレ反則―――――」

全ての戒めが解かれた頃には情けないことに息はあがり 瞳には透明な膜が張っていた。

「なに…?吉井 あれくらいで根をあげたりしないよね?」
「ホント 意地が悪いんだから……」

欲望の埋み火は 身体の奥のいたる所で燻っている。
どれほどの煩悶が この身体にいま宿っているか確信犯の悪魔が知らぬはずはないのに。
自分の身のうちを焼くこの熱を分け与えたくて置き去りにされていた薄茶色の紙袋の中からもうひとつオレンジを取り出す。

「じゃあさ……今度は俺の為にエマさんが剥いてくれる?」

意地の悪い恋人への ささやかな仕返しを思い浮かべ薄い唇の端がヒクリと持ち上がる。
皿に盛られた果肉をさも美味そうに口に運びながら その挑発的な笑みを受け止めて黒い瞳が睫毛の翳でほくそ笑む。

「ね?今度は俺を―――― 満足させて」
「ふん。どんな風に満足させて欲しいんだよ?」
「だって 俺だけ煽られてたらみっともないし……。」
「……判ったよ」

今度は逆に手渡されたオレンジをしげしげと見つめる恋人の耳元に焦れた低音が囁かれる。

「エマさん 腹減ったよ……」
「セッカチだな。そんなに食いつかなくてもいいだろ」

そう言い置いて 果物ナイフをオレンジの真ん中に突き立てふたつに切り分ける。
半身になったオレンジの片方を握り 空いた手で尖った細い顎を掴んで白い面を上向ける。

ふいをついて施される行動に 怯えたように大きな目をさらに見開いた表情に満足した悪魔がニッコリと綺麗に微笑んだ。

「じゃあ 満足させてやるよ」

顎を掴んだままにして 親指の腹で唇をこじ開けてその上にかざしたオレンジにギュッと力を入れて果汁を流し込む。
甘い飛沫に潤うのは 開かされた口腔だけではない。
白い頬や 細く長い首筋にも透明な雫が散らされる。
その冷たい感触に 思わず閉じた薄いマブタの下に散った雫が
ひと筋こぼれ落ちていくさまは さながら快楽の淵に追い上げた挙げ句に
泣かせてしまった涙にも見えて はからずも自分のうちにも欲が飛び火してくる。

「どお吉井?美味いだろ……?」
「やっぱ エマさん悪魔だ……あっ」

果汁で汚れた顔。
首を数本の筋となって流れていく飛沫。

「キレイにしてやるよ――――」

掠れた一言を残して 口元を 首筋を 舌が這い回る。
それと共に 快楽に弱い性質の白い身体がビクッと反応する。

「もっ……やめっ…ん」

首筋から耳たぶまでを一気に舐め上げられ 抵抗する言葉が吐息にかわる。
同時に蕩けた身体が 崩れ落ちその先を求めて 潤んだ瞳が悪戯を仕掛けた恋人に向けられる。

けれど―――――。

「ん…ご馳走さま。俺 すっごい満腹!」
「へっ……?エマさん 続きは―――――?」
「続きって 吉井まだオレンジ食いたいの?」

またもや人の悪い笑みを浮かべて 熟れた身体にお預けをくらわす最愛の人。

「人でなしっ!鬼っ!!人を散々煽っておいて――――!!!!」
「吉井が勝手に盛り上がっただけだろ?」

実は自分も流されそうだったとは 死んでも教えてあげないとばかりに
冷たく言い放ち 汚れた手を清める為に洗面所に向かう。
おさまらない燠火が後ろ姿に揺れるのを気づかれぬ様に細心の注意を払いながら。

「エマさんが盛り上げておいて!どうしてくれるんだよぉ!!」

それを知ってか知らずか 涙目になりながらつれない恋人に訴えるけれど。

彼の願いがかなえられるのは もう少しあとの事となる………。(涙)


COMENT

皆様、明けましておめでとうございます。
そして。
新年早々ヘタレでごめんなさい。
ロビエマなのかエマロビなのか、わかんなくてごめんなさい。
その上、二年前に書いたSSでごめんなさい!(大爆)
2004年もよろしくお願いいたします…見捨てないでね。

朱々

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