Apr 30. 2006 富士市の友人宅を訪ねる

富士市の友人JH2DQQ/野村氏を尋ねるために8時45分清水の実家を出た。目的地をカーナビにセットしR1バイパスを東に向かう。興津・由比・蒲原を過ぎ富士川を渡るとカーナビが宮島東で左折を促した。左折するとその通りは新富士駅とロゼシアターを結ぶ道路で東芝富士工場群を割って北進。そのまま行くのかと思ったらロゼシアターを右折し市役所前を通過後左折し街中を通り抜けた。すると東名高速道路を渡る橋を超え目的地に入った。ナビを詳細表示にするが、ここまで来ると目視で探すしかない。と思って周辺を辺りを見渡すと「あった!」。2エレのキュビカルクワッドが茶畑の向こうに見えた。すかさず車を回し無事9時半に辿り着く。氏は自宅前で隣のご主人と談笑中だった。私の到着には気付かず、車から顔を出したのを見て初めて判ったようだった。今回は古いアンプ(FL-2100Z)とダミーロード(HeathCantena)を届けるのが目的だったが、奥様も含めて2時間以上も世間話や子供の話に華を咲かせる。
写真は帰り際に奥様が撮影してくれた4年半振りのツーショット。右手に見えるルーフタワーには6バンド2エレ・キュビカルクワッドや144MHzと430MHzの八木が乗っている。キュビカルクワッドは自作によるもので、連休を利用してそのメンテナンスの最中だった。小型のチェーンブロックを駆使しマストとローテータを下げる方法で作業をされていた。北に富士山を背負っているものの、高台にあり南方に駿河湾を見下ろすロケーションで良く飛びそうな印象だった。

Apr 29. 2006 この季節になると思い出す「かしわ餅」

もう何十年も前の事だが、5月の節句が近づくと実家では"かしわ餅"を作った。柏(かしわ)の葉は、清水区山切の通称中村にある"ひやみず"というミカン山の登り口にあった柏の木から採って来た。もち米の粉を練った生地であんこを巻き、さらに柏の葉を巻き込み蒸篭で蒸かす。生地はここでようやく餅らしくなるが、元気だった柏の葉はおとなしくなって餅に馴染んでくるのが面白い。
しかし田舎作りの純粋な餅。余計な材料は使っていないので、時間が経つと固くなるから早めに食べるのがコツ。一日も置いたらカチカチになるので、そのときは火に掛けて柔らかくして食べるが、その味もまた変わっていて面白い。街のお菓子屋で売っている"かしわ餅"は日にちが経っても固くならないのが子供心に不思議でならなかった。お菓子屋さんの様なスマートさは無いが、何故かあの懐かしい味が忘れられない。
写真は近所のコンビニで衝動買いした"かしわ餅"。レジの横に置いてあり、つい手が伸びてしまったった。亡くなった祖母や81を超えて元気なオフクロが、朝早くから仕込んで作ってくれたことを懐かしく思い出している。そう言えば実家の家紋も柏の葉であった。

Apr 15-16. 2006 2ヶ月振りに名古屋帰省・・・マメナシをご存知?

凡そ2ヶ月振りに名古屋に帰った。15日5時50分頃静岡を出発し静清バイパスを袋井まで走り、その後東名高速を使い8時過ぎには名古屋に着いた。出発時は14℃程あった気温は名古屋に着くと12℃程に落ち、この季節にしては寒い陽気だった。
写真は小雨の降る中、カミサンと尋ねた守山区の「まめなし公園」で撮影した「まめなし」(別名いぬなし)の花。「まめなし」は全国的にも珍しいバラ科の樹木である。既に盛りは過ぎ花は散りだしているが、雨露も手伝いしっとりとした様子が伺える。
オンマウスすると今度は16日の帰路、東名東郷SAで撮影した、こちらも盛りを過ぎた「そめいよしの」。青空バックに生えて白が美しい。この日の名古屋方面は快晴で気温も18℃程度あったが、静岡に入ると曇天となり気温も12℃程度に落ち寒さを感じる程だった。
今回の帰省は家族の生活拠点を実家に移すための荷物整理にある。車の中は良くぞ集めたと自分でも感心するほどの電子部品や電子機器で一杯だった。これらの殆どは、カミサンに言わせればゴミなんだそうだが、私には宝物である。実家に持ち込んだら今度はオフクロにもゴミ扱いされる始末だった。
写真は愛車「フォレスタ」に積み込んだ荷物(ゴミ?)。1991年頃製造されたNECの文豪ミニ7RXがひときわ大きく見える。後部座席のシートを倒し、助手席も含め積めるだけ積んだが、実は未だ半分程残ったままだ。それは次回帰省を予定している5月の連休に回す事にした。
普段は整理していない小物類(高周波部品)が多いため、バラバラにならないように一度靴箱や段ボール箱に入れた後積み込んだ。文豪以外は分かりにくいが、外側に見える箱の中身を思い出すと・・・7F71R/GS-35B/GU-84B/GU-74B/1000T/450TH等の真空管、500Wと800W乾式ダミーロード、PCスピーカー&キーボード、ネガフィルム&写真、金属材料、測定器、衣類・・・等は思い出せるが、他はもう空けてみないと分からない状態だ。
なおオンマウスカーソルすると一緒に持ち帰った144MHzアンプ2機種と実家で待っていた50MHzアンプ2機種と1.8〜50MHzアンプのグループショットを伺える。この一連のシリーズはLEADの汎用ケースLK-1に詰め込んだ物で、それぞれ製作場所(名古屋・川崎)が異なっていて、一同に介するのは初めての事である。このうちGU-74Bによる144MHzアンプ(右下)はEME用PAとして変更申請中である。 

Apr 9. 2006 頼むぜトラブル続きの「光電話」&オフクロの味「サクラエビ」

1月中旬実家で契約した光電話の調子が良くない。1月末端局のVerUpが行われたが改善の感は無い。特にインターネット接続時、さっきまでOKだったのに急に接続出来なくなる事が頻繁に発生している。家では、3台のPCとVoIP電話がルーター経由でネットワークに接続されている。NTTさんは工事で混んでいるとか、アクセスが集中しているとか言っているが、状態の長さや発生時間から見て別の問題ではないのかと言いたい。今まで電話は問題無かったのだが、4月の3〜4日と8〜9日長時間不通になった。不通時は光終端器のLEDが正常時4個点灯が2個しか点灯しない。受話器を上げるとピッピッピッピ音が聞こえ、外から電話を掛けると通信端末の障害を伝えるメッセージが返る。前回は翌朝に自然回復したが念のため光終端器を交換した。また今回は8日の深夜に十数回も相談窓口に電話を入れたが輻輳状態で対応して貰えなかった。それで止む無く9日朝、光終端器の光コネクタの抜き差しを行い回復させた。NTTさん、一体どうなっているんですか?。年寄りを抱えていると夜間は電話が頼りなんですよ。写真はNTTさんには内緒でケースを外した光終端器で、青い部分が光コネクタ。Bフレッツにはほど遠い光電話の現状である。
不調な光電話騒ぎが続く中、オフクロから夕食の誘いがあった。おかずは地元の名産サクラエビの天ぷらである。サクラエビは3月27日に解禁となった今が旬の食材である。庵原郡由比町の由比漁港が水揚げの中心であるが、漁師さん達の巧みな資源管理により、安定した生産を100年以上も続けている。全国的には干したサクラエビの流通が一般的だと思うが、地元の清庵地区(清水・庵原郡)では生又は釜ゆでが一般的で、刺身で食べたり天ぷらで揚げたりして食べる。特に天ぷらは野菜と一緒に掻揚げとして丼にすると最高である。由比漁港では地元漁師の奥様方による掻揚げ丼のお店が出ており尋ねてみるのも良い。
写真はオフクロが揚げてくれた天ぷらで、手前がサクラエビとネギ、後ろは左からナス、タラッポ(タラノメ)、黒ハンペン(地元ではハンベとも呼ぶ)。タラノメは実家の畑からもぎ取って来たもの。黒ハンペンはサクラエビやシラスと並んで地元の名産で、おでんやフライ等に好んで使われている。 サクラエビの天ぷらは、揚げたての味と翌朝の味が楽しめて楽しいる。揚げたてのあのカリッとした食感が、翌朝にはソフトに変わっており何とも言えない味わいである。

Apr 8. 2006 ようやくPC復旧・・・Windows2000起動

3月26日にK6-Vを組み込んだPCの1台が不調で、電源投入時に「ピーポポポ音」を発しディスプレイに何も写らない状況だった 。暫くトホホ状態が続いていた。BIOS・マザーボード・CPUが壊れた等と考え、全てを入れ替えて見たが変化は無かった。関連情報を得るためにネットサーフィンしてみたが国内サイトでは見つからない。諦め気分で「BIOS BEEP ALARM」でサーチしたら、何とBIOS Centralのサイトがヒット。ピーポポポ音は、"1long, 3short / No video card or bad video RAM / Reseat or replace the video card"とあり思わず「これだ!」だった。マザーボード上のAGPスロットを確認しビデオカードに若干の浮きを発見。ケースとマザーボードの位置関係がアバウトで、カードをビス締めするとスロットから浮き上がる状態だった。機械的な修正を加えて問題を解決。これにより電源投入時は見事に「ピポ音」となった。写真は何とか2台共Winodow2000がインストール出来たATマザーボードのDOS/Vマシン。右が1998年製作、左は2000年頃の作。既にATXの時代だったが何故かATに拘っていた。古いPCも動くように整備しておくのも楽しい。ただこの作業中に今度はもう一台のPCのFDの様子が可笑しい・・・中々終わらせてくれない。

Apr 2. 2006 息子の引越しで再び川崎へ

先週契約した息子の住まいに荷物を運ぶ、いわゆる引越しだ。息子とカミサンは車に荷物を積み、朝5時頃名古屋を出発。7時半前後に東名日本平SAで合流すように静岡駅から7時発の東名バスに乗った。休日のこの時間は静岡駅まで適当なバスが無いので歩いた。7時18分SAに到着すると、彼らは丁度朝食を済ませたところだった。荷物が多く車には2人しか乗れないため、カミサンはバスに乗換える事にして、息子と私は車で先に出発する。天気は雨だったが、神奈川に入ると信じられない好天。9時過ぎ川崎ICを降り、押沼を抜け向ヶ丘遊園駅に着く。不動産屋さんとの約束の時間まで十分あるため、アパートや周辺を車で散策し時間調整。10時前に鍵を貰い早々に荷物を降ろす。同じ様な光景が近くにもあり親同士談笑。趣味の道具が多く、実は未だ残してきた物もあるらしい。運び込んだ後カミサンを迎えに東名向ヶ丘を往復。その後電気屋さんの搬入や、ガス屋さんの説明、大家さんに挨拶などあって16時頃川崎を後にする。海老名SA経由で帰ったが、沼津ICの事故で御殿場を過ぎると大渋滞。天気も雷雨状態になったが静岡に着く21時頃には晴れ上がり三日月が出現。息子の成長を願いながら・・・長い一日だった。