歌の注釈(巻第1〜7)

読み下し文は原則として「万葉集」講談社文庫(中西進編)に基づいています。注釈に際しては、その他に、日本古典文学大系「万葉集」岩波書店等も参考にしていますが、私の解釈も含まれていますのであまり信用しないで下さい。

 


巻第1


 

泊瀬(はつせ)の朝倉宮(あさくらのみや)に御宇(あめのしたしらしめしし)天皇(すめらみこと)の代(みよ) [大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと)]

天皇(すめらみこと)の御製歌

巻1-1

籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この岳(をか)に 菜(な)摘(つ)ます児 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそ告(の)らめ 家をも名をも

(作者) 雄略天皇。

(大意) 籠(かご)も美しい籠を持ち、掘串も美しい掘串を持ち、この岡で菜を摘んでいるお嬢さん。あなたの家を聞きたい。名前を言ってほしい。そらみつ大和の国はすべて私が従えており、すべて私が治めているのだが、私こそ名乗りましょう。家も名も。

(注釈) 「大泊瀬稚武天皇」は雄略天皇。「籠(こ)もよ」は、摘んだ菜を入れるかご+並立の助詞モ+感動の助詞ヨ。「掘串(ふくし)」は、土を掘る道具。「摘(つ)ます」は、ツムの未然形+敬意・親愛を表すスの連体形。「聞かな」は、キクの未然形+願望のナ。「名告(の)らさね」は、ノルの未然形+親愛のスの未然形+願望の終助詞ネ。「そらみつ」は大和に掛かる。「おしなべて」は、一面ニ従エテ。 「われこそ居(を)れ」は、コソ+已然形であるが、上代では、ここで切れず、逆接確定条件となって下に続いており、私コソ・・シテイルノダガ。「しきなべて」は、一面ニ治メテ。「告(の)らめ」は、ノルの未然形+意志のムの(コソを受けて)已然形。本来、若菜摘みの春の歌だったが、「そらみつ・・・われこそ座(ま)せ」を挿入し、雄略天皇の物語とした。

 

 

高市岡本宮(たけちのおかもとのみや)に御宇(あめのしたしらしめしし)天皇(すめらみこと)の代(みよ)[息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)]

 

天皇(すめらみこと)の、香具山(かぐやま)に登りて望国(くにみ)したまひし時の御製歌 

巻1-2

大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鴎(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は

(作者) 舒明天皇。

(大意) 大和には多くの山があるが、とりよろう天の香具山に登り立って国見をすると、国土にはかまどの煙が立ち登り、海上には鴎が飛んでいる。美しい国である。蜻蛉島大和の国は。

(注釈) 「息長足日広額天皇」は舒明天皇。「とりよろふ」は語義未詳。スベテガ整イ備ワッテイル等諸説。「香具山(かぐやま)」は大和三山の一つ。「国見(くにみ)」は、高いところから支配する領域を見下ろす儀式。「すれば」は、サ変スの已然形+順接確定条件のバ。「国原(くにはら)」は国土。「煙(けぶり)」は、かまどの煙。「立つ立つ」は、終止形の反復。「鴎(かまめ)立つ立つ」の立ツは、飛び上がること。「うまし」は、賛美する気持ちを表す形容詞。「蜻蛉島(あきづしま)」は大和の枕詞。

 

 

讃岐(さぬき)の国の安益(あや)の郡(こほり)に幸(いでま)しし時に、軍王(いくさのおほきみ)の山を見て作れる歌

巻1-5

霞(かすみ)立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うらなけ居(を)れば 玉襷(たまだすき) 懸(か)けのよろしく 遠(とほ)つ神 我ご大君の 行幸(いでまし)の 山越す風の ひとり居(を)る 我が衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に 返(かへ)らひぬれば 丈夫(ますらを)と 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る たづきを知らに 網(あみ)の浦の 海人(あま)娘(おとめ)らが 焼く塩の 思ひそ焼くる わが下(した)ごころ

(作者) 軍王(いくさのおおきみ)。舒明天皇が、讃岐国(さぬきのくに)安益(あや)郡に行幸の際、軍王(いくさのおおきみ)が詠んだとされている。が、この地への行幸の史実はなく、又、軍王(いくさのおおきみ)についてもあまりはっきりしていないらいしい。但し、舒明天皇が伊予の温湯宮(ゆのみや)に行幸した時の帰途、安益(あや)に立ち寄ったとの説もある。

(大意) 天皇がお出ましになっている山を越えて吹く風で私の袖が翻り、旅先の身である私はさびしさに心の底から思いがつのる。

 

 

反歌

巻1-6

山越しの 風を時じみ 寝(ぬ)る夜おちず 家なる妹を 懸(か)けて 偲(しの)ひつ

(作者) 軍王(いくさのおおきみ)

(大意) 山を越えて吹く風が絶え間ないので、一人寝る夜はいつも家に居る妻を偲んでいる。

(注釈) 「・・を時じみ」は絶エ間ナクの意の形容詞トキジの語幹+間投助詞ヲとつながり原因を表す接尾語ミで、・・が絶エ間ナイノデ。「おちず」は欠カサズ。「懸(か)けて」は、心ニトメル、慕ウの意の懸クの他動下二連用形+接続助詞テ。「偲(しの)ひつ」は、偲(シノ)フの連用形+強意のツ。

 

 

後の岡本の宮に天(あめ)の下(した)知らしめす天皇(すめらみこと)の代 天豊財重日足姫天皇(あめのとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと) 後に後の岡本の宮に即位(い)したまふ

額田王の歌。

巻1-8

熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮(しほ)もかなひぬ 今は漕(こ)ぎ出(い)でな

右は、山上億良大夫が類聚歌林に検(かむが)ふるに曰はく「飛鳥の岡本の宮に天の下知らしめしし天皇の元年己丑(きちう)、九年丁酉(ていいう)の十二月己巳(きし)の朔(つきたち)の壬午(じんんご)に、天皇大后、伊予(いよ)の湯の宮に幸(いでま)す。後岡本の宮に天の下知らしめしし天皇の七年辛酉(しんいう)の春正月丁酉の朔の壬寅(じんいん)に、御船西征して始めて海路に就く。庚戌(かうじゅつ)、御船、伊予の熟田津(にきたつ)の石湯(いはゆ)の行宮(かりみや)に泊(は)つ。天皇、昔日(むかし)よりなほ存(のこ)れる物を御覧(みそなは)し、その時にたちまちに感愛(かなしみ)の情(こころ)を起こす。所以(ゆゑ)に歌詠(うた)を製りて哀傷したまふ」といへり。すなはち、この歌は天皇の御製なり。ただし、額田王が歌は別に四首あり。

(作者) 額田王。

(大意) 熟田津で船出をしようと月を待っていると、潮の流れがよくなってきた。さあ、今こそ漕ぎ出そう。

(注釈) 「熟田津(にきたつ)」は、愛媛県松山市、道後温泉など諸説あるらしい。「船乗り」は、博多に向けて出航すること。「月待てば」は、月の出を待つ、満月を待つ、の説がある。「潮(しほ)もかなひぬ」は、潮流がよくなった、満潮になった、など諸説ある。「漕(こ)ぎ出(い)でな」。「飛鳥の岡本の宮に天の下知らしめしし天皇」は舒明天皇。「後岡本の宮に天の下知らしめしし天皇」は、斉明天皇(皇極天皇の重祚)で、斉明天皇の七年は西暦661年にあたり、新羅遠征の際に愛媛県松山市に停泊したときの歌ということになり、船出に際して士気を鼓舞する勢いのある歌、と評価されている。「この歌は天皇の御製なり」については、類聚歌林では斉明天皇作としているが、万葉集は額田王の作としている(つまり、額田王が代作した、としている)。

 

 

中大兄(なかつおほえ)[近江宮に天の下知らしめしし天皇)の三山の歌一首

巻1-13

香具山(かぐやま)は 畝火(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相(あひ)あらそひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき

(作者) 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ 天智天皇)。

(大意) 香具山は、畝火山を愛して、耳梨山と争った。神代から斯くの如くだったらしい。古もそうだったからこそ、現実も恋人を争うようだ。

(注釈) 「中大兄(なかつおほえ)」は天智天皇。「香具山」「畝火」「耳梨」は大和三山であり、それぞれを、女性、男性のいずれかと見立てるのであるが、山と性の対応は、「畝火(うねび)ををし」の「ををし」の部分の解釈に掛かっている。つまり、畝火ガ雄々シイ、とする説と、畝火ガイトシイ(ヲシ)とする説がある。前者だとすれば、「香具山」「畝火」「耳梨」はそれぞれ、女、男、女となる。又、後者だとすれば、男、女、男、となる。更に、ことなる解釈もある。「然(しか)にあれこそ」は、ソウデアルカラコソ、ということらしいが、アレバコソのバが省略されたのであろうか?私には理解できていない。「うつせみ」は現実。「あらそふらしき」のキは過去のシの連体形。当時はコソの結びは連体形であった。

 

 

反歌

巻1-14

香具山と 耳梨山(みみなしやま)と あひし時 立ちて見に来(こ)し 印南国原(いなみくにはら)

(作者) 中大兄皇子。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

 

巻1-15

わたつみの 豊旗雲(とよはたぐも)に 入日射(さ)し 今夜(こよひ)の月夜(つくよ) さやけかりこそ

右の一首の歌は、今案(かむが)ふるに反歌に似ず。ただ、旧本にこの歌を以ちて反歌に載す。故に今なほこの 次(つぎて)に載す。また紀に曰はく「天豊財重日足姫天皇の先の四年乙巳に天皇を立てて皇太子(ひつぎのみこ)となす」といへり。

(作者) 中大兄皇子。額田王?

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

天皇の、内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣に詔して、春山の万花の艶(にほひ)と秋山の千葉(せんえふ)の彩(いろぢり)とを競(きほ)はしめたまひし時に、額田王の、歌をもちて判(ことわ)れる歌 

巻1-16

冬ごもり 春さり来(く)れば 鳴かざりし 鳥も来(き)鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りてそ偲(しの)ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨(うら)めし 秋山われは

(作者) 額田王。

(大意) 春がやって来ると、鳴かなかった鳥も来て鳴き、咲かなかった花も咲くのだが、山が茂っているため入って手に取ることもできず、草が深いため取ってみることもできない。(それに比べ)秋山の木の葉を見るといつも、黄葉を取ってめで、青い葉を置いては嘆く。そこに恨めしさを覚える。秋山です。私は。

(注釈)「冬ごもり」は春に掛かる枕詞。「さり」は移動を示すサル(去、来を区別しない)の連用形。「咲けれど」は、咲クの命令形サケ+完了のリの已然形レ+逆接確定条件の接続助詞ドで、咲イタノダガ。格助詞ヲ+形容詞の語幹+原因・理由を表す接尾語ミで・・ガ・・ナノデ、の意となるため、「山を茂(も)み」は、山ガ茂ッテイルノデ。「木(こ)の葉を見ては」のテハは、接続助詞テ+係助詞ハであり、・・シタトキハイツモの意となる。「偲(しの)ふ」は、賞賛スルの意がある。

 

 

天皇の、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまひし時に、額田王(ぬかたのおほきみ)の作れる歌 

巻1-20

あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る

(作者) 額田王。

(大意) あかねさす紫草の野を行き、御料地の野を行き・・。野守が見はしないでしょうか。貴方は袖を振っていらっしゃる。

(注釈) 「あかねさす」は、むらさき、昼などの枕詞。「紫野(むらさきの)」については、ムラサキはムラサキ科の多年草で根から紫色の染料をとる紫草。紫草を栽培していた園が紫野。「標野(しめの)」は、紫草を栽培していた官直轄の野。「見ずや」は、ミルの未然形+打消しのズ+疑問のヤ。

 

 

皇太子(ひつぎのみこ)の答へませる御歌 明日香(あすか)の宮に天の下知らしめしし天皇、諡(おくりな)して天武天皇といふ 

巻1-21

紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を 憎(にく)くあらば 人妻(ひとづま)ゆゑに 我れ恋ひめやも

(作者) 大海人皇子(後の天武天皇)。

(大意) 紫草のように美しいあなたを特別に思っていないのであれば、貴女は人妻なのだから私は恋などするでしょうか。

(注釈) 「皇太子(ひつぎのみこ)」は大海人皇子、後の天武天皇。「紫草(むらさき)」は、ムラサキ科の多年草で根から紫色の染料をとる。「にほへる」は、照リ輝ク、映エルの意のニホフの命令形+継続のリの連体形。「妹(いも)」は、背(セ)に対する語で女性を親しみをこめて呼ぶ。「憎(にく)くあらば」のニクシを現代の憎イと同じと解釈すると、この歌は当然のことを言っているだけで何の感情もわいてこない。しかし、当時のニクシは、気ニ入ラナイ、好キデナイの意で、今よりは憎悪の感情は弱かったらしいことを考えると上のような大意となろう。「あらば」は、アリの未然形+順接仮定条件のバ。「ゆゑに」は、・・デアルノニ、をとった。「我れ恋ひめやも」は、恋フの連用形+推量のムの已然形+反語のヤ+詠嘆のモ(上代では、已然形にヤモを続けた)で、私ハ恋イシタリスルダロウカ、イヤチガウ。

 

 

藤原(ふぢはら)の宮に天の下知らしめしし天皇の代(みよ)[高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)元年丁亥(ていがい)十一年に位(くらゐ)を軽太子(かるのひつぎのみこ)に譲りたまひ、尊号を太上天皇(おほきすめらみこと)といふ]

天皇の御製歌(おほみうた)

巻1-28

春過ぎて 夏来(きた)るらし 白栲(しろたへ)の 衣(ころも)干(ほ)したり 天(あま)の香具山

(作者) 持統天皇

(大意) 春が過ぎて夏がやってきたらしい。白色の衣を干していますよ。天の香具山は。

(注釈) 「高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)」は持統天皇。「軽太子(かるのひつぎのみこ)」は、後の文武天皇。「来(きた)る」は、来(キ)+イタルの略。「天(あま)の香具山」は、大和三山の一つ。古来、神聖な山とされた。聖山に衣を干すのはおかしいので、衣は、神祭りの衣とする説もある。

 

 

吉野の宮に幸(いでま)しし時に、柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)が作れる歌 

巻1-36

やすみしし わご大君(おほきみ)の 聞(きこ)しめす 天(あめ)の下(した)に 国はしも 多(さは)にあれども 山川(やまかは)の 清き河内(かふち)と 御心(みこころ)を 吉野の国の 花散らふ 秋津(あきづ)の野辺(のへ)に 宮柱 太敷(ふとし)きませば 百磯城(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)は 舟(ふね)並(な)めて 朝川渡り 舟(ふな)競(きほ)ひ 夕河渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知(たかし)らす 水(みづ)激(たぎ)つ 滝の都は 見れど飽(あ)かぬかも

(作者) 柿本人麻呂

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

反歌 

巻1-37

見れど飽かぬ 吉野(よしの)の河の 常滑(とこなめ)の 絶ゆることなく またかへり見む

(作者) 柿本人麻呂

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

巻1-38

やすみしし わご大君 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと 吉野川 激(たぎ)つ河内(かふち)に 高殿(たかどの)を 高知(たかし)りまして 登り立ち 国見をせせば 畳(たたな)はる 青垣山(あをかきやま) 山神(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつき)と 春べは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉(もみち)かざせり 逝(ゆ)きそふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕(つか)へ奉(まつ)ると 上(かみ)つ瀬に 鵜川(うかは)を立ち 下(しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川も 依(よ)りて仕ふる 神の御代(みよ)かも

(作者) 柿本人麻呂

(大意) あまねく国土をお治めになるわが天皇が、さながらの神として神々しくおられるとて、吉野川の流れ激しい河内に、高い宮殿もいや高くお作りになり、登り立って国土をご覧になると、重畳する青い垣根のごとき山では、山の神が天皇に奉る御調物として、大宮人らは春には花をかざしに持ち、秋になるともみじを頭に挿している。宮居を流れる川の神も、天皇の食膳に奉仕するというので、大宮人は上流には鵜飼を催し、下流にはさで網を渡している。山も川もこぞってお仕えする神たる天皇の御世よ。(講談社文庫「万葉集」による)

(注釈) 省略。

 

 

反歌

巻1-39

山川も 依(よ)りて仕ふる 神(かむ)ながら たぎつ河内(かふち)に 舟出(ふなで)せすかも

右は、日本紀に曰く「三年己丑(つちのとうし)の正月、天皇吉野の宮に幸(いでま)す。八月に、吉野の宮に幸す。四年庚寅(かのえとら)の二月、吉野の宮に幸す。五月に、吉野の宮に幸す。五年辛卯(かのとう)の正月に、吉野の宮に幸す。四月に、吉野に幸す」といへれば、いまだ詳(つばひ)らかにいづれの月の従駕(おほみとも)にして作る歌なるかを知らず。

(作者) 柿本人麻呂

(大意) 山も川もあい寄ってお仕えする現人神は、激流がほとばしる吉野川に船出なさることである。

(注釈) 「神(かむ)ながら」は、神デオアリノママニ、の意で、天皇を賛美する表現として用いる。「せすかも」は、サ変のスの未然形+尊敬の助動詞スの連体形+終助詞カ+係助詞モで詠嘆の意を表す。

 

 

 

巻1-48

東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ

(作者) 柿本人麻呂。

(大意) 東の野に曙が輝くのが見えている。振り返ってみると月が西の空を渡っている。

(注釈) あまりにも素晴らしすぎる訓として有名。白文は「東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡」である。「炎(かぎろひ)」は曙の光。

 

 

大宝元年辛丑(しんちう)の秋の九月に、太上天皇(おほきすめらみこと)、紀伊(き)の国に幸(いでま)しし時の歌 

巻1-54

巨勢山(こせやま)の つらつら椿(つばき) つらつらに 見つつ偲(しの)はな 巨勢の春野を

(作者) 坂門人足(さかとのひとたり)。

(大意) 巨勢山の沢山の椿よ。よく見て賞美したいものだ。巨勢の春野を。

(注釈) 「太上天皇」は、持統天皇。「巨勢山(こせやま)」奈良県南葛城郡の山。「つらつら椿(つばき)」は、数多く並んでいる椿。「つらつらに」は、ヨクヨク。「偲(しの)はな」は、賞美スルの意のシノフの未然形+願望のナ。

 

 

山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)、大唐(もろこし)に在る時に、本郷(くに)を憶(おも)ひて作れる歌 

巻1-63

いざ子ども 早く日本(やまと)へ 大伴(おほとも)の 御津(みつ)の浜松 待ち恋ひぬらむ

(作者) 山上憶良。

(大意) さあ人々よ。早く大和へ行こう。御津の浜の松が我々を待ちこがれているだろう。

(注釈) 「子ども」は、親しく人々に呼びかける語。「大伴(おほとも)」は御津に掛かる。「待ち恋ひぬらむ」は、待ツの連用形+恋フの連用形+完了・継続のヌ終止形+推量のラム。

 

 

慶雲三年丙午(へいご)に、難波(なには)の宮に幸(いでま)しし時 志貴皇子(しきのみこ)の作りませる歌

巻1-64

葦辺(あしへ)行く 鴨(かも)の羽(は)がひに 霜降りて 寒き夕へは 大和(やまと)し思ほゆ 

(作者) 志貴皇子

(大意) 葦辺を行く鴨の背中に霜が降って寒い夕べは、ことのほか大和のことが思われる。

(注釈) 「難波(なには)の宮に幸(いでま)しし時」は、文武天皇の行幸のとき。「羽(は)がひ」は、羽根の交差するあたり。「し思ほゆ」は、強意のシ+思フの変化した思ホ+上代の自発のユ。

 

 


巻第2


 

或本の歌に曰(い)はく

巻2-89

居(ゐ)明かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも

右の一首は古歌集の中(うち)に出づ。

(作者) 未詳

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

古事記に曰はく、軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)にたはく。故、その太子を伊予の湯に流す。この時に、衣通王(そとほしのおほきみ)、恋慕(しの)ひ堪(あ)へずして追ひ往(ゆ)く時の歌に曰はく  

巻2-90

君が行き 日(け)長くなりぬ 山(やま)たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ 

(作者) 軽太郎女(別名、衣通王)。

(大意) あなたがお出かけになってから日数が経ちました。迎へに行きましょう。待ってなどいられません。

(注釈) 「山(やま)たづの」は、迎ヘに掛かる枕詞。「迎へを」の格助詞ヲはニに同じ。「待つには待たじ」の構造は調査中。

 

 

久米禅師(くめのぜんじ)、石川郎女(いしかはのいらつめ)を娉(よば)ひし時の歌五首

巻2-96

み薦(こも)刈(か)る 信濃(しなの)の真弓(まゆみ) わが引かば 貴人(うまひと)さびて いなと言はむかも 

(作者) 久米禅師。

(大意) (み薦を刈る信濃の真弓を引くように)私があなたの心を引いたならば、高貴の人らしくいやだとおっしゃるでしょうか。

(注釈) 「み薦(こも)刈(か)る」は信濃に掛かる枕詞。「真弓(まゆみ)」のマは美称。「引かば」は、引クの未然形+順接仮定のバ。「さびて」は、・・ラシク。「いなと言はむかも」は、否+各助詞ト+言フの未然形+推量のム+疑問のカモ(係助詞カ+係助詞モ)で、言ウデショウカ。

 

 

巻2-97

み薦刈る 信濃の真弓(まゆみ) 引かずして 強(し)ひざるわざを 知ると言はなくに

(作者) 石川郎女。

(大意) 人の心を引くことをしないのですから、強く迫らないやりかたを分かると言う人はいないでしょうね(強く迫って欲しいのです)。

(注釈) 「引かずして」のシテは接続助詞で、・・ナノデ。「強(し)ひざるわざを」は、強ク迫ラナイヤリカタヲ。「言はなくに」は、言フの未然形イハ+詠嘆のナクニ(打消しの助動詞ズの未然形ナ+体言化するク語法のク+助詞ニ)で、人ハ言ワナイノダナア。

 

 

大津皇子(おほつのみこ)の、石川郎女(いしかはのいらつめ)に贈れる御歌一首 

巻2-107

あしひきの 山のしづくに 妹(いも)待つと わが立ち濡(ぬ)れし 山のしづくに

(作者) 大津皇子(おほつのみこ)。

(大意) 貴女を待ってずっとたたずんでいたら、私は山のしずくにすっかりと濡れてしまった。

(注釈) 「あしひきの」はヤマに掛かる枕詞。

 

 

石川郎女(いしかはのいらつめ)の、和(こた)へ奉(まつ)れる歌一首 

巻2-108

吾(あ)を待つと 君が濡(ぬ)れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを

(作者) 石川郎女(いしかはのいらつめ)は、万葉集中に複数人いるらしい。

(大意) 私を待って貴方が濡れたという山の雫に、私はなりたかった。

(注釈) 「濡(ぬ)れけむ」は濡(ヌ)ルの連用形+伝聞のケムの連体形。「あしひきの」はヤマに掛かる枕詞。「ならましものを」は、ナルの未然形+反実仮想のマシ(願っても実現しないことを希望している)+・・ノニナアの意の終助詞(モノは形式名詞)モノヲ。

 

 

吉野の宮に幸(いで)す時に、弓削皇子(ゆげのみこ)が額田王(ぬかたのおほきみ)に贈与(おく)る歌一首 

巻2-111

古(いにしへ)に 恋ふる鳥かも 弓弦葉(ゆづるは)の 御井(みゐ)の上(うへ)より 鳴き渡り行く

(作者) 弓削皇子。

(大意) 昔を恋うる鳥だろうか。弓弦葉の御井の上を鳴き渡って行くなあ。

(注釈) 「古(いにしへ)」は、天武在世時。「弓弦葉(ゆづるは)」は、ユズリハ。「御井(みゐ)」は吉野の聖泉か。「より」は、動作の経過点を表す。弓削皇子(ゆげのみこ)と額田王(ぬかたのおほきみ)との間の、亡き天武天皇を偲んでの「鳥」についての相聞歌。

 

 

巻2-125

橘(たちばな)の 蔭(かげ)踏(ふ)む道の 八衢(やちまた)に 物をぞ思ふ 妹(いも)に逢はずして 

(作者) 三方沙弥。

(大意) 橘の蔭を踏む道が四方八方に分かれるように、あれこれと思い乱れる。妻に逢うこともなく。

(注釈) 「八衢(やちまた)に」のチマタは道の別れる所で、ヤチマタは分かれ道が多くて道に迷うことの喩え。

 

 

柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)の石見(いはみ)の国より妻に別れて上(のぼ)り来(こ)し時の歌二首并せて短歌 

巻2-131

石見(いはみ)の海(うみ) 角(つの)の浦(うら)みを 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟(かた)はなくとも 鯨魚(いさな)取(と)り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)なる 玉藻(たまも)沖つ藻 朝(あさ)はふる 風こそ寄せめ 夕(ゆふ)はふる 波こそ来(き)寄せ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜(つゆしも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は放(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門(かど)見む 靡(なび)けこの山

(作者) 柿本朝臣人麻呂。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

反歌二首

巻2-132

石見(いはみ)のや 高角山(たかつのやま)の 木(こ)の際(ま)より 我が振る袖を 妹(いも)見つらむか

(作者) 柿本朝臣人麻呂。

(大意) 石見の高角山の木のあたりから、私の振っている袖を妻は見ているだろうか。

(注釈) 「石見(いはみ)のや」のヤは間投助詞でヨの意。「木(こ)の際(ま)」のマは、アイダではなく、アタリ。但し、間(マ)とする資料も多い。「見つらむか」は、見ルの連用形ミ+完了(強意)のツの終止形+推量のラム+疑問の係助詞カで、見テイルカナア(実際には肉眼では見えないだろうから、感ジテクレテルカナア、の雰囲気)。

 

 

 

巻2-133

小竹(ささ)の葉は み山もさやに 乱(さや)げども 我れは妹思ふ 別れ来(き)ぬれば

(作者) 柿本朝臣人麻呂。

(大意) 小竹の葉は山の中を風でざわめいているが、私は妻のことだけを考えている。妻を置いて別れてきたので。

(注釈) 「さやに」は、快適な状態と、不安な状態の両方があり得るらしい。ここは後者。「乱(さや)げども」。ザワツクの意のサヤグの已然形+逆接確定条件の接続助詞ドモで、ザワザワシテイルガ。「別れ来(き)ぬれば」は、別ルの連用形+来(ク)の連用形キ+完了ヌルの已然形+順接確定の接続助詞バで、別レテ来タノデ。

 

 

或本の反歌に曰はく

巻2-134

石見(いはみ)なる 高角山(たかつのやま)の 木(こ)の間(ま)ゆも 我が袖振るを 妹見けむかも

(作者) 柿本朝臣人麻呂。

(大意) 石見の高角山の木の間から、私の振っている袖を妻は見ただろうか。

(注釈) 「見けむ」は、見ルの連用形+過去の推量ケム、であり、過去に見ただろうかと推量している。2−133と時制が異なる。

 

 

有間皇子(ありまのみこ)の自(みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結べる歌二首(その1) 

巻2-141

磐代(いはしろ)の 浜松が枝(え)を 引き結び ま幸(さき)くあらば また還り見む

(作者) 有間皇子(ありまのみこ)。

(大意) 磐代の浜松の枝を結び無事を祈るが、もし命があったら再び帰り路でこれを見るだろう。

(注釈) 「磐代(いはしろ)」は、和歌山県日高郡南部町岩代。「松が枝(え)を引き結」ブのは、寿を祈る習慣。「ま幸(さき)くあらば」は、美称のマ+無事デの意の幸ク+アリの未然形+順接仮定の接続助詞バで、無事デアッタナラバ。「見む」のムを推量ととるか意志ととるかで解釈が分かれる。

 

 

有間皇子(ありまのみこ)、自(みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結べる歌二首 (その2) 

巻2-142

家(いへ)にあれば 笥(け)に盛(も)る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎(しひ)の葉に盛る

(作者) 有間皇子(ありまのみこ)。

(大意) 家にいたならば食器に盛って食べる飯を、旅にあるので椎の葉に盛る。

(注釈) 「笥(け)」は器。ここでは食器。「草枕」は旅に掛かる枕詞。

 

 

十市皇女(とをちのひめみこ)の薨(かむあが)りましし時に、高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作りませる歌三首 (その3) 

巻2-158

山吹(やまぶき)の 立ちよそひたる 山清水(やましみづ) 酌(く)みに行かめど 道の知らなく

(作者) 高市皇子。

(大意) 山吹の花が美しく飾っている山の泉を汲みに行こうと思うが、ああ、道が分からない(十市皇女を蘇らせたいという気持ちを含んでいる)。

(注釈) 「立ちよそひたる」。「山清水(やましみづ)」は山の泉と黄泉の意味を併せ持つ。「行かめど」は、行クの未然形+意志を表すムの已然形+逆接確定条件の接続助詞ドで、行コウト思ウノダガ。「知らなく」は、ワカルの意の知ルの未然形+打消しの助動詞ズの未然形ナ+体言化するク語法のクで詠嘆の意を表し、分カラナイコトヨ。

 

 

大津皇子の屍(かばね)を葛城(かづらき)の二上山(ふたかみやま)に移し葬(はふ)りし時に、大伯皇女の哀(かな)しび傷(いた)みて作りませる歌(みうた)二首 (その1) 

巻2-165

うつそみの 人にあるわれや 明日(あす)よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)とわが見む

(作者) 大伯皇女。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

大津皇子の屍(かばね)を葛城(かづらき)の二上山(ふたかみやま)に移し葬(はふ)りし時に、大伯皇女の哀(かな)しび傷(いた)みて作りませる歌(みうた)二首 (その2) 

巻2-166

磯(いそ)の上(うへ)に 生(お)ふる馬酔木(あしび)を 手折(たを)らめど 見(み)すべき君が ありと言はなくに

(作者) 大伯皇女。

(大意) 岸のほとりに咲く馬酔木を手折ろうと思うのだが、それを見せたい弟がこの世にいるとは誰も言ってくれないのです。

(注釈) 「磯(いそ)の上(うへ)」は、岩ノホトリ、あるいは、岸ノホトリ。「馬酔木(あしび)」は山野に自生する常緑の潅木。「手折(たを)らめど」は、手折ルの未然形+意志のムの已然形+逆接確定条件の接続助詞ドで、手折ロウトスルノダガ。「ありと」は、生キテイルト。「言はなくに」は、言フの未然形+打消しの助動詞ズの未然形ナ+体言化するク語法のク+助詞ニで(ナクニで)詠嘆の意を表し、人ハ言ワナイコトコトデアル。

 

 

巻2-185

水伝(みなつた)ふ 磯(いそ)の浦廻(うらみ)の 石上(いそ)つつじ 茂(も)く開(さ)く道を またも見なむかも 

(作者) 柿本人麿か?舎人?

(大意) 水の寄せる磯の水際(みぎわ)に生えている磯つつじが茂って咲いている道を再び見ることがあるだろうか。

(注釈) 「水伝(みなつた)ふ磯(いそ)」の水伝フは水ガ流レルの意で、水ノ寄セル磯。「浦廻(うらみ)」は入り江の沿岸。「茂(も)く」は茂っている様。「開(さ)く」は咲く。「見なむかも」は、見ルの未然形+推量のナム+詠嘆のカモ。

 

 

讃岐(さぬき)の狭岑(さみね)の島にして、石の中に死(みまか)れる人を見て、柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首 并せて短歌 

巻2-220

玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国柄(くにから)か 見れども飽かぬ 神柄(かむから)か ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)とともに 足(た)りゆかむ 神(かみ)の御面(みおも)と 継ぎ来(きた)る 中(なか)の水門(みなと)ゆ 船浮(う)けて 我が漕(こ)ぎ来(く)れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖(おき)見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶(かぢ)引き折(を)りて をちこちの 島は多(おほ)けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯面(ありそも)に 盧(いほ)りて見れば 波の音(と)の 繁(しげ)き浜辺(はまへ)を 敷栲(しきたへ)の 枕になして 荒床(あらとこ)に ころ臥(ふ)す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来(き)も問はましを 玉桙(たまほこ)の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは

(作者)  柿本人麿。讃岐の中乃水門(なかのみなと)から、狭岑島(さみねのしま)今の沙弥島(しゃみじま)に渡った際、岩の間に死人を見たときに詠んだ長歌。

(大意) 長歌の前半では、讃岐を賛美し、中段では、波や風の激しい自然の厳しさを詠っており、後半では、岩の間に死人を見て、その人の親や妻のことに思いを馳せている。

 

 

反歌二首

巻2-221

妻もあらば 採(つ)みてたげまし 佐美の山 野の上(へ)のうはぎ 過ぎにけらずや

(作者) 柿本人麻呂

(大意) 妻がいたら、二人で摘んで食べていただろうに。佐美の山の野に生えた嫁菜(ヨメナ)は摘むにはもうすっかり時期が過ぎてしまっているのだろうな。

(注釈) 巻2-220の反歌。「たげまし」のタゲは食(タ)グの未然、マシは事実と異なる状況から愛惜を表す助動詞。「うはぎ」はヨメナのこと。「過ぎにけらずや」は、過グの連用形+完了のヌの連用形+詠嘆のケリの未然形+否定のズ+反語の終助詞ヤで、過ギテシマッテイナイハズガナイ。

 

 

巻2-222

沖つ波 来よる荒磯(ありそ)を敷栲(しきたへ)の 枕と枕(ま)きて 寝(な)せる君かも

(作者) 柿本人麻呂

(大意) あなたは、沖の波がうち寄せる荒磯を枕にして寝ていらっしゃるのですね。

(注釈) 巻2-220の反歌。「敷栲(しきたへ)の」は枕に掛かる。「枕と枕(ま)きて」は、直訳すると、枕トシテ枕スル、となる。「寝(な)せる」は、下ニ動詞の寝(ヌ)の未然形ナ+尊敬の助動詞ス(四段、上代語)の命令形セ+継続のリの連体形ル。

 

 

巻2-231

高円(たかまと)の 野辺(のへ)の秋萩(あきはぎ) いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに 

(作者) 笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の歌集。

(大意) 高円山の野辺の秋萩はむなしく咲いては散っているのだろうか。見る人もいなくて。

(注釈) 「高円(たかまと)」は高円山で、奈良市の東。「咲きか散るらむ」は、サクの連用形(体言扱いか)+疑問の係助詞カ+チルの終止形+推量のラムの連体形。

 

 


巻第3


 

鴨君足人(かものきみのたりひと)の香具山(かぐやま)の歌(うた)一首 并(あは)せて短歌 

巻3-257

天降(あも)りつく 天(あま)の香具山(かぐやま) 霞(かすみ)立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花(さくらばな) 木(こ)の暗(くれ)茂(しげ)に 沖辺(おきへ)には 鴨妻(かもつま)呼(よ)ばひ 辺(へ)つ方に あぢむら騒(さわ)き ももしきの 大宮人(おほみやひと)の 退(まか)り出て 遊ぶ船には 楫棹(かぢさを)も なくて寂(さぶ)しも 漕(こ)ぐ人なしに

(作者) 。

(大意) 。

(注釈)。

 

 

巻3-258

人漕がず あらくもしるし 潜(かづ)きする 鴛鴦(をし)とたかべと 船の上(うへ)に住む

(作者) 鴨君足人(かものきみのたりひと)。

(大意) 。

(注釈)。

 

 

巻3-259

何時(いつ)の間(ま)も 神(かむ)さびけるか 香具山(かぐやま)の 桙杉(ほこすぎ)が本(もと)に 薜(こけ)生(む)すまでに

(作者) 鴨君足人(かものきみのたりひと)。 

(大意) いつの間にかこれほど神々しくなったのだろうか。香具山の桙のような形の杉の根本に苔が生えるほどに。

(注釈) 。

 

 

或本の歌に曰はく 

巻3-260

天降(あも)りつく 神の香具山(かぐやま) 打ち靡(なび)く 春さり来(く)れば 桜花 木(こ)の暗(く)れ茂(しげ)に 松風に 池波立ちて 辺(へ)つ辺(へ)には あぢ群(むら)騒(さわ)き 沖辺(おきへ)には 鴨妻(かもつま)呼(よ)ばひ ももしきの 大宮人(おほみやひと)の 退(まか)り出て 漕ぐぎける舟は 竿梶(さをかぢ)も なくてさぶしも 漕(こ)がむと思へど

右は、今案(かむが)ふるに、都を寧楽(なら)に遷しし後に旧(ふる)きを怜(あはれ)びてこの歌を作れるか

(作者) 鴨君足人(かものきみのたりひと)。

(大意) 。

(注釈)。

 

 

長忌寸意吉麻呂(ながいのいみきおきまろ)の歌一首 

巻3-265

苦しくも 降り来(く)る雨か 神(みわ)の崎(さき) 狭野(さの)の渡りに 家もあらなくに 

(作者) 長忌寸意吉麻呂(ながいのいみきおきまろ)。 

(大意) 困ったことに降って来る雨だ。神の崎の狭野の渡りには家もないのになあ。

(注釈) 「苦しくも」は、精神的な苦しさ。「神(みわ)の崎(さき)狭野(さの)の渡り」は、和歌山県新宮市三輪崎。木の川の河口。「あらなくに」は、アリの未然形アラ+打消しの助動詞ズのク語法(名詞化)+接続助詞ニ(文末で用いられるときは詠嘆を表す)。

 

 

柿本朝臣人麻呂の歌一首

巻3-266

淡海(あふみ)の海(うみ) 夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり) 汝(な)が鳴けば 情(こころ)もしのに 古(いにしへ)思ほゆ 

(作者) 柿本人麻呂。 

(大意) 近江の海の夕浪を飛ぶ千鳥よ。おまえが鳴くと、心もしおれて昔のことが思われるなあ。

(注釈) 「淡海(あふみ)の海(うみ)」は琵琶湖。「鳴けば」は、鳴クの已然形+順接確定・恒常の接続助詞バ。「古」は近江朝の時代。「思ほゆ」は、思フの変化した思ホ+上代の自発の助動詞ユ。

 

 

巻3-271

桜田(さくらた)へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しおひ)にけらし 鶴(たづ)鳴き渡る

(作者) 高市黒人(たけちのくろひと)。羈旅(たび)の歌。

(大意) 桜田へ鶴(つる)が鳴き渡っている。年魚市潟(あゆちがた)の潮が引いたようだ。鶴が鳴き渡っている。

(注釈) 「桜田(さくらた)」は、名古屋市南区。「年魚市潟(あゆちがた)」は、名古屋市熱田区、南区一帯を指す。

 

 

巻3-277

とく来ても 見てましものを 山背(やましろ)の 高(たか)の槻群(つきむら) 散りにけるかも 

(作者) 高市黒人(たけちのくろひと)。羈旅(たび)の歌。

(大意) もっと早くに来て見ておけばよかった。山背の多賀のケヤキの木々が散ってしまったなあ。

(注釈) 「とく」は、早イトキニ。「見てまし」は、見ルの連用形+完了のツの未然形+反実仮想のマシ(・・シタラヨカッタ)で、見タラヨカッタノニ。 山背(やましろ)の 「高」は、京都府多賀。「槻」はケヤキ。「散りにけるかも」は、散ルの連用形+完了のヌの連用形ニ+過去・詠嘆のケリの連体形+詠嘆のカモ。

 

 

間人宿禰大浦(はしひとのすくねおほうら)の初月(みかづき)の歌二首 

巻3-289

天(あま)の原 ふりさけ見れば 白真弓(しらまゆみ) 張(は)りて懸(か)けたり 夜路(よみち)は吉(よ)けむ

(作者) 間人宿禰大浦。

(大意) 大空を振り仰いで遠くを見ると、白い真弓を張って空に懸けたように三日月が出ている。夜道はきっとよいことだろう。

(注釈) 「天(あま)の原」は大空。原は、海原のハラと同じ。「さけ」は遠くに目をやるの意のサクの連用形。「見れば」は、ミルの已然形+順接確定条件のバ。

 

 

大納言大伴卿(おほとものまへつきみ)が歌一首 いまだ詳(つばひ)らかならず

巻3-299

奥山(おくやま)の 菅(すが)の葉しのぎ 降る雪の 消(け)なば惜しけむ 雨な降りそね

(作者) 大伴旅人(おおとものたびと)。あるいは、大伴安麿か?。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)、不尽山(ふじのやま)を望める歌一首 并(あは)せて短歌 

巻3-317

天地(あめつち)の 分(わか)れし時ゆ 神(かむ)さびて 高く貴(たふと)き 駿河(するが)なる 不尽(ふじ)の高嶺(たかね)を 天(あま)の原(はら) 降(ふ)り放(さ)け見れば 渡る日の 影(かげ)も隠(かく)らひ 照る月の 光も見えず 白雲(しらくも)も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける 語り継(つ)ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は

(作者) 山部赤人。

(大意) 天地の分かれた時から神々しく高く貴い富士の高嶺に天遠く目をやると、空を渡る太陽の光も隠し、照る月の光も見えず、白雲も行きとどこおり、絶え間なく雪は降る。語り継ぎ、言ひ継いで行こう。富士の高嶺を。

(注釈) 「不尽山(ふじのやま)」は富士山。「時ゆ」は、時カラ。「神(かむ)さびて」は、神々シクテ。「天(あま)の原(はら)」のハラは広がりを表す。「降(ふ)り放(さ)け」は、目ヲ遠クヘヤッテ。「影(かげ)」は光。「隠(かく)らひ」は、カクルの未然形カクラ+反復・継続の助動詞フの連用形ヒ。「い行きはばかり」のイは接頭語、ハバカリはためらうこと。「時じくそ」は、季節ヲ選バズ、常ニ。

 

 

反歌 

巻3-318

田子(たご)の浦(うら)ゆ うち出(い)でて見れば 真白(ましろ)にそ 不尽(ふじ)の高嶺(たかね)に 雪は降りける

(作者) 山部赤人。

(大意) 田子の浦を通って広いところに出てみると、真白に富士の高嶺に雪が降っているなあ。

(注釈) 「田子(たご)の浦(うら)」は静岡県富士川の西方の海岸。「ゆ」は経過する地点を表す。「うち出(い)でて」のウチは接頭語で広々としたところに出ること。「不尽(ふじ)の高嶺(たかね)」は富士山。

 

 

不尽の山を詠(よ)む歌一首 并(あは)せて短歌 

巻3-319

なまよみの 甲斐(かひ)の国 うち寄する 駿河(するが)の国と こちごちの 国のみ中(なか)ゆ 出(い)で立てる 不尽の高嶺(たかね)は 天雲(あまくも)も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず 燃(も)ゆる火を 雪もち消(け)ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひもえず 名づけも知らず くすしくも います神かも 石花(せ)の海と 名付けてあるも その山の つつめる海ぞ 不尽河と 人の渡るも その山の 水のたぎちそ 日本(ひのもと)の 大和(やまと)の国の 鎮(しづ)めとも 座(いま)す神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 不尽の高嶺は 見れど飽(あ)かぬかも

(作者) 未詳。

(大意) 甲斐の国や駿河の国のあちこちの国の真ん中から聳え立っている富士山は、天雲も行くところを失い、飛ぶ鳥もそこまでは飛び上れず、燃える火を雪で消して、降る雪を火で消しつつ、言いようもなく、名づけようもなく、霊妙な神でいらっしゃる。石花の海と名付けてある湖も、その山が包んでいる海である。不尽河といって人が渡る河もその山の水の激しい流れである。 日の本の大和の国の守護としていらっしゃる神である。宝としてできあがった山である。駿河の富士の高嶺は見飽きることがないなあ。

(注釈) 「なまよみの」は、甲斐に掛かる枕詞か?「甲斐(かひ)」は山梨県。「うち寄する」は、波のことで、駿河の枕詞。「駿河(するが)」は静岡県。「こちごちの」は、両方ノ国の意。「中(なか)ゆ」は、真ん中から。「不尽(ふじ)の高嶺(たかね)」は富士山。「い行きはばかり」のイは接頭語、ハバカリはためらうこと。「燃(も)ゆる火」は噴火の火。富士山は当時まだ噴火していた。「消(け)ち」は他動詞四段消ツの連用形。「くすしくも」は、神妙ナ。「石花(せ)の海」は、西湖・精進湖。「たぎち」は激流。「日本(ひのもと)」は、日本の国号の所以であるが、古書で日本をヒノモトとというのはこれだけらしい。「鎮(しづ)め」は守護。「宝とも」は、宝トシテ。「見れど飽(あ)かぬかも」は、見ルの已然形+逆接確定条件のド+飽クの未然形+打消しのヌの連体形+感動詠嘆の終助詞カモで、見テイテモ飽キナイコトヨ。

 

 

反歌 

巻3-320

不尽の嶺(ね)に 降り置く雪は 六月(みなつき)の 十五日(もち)に消(き)ゆれば その夜降りけり

(作者) 未詳。

(大意) 富士山に降り積もる雪は、六月(みなつき)十五日(もち)に消えるならば その夜に降るということだ。

(注釈) 「不尽の嶺(ね)」は富士山。「六月(みなつき)の 十五日(もち)に消(き)ゆれば」については、旧暦の六月十五日に富士山の雪が消える、という言い伝えがあったらしい。

 

 

反歌 

巻3-321

不尽の嶺(ね)を 高み畏(かしこ)み 天雲(あまくも)も い行きはばかり たなびくものを

(作者) 未詳。

(大意) 富士山が高くて恐れ多いので、天雲も行くところを失いたなびいているなあ。

(注釈) 「不尽の嶺(ね)」は富士山。「高み」は形容詞高シの語幹タカ+原因・理由を表す接尾語ミ。「い行きはばかり」のイは接頭語、ハバカリはためらうこと。「ものを」は、形式名詞のモノ+終助詞ヲであり、詠嘆を表す。

 

 

大宰少弐(だざいのせうに)小野老朝臣(をののおゆのあそみ)の歌一首 

巻3-328

あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の 薫(にほ)ふがごとく 今盛りなり

(作者) 小野老朝臣。 

(大意) 美しい奈良の都は、咲く花が照り輝くようにいま盛りである。

(注釈) 「あをによし」は、奈良の枕詞。「薫(にほ)ふ」は、美しい色に輝く、の意。

 

 

巻3-330

藤波(ふぢなみ)の 花は盛りに なりにけり 奈良の都を 思ほすや君

(作者) 防人司佑(さきもりのつかさのすけ)大伴四綱(おほとものよつな)。

(大意) 藤の花が波うって盛りになったなあ。奈良の都を思い出していらっしゃるのでしょうか。貴方は。

(注釈) 「藤波(ふぢなみ)の」は、藤が波打つ様子。「君」は、同座の人たち。

 

 

巻3-334

わすれ草(ぐさ) わが紐(ひも)に付く 香具山の 古(ふ)りにし里を 忘れむがため

(作者) 大伴旅人(おおとものたびと)。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

沙弥満誓(さみまんせい)の綿を詠める歌一首  造筑紫観音寺別当(つくしのくわんおんじをつくるべっとう)、俗姓は笠朝臣麻呂(かさのあそみまろ)なり

   

巻3-336

しらぬひ 筑紫(つくし)の綿は 身に付けて いまだは着(き)ねど 暖(あたた)かに見ゆ

(作者) 沙弥満誓(さみまんせい)。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、酒を讃(ほ)むるの歌十三首 

巻3-338

験(しるし)なき 物(もの)を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁(にご)れる酒(さけ)を 飲むべくあるらし

(作者) 大伴旅人。 

(大意) かいのないことに思いなどせずに、一杯の濁った酒を飲むべきであるらしい。

(注釈) 「験(しるし)」は、効果、キキメ。「思はずは」のズハの解釈にかなり迷った。上の大意のように解釈するのが自然であるが、品詞をどのように理解すると上の解釈のようになるか、ということである。普通に使われる順接仮定条件(・・ナイナラバの意)ではないことはわかる。上代の特殊用法として、打消しズの連用形+係助詞ハで、モシ・・セズニスムナラ・・スルホウガヨイ、の意、と辞書にあるが、ちょっと違和感がある。係助詞ハは軽く添えただけ、という解釈を採ると、・・セズニ・・スルホウガヨイとなる。どうやら、この最後の解釈をしているようだ。「濁(にご)れる酒(さけ)」はドブロク。

 

 

巻3-354

日置少老(へきのをおゆ)が歌一首

繩(なは)の浦に 塩焼くけぶり 夕されば 行き過ぎかねて 山にたなびく

(作者) 日置少老(へきのをおゆ)

(大意) 繩の浦に塩を焼く煙は、夕方になるとなかなか消えて行かずに山に棚引いている。

(注釈) 「繩(なは)の浦」兵庫県相生市那波町の海岸。製塩が行われていた。「夕されば」は、夕方ニナルの意の夕サルの已然形+順接のバ。「行き過ぎかねて」のカネは、〜シ続ケルコトガデキナイの意で活用のある接尾語カヌの連用形。

 

 

山部宿禰赤人の、故(なき)太政大臣(おほきおほまえつきみ)藤原家(ふぢはらのいへ)の山池(しまのいけ)を詠(よ)める歌一首 

巻3-378

いにしへの 古き堤(つつみ)は 年深(としふか)み 池の渚(なぎさ)に 水草(みぐさ)生(お)ひにけり

(作者) 山部赤人。

(大意) 主の亡くなった邸では、昔の古い堤は年を経たので、池の渚は水草が生えているなあ。

(注釈) 「故(なき)太政大臣」は藤原不比人。「年深(としふか)み」のミは原因理由を表す接尾語で、年ヲ経タノデ。

 

 

大伴坂上郎女、神を祭るの歌一首 并(あは)せて短歌 

巻3-379

ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 生(あ)れ来(きた)る 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝に 白香(しらか)つけ 木綿(ゆふ)とり付けて 斎瓮(いはひべ)を 斎(いは)ひほり据(す)ゑ 竹玉(たかだま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿猪(しし)じもの 膝(ひざ)折り伏して 手弱女(たわやめ)の おすひ取り懸(か)け かくだにも われは祈(こ)ひなむ 君に逢はぬかも

(作者) 大伴坂上郎女。

(大意) 久方の天から生まれてきた神よ。奥山の榊(さかき)の枝に白香をつけ、木綿(ゆふ)の幣をとりつけ、酒を入れるかめを土を掘って据えて、竹玉をたくさん貫き通し、鹿や猪のように膝を折って伏して、女の衣を上に掛けて、このようにして私はお祈りしましょう。あの方にお会いできないでしょうか。

(注釈) 「ひさかたの」は、天の悠久さを意味し、天などに掛かる枕詞。「天(あま)の原(はら)」のハラは広がりを表す。「賢木(さかき)」は、神を祭る木。「白香(しらか)」は榊等につけた白髪?「木綿(ゆふ)」は、楮(こうぞ)の皮の繊維で幣を作った。「斎瓮(いはひべ)」酒を入れるカメ。「ほり据(す)ゑ」は、掘って据える。「竹玉(たかだま)」は、竹を切って玉のように連ねたもの。「鹿猪(しし)じもの」は、シシのように。「手弱女(たわやめ)」は、タヲヤカナ女で、マスラヲに対する。「おすひ」は、上におおう長衣。「祈(こ)ひなむ」は、コフの連用形+完了のヌの未然形+意志のム。「逢はぬかも」は、アフの未然形+願望のヌカモ(打消しのズの連体形ヌ+係助詞のカ+係助詞モ)。

 

 

反歌 

巻3-380

木綿畳(ゆふだたみ) 手に取り持ちて かくだにも われは祈(こ)ひなむ 君に逢はぬかも

右の歌は、天平五年の冬の十一月をもちて、大伴の氏(うぢ)の神に供(そな)へ祭(まつ)る時に、いささかこの歌を作れり。故に神を祭る歌といふ。

(作者) 大伴坂上郎女。

(大意) 木綿畳を手に持って、このように私はお祈りしましょう。ぜひともあの方にお会いしたいのです。

(注釈) 「木綿畳(ゆふだたみ)」は木綿(ユフ)を畳んだもの。「祈(こ)ひなむ」は、コフの連用形+完了のヌの未然形+意志のム。「逢はぬかも」は、アフの未然形+願望のヌカモ(打消しのズの連体形ヌ+係助詞のカ+係助詞モ)。われは祈(こ)ひなむ 君に逢はぬかも。

 

 

 

巻3-382

鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国に 高山(たかやま)は 多(さは)にあれども 明(あき)つ神の 貴(たふと)き山の 並(なみ)立ちの 見が欲(ほ)し山と 神代(かみよ)より 人の言ひ継(つ)ぎ 国見(くにみ)する 筑波(つくば)の山を 冬ごもり 時じき時と 見ずて行かば まして恋(こほ)しみ 雪消(ゆきげ)する 山道(やまみち)すらを なづみぞ我が来(け)る

(作者) 丹比真人国人(たぢひのまひとくにひと)。

(大意) 鶏が鳴く東の国に高い山は沢山あるけれども、現神である貴い山、並び立つ是非見たい山と 神代より言い伝えられてきた国見する筑波山を、冬ごもりの時期に季節外れだとして見ずに行ってしまったならばいっそう恋しくなるだろうなと思いながら、雪解けの山道ではあるが、難儀しながら登ってきたなあ。

(注釈) 「鶏(とり)が鳴く」は日の昇る東の縁語。「明(あき)つ神」については、記述通りで現神のことであるとする説と、「明」は「朋」の誤記であるとして朋神つまり二神であるとする説があるようだ。「見が欲(ほ)し」は、じっと見ていたいと思うほど素晴らしいの意。「国見(くにみ)」は、高いところから支配する領地をすることだったが、後には、眺望を楽しむ意にも使われた。「時じき時」は、季節外レノ時。「まして」は、ナオイッソウ。「山道(やまみち)すら」は、雪消の山道デサエモ。「なづみぞ我が来(け)る」は、はかどらないことを意味するナヅムの連用形+強意のゾ+我ガ+来(キ)アリの約の連体形。

 

 

反歌 

巻3-383

筑波嶺(つくばね)を 外(よそ)のみ見つつ ありかねて 雪消(ゆきげ)の道を なづみ来(け)るかも

(作者) 丹比真人国人(たぢひのまひとくにひと)。

(大意) 筑波嶺(つくばね)を遠くから見ているだけではすまず、雪解けの道を難儀しながら来たなあ。

(注釈) 「外(よそ)」は、外ノ関係ナイモノトシテ。「ありかね」は、アリ+〜シ続ケラレナイの意のカネ。「なづみ来(け)るかも」は、はかどらないことを意味するナヅムの連用形+来(キ)アリの約の連体形+詠嘆のカモ。

 

 

巻3-391

鳥総(とぶさ)立(た)て 足柄(あしがら)山に 船木(ふなき)伐(き)り 樹(き)に伐(き)り行(ゆ)きつ あたら船材(ふなき)を

(作者) 造筑紫観世音寺別当 沙弥満誓(さみのまんせい)。譬喩歌。

(大意1) トブサを立てて足柄山に船材を伐(き)り、伐って持っていってしまった。惜しい木を伐ってしまった(いい娘だったのに)。

(大意2) トブサを立てて足柄山に船材を伐(き)り、ただの木材として伐っていってしまった。惜しい船材だったのに。

(注釈) 「鳥総(とぶさ)立て」は、トブサが木の枝の先であり、伐採した後にトブサを立てて供える習慣か。「足柄山」は、神奈川県足柄上・下両郡と静岡県の境界付近の箱根山群の総称。「舟木」は船を作るのに用いる木。「樹(き)に伐(き)り行(ゆ)きつ」は、材料として伐って持っていく、という意味。船材としてではなく材料として伐っていたことを意味するという説もある。「あたら」は惜シイ。上に大意を二つ書いたが、譬喩歌とすれば前者か。「造筑紫観世音寺別当」は筑紫の観世音寺建設担当の長官。

 

 

笠女郎(かさのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌三首 

巻3-395

託馬野(つくまの/たくまの)に 生ふる紫草(むらさき) 衣(きぬ)に染め 未だ着ずして 色に出でにけり

(作者) 笠女郎(かさのいらつめ)。

(大意) 託馬野に生えているという紫草のむらさき色に衣を染めたように、未だ着てもいないのに(顔に出てしまったのでしょうか)人に知られてしまいましたね。

(注釈) 「託馬」はツクマともタクマとも読める。ツクマと読んで滋賀県米原付近とするのが多いようである。詫間には、歌人故香川進が、託馬は素直にタクマと読むべき、と説いた説明碑とともに、歌碑が設けられている。「生(お)ふる」は生フの連体。紫草(ムラサキ)は、外来の染色法で染め、高貴な色。「色に出でにけり」は、出(イ)ヅの連用形の出デ+完了のヌの連用形ニ+詠嘆のケリ。

 

 

巻3-396

陸奥(みちのく)の 真野(まの)の草原(かやはら) 遠けども 面影(おもかげ)にして 見ゆといふものを 

(作者) 笠女郎(かさのいらつめ)。

(大意) 陸奥の真野の草原は、遠くにあっても面影となって目の前に見える、ということですのに(近くにいらっしゃる貴方にはお会いできない)。

(注釈) 「陸奥(みちのく)」は、今の福島、宮城、岩手、青森。「真野(まの)」は福島県相馬郡鹿島町。「面影(おもかげ)」は、実物のように目の前に見えること。「ものを」は形式名詞モノ+逆接の接続助詞ヲで、・・ノニ。当時、このような言い伝えがあったのであろう。

 

 

巻3-397

奥山の 岩本菅(いはもとすげ)を 根(ね)深めて 結びし心 忘れかねつも

(作者) 笠女郎(かさのいらつめ)。 

(大意) 奥山の岩のもとに生えた根の深いすげのように、深く契った気持ちを忘れられません。

(注釈) 「菅(すげ)を」のスゲは根が深いものであり、深ク結ブにつないでいる。「忘れかねつも」は、忘ルの連用形+活用のある接尾語で・・デキナイの意のカヌの連用形カネ+完了のツの終止形+詠嘆の係助詞モ。

 

 

娘子(をとめ)の、佐伯宿禰赤麿(さえきのすくねのあかまろ)の贈れるに報(こた)へたる歌一首

巻3-404

ちはやぶる 神の社(やしろ)し 無かりせば 春日(かすが)の野辺に 粟(あは)蒔(ま)かましを

(作者) 娘子(をとめ)。誰のことか未詳。 

(大意) あの恐ろしい神様の社がなければ春日野の辺に粟を蒔きたいのですが(あの方がいなければ、貴方にお会いしたいのですが)。

(注釈) 「ちはやぶる」は、神にかかる掛かる枕詞で恐ロシイの意味がある。「無かりせば」は、無シの連用形ナカリ+過去の助動詞キの未然形セ+順接仮定条件のバ。「神の社(やしろ)」は春日神社で、赤麿の前カノ又は妻のこと。「粟(あは)蒔(ま)かましを」は、粟+蒔クの未然形マカ+願っても実現思想のないことを希望する助動詞マシ+詠嘆のヲで、逢ウコトを意味する逢ハマクに掛けている。

 

 

勝鹿(かつしか)の真間娘子(ままのをとめ)の墓を過ぎし時に、山部宿禰赤人が作れる歌一首 并せて短歌 [東(あづま)の俗語に曰く「かづしかのままのてご」] 

巻3-431

古(いにしへ)に ありけむ人の 倭文機(しつはた)の 帯解きかへて 伏屋(ふせや)立て 妻(つま)どひしけむ 勝鹿(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てこな)が 奥つ城(おくつき)を こことは聞けど 真木(まき)の葉や 茂りたるらむ 松(まつ)の根や 遠く久しき 言(こと)のみも 名のみもわれは 忘らえなくに

(作者) 山部赤人。

(大意) 昔いたという男が、倭文機の帯を解き交わして伏す小屋を立てて求婚したという、勝鹿の真間の手児名の墓はここだと聞くのだが、真木の葉が茂ってしまったからだろうか、松の根が長く伸びるように遠く久しく時が経ってしまったからだろうか、墓の在り処は分からないが、名前だけでも私はいつまでも忘れられないだろう。

(注釈) 「葛飾(かつしか)」は下総国葛飾郡。「真間(まま)」は千葉県市川市。「真間娘子(ままのをとめ)」は、当時伝誦の美女。真間の手児奈。「ありけむ人の」のケムは過去に対する推量・伝聞で、ヒトは男。「倭文機(しつはた)」は当時外来の織り方に対する古来の織り方の意味で倭文と書く。「帯解きかへて」のカヘは交わすことであるが、手児名は未婚のまま入水した伝承もあり、相違する。しかし、様々な伝承があったらしい。又、帯ヲ解キ交ワシテ伏ス、ソノ伏屋ヲ、という意味にもとれる。「伏屋(ふせや)」は、妻と二人だけで入る小屋。「妻(つま)どひ」は求婚。「奥つ城(おくつき)」は、墓。「聞けど」は、聞クの已然形+逆接確定のド。「言(こと)のみも」は、見ることができないが噂だけでも、の意。「名のみもわれは 「忘らえなくに」は、忘ルの未然形+上代の自発・可能のユの未然形エ+打消しのズのク用法+接続助詞ニで、忘レラレナイコトダナア。

 

 

反歌 

巻3-432

われも見つ 人にも告げむ 勝鹿(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てこな)が 奥つ城(おくつき)ところ

(作者) 山部赤人。

(大意) 私も見た。人にも伝えていこう。勝鹿の真間の手児名の奥つ城どころを。

(注釈) 「見つ」は、見ルの連用形ミ+完了のツの終止形。「告げむ」は、告グの未然形+意志のムの終止形。「葛飾(かつしか)」は下総国葛飾郡。「真間(まま)」は千葉県市川市。「手児名」は、当時伝誦の美女。「奥つ城(おくつき)ところは、墓。

 

 

反歌 

巻3-433

葛飾(かつしか)の 真間(まま)の入江(いりえ)に うち靡(なび)く 玉藻(たまも)刈りけむ 手児名(てこな)し思ほゆ

(作者) 山部赤人。

(大意) 葛飾の真間の入江になびいている美しい藻を刈ったという手児名のことが思われる。

(注釈) 「葛飾(かつしか)」は下総国葛飾郡。「真間(まま)」は千葉県市川市。「玉藻(たまも)」の玉は美称。「刈りけむ」は、刈ルの連用形+過去推量のケムの連体形。「手児名(てこな)」は当時言い伝えられていた美女。「し思ほゆ」は、強調の副助詞シ+自然に思ワレルの意の思ホユの終止形。

 

 

和銅四年辛亥(しんがい)。河辺宮人(かはへのみやひと)、姫島(ひめしま)の松原に美人(よきひと)の屍(かばね)を見て、哀慟(かなし)びて作れる歌四首 

巻3-434

風早(かさはや)の 美保(みほ)の浦廻(うらみ)の 白(しら)つつじ 見れどもさぶし なき人思へば 

[或は云はく、見れば悲しも無き人思ふに]

(作者) 河辺宮人(かはへのみやひと)。

(大意) 風早の美保の浦の白つつじを見てもやはり寂しい。亡くなった人のことを思うと。

(注釈) 「風早(かさはや)の美保(みほ)」は、広島県、和歌山県と多説ある。「浦廻(うらみ)」は、入り江の湾曲しているところ。「見れども」は、ミルの已然形+逆接確定条件のドモで、ミテモ。「さぶし」はサビシの上代語。 なき人思へば。

 

巻3-447

鞆(とも)の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相(あひ)見し妹(いも)は 忘れえめやも

(作者) 大伴旅人(おおとものたびと)。

(大意) 鞆の浦の磯に生えたむろの木を見るたびに、一緒に見た妻を忘れることはないだろう。

(注釈) 旅人が太宰府での任を終え京都に戻るときに、赴任先で亡くなった妻を想い読んだ歌。「鞆(とも)の浦」は、広島県福山市。「むろの木」は、ヒノキ科の常緑樹で、現在のネズの木。「相(あひ)」は、動詞について、一緒ニ〜スルの意を持つ接頭語。「忘れえめやも」は、ワスルの未然形+自発のユの未然形エ+未来のムの已然形メ+反語の意の詠嘆の終助詞ヤモで、忘レテシマウコトナドアロウカ。

 

 


巻第4


 

額田王、近江天皇(あふみのすめらみこと)を思(しの)ひて作れる歌一首 

巻4-488

君待つと 我が恋ひをれば わがやどの すだれ動かし 秋の風吹く

(作者) 額田王。 

(大意) わが君を待って恋しく思っていると、私の家のすだれ動かして秋の風が吹いています。

(注釈) 近江天皇(あふみのすめらみこと)は天智天皇。「をれば」は、ヲリの已然形+接続助詞バで、順接恒常条件。「すだれ動かし」は、すだれの動きが、待っている人が来る予兆という考えによる。

 

 

藤原宇合大夫(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)、遷任して京に上る時に、常陸娘子(ひたちのをとめ)が贈る歌一首 

巻4-521

庭に立つ 麻手(あさて)刈り干し 布(ぬの)さらす 東女(あづまをみな)を 忘れたまふな

(作者) 常陸娘子(ひたちのをとめ)。

(大意) 庭に立っている麻を刈り干し、布をさらしている東国の卑しい女ですが、どうぞ私を忘れないで下さい。

(注釈) 「麻手(あさて)」は麻。「東女(あづまをみな)」については、東国人は都の人からは低く見られていた。

 

 

巻4-575

草香江(くさかえ)の 入江にあさる 葦鶴(あしたづ)の あなたづたづし 友(とも)無(な)しにして 

(作者) 大伴旅人。

(大意) 草香江の入江で餌をあさっている葦辺の鶴のように、私はこころもとない状態にいます。友と遠く離れていて。

(注釈) 「草香江(くさかえ)」は、大阪府牧岡氏日下町。生駒山の西麓で、当時は入り江があった。一説では、福岡市中央区草香江、大濠公園の辺り。「葦鶴(あしたづ)」は、葦辺にいる鶴であり、ここまでがタヅタスシを導く序。「たづたづし」は、タドタドシの上代語であり、ボンヤリシテイル、心モトナイ。「友無しにして」のニシテは、格助詞ニ+接続助詞で順接のシテで、〜ナノデとなるらしい。なお、この歌は、沙弥満誓(さみのまんせい)から送られた歌に対する答えの歌であり、友は満誓を指す。

 

 

巻4-632

目には見て 手には取らえぬ 月の内(うち)の 楓(かつら)のごとき 妹(いも)をいかにせむ

(作者) 湯原王(ゆはらのおほきみ)。

(大意) 目には見えるのに手に取ることのできない月の中の桂のようなあなたをどうしたらよいのだろうか。

(注釈) 「月の内(うち)の楓(かつら)」は、月の中に桂がある、という中国の伝説からきている。

 

 

巻4-649

夏葛(くず)の 絶えぬ使(つかひ)の よどめれば 事(こと)しもあるごと 思ひつるかも

(作者) 大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)。

(大意) 夏の葛のように、絶えることのなかった使者が最近絶えてしまったので、なにか事があったのかと思ってしまいました。

(注釈) 「夏葛(くず)の」は絶エヌに掛かる枕詞。「よどめれば」は、ヨドムの命令形+完了のリの已然形+順接確定の接続助詞バ。「思ひつるかも」は、思フの連用形+完了の助動詞ツの連体形ツル+詠嘆の助詞カモ。

 

 

春日王(かすがのおほきみ)の歌一首 志貴皇子の子、母は多紀皇女(たきのひめみこ)といへり

巻4-669

あしひきの 山橘の 色に出でよ 語(かた)らひ継ぎて 逢ふこともあらむ

(作者) 春日王。 

(大意) あしひきの山橘の色のように、気持ちを表に出してください。そうすれば、言葉を交わし続けているうちに逢うこともあるでしょう。

(注釈) 「あしひきの」は山に続く枕詞。「山橘」はヤブコウジ。赤い実をつける。「色に出でよ」は、気持チヲ表ニ出シナサイ。「語(かた)らひ」は、語ルの未然形+上代の反復・継続のフからなる語ラフ(話シ続ケル)の連用形。「逢ふ」は恋愛・結婚のこと。上代では、恋愛と結婚の区別があいまい(結婚制度が整っていなかった)。

 

 

豊前国(とよのみちのくちのくに)の娘子(をとめ)、大宅女(おほやけめ)の歌一首、いまだ姓氏を審(つばひ)らかにせず 

巻4-709

夕闇(ゆふやみ)は 路(みち)たづたづし 月待ちて 行(い)ませ我が背子(せこ) その間(ま)にも見む

(作者) 豊前国(とよのみちのくちのくに)の娘子(をとめ)、大宅女(おほやけめ)。

(大意) 夕闇は路が確かではありません。月が出るのを待ってお出かけなさい。貴方。その間、貴方を見ていたいのです。

(注釈) 「たづたづし」はタドタドシイ。「行(い)ませ」は行クの尊敬語イマスの命令形。

 

 

安都扉娘子(あとのとびらのをとめ)の歌一首 

巻4-710

み空行く 月の光に ただ一目(ひとめ) あひ見(み)し人の 夢(いめ)にし見ゆる

(作者) 安都扉娘子(あとのとびらのをとめ)。

(大意) 空を渡る月の光の下でたった一目見たあの方が、私の夢に現れたのよ。

(注釈) 「夢(いめ)にし見ゆる」は、ユメニ+強意の助詞シ+ミエルの意のミユの連体形。ノやガが用いられた場合、終止形で結ぶ例と連体形で結ぶ例がある。なお、自分が相手を思っているか、相手が自分を思っていると、相手が夢に現れるという考えがあった。

 

 


巻第5


 

巻5-798

妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに 

(作者) 山上憶良。 

(大意) 妻が見た楝の花は今まさに散りそうだ。私の涙はいまだ乾かないのに。

(注釈) 「楝(あふち)」はセンダン。「散りぬべし」は、散ルの連用形+完了のヌの終止形+当然の意のベシで、何かが寸前の状態にあることを示している。「なくに」は、打消しのズのク語法ナク+助詞ニで、・・デハナイノニ。この助詞ニは、詠嘆を含む接続助詞的に働いているが、格助詞、間投助詞、終助詞のどれであるか、私にはよく分からない。

 

 

山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)の、惑(まと)へる情(こころ)を反(かへ)さしむる歌一首 并(あわ)せて 序(じょ)

或(ある)は人あり。父母(ふぼ)を敬(うやま)ふことを知りて、侍養(じやう)を忘れ、妻子(めこ)を顧(かへり)みずして脱履(だつし)よりも軽(かろ)みす。自(みづか)ら倍俗(ばいぞく)先生(せんせい)と称(い)ふ。意気(こころばへ)は青雲(せいうん)の上に揚(あが)るといへども、身体はなほ塵俗(ぢんぞく)の中(うち)に在り。いまだ修行(しゆぎやう)得道(とくだう)の聖(ひじり)を験(あらは)さず。けだし山沢(さんたく)に亡命する民ならむ。所似(かれ)、三綱(さんかう)を指示し、更(また)五教(ごけう)を開き、遺(おく)るに歌をもちてして、その惑(まと)ひを反(かへ)さしむ。歌に曰(い)はく、 

巻5-800

父母(ちちはは)を 見れば貴(たふと)し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世間(よのなか)は かくぞ道理(ことわり) もち鳥(どり)の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱(ぬ)き棄(つ)るごとく 踏(ふ)み脱(ぬ)きて 行(ゆ)くちふ人は 石木(いはき)より なり出(で)し人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行(ゆ)かば 汝がまにまに 地(つち)ならば 大君(おほきみ)います この照らす 日月(ひつき)の下(した)は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 聞(きこ)し食(を)す 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに しかにはあらじか

(作者) 山上憶良。

(大意) 父母を見れば尊く、妻子を見ると胸が痛くなるほど可愛いくいとしい。世間ではそれが道理である。モチに掛かった鳥のように、なかなか離れられない。世間を逃れて行く先が分からないのだから。穴の開いた靴を脱ぎ捨てるように、世の中を抜け出て行こうとする人は 石木から生まれでた人なのだろうか。貴方の名を名のりなさい。貴方が天に行くのであれば貴方の思うままでよいだろうが、もしこの大地を進むのならば、大君がおいでですから、勝手なことは許されません。この照り渡る太陽や月の下は、雲の横たわる果てまで、ヒキガエルの這いまわる果てまで、大君がお治めになる素晴らしい国である。あれこれと欲するままにしても良いのだろうが、私の言うことが正しいのではなかろうか。

(注釈) 「めぐし」は、胸ガ苦シク感ジル。「愛(うつく)し」は、可愛ラシイ。「もち鳥(どり)」のは、モチニ引ッカカッタ鳥。「かからはしもよ」は、引ッカカッテ離レニクイの意のカカラハシ+感動を表す助詞モヨ。「ゆくへ知らねば」は、已然形+順接のバであるから、行クベキトコロガ分カラナイノデ。 「穿沓(うけぐつ)」は、穴ノ開イタ靴。「行(ゆ)くちふ人は」は、行クトイウ人。「告(の)らさね」は、ノルの未然形ノラ+尊敬のスの未然形サ+要望を表す終助詞ネで、名ヲ告ゲテホシイ。「大君(おほきみ)います」は、大君ガオイデニナル(ノデ勝手ナコトハデキナイ)、という意味。「向伏(むかぶ)す極(きは)み」は、ムカブスがハルカ向コウニ横タワルの意なので、地上ノ果テ、ということになる。「たにぐくのさ渡る極み」は、祝詞に見える慣用句で、ヒキガエルガ歩キマワル果テ。「聞(きこ)し食(を)す」は、オ納メニナル。「国のまほらぞ」は、国ノスグレタトコロ。「かにかくに」は、アレコレト。「欲(ほ)しきまにまに」は、欲スルママニ。「しかにはあらじか」は、上に述べたことを元に相手に判断を求めている。なお、「かにかくて」以降の部分の意味の解釈は難しいが、欲するままにしてもよいが、私の言うことのほうが妥当ではないか、という意味に採った。

 

 

反歌 

巻5-801

ひさかたの 天路(あまぢ)は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)を為(し)まさに

(作者) 山上憶良。

(大意) はるかな天への道はとても遠いのだから、おとなしく家に帰って仕事に励みなさい。

(注釈) 「ひさかたの」は、無限、雨、月等の枕詞。「なほなほに」は、オトナシク。「業(なり)」は生業。「為(し)まさに」は、スルの意のスの連用形シ+尊敬のサ変補助動詞マスの未然形マサ+勧誘の終助詞ナの訛りニらしく、スルホウガヨイの意。

 

 

山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)の、子らを思(しの)へる歌一首と反歌。

釈迦(しゃか)如来(にょらい)の、金口(こんく)に正に説(と)きたまはく、「等(ひと)しく衆生(しゆじやう)を思ふことは、らごらのごとし」と。また説きたまはく、「愛(うつくしび)は子に過ぎたるはなし」と。至極(しごく)の大聖(たいしょう)すら、なほ子を愛(うつくし)ぶる心ます。いはむや世間(よのなかの)の蒼生(あをひとくさ)の、誰れか子を愛(うつくし)びざらめや。

巻5-802

瓜(うり)食(は)めば 子ども思(おも)ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ 何処(いづく)より 来(きた)りしものぞ  眼交(まなかひ)に もとな懸(かか)りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ

(作者) 山上憶良。

(大意) 瓜を食べると子供のことが思われる。栗を食べるとさらにいっそう偲ばれる。いったい、子供というのはいかなる因縁によって来たものだろうか。目の先にちらついて安眠させてくれない。

(注釈) 「瓜」はまくわうり。「食(は)めば」は、食ムの已然形+接続助詞バで順接、食ベルト。「思ほゆ」は思ワレル。「偲(しの)はゆ」は偲フの未然+自発の助動詞ユ(上代語。自発の助動詞ルに対応)。「何処(いづく)より」はイズ方ノ因縁ニ基ヅイテ。「眼交(まなかひ)」は目と目の間、目の前のこと。「もとな」はヤタラニ。「懸(かか)りて」は。「安眠(やすい)し」の「し」は強意。「寝(な)さぬ」は寝(ヌ)の他動詞形ナスの未然形+否定の助動詞ヌで、眠ラセナイ。憶良は仏教の知識が深く、この歌も大きく影響を受けている。

 

 

反歌 

巻5-803

銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝(まさ)れる宝 子に及(し)かめやも

(作者) 山上憶良。

(大意) 銀も金も玉もなんの役に立とう。優れた宝も、子供に及ぶことなどあろうか。

(注釈) 「何せむに」はナンニナロウカ。「及(し)かめやも」は、匹敵するの意の及クの未然形+推量のムの已然形+反語の意の終助詞ヤモで、及ブコトナドアロウカ。

 

 

大伴淡等(おほとものたびと)謹みて状(まを)す

梧桐(ごとう)の日本琴(やまとこと)一面 対馬(つしま)の結石山(ゆひしやま)の孫枝(ひこえ)なり 

この琴の夢(いめ)に娘子(をとめ)に化(な)りて曰(い)はく、「余(われ)、根(ね)を遙島(えうとう)の崇(たか)き巒(みね)に託(つ)け、幹(から)を九陽(くやう)の休(よ)き光に晞(ほ)す。長く煙霞(えんか)を帯びて、山川(さんせん)の阿(くま)に逍遙(せうえう)し、遠く風波を望みて、雁木(がんぼく)の間(あひだ)に出入す。ただ百年の後(のち)に、空(むな)しく溝壑(こうかく)に朽(く)ちなむことを恐るるのみ。たまたま良匠に遭(あ)ひて、散(けづ)られて小琴と為(な)る。質の麁(あら)く音の少(とも)しきを顧(かへり)みず、つねに君子の左琴(さきん)を希(ねが)ふ」といへり。すなはち歌ひて曰(い)はく、

巻5-810

いかにあらむ 日の時にかも 声知らむ 人の膝(ひざ)の上(へ) わが枕(まくら)かむ

(作者) 大伴旅人。 

(大意) どのようないつの日に、音楽を理解するひとの膝の上に枕することができるのでしょう。

(注釈) 「日本琴(やまとこと)」は六弦。「左琴(さきん)を希(ねが)ふ」については、書は右に、琴は左に置くらしい。「声知らむ」は、音楽を理解する。「枕(まくら)かむ」は、枕スルの意の四段動詞マクラクの未然形+推量のム。

 

 

筑前(つくしのみちのくち)の国怡土郡(いとのこほり)深江(ふかえ)の村(むら)子負(こふ)の原に、海に臨める丘の上に、二つの石あり。大きなるは、長さ一尺二寸六分、囲(めぐり)一尺八寸六分、重さ十八斤(こん)五両、小(すこ)しきは、長さ一尺一寸、囲一尺八寸、重さ十六斤十両。ともに楕円にして、状(かたち)は鶏子(とりのこ)のごとし。その美好(うるは)しきは、論(あげつら)ふに勝(た)ふべからず。所謂(いはゆる)径尺(けいせき)の璧(たま)是なり。[或は云はく、この二つの石は肥前(ひのみちのくち)の国彼杵郡(そのきのこほり)平敷(ひらしき)の石なり、占(うら)に当りて取れりといふ]深江(ふかえ)の駅家(うまや)を去ること二十里ばかりにして、路の頭(ほとり)に近くあり。公私の往来に、馬より下りて跪拝(きはい)せずといふことなし。古老相伝へて曰はく「往者(いにしへ)、息長足日女命(おきながたらしひめのみこと)、新羅(しらき)の国を征討(ことむ)けたまひし時に、この両(ふた)つの石をもちて、御袖(みそで)の中(うち)に挿著(さしはさ)みて鎮懐(しずめ)と為(し)たまひき。[実(まこと)にはこれ御裳(みも)の中なり]所以(かれ)、行く人、この石を敬拝(けいはい)す」といへり。すなはち歌を作りて曰はく、

巻5-813

懸けまくは あやに畏(かしこ)し 足日女(たらしひめ) 神の命(みこと) 韓国(からくに)を 向(む)け平(たひ)らげて 御心(みこころ)を 鎮(しづ)めたまふと い取らして 斎(いは)ひたまひし 真珠(またま)なす 二つの石を 世の人に 示したまひて 万代(よろづよ)に 言ひ継ぐがねと 海(わた)の底 沖(おき)つ深江(ふかえ)の 海上(うなかみ)の 子負(こふ)の原(はら)に 御手(みて)づから 置かしたまひて 神(かむ)ながら 神(かむ)さび座(いま)す 奇魂(くしみたま) 今の現(をつつ)に 尊(たふと)きろかむ

(作者) 未詳。

(大意) 口に出すのも恐れ多いことである。神宮皇后が、新羅を平定され、お心を静めるためにお取りになってお祀りになったすばらしい玉のような二つの石を、世の人にお示しになって万代までも語り継ぐようにと、深江の海を望む子負の原に、御自らお置きになったのだが、神そのものながら、神々しい不思議な御霊であるその石は、今現在もなお尊くいらっしゃる。

(注釈) 「懸けまくは」は、口ニ出シテ云ウコトハ。「あやに畏(かしこ)し」は、何トモイエズ恐レ多イ。「足日女(たらしひめ)」は、息長足日女命(おきながたらしひめのみこと)、神宮皇后。「韓国(からくに)」は新羅。「い取らして」は、接頭語のイ+取ルの未然形+尊敬のスの連用形+接続助詞のテで、お取りになって。「真珠(またま)」は、美しい玉。「言ひ継ぐがね」は、言ヒ継ぐの連体形+〜ヲスベシの意の接続助詞ガネ。「海(わた)の底 沖(おき)つ」は深江を導く序。深江は、福岡県糸島市。「神(かむ)ながら」は、神ソノモノデ。「神(かむ)さび」は神々シク。「奇魂(くしみたま)」は、不思議な霊魂。「尊(たふと)きろかむ」は、尊シの連体形+語調を整える接尾語ロ+詠嘆のカモと同じカム。

 

 

巻5-814

天地(あめつち)の ともに久しく 言ひ継げと この奇魂(くしみたま) 敷(し)かしけらしも

右の事、伝へ言ふは、那珂郡(なかのこほり)の伊知(いち)の郷(さと)蓑島(みのしま)の人、建部牛麻呂(たけべのうしまろ)なり。

(作者) 未詳。

(大意) 天地と共に永く言い継ぐようにと、不思議な精霊の石をここに敷いて置かれたのだろう。

(注釈) この歌は、巻5-813の反歌。「奇魂(くしみたま)」は、不思議な霊魂。「敷(し)かしけらしも」は、敷クの未然形+尊敬のスの連用形シ+推定のケラシ(伝聞過去・詠嘆のケリ+推定のラシの変化)+詠嘆のモ。敷クは、(不思議ナ石ヲ)敷イテオク、とも、統治スルの意味にもとれる。上では、前者を採った。 。

 

 

巻5-816

梅の花 今咲ける如(ごと) 散り過ぎず わが家(へ)の園(その)に ありこせぬかも

(作者) 少弐(せうに)小野太夫(をののだいぶ)

(大意) 梅の花が今咲いているように、散り過ぎることなくわが家の園に咲き続けてほしいものだ。

(注釈) 「ありこせぬかも」は、アリの連用形+希望の助動詞コスの未然形+打消しの助動詞ズの連体形+詠嘆のカモで、アッテホシイモノダ。意味が逆になっているように感じるが、上代語では、ヌカモで希望を表している。

 

 

巻5-822

わが園に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来(く)るかも  

(作者) 大伴旅人。

(大意) わが園に梅の花が散る。ひさかたの天から雪が流れて来るなあ。

(注釈) 「ひさかたの」は、天の枕詞。

 

 

巻5-834

梅の花 今盛りなり 百鳥(ももとり)の 声の恋(こほ)しき 春来たるらし

(作者) 少令史田氏肥人(せうりやうしでんじのこまひと)。

(大意) 梅の花は今を盛りに咲いている。沢山の鳥の声が恋しい春がやってきたようだ。

(注釈) 梅の花 今盛りなり 百鳥(ももとり)の 声の恋(こほ)しき 「春来たるらし」は、来(ク)の連用形キ+完了のタリの連体形タル+原因・理由を推定する助詞ラシで、春ガ既ニ来タヨウダ。

 

 

巻5-902

水沫(みなわ)なす 微(いや)しき命(いのち)も 栲縄(たくなは)の 千尋(ちひろ)にもがと 願ひ暮らしつ

(作者) 山上憶良。

(大意) 水の泡のようにはかない命ではあるが、栲縄の千尋の程も長くあってほしいと願ひ暮らしている。

(注釈) 「水沫(みなわ)なす」は、水ノ泡の意のミナワ+・・ノヨウニ・・スルの意のナスの連体形。「微(いや)しき」は卑下した表現。「栲縄(たくなは)」は、楮(こうぞ)等の繊維で作った縄。「尋」は両手を広げた長さ。「にもが」は、指定の格助詞ニ+希望を表す終助詞モガ。

 

 


巻第6


 

神亀(じんき)元年甲子(かふし)の冬の十月の五日に、紀伊(き)の国に幸(いでま)しし時に、山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)が作れる歌一首 并(あは)せて短歌 

巻6-917

やすみしし わご大君(おほきみ)の 常宮(とこみや)と 仕(つか)へまつれる 雑賀野(さひかの)ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に 風吹けば 白波騒(さわ)き 潮干(ふ)れば 玉藻(たまも)刈りつつ 神代より しかそ貴(たふと)き 玉津島山(たまつしまやま)

(作者) 山部赤人。 

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

反歌二首

巻6-918

沖つ島 荒磯(ありそ)の玉藻 潮(しほ)干(ひ)満ち い隠(かく)りゆかば 思ほえむかも

(作者) 山部赤人。 

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

巻6-919

若の浦に 潮満ち来れば 潟(かた)を無み 葦辺(あしへ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る

(作者) 山部赤人。 

(大意) 和歌の浦に潮が満ちてくると潟がなくなるので、葦辺に向かって鶴が鳴き渡っていくなあ。

(注釈) 「若の浦」は今の和歌の浦。「を無み」は、・・ガナイノデ。

 

 

山部宿禰赤人が作れる歌ニ首 并(あは)せて短歌 

巻6-923

やすみしし わご大君(おほきみ)の 高(たか)知(し)らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠(こも)り 川なみの 清き河内(かふち)ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧(きり)立ちわたる その山の いやますますに この川の 絶ゆることなく ももしきの 大宮人(おほみやひと)は 常に通(かよ)はむ

(作者) 山部赤人。 

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

反歌二首 

巻6-924

み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだも騒(さわ)く 鳥の声かも

(作者) 山部赤人。 

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

巻6-925

ぬばたまの 夜(よ)の更(ふ)けぬれば 久木(ひさき)生(お)ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く

(作者) 山部赤人。 

(大意) ぬばたまの夜が更けてしまうと、久木の生える清き川原に千鳥がしきりに鳴くなあ。

(注釈) 「ぬばたまの」は、夜、黒などに掛かる枕詞。「更(ふ)けぬれば」は、夜ガフカクナルの更ク(カ行下二)の連用形+完了のヌルの已然形+順接確定・恒常条件の接続助詞バで、夜ガ更ケテシマウトイツモ。

 

 

辛荷(からに)の島を過ぐる時に、山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)が作れる歌一首 并せて短歌 

巻6-942

あぢさはふ 妹(いも)が目離(か)れて 敷栲(しきたへ)の 枕もまかず 桜皮(かには)巻き 作れる船に 真楫(まかぢ)貫(ぬ)き わが漕(こ)ぎ来(く)れば 淡路(あはぢ)の 野島(のしま)も過ぎ 印南(いなみ)つま 辛荷(からに)の島の 島の際(ま)ゆ 吾家(わぎへ)を見れば 青山の そことも見えず 白雲(しらくも)も 千重(ちへ)になり来(き)ぬ 漕(こ)ぎたむる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々(さきざき) 隈(くま)も置かず 思ひそ吾が来(く)る 旅の日(け)長み

(作者) 山部赤人。

(大意) 妻から遠くはなれ、柔らかい枕もせずに、桜皮を巻いて作った船の両舷に梶を通してここまで漕いでくると、淡路島の野島も過ぎ、印南の端から辛荷島の辺りから我家の方を見ると、青い山々のどこにあるかも見えずに、白雲が重なってきている。漕いで廻る浦のどこでも、行き隠れする島のどの岬でも、いつも家のこと思いだされる。旅の日数が長いので。

(注釈) 「あぢさはふ」はメに掛かる枕詞。「離(か)れて」は、離レル、遠ザカルの意のカルの連用形+接続助詞テ。「敷栲(しきたへ)」は、枕などにかかる枕詞。「まかず」は枕ニスルの意のマクの未然形マカ+打ち消しのズ。「桜皮(かには)」は、カバ(樺)あるいはウワミズザクラ。「真楫(まかぢ)」の眞は美称で、楫は、カジ、ロ、カイ等船を動かす道具の総称。「印南(いなみ)つま」のツマは端。「隈(くま)も置かず」はタエズ。「旅の日(け)長み」のナガミは、形容詞ナガシの語幹+原因理由の接尾語ミで、長イノデ。

 

 

反歌 

巻6-943

玉藻(たまも)刈る 辛荷(からに)の島に 島廻(しまみ)する 鵜(う)にしもあれや 家思はざらむ

(作者) 山部赤人。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

反歌 

巻6-944

島隠(がく)り わが漕(こ)ぎ来(く)れば 羨(とも)しかも 倭(やまと)へ上(のぼ)る ま熊野の船

(作者) 山部赤人。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

反歌 

巻6-945

風吹けば 波か立たむと さもらひに 都太(つだ)の細江(ほそえ)に 浦隠(うらがく)り居(を)り

(作者) 山部赤人。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

冬十一月に、大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)、帥(そち)の家を発(た)ちて道に上(のぼ)り、筑前国(つくしのみちのくちのくに)の宗像郡(むなかたのこほり)の名児山(なごやま)を越えし時に作れる歌一首 

巻6-963

 大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神こそは 名づけ始(そ)めけめ 名のみを 名児山(なごやま)と負(お)ひて わが恋の 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)めなくに

(作者) 大伴坂上郎女。

(大意) 大汝(おほなむち)と少彦名(すくなびこな)の神たちが初めて名付けたそうなのだが、名前だけは名児山(なごやま)とついているのに、私の恋の苦しみの千分の一も慰めてくれない。

(注釈) 「大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)」は、大国主命と少彦名の神。この二神が国づくりをしたという言い伝えによる。「名づけ始(そ)めけめ」は、初めて名前を付けるの意のナヅケソムの連用形+伝承による推測のケムの已然形ケメ。コソ+已然形で逆接確定条件。「名児山(なごやま)」は、下のナグサムに音が近い。「負(お)ひて」は、名ヲ持ツの(名ヲ)負フの連用形+逆接のテで、名前ヲ持ッテイルノニ。「千重(ちへ)の一重(ひとへ)」は、千分の一、ワズカ。「なくに」は、打消しのズのク語法ナク+終助詞?ニで詠嘆、〜ナイノダナア。そうであって欲しくない思いを含む表現。

 

 

三年辛未(かのとひつじ)に、大納言大伴卿、寧楽(なら)の家に在りて、故郷を思ふ歌二首 

巻6-969

しましくも 行きて見てしか 神名火(かむなび)の 淵(ふち)は浅さびて 瀬にかなるらむ

(作者) 大伴旅人。

(大意) ちょっと行って見てきたいものだ。神名火の川(飛鳥川)の淵が浅くなって瀬になっているだろうか。

(注釈) 「しましく」はシバラクノアイダ。「てしか」は、完了のツの連用形+終助詞シカで実現を願望する意となる。「神名火(かむなび)」「浅さびて」は、浅クナルの意のアサブの連用形+完了のツの連用形テ(接続助詞テ)。「かなるらむ」は、疑問の係助詞のカ+ナルの終止形+推量のラムの連体形で、・・ニナッテイルダロウカ。

 

 

巻6-970

指進(さしずみ)の 栗栖(くるす)の小野(をの)の 萩(はぎ)が花 散らむ時にし 行きて手向(たむ)けむ

(作者) 大伴旅人。

(大意) 指進の栗栖の小野の萩が散るころには故郷に行って幣を手向けよう。

(注釈) 「指進(さしずみ)」は未詳。「栗栖(くるす)」は飛鳥の一部。「手向(たむ)けむ」は、幣ヲ手向ケヨウ。

 

 

四年壬申(みづのえさる)に、藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)、西海道(さいかいだう)の節度使(せつどし)に遣(つか)さえし時に、高橋連虫麿(たかはしのむらじむしまろ)が作れる歌一首 并(あは)せて短歌 

巻6-971

白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山(いほへやま) い行きさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山の極(そき) 野の極(そき)見よと 伴の部(とものべ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくに さ渡る極(きは)み 国形(くにかた)を 見(め)したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山(やま)たづの 迎へ参出(まゐで)む 君が来まさば 

(作者) 高橋虫麿。 

(大意) 白雲のたつ龍田山が露や霜に色づく時に、山を越えて旅行くあなたは、重なり合う山々を踏み分けて進み、防衛に当たる筑紫に至り、山の果て、野の果てまでも監視するように部下の兵士を遣わし、やまびこが答える果てまでも、ヒキガエルが渡り歩く果てまでも国の状況をご覧になり、冬が終わり春になったならば、飛ぶ鳥のように早く帰っておいでなさい。龍田道の岡の辺りの道に真っ赤なつつじの映えるときに、桜の花が咲くときに、山たづのようにお出迎えいたしましょう。あなたがお帰りになるときは。

(注釈) 「い行きさくみ」のイは接頭語。サクミは踏ミ分ケルの意のサクムの連用形。「敵(あた)まもる」については、筑紫は防衛の最前線。「伴の部(とものべ)」は部下。「班(あか)ち」のアカツは分カツと同じ。「たにぐく」はヒキガエル。「国形(くにかた)」は国の状況。「見(め)したまひて」は、見ルの敬語見(メ)スの連用形(スは上代の尊敬のス)+尊敬の補助動詞タマフの連用形+接続助詞テ。タマフは尊敬の助動詞スに付いて最高級の尊敬を表す。「冬こもり」は冬の終わり。「春さりゆかば」のサルは、時間や季節が来ることを表す。「にほはむ時の」のニホフは、美しい色に照り輝くことをさす。「山(やま)たづ」は、今のニワトコの木で、葉が互いに向き合っているので出迎えの様子として用いている。「来まさば」は、来ルの連用形キ+丁寧のマスの未然形+順接仮定条件のバ。

 

 

反歌一首  

巻6-972

千万(ちよろづ)の 軍(いくさ)なりとも 言挙(ことあ)げせず 取りて来(き)ぬべき 男(をのこ)とそ思ふ

右は、補任(ぶにん)の文(ふみ)に検(ただ)すに、「八月の十七日に、東山・山陰・西海の節度使(せつどし)を任ず」と。

(作者) 高橋虫麿。 

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

六年甲戌(きのえいぬ)に、海犬養宿禰岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)の、詔(みことのり)に応(こた)へたる歌一首  

巻6-996

御民(みたみ)われ 生(い)ける験(しるし)あり 天地(あめつち)の 栄ゆる時に あへらく思へば

(作者) 海犬養宿禰岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)。 

(大意) 天皇の民である私は、本当に生きている甲斐がある。天地がこのように栄えている時代に出会っていることを思うと。

(注釈) 「御民(みたみ)」は、民、つまり自分のことを指しているが、天皇の民であるため「御民」となっている。 「生(い)ける」は、生クの命令形イケ+存続完了のリの連体形ル。平安時代以降は、助動詞リは已然形に接続するものと解釈する。「験(しるし)」は、甲斐がぴったりする。「あへらく」は、アフの命令形アヘ+存続完了のリの未然形ラ+ク語法で、アヘリを名詞化している。

 

 

 

巻6-998

眉(まよ)のごと 雲居(くもゐ)に見ゆる 阿波(あは)の山 懸(か)けて漕(こ)ぐ舟 泊(とまり)知らずも 

(作者) 船王(ふなのおほきみ)。 

(大意) 遠い空に眉のように見える阿波の山を目指して漕いでいる船は何処に泊まるのだろうか。

(注釈) 「雲居(くもゐ)」は、雲ノアルトコロ、つまり、空。に見ゆる 「阿波(あは)の山」は、阿波ノ国ノ山。「懸(か)けて」は、心ニ掛ケテ、目指シテ。「知らずも」の「も」は、文末にあって詠嘆を表す係助詞。

 

 

冬の十一月に、左大弁(さだいべん)葛城王(かづらきのおほきみ)等(たち)に、姓(かばね)橘(たちばな)の氏(うぢ)を賜ひし時の御製歌(おおみうた)一首 

巻6-1009

橘(たちばな)は 実さへ花さへ その葉さへ 枝(え)に霜降れど いや常葉(とこは)の木

右は、冬の十一月の九日に、従三位葛城王と従四位上左為王(さゐのおほきみ)等(たち)と、皇族の高名を辞して外家(ぐわいか)の橘の姓を賜はること已に訖(をは)りぬ。時に、太上天皇(おほきすめらみこと)、皇后(おほきさき)、ともに皇后宮にありて、肆宴(とよのあかり)をなし、すなはち橘を賀(ほ)く歌を御製(つくりたま)ひ、并せて御酒(みき)を宿禰(すくね)等に賜へり。或いは云はく「この歌一首は太上天皇の御歌なり。ただし、天皇皇后の御歌各一首あり」といへり。その歌遺落(ゐらく)して、いまだ探り求むること得ず。今案内を検(かむがふ)るに、「八年の十一月の九日に、葛城王等、橘宿禰の姓を願ひて表(へう)を上(たてまつ)る。十七日をもちて、表の乞(ねがひ)によりて橘宿禰を賜ふ」といへり。

(作者) 聖武天皇。 

(大意) 橘は実さへも、花さへも、その葉さへも、枝に霜が降っても益々栄える常緑の木である。

(注釈) 「いや」は益々盛んなことを表す接頭語。

 

 

同じき月の十一日に、活道(いくぢ)の岡に登り、一株(ひともと)の松の下に集ひて飲(うたげ)せる歌二首 

巻6-1042

一つ松 幾代(いくよ)か経(へ)ぬる 吹く風の 音(おと)の清きは 年深みかも

(作者) 市原王(いちはらのおほきみ)。

(大意) この一本松は幾代を経ているのだろうか。吹く風の音が清澄なのは、年が経っているからだなあ。

(注釈) 「一つ松」は一本松。「年深みかも」のミは原因理由を表す接尾語、カモは終助詞カ+係助詞モで詠嘆の意を表し、年ガ経ッテイルカラダナア、となる。

 

 

巻6-1046

石綱(いはつな)の また変若(を)ちかへり あをによし 奈良(なら)の都を また見なむかも

(作者) 未詳。

(大意) 岩を這う蔦(つた)のように、また若返って奈良の都をまた見るのだろうか。

(注釈) 「石綱(いはつな)」は、イハツタに同じ(nとtとの交替)で、葛や蔦が次々と若返ってツルを延ばすことからヲツの枕詞となっている。「変若(を)ち」は、若返ルの意の変若ツの連用形。「あをによし」は奈良の枕詞。「見なむかも」は、見(ミ)の連用形+完了の助動詞ヌの未然形ナ+推量の助動詞ム+詠嘆の終助詞カモで、見ルノダロウカナア。

 

 

寧楽(なら)の故郷を悲しびて作れる歌一首 并(あは)せて短歌 

巻6-1047

やすみしし 我が大君の 高敷(たかし)かす 大和(やまと)の国は すめろきの 神の御代(みよ)より 敷きませる 国にしあれば 生(あ)れまさむ 御子(みこ)も継(つ)ぎ継ぎ 天(あめ)の下(した) 知らしまさむと 八百万(やほよろづ) 千年(ちとせ)を兼ねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日山(かすがやま) 御笠(みかさ)の野辺(のへ)に 桜(さくらばな)花 木(こ)の暗(くれがく)隠り 貌鳥(かほどり)は 間(ま)なくしば鳴く 露霜(つゆしも)の 秋さり来(く)れば 生駒山(いこまやま) 飛火(とぶひ)が岳(たけ)に 萩(はぎ)の枝(え)を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響(とよ)む 山見れば 山も見が欲(ほ)し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十(やそ)伴(とも)の男(を)の うちはへて 思へりしくは 天地(あめつち)の 寄り合ひの極(きは)み 万代(よろづよ)に 栄えゆかむと 思へりし 大宮すらにを 頼めりし 奈良の都を 新(あらたよ)代の ことにしあれば 大君の 引きのまにまに 春花の うつろひ変り 群鳥(むらとり)の 朝(あさ)立(た)ち行けば さす竹の 大宮人の 踏(ふ)み平(なら)し 通(かよ)ひし道は 馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも

(作者) 未詳。 

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

巻6-1048

たちかはり 古き都と なりぬれば 道の芝草(しばくさ) 長く生(お)ひにけり 

(作者) 田辺福麿。

(大意) 昔と変わって古い都となってしまったので、道の芝草長く生い茂ってしまったなあ。

(注釈) たちかはり 古き都と 「なりぬれば」は、ナルの連用形+完了のヌの已然形ヌレ+順接確定条件のバ。

 

 

巻6-1049

なつきにし 奈良の都の 荒れゆけば 出で立つごとに 嘆きしまさる

(作者) 田辺福麿。

(大意) 慣れ親しんだ奈良の都が荒れていくので、外に出てみるたびに嘆きが更につのる。

(注釈) 「なつきにし」は、慣レ親シムのナツクの連用形+完了のヌの連用形+過去のキの連体形シ。「荒れゆけば」は荒レユクの已然形+順接確定条件のバ。

 

 


巻第7


 

巻7-1119

往(ゆ)く川の 過ぎにし人の 手折(たを)らねば うらぶれ立てり 三輪(みわ)の檜原(ひばら)は

右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。

(作者) 柿本人麻呂歌集。

(大意) 流れ行く川のように去っていった人が手折らなかったので、三輪の檜原がさびしげに立っている。

(注釈) 「手折(たを)らねば」は、手折ルの未然形+打消しのズの已然形+順接確定条件の接続助詞バで、手折ラナイノデ。 「うらぶれ」は、サビシソウニ。「檜原(ひばら)」は、三輪には檜が多かったため、地名化していたものか。

 

 

巻7-1156

住吉(すみのえ)の 遠里(とほさと)小野(をの)の 真榛(まはり)もち 摺(す)れる衣(ころも)の 盛(さか)り過ぎゆく

(作者) 未詳。

(大意) 住吉の遠里小野の美しい榛で摺り染めにした衣があせていく(盛りの年が過ぎていく)。

(注釈) 「遠里(とほさと)小野(をの)」は大阪市住吉区と堺市。夫々に遠里小野(おりおの)町がある。「真榛(まはり)」は榛(ハン)の美称。「摺(す)れる」は、四段摺ルの命令形+完了のリの連体形。

 

 

巻7-1163

年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しおひ)にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ

(作者) 未詳。 

(大意) 年魚市潟(あゆちがた)の潮が引いたようだ。知多の浦に朝漕ぐ舟も 沖に寄っているのが見える。

(注釈) 年魚市潟(あゆちがた)は、名古屋市熱田区、南区一帯を指す。知多の浦は、名古屋市何部から東海、知多市に広がる伊勢湾に面した遠浅の海岸を指す。「見ゆ」は、下ニ自動詞で、現在の見エル。

 

 

巻7-1175

足柄(あしがら)の 箱根飛び越え 行く鶴(たづ)の ともしき見れば 倭(やまと)し思ほゆ

(作者) 未詳。雑歌。

(大意) 足柄の箱根を飛び越えて行く鶴の羨ましい様子をみていると、大和のことが思い出される。

(注釈) 「足柄」は、神奈川県の足柄地方。「ともし」はウラヤマシイ。「思ほゆ」は思ワレル。

 

 

巻7-1230

ちはやぶる 金(かね)の岬(みさき)を 過ぐれども われは忘れじ 志賀(しか)の皇神(すめかみ)

(作者) 未詳。

(大意) 波の荒い金の岬を無事に過ぎたとはいえ、私は志賀の皇神のおかげを決して忘れはしない。

(注釈) 「ちはやぶる」は神に掛かる。「金(かね)の岬(みさき)」は、福岡県宗像の北端で有数の難所。「志賀(しか)の皇神(すめかみ)」は志賀島に祭る海神。そのご加護で金の岬を通れたと感謝している。志賀島は、現在は福岡市東区にある陸続きの島。志賀海神社(しかうみじんじゃ)があり、綿津見(ワタツミ・海の神)を祀る。

 

 

巻7-1257

道の辺(へ)の 草深(くさふか)百合(ゆり)の 花咲(はなゑみ)に 咲(ゑ)まひしからに 妻と言ふべしや

(作者) 未詳。

(大意) 道の辺の草深い中に咲いている百合の花が咲くように、ちょっと微笑んだからといって妻であるというべきでしょうか(妻といわれる筋合いはありません)。

(注釈) 「草深(くさふか)百合(ゆり)」は、草深イ中ニ咲イテイル。「花咲(はなゑみ)」は、花の咲くことであり、笑顔のたとえにもいう。「咲(ゑ)まひしからに」は、ホホエムの意のヱマフの連用形ヱマヒ+過去のキの連体形シ+原因理由を表す接続助詞カラニ(名詞カラ+格助詞ニ)で、笑顔ヲ見セタカラ。「言ふべしや」は、イフの終止形+適当の助動詞ベシの終止形+反語の係助詞(終助詞)ヤ。

 

 

巻7-1257

道の辺(へ)の 草深(くさふか)百合(ゆり)の 花咲(はなゑみ)に 咲(ゑ)まひしからに 妻と言ふべしや

(作者) 未詳。

(大意) 道の辺の草深い中に咲いている百合の花が咲くように、ちょっと微笑んだからといって妻であるというべきでしょうか(妻といわれる筋合いはありません)。

(注釈) 「草深(くさふか)百合(ゆり)」は、草深イ中ニ咲イテイル。「花咲(はなゑみ)」は、花の咲くことであり、笑顔のたとえにもいう。「咲(ゑ)まひしからに」は、ホホエムの意のヱマフの連用形ヱマヒ+過去のキの連体形シ+原因理由を表す接続助詞カラニ(名詞カラ+格助詞ニ)で、笑顔ヲ見セタカラ。「言ふべしや」は、イフの終止形+適当の助動詞ベシの終止形+反語の係助詞(終助詞)ヤ。

 

 

巻7-1297

紅(くれない)に 衣染(そ)めまく 欲しけども 着てにほはばか 人の知るべき

(作者) 未詳。

(大意) 紅色に衣を染めたいのだけれども、もしそれを着て鮮やかに映えてしまったら、(貴方に会いたいことが)人に知られてしまうだろうか。

(注釈) 「紅(くれない)」は、紅花(べにばな)の別名であり、また、紅花で染めた色でもある。「染(そ)めまく」は、染ム(下ニ)の未然形染メ+推量のムのク用法マクで、染メヨウトスルコト。「にほはばか」は、鮮やかに映えることを表す匂フの未然形匂ハ+順接のバ+疑問のカで、モシ匂ッタナラバドウナルノダロウカ。従って、この歌は、人ニ知ラレテハ困ル、デモ、ソレヲ着テ貴方ニ会イタイ、という気持ちを表す。

 

 

巻7-1301

海神(わたつみ)の 手に巻き持てる 玉(たま)ゆゑに 磯の浦廻(うらみ)に 潜(かづき)するかも

(作者) 柿本人麻呂歌集。

(大意) 海の神が手に巻いて離さずに持っている玉なので、磯の浦廻でで苦労して潜って取ろうとするのだなあ。

(注釈) 「玉(たま)」は、手に入れ難い女性を表す。「磯の浦廻(うらみ)」は、浦ノ湾曲部。「潜(かづき)するかも」は、(海神が大事にしている玉のようなものだから)潜って取るのに苦労するだろう、という気持ちを表している。

 

 

巻7-1330

南淵(みなぶち)の 細川山に 立つ檀(まゆみ) 弓束(ゆづか)纏(ま)くまで 人に知らえじ

(作者) 未詳。

(大意) 二人だけで寄り添って会えるまでは、知られないようにしよう。

(注釈) 「南淵(みなぶち)」は飛鳥の南。「立つ檀(まゆみ)」は、立ッテイルマユミ、であり、ここまでは第四句に掛かる序。「弓束(ゆづか)」は、弓の中央の握る部分であって、革などを巻く。「弓束(ゆづか)纏(ま)くまで」は、束に革を巻くまで、つまり、二人ガ寄リ添ッテ逢ウマデハ、の意。「知らえじ」は、知ルの未然形+受け身のユの未然形+打消しの意志のジで、知ラレルマイ。

 

 

巻7-1359

向(むか)つ岡(を)の 若桂(わかかつら)の木 下枝(しづえ)取り 花待つい間(ま)に 嘆きつるかも

(作者) 未詳。 

(大意) 向いの岡の若い桂の木の下枝を手に取り、花が咲くのを待っている間に、何度もため息が出たなあ。

(注釈) 「花待つい間(ま)に」のイは接頭語。「嘆きつるかも」は、タメ息ヲツクの意の嘆くの連用形+完了のツの連体形+詠嘆のカモ。

 

 

巻7-1367

三国山(みくにやま) 木末(こぬれ)に住まふ むささびの 鳥待つがごと われ待ち痩(や)せむ

(作者) 未詳。

(大意) 三国山の木の梢に住むむささびが鳥を待つように、私もあなたを待ち続けてやせ細るでしょう。

(注釈) 「三国山(みくにやま)」は、摂津、越前など諸説がある。「木末(こぬれ)」は、木のこずえ。われ待ち痩(や)せむ。

 

 

巻7-1387

伏越(ふしこえ)ゆ 行かましものを 守(まも)らひに うち濡(ぬ)らさえぬ 波数(よ)まずして

(作者) 未詳。

(大意) 伏越を通って行けばよかったものを、ためらっているうちに波に濡れてしまった。潮時を読まなかったために。

(注釈) 「伏越(ふしこえ)」は、這って越えるような険しい山道。高知県安芸郡野根町の伏越ノ鼻(ふしごえのはな)との説もある。「ゆ」は、〜を通っての意の助詞。「行かましものを」は、行クの未然形行カ+事実と違うことを思う助動詞マシの連体形+形式名詞モノと助詞ヲが繋がり〜ノニの意の接続助詞モノヲで、行ケバヨカッタノニ。「守(まも)らひに」は、ジット見守ルの意の守ラフの連用形+〜ノデの意の順接確定のニで、ジット見守ッテイタタメニ。 「うち濡(ぬ)らさえぬ」は、動詞につく接頭語ウチ+濡レルの意の濡ルの未然形+使役のスの未然形サ+受け身のユの連用形+完了のヌで、濡レサセラレタ。「波数(よ)まずして」は、タイミングヲ計ラズニの意。