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横浜市旭区白根の万葉歌碑

白根公園にある万葉歌碑には、武蔵国都筑郡の防人夫婦の歌が書かれています。なお、当時の都筑郡は今の横浜市の都筑区よりもかなり広く、旭区も含まれていました。

わが行きの 息衝(いきつ)くしかば 足柄の 峰延(は)ほ雲を 見とと思はね (巻20-4421) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。

(大意) 私の旅が胸を苦しくしたら、足柄山にひろがる雲を見ながら、しのんでくれ。

わが背なを 筑紫へ遣りて うつくしみ 帯は解かなな あやにかも寝も (巻20-4422)

(大意) わが夫を筑紫へ旅立たせて、いとしいので帯は解かずに、あやしくもねることかなあ。

横浜白根

この歌碑は、白根公園の中、下の写真のように、白糸の滝と称する滝の直ぐ側にあります。よく見ると、写真中央に小さな滝が写っています。

横浜白根歌碑周囲

碑の横にある立て札の全文

この歌は「万葉集」巻20に採録された防人の歌です。

天平勝宝7年(755)、防人として都筑郡から九州沿岸の警備に出発しなければならなかった服部於由(はとりべのおゆ)は、「我が行の息衝くしかば足柄の峰延ほ雲と見るとと偲ばね」(私の旅が長いため息が出来なくなるように恋しく思う時は、足柄山の峰にかかる雲を見て心を和らげなさい)と、妻に詠んでいます。 妻の呰女(あだめ)は、「わが夫を筑紫へ遣りてうつくしみ帯は解かななあやにかも寝も」(私の夫を筑紫へ送り出すが、心配でたまらないので、夜も帯を解かずに、夢にも離れないようにと思いながら寝るようです。)と歌を返したものです。

防人は大宰府に派遣され、対外的な警備に当り、任期は3年でした。東国の兵士が当てられ、彼らの旅費や装備は基本的に自前で、任期が終わっても楽に帰ることができず、道端で餓死する者も多くいたようです。  当時、兵部省の役人として防人の管轄に当っていた大伴家持は、東国各地からやってきた防人たちから歌を集め「万葉集」に収めました。

旭区の昔を偲び、都筑郡(旭区は、当時の都筑郡の一部でした。)のゆかりの地であるこの地に歌碑を建立しました。

平成九年三月吉日

旭区観光協会 旭区役所

所在地

横浜市旭区白根3丁目26 白根公園

道順

相鉄線鶴ヶ峰駅から徒歩10分ほどです。鶴ヶ峰駅から、バスターミナルの横を抜けて、鶴ヶ峰橋で帷子川を越え、国道16号線を越えて少し歩くと、白根公園に着きます。歌碑は、下の地図のマークの位置です。