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寒さがぶり返している。このところ連日8℃台の気温が続いている。この日も曇天で寒く、9時頃からパラパラして晩には雨になった。家の中も灯りを点けないと暗くて生活が出来ない状態。カミサンが気を使ってか気分転換なのか、10時頃になって温泉に行こうと宣言。やることは山ほどあるが、気分転換でその宣言に便乗した。車の運転はするなと言うので、カミサンに任せ軽ワゴンの助手席で余り刺激を与えない様に話を合わせる。中部横断道を北上し、富沢ICから下道に降り、富士川を東側へ渡って下ると、トンネルを抜けたところに佐野川の橋があり、超えてから上流方向へ走る。自宅から30分も掛からないで到着。休みの日とバッティングしたりして、随分久し振りの感じだ。マネージャのオジサンもチョッと老けた感じがしたが、アンタも同じだとカミサンに言われ笑った。温泉周辺の山々には山桜が咲き、今が最盛期だと説明があった。11時半頃から入浴を始めたが、カミサンからタオルを受け取るのを失念、完璧な丸腰で湯につかっていると、前を呼ばれタオルが届くハプニング…笑っちゃう。昼食は食堂で毎度おなじみのメニューを注文。13時半には現地を発ち、来た道を戻ると14時過ぎには自宅に戻った。何とものどかな日帰り温泉行脚だった。退院後の治療に十分効果があったような気がする。明日から4月だと言うのに、この寒さは一体何なんだろう。晩は旧隣組の報徳の寄合だったが、治療に専念するため欠席を伝えた。 |
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一昨日友人のS氏からリピータのデュプレクサ(ANT共用機)の特性を見たいと電話があった。ネットアナの利用を打診されたので、工房へ赴きR3765AHに電源を入れた。前回使ったのは何時頃だったか…かすかに新スプリアス対応で、144MHz/EMEアンプ用フィルタを作った時かもと思い出す程度だ。それで電源が入るとビックリ。ディスプレイは暗っぽく正常表示出来ず、その右側のタクトSW一列が不良で詳細設定出来ない。こりゃダメかもと、ziVNAuを取り出し、PCへ接続し動作確認。こちらは問題ないみたいだからziVNAuで対応することに前日決定。ところが本日、ziVNAuを触り出すと、いちいちマウスでメニューや設定を行う必要があり馴染まない。それでふとR3765AHには確かVGA出力が有ると思い付き、背面を見たら当たり!。15インチディスプレを取り出し繋いだら表示はOKになった。またメニューも、SOURCE-PORT1間でf特が確認できる状態だったので、これは使える!となり、ziVNAuの出番は無くなった。写真はR3765AHでf特を調整中のS氏。 ところでその後、14〜5数年会っていなかった友人K氏が訪ねて来た。入院中に記したHP/Topicsを見て見舞いに来たが、家族以外面会が出来ず帰られたらしい。数えてみたら単身赴任中の福井時代い遡る。その間に病気や引越しなど大変な時期があった様で驚いた。カミサンも含めて久し振りの歓談だった。オンマウスは無線部屋でのスナップ。 |
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文豪ミニ7仲間である彦根のT氏から耳寄りなメールが届いた。平成初期から、文豪ミニ7に自作SCSIカード(SPC)を組込んでHDDを接続し、データドライブの大幅な速度改善やストレージ量の大幅拡大など、ワープロ機能の拡充に勤めていた。彼も私も同じ穴の狢かもしれない。35年も前の機械を掻き集め、今でも正常動作させ続ける気力と姿は、病気としか思えない。その耳よりな話は、HDDをSDメモリに置換えると言うもの。当時のHDDは20MBや40MBが普通で、100MBなんて10万円を超え目が飛び出る値段だった。それが現在は数百で32GBが買えちゃうとんでもない時代になった。これを生かさない手はないとSDカードやUSBメモリが出た頃思っていた。それが文豪ミニ7で実現しそうな話がT氏から舞い込んだのだ。 写真はその仕掛け。何て言うことは無い。HDDの50PinコネクタをSDカードへ変換するための基板SCSI2SSDだ。改修追加したSPCカードの50Pinを繋いでやるとSDカードがストレージに化ける仕掛け。T氏は早々に入手し、SPCでフォーマットしたらパーティションが切れ、ファイルの読み書きが実現したところまで確認してメールを送って来られた。こりゃ間違いなく行けると、こちらも出処の中華サイトへ赴き早々に発注となった。 ちなみに、夢の完全SSD化には、現在も使うFDDのブートを半導体メモリ化する必要がある。これもハードウエア接続とフォーマットが出来れば、オンマウスの様な製品で可能なのではと考えている。 |
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入院とほぼ連動して市議会議員選挙戦が始まった。投票所に行こう!放送の期日前投票版の第1回目を15日に手動送出したが、入院のため予定していた16日と20日の休日は、後輩のH君にお願いした。PCの取り扱いと送出方法など電話で簡単なレクチャをしたが、流石!見事にこなしてくれた。また前日と当日版は全てタスクスケジューラ―に登録済みで、こちらも難なく操作して貰った。参考に当日昼版と当日最終版をクリックすると聴くことが出来る。清水区の投票率は44.74%だったが、山切投票所は60%程度だった模様。平均よりかなり高い数字とは言え、当地の4割程度の人が投票していない現実は課題だ。ちなみに現職の地元候補者(オンマウス)は無事当選し2期目のスタートを切った。 ところで懸案の確定申告。何故か22日と23日は設備メンテナンスでe-Taxサイトが覗けず全く作業が出来ない。それを22日の朝知ることになり愕然。関係資料は仕分けして費目毎の集計は済んでいるのに…。結局24日朝から繋がる様になり作業を始めると、システム的な不明点が続出。税務署に尋ねるが窓口対応がどうもたらい回し的でらちが明かない。入院で遅れたことの説明などを行い、必要な書類を確認して申告予約をすることになった。そういう話はカミサンが得な世界で、4月1日に予約を取って貰い任せることになった。 |
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3月15日から16日へ曜日が変わる頃、体調が急変し、これまで経験したことのない感覚に襲われた。体がビリビリしつて寒く、捕まり立ち状態で風呂へ行き体を温める。20分程湯に浸かり落ち着いて来た頃上がり、先に床に就いたカミサンを呼ぶ。会話は普通に出来るが、どうも右半身の感覚が可笑しい。救急医療に相談して救急車を呼び県立総合病院へ搬送された。早々にCTが撮られ、軽い出血があると告げられ、即入院となった。血圧を下げる点滴や薬が処方され、明るくなってから再びCT、そして18日にはMRI検査が行われた。並行して18日からリハビリが開始された。ケガや病気による入院など経験したことが無く困惑していたが、病室で管内Wi-Fiを使ったテザリングでリモートシャックのDX運用をするなど、頭の中は正常に動いている様だ。カミサンがPCを持ち込んでくれたのだ。窓の外に見える賎機山から竜爪にかける稜線に朝日が当たると綺麗だ。一方19日朝は、竜爪から高山方面に積雪があり実家方面は寒かった様だ。 果たしてこの生活は何時まで続くのだろうか。市議選挙や遅れっ放しの農作業、何より遅延中の確定申告が気になる。 写真は20日早朝5F病室から見る、賎機山から竜爪・高山・富士山方面。オンマウスは19日晩、病室にセットしたPCで10MHzのFT8でDXing。Android携帯経由管内Fi-Fiのテザリングで、凡そ50Mbpsの速度がでる…但し時限付き。 |
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3月14日静岡市議選が告示され、いよいよ選挙戦に入った。13日に素材収録して、本日午前中までに期日前投票用、投票日前日用、投票日用のプログラムを制作。そして本日12時45分、期日前投票最初の案内放送を実施した。期日前投票用はこの後16日と20日に放送する。前日用は22日、当日用は23日に放送するが、これは時間帯により内容が異なり、それぞれ複数回放送する。今回は、女性アナウンスに加え、男性アナウンスもあり何時もより変化に富んでいる。また、18歳以上の低年齢有権者への呼び掛けも行っている。当日の最終回(19時)はデュエットのアナウンスにして変化を付けてみた。当山切投票所管内には1600程度の有権者が居るが、投票率は65%(前回実績)で凡そ1000票を目標にしている。自治会が透明性や公平性を保ちながら選挙に関われるのは、これ位が精いっぱいのところだが、4年前はそれまで50%台だった投票率が10ポイントもアップしている。期日前投票案内は手動で送出し、前日・当日放送はPCのタスクスケジューラで自動送出される。この企画や実績を関係者が聞き付け、学区全体に展開したい話に広がっている。そこには政党色は無く、あるのは地域イデオロギー。 写真はSoundEngineによる編集風景。オンマウスは自治会館放送室の送出風景 |
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懸案だったLDMOS/BLCU188XRSのSSPA実験。昨年11月末から家業他諸事情で休止状態が続いていた。もっとも冬場は、無暖房の工房や無線部屋が遠くなる時期でもある。このところ天候が不順で雨が降ったり止んだりが続いていることと、急に暖かくなったことも手伝い、3ヶ月半振りにSSPAを突いてみた。もっとも昨年は2系統の1kWアンプの合成試験中、片系のLDMOSが不良になり片肺状態に陥っていた。LDMOSが底を尽き、友人から取り外し品を譲り受け交換投入する段取りまで出来ていたのだが、家業が超多忙となり放置状態になっていた。また友人4人によるSSPA実験製作グループでは、技術情報の交換が行われていて、チト後ろめたい日々が流れていた。それで本日、施肥や柑橘類の発送を終えた夕刻、意を決して逝かれたLDMOOS(オンマウス)を交換し実験環境を復活させた。写真がその様子。何故か懐かしい気にもなる。ただ、LDMOSの交換中にチップコンに溶解ハンダを浴びせてしまい、チップコンは半田にまみれて脱落破損。トホホ状態になるが、代替のセラミックコンで急場を凌ぎ、何とか動作を復旧させ2系統動作が可能になった。と言うより3ヶ月半前の状態に戻った。今後、実装を意識した実験を行っていく。写真は久し振りに復活した測定ベンチ。 |
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3月4日、カミサンの友人宅を由比の入山に尋ねた際、旧富士川町(現富士市)の松野へ続く県道を走った。峠を超え暫く下ると松野の街が見え出した。奥に位置する北松野には、2年先輩で31で没されたK先輩の実家があった。昭和54年4月に1度訪ねたきりだったが、田畑に住宅が立ち並び当時の面影はなく、何処だったか分からない。そのまま帰路に就くが、先輩のことが頭から離れない。没後から一度もお参りをしていない自分を恥じているのか…。帰宅後ネット上に何か情報が無いだろうかと検索を試みるがヒットする筈もない。もう40年以上も前のことだからと半ば諦めていると、旧富士川町の「広報ふじかわ」昭和59年3月号がヒット。そこには紛れもないK先輩の訃報(2月届出)が載っていた。気になっていた6日、北松野の妙松寺へダメ元で電話を入れると、「K家は檀家で今年になり墓仕舞いをされ、現在は供養塔でお参りが出来る」と、丁寧に説明して頂いた。それで本日午後、小雨の降る中妙松寺を訪ねた。写真(カミサン撮影)はその様子。本堂左に真新しい供養塔が建てたれていた。塔の周りには、家名や施主名が彫られた石板が設置してあった。ぐるっと一回りする途中にK家を発見…感動的だった。K先輩のご尊父の名前を偶然憶えていて確認が出来たのだ。もう少し早くその気になれば、K家のお墓参りが出来たろうにと悔む。それでも、何十年も胸につかえていたことが穏やかに消えていくのを感じた。オンマウスは昭和54年4月14日、遠乗りコースの下見を終えくつろぐ、K先輩と自分。 |
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伊野のハッサクは、これまで小出しに収穫して頒布していた。大玉から収穫していたので、残りは小玉が多くなってきた。この時期のハッサクは完熟状態で、収穫時に気を付けないとヘタを残したまま落下する。果に振れなくてもちょっと強い風が吹くと、それだけで落下するから始末が悪い。木の根元を見ると、自然に落下したハッサクがコンテナに入れると2〜3杯分もある。ヘタがしっかりしていれば、高い所は木に登って収穫するが、熟している場合は高切りバサミの登場となる。果から離れた部分を切断し、果に過剰な振動を与えない様にそっと切る。高切りバサミで対応できない果は、木に上って行って枝を巧みに手繰り寄せて切る。しかし70の爺がやる木の上のサーカスは余り格好の良いものではない。結局今期のハッサクの収量は300kg超程度になった。写真は加勢してくれ奮闘するカミサン。太田ポンカンに会食するときに残しておいたハッサクの木2本が、毎年独特の味を提供してくれる。カミサンはもうじき収穫するスルガエレガントより好きだと言っている。オンマウスは、自宅玄関前で各種ミカンをついばむヒヨドリ。喉を伸ばしてまさに飲み込もうとしている。ハッサクより青島がお気に入りの様だ。何とものどかだ。 |
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3月4日と7日、リモートシャックに積雪があった。写真は7日朝6時19分日出前の様子。この日は自宅は4.1℃で、そんなに寒さを感じなかった。ただ予報では山間部の積雪を伝えていて、東名や新東名は早々に通行止め宣言した。床に就く前の0時半頃、リモートシャックカメラを赤外モードで見ると、確かに雨から雪に変わっていた。それでもしやと起きて直ぐ覗くと辺りは真っ白に雪化粧していた。フレーム外だが、静岡市から山梨県へ続く稜線や県境の稜線も真っ白だった。 ところでオンマウス、4日も午後から寒くなり自宅周辺では風花が待った。リモートシャックの燃料が尽きたと思われ、灯油を100リットル持参し赴くとビックリ。辺りは既に真っ白だった。時間は16時52分。風が強く手袋をしていても直ぐ手がかじかむ状況で、発電機を回し排気で手を温めて作業する程だった。ダッシュボードに置いたPCから、インターネット経由で発電機をリモート操作している様子。窓外の畑は真っ白だ。 ところで発電機の燃料。4日に半分の100リットル給油し、7日は80リットル給油し満タンになった。タンクは200リットル程あるので、空っぽではなかった可能性がある。そう言えばEMPTYアラームは出ていなかったので、給油系に問題が有ったのかも…。7日は100リットル持参したが、20リットルは現地待機している。 |
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待望の雨の朝だ。昨晩から降り出した雨は、朝40o程度に達していた。アクリルの箱に溜まった雨水へ物差しを突っ込んで測る簡易雨量計だ。しかしこの程度だとあっという間に地面に吸い込まれ溜まりが出来ない。まぁそれでも昨日までのカラカラの天気に比べれば、しっとりとしていて屋敷のゆら早生の葉も元気そうに見える。早々に貯蔵庫の瓦の葺き替えが気になり見に行ったのが写真。順調に工事が進んでいたのに、もう少しの所で作業を残しているのがチト残念だった。聞くところによると材料に問題があったらしい。さてこの日はカミサンの一声で温泉に行くことになった。最も近い佐野川温泉のつもりでいたら、中部横断道を北上中に今日時間があるから下部温泉が良いと言い出した。内心は「急に言われても」だったが、まぁ何時ものことだからと納得。昼前に日帰り温泉サンロードしもべの湯に到着。施設内のレストラン・パセリで昼食をとり、暫くうたた寝してから風呂に浸かる。3時間程滞在し、15時丁度に帰路に就いた。中部横断道の開通で甲府まで1時間もかからない時代になった。地元静岡市葵区の口坂本温泉が1時間以上かかるから、どうしても山梨県方面に足が伸びてしまう。雨のおかげで、一日のんびりした時間を過ごしたが、農作業の遅れが気になる一日でもあった。オンマウスは3月4日昼までの降水量で59o程度に達していた。ちなみに5日には90mm程度まで増えていた。 |
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早いもので3月だ。ミカン栽培と貯蔵・出荷に追われ、芽吹き時期の農作業と今月は4年毎のローカル選挙。例年にない忙しさだ。70になったのに、こんな状態で良いのか頭を抱えたりする。懸案が山積みで、残された人生ではとても収まりそうにない。そんなこと考えていたら頭が痛くなるから、その日暮らし模様が今後も続くんだろう。代り映えのしない3月になりそうだが、月初めに現状認識をすることも大切ではとテキトウなことを言っている。 ところで、このタイミングに合わせたかのように、彦根の友人からメールと写真が届いた。何とあのNEC文豪ワープロシリーズのMini7HR復活の連絡だ。Mini7HRはCRTを縦長に配置し、シリーズ初のDTP機能が内臓されていた。DTPはWindows時代のワープロでは当たり前だが、当時はテキストに画像をはめ込むなんて至難の業だった。また、2DDが一般的だったワープロ専用機に、初めて2HDドライブが搭載されていた。彼はMini7HRのJUNK品をかき集め、3個1で見事復活を果たした。写真はその内部。CRTが縦長にセットされ、左に2HDドライブが見える。PC-9801/21と同じなので相互に2HDが使える。オンマウスは彼の作業部屋。これ「文豪Mini7ワールド」を感じさせてくれる。この後、マザーボードからデータバスとアドレスバス、そしてI/O制御などを引き出したいとメール末尾に記してあった。自作のSCSIカードをつないで、HDDをつなぐのだろう。それを見ていて楽しくなり、SDカードをSCSIドライブに仕立てたら面白いと口にしてしまった。さてどうするか。 |
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2月26日、はるみのJA出荷が終わった。選果落ちの中に2S果が多くあった。今年は特別集荷で2S果の荷受けをする旨FAXが届いていたが、選果落ちした400kg近いはるみは全て個配に回すことにした。今期はカメムシや鳥獣による被害が甚大だったが、中晩柑(太田ポンカン・はるみ等)は酸抜けが遅いこともあって被害は拡大しなかった。今冬はこれまで、一斉頒布案内が出来なかったことで恐縮していることもあり、思い切って一斉案内をすることにした(連絡を頂いた皆さんへは別途対応)。それで27日午後、メーリングリストで一斉に頒布案内を配信した。例年より割高な価格設定にも関わらず、一晩で半分以上がはける程に注文が殺到。有難いことでユーザーの皆さんに感謝している。その後もボチボチと追加注文が届き、近日中に完売になるだろうと見込んでいる。写真は箱詰め作業中のカミサン。 ところでオンマウス。一昨年頃から貯蔵庫北室の瓦屋根の雨漏りに気付いていたが、雨の少ないこの時期に補修することにした。昭和30年頃の建築で土盛りの瓦屋根、油紙を敷く工法になる以前の造り。傷みが激しく、瓦と天井を全て剥ぐって全面吹き替えとなった。大工は後輩のM君で、カミサンと何やら世間話をしている。穏やかな感じが伝わってくる。雨が来る前に瓦が乗ると嬉しいが…。 |