JH2CLV's Topics & Memorandam
May 2019

May 31 屋敷ミカン畑除草・・・3A5トランシーバの実力
こないだ草刈をやったと思っていたら、草が目につくようになった。写真は自宅前の「ゆら早生」畑。目についても、ここはそんなには丈が無い草が中心なので、5月29日 にテイラーで雑草もろともに土を起こしてみた。土の表面が堅くなっていたので、これで水の吸込みも良くなり一石二鳥。人が居なくなると、それを見ていた小鳥たちが一斉に舞い降り、路頭に迷うムシ達をついばむ。ムクドリが圧倒的に多く10数羽にもなる。手前右はカミサン主宰の養蜂エリア。
オンマウスはFacebook「真空管式無線機」のOneTubeCompに出展した3A5/50MHzトランシーバ。無線部屋に持ち込み、この様に腹這いに置くのも良いなと呟きながら、リモートシャックとのテスト通信を試みてみた。その結果、想像はしていたがこれまで確認出来なかったデータが取得できた。はっきり言うと、現在のトランシーバとの安定通信は期待できそうにない。その理由は、ボディエフェクトやANT変更による3A5トランシーバ自励発振器の周波数変動、そして送・受信周波数間のズレ、さらに超再生受信による不要電波輻射などがあげられる。今流の無線機は、周波数安程度や帯域幅が優れ、3A5側の変動を包容出来ないのだ。それでCompは〆切られたのだが、何とかこれを実用に供すべく検討を開始した。その概要は、超再生受信と送信終段に3A5を使う送受分離とし、水晶発振にTr、変調/AF増幅に汎用ICを用い、Compの規約を維持する。

May 27 One Tube Comp〆切・・・今季4度目(最後?)の蜂蜜搾り
One_Tube_Competition_2019も今日27日が〆切日。単球スーパーレフレックスラジオは17日に資料提出を完了しているが、3A5トランシーバは課題を残しながら、ついに最終日まで来てしまった。初期の目標を達成しきれていない部分(送信の水晶制御による2ステージ化)もあるが、現状をまとめ夜事務局へアップロードしたのは21時頃だった。取り敢えず肩の荷が降りた感がありホッとしている。
なお参加作品の写真と説明資料が事務局サイトに勢揃いした。 それぞれに、物づくりに対する製作者の考えや拘りが出ていて、興味深く拝見した。自分の作品は、作品番号R08とTR2・・・ちょっと真面目すぎるかなぁ?。これから参加者相互による評価が行われることになっているが、準備をされている事務局殿も大変な作業と推測している。写真はエントリーした2作品のツーショット。最後に作った3A5トランシーバから既に半世紀を過ぎ、超再生受信のクエンチングノイズに再会した時は涙ものだった。
ところで今朝は今季4度目の蜂蜜搾りを行った。天候と蜜源である柑橘の花の残り具合を見ながら断片的に採蜜してきたが、花の状況からして今季はこれが最後のミカン蜜だと指揮官のカミサン。写真は自宅前のミカン畑(未だ苗木)の南側で作業するカミサン。今年のミカン蜜の収量は例年の半分程度になりそうだ。後は百花蜜(その他雑多の花)がどれ程伸びるか・・・。

May 20-27 電池管3A5トランシーバ製作
写真はようやく工作が始まり、機構部の形がまとまり出した21日の3A5トランシーバの様子。操作面にジャクソン・ブラザーズのボールドライブと超再生VRノブが左右に配置され、その間にハンドセットのハンガーが象徴的。ジャンクで入手した600型送受話器のハンドセットは、何時かモノにしてやりたいと思っていた一品。ただトランシーバ側のコネクタが高価で、今回の使用した部品の中で一番高かった。半世紀ぶりに3A5の超再生受信でクエンチングノイズを聴いたときは実に感慨深かった。それは初めて50MHzでアマチュアバンドを聴いたキカイが、この3A5トランシーバだったから・・・。
オンマウスは一定の区切りをつけた27日(〆切日)撮影の本体内部。左上が3A5ブロック、その下が12VからA電源(1.5V)とB電源(96V)を生成するインバータブロック。右の紺色部分はバッテリスペースで、ダミーボックスを入れてある。半世紀前の中学時代に比べ、随分と大人の作りが出来るようになったなぁと悦に入っている。
オリジナル3A5トランシーバのRF部は、送受同じ自励発振回路を供用している。受信時は帰還量を調整し再生検波としている。送信時それを、Tr水晶発振器出力に周波数を引き込ませようとしたが無理だった。また3A5増幅器として働かせても利得が少ない。所期の目標は棚上げし自励発振のまま提出している。

May 18-19 初島で1泊のOB会
静岡地区のOBが熱海の初島に集った。実は今までタイミングが合わず、今回が初めての参加だった。初島は東京勤務時代の2001年の夏、職場のレクレーションで同僚数名と訪ねたことがある。幹事殿の案内に「初島クラブ」泊とありビックリ、前回泊った場所と同じだから。
昼食後、愛車スバルフォレスタで新東名を今泉ICで降りて伊豆縦貫道を南下。函南から熱函道路を走り熱海に着くと14時過ぎ。熱海港15時半集合まで随分時間があると思っていたら、やはり早く着いてしまった後輩のN君(えの工房主宰)とバッタリ。バイクで来たらしい。公園のベンチで近況報告しあい、いきなり楽しい時間を過ごした。15時半熱海港集合後、16時発の船で初島へ渡る。写真は夕食時のスナップ。皆さんそれなりに御年を召した感じだ。後輩のN君と私が一番若い方の2人だった。夕食後は部屋に集まってこれも近況報告。大した話をするわけじゃないが、かつては異なる職場だった皆さんが昔話をするだけでも楽しい。理屈不用の寛容さがあって穏やかで良い。オンマウスは翌日出発前のスナップ。いずれもスタッフの女性に撮って貰ったが、良く訓練されていて気持ちが良くまた来たくなる。10時40分の船で熱海へ渡り解散、それぞれの帰路に就いた。幹事殿大変お疲れさまでした。

May 17 単球スーパーレフレックスラジオ区切り・・・今季2回目の蜂蜜搾り
OneTubeCompの資料提出〆切が27日に迫り、単球スーパーラジオと3A5トランシーバをまとめなければいけない。週末は1泊で旧職場のOB会へ参加するため、ラジオ分の資料をまとめ、深夜にFacebookのComp事務局へアップロード。取り敢えずやれやれだが、来週は50年振りに製作する3A5トランシーバの製作と資料作成に追われる筈。左は完成した単球スーパレフレックスラジオ。今日は今季2度目の蜂蜜搾りも行う。前回の倍程度の収量だったものの、全体の出来は例年の半分以下で寂しい。オンマウスは遠心分離機の栓を開けた様子。下は昨日午後届いたQEX/No.31。表紙をアンテナとタワーが飾り、P22から8ページにわたってリモートシャックの特徴的部分を紹介させて頂いた。皆さんの参考になれば幸いだ。


May 12〜15 施肥・カミキリムシ対策・・・今季最後のタケノコ堀り
12日、伊野のポンカンにゴマダラカミキリ(通称テッポウムシ)対策で、根本にガットサイドSを塗布。伊野のポンカン畑東側の木は、定植して数年経ったときに何本かカミキリにやられた。今でも根本に当時の痕跡があり、見ると辛い。その経験があり、2年遅れで定植した西側は早くにガットサイドSを根本に塗布、その効果を認識していた。何でも良いことはやれば良いのだが、諸々の事情があり出来ないこともある・・・などと言い訳をする悪い癖。今年は、昨年台風で木が傾き根が千切れ、大分樹勢が落ちていると判断。カミキリにやられると一気に枯れて行く可能性を危惧し、東も西も一気にガットサイドSを塗布。
ところで昨晩14日、東京の友人からタケノコ未だあるぅ?のリクエスト。15日朝、大峰で最後の収穫を行い、早々に釜茹でし夕方の便に乗せた。このところ、草刈りや春の施肥などもあって忙しい。
写真は塗布した太田ポンカンの根本とガットサイドSの容器とハケ。根本にに這いつくばってやる作業は中々しんどく、これを100本近くやるとカミサンと手分けしても大分腰の負担になる。溶かして散布する方法もあるので次回は考えたい。
オンマウスは電源も組込まれ、前面パネルも本格的に処理が始まった15日のOneTubeRadio。紆余曲折のノブや目盛はこんな形に落ち着いた。もう完成間近と言っても良さそうな様相だ。

May 11 静岡ホビーショウを訪ねる
昨日ローカルのJA2JZ佐野OMと交信中、静岡ホビーショウの話になった。毎年ニュースや新聞で見たいしているので概要は分かっているつもりだった。OMは毎年参加されているご様子で、話の中に楽しさが満ち溢れていた。こりゃ行かなきゃいけないなぁと、30年振りにカミサンと一緒に赴いてみた。午前中に浅間通りの河内庵でおろし蕎麦で昼食をとり、12時過ぎに会場のツインメッセを尋ねると、既に駐車場は満車。辺りを回っていると、この日とばかりに店開きした個人の駐車場を見つけ車を入れる。歩いて数分で会場へ到着するのだが凄い人出だ。大きくメーカーのブースが入った展示場と、クラブ出展を中心にした展示場があり、通路では学生演奏会やトークショーに自衛隊車両の展示なども行われ、昔とは大分変った印象で場外も盛り上がっていた。クラブ展示に全国から集まったメンバーの年齢は、ハムフェアの場合と同じで苦笑してしまう。いずこも平均年齢が高く子供が少ない。でも熱さや心意気を感じるオジサン達ばかりで元気が出てくる。楽しい時間を過ごさせて頂いた。来年は孫を連れて来ようか…。
写真はメーカー展示会場の俯瞰。オンマウスは佳境に入ってきたOneTubeRadio。フロントパネル(MDF材)も付いて、大分雰囲気が出てきたぞ…。

May 8 今年初の蜂蜜搾り・・・OneTubeSuperRadioようやく形に
カミサンは5時過ぎに起床し、採蜜の準備を始めていた。簡易な朝食をとり7時過ぎより絞りだす。カミサンが巣箱から絞れそうな巣枠を取り出す。それを遠心分離器のある作業場へ運ぶ。作業場は外と遮断され、蜂の行き来を抑えている。巣枠の表面に張られた蓋を熱湯に浸けたナイフで切り取り蜜が出るようにする。素早くやらないと蜜が垂れて来るし、かといって巣の表面には凸凹があり、そう簡単には行かないジレンマがある。蓋を取った巣枠は遠心分離機のスロットへ差し込み、ハンドルを回して回転させ蜜を飛ばす。何とも原始的だが、遠心分離機を回す手の重さで大体の収量が見えてくる。作業場は私の担当。蜜の出来、或いは気温の高低で蜜の粘土が異なり面白い。絞った巣枠は、再びナイフではみ出しを落として綺麗にして元の巣へ戻す。
写真は巣箱から巣枠を出してチェックするカミサン・・・たくましい!。オンマウスはようやく形になってきたOneTubeRadio。これでもアンテナをつなぐとガンガン鳴るから面白い。電源は中村理化の真空管用実験電源。後ろに見えるのはSGで、IFに455KHz/-100dBm(40%変調)のAM波を放り込んでいる。中波周波数をヘテロダインすると-93dBm程度の感度に低下する。DBMロスや整合ロスが有るのでこんなものかと・・・でもさすがスーパー、ストレートより安定だ。

May 3〜10 草刈・ミカン開花・農薬散布・蜂蜜搾りと多忙
10連休も半分過ぎたが、こちらの既に通常モード。ミカンの開花が気になり毎朝畑へ通い様子を見る。同じ畑でも場所により、また同じ木でも日辺りや高低で大きく違う。同じポイントでも必ずしも揃わないし、開花しない早生より早く開花する青島もあって面白い。まるで人の顔の様だ。現場では一般論ではなく、如何に非一般論をどう処理するかが大切な様に思う。草刈は、ミカンを栽培している田んぼ・屋敷・舞台・伊野・寺山を併せると相当量になり時間もかかる。先月刈ったばかりなのに、1ヶ月もしない内に早いものは胸位に伸びていて驚く・・・毎年の事なのに。除草剤を止めてから10年以上経つと思うが、刈った地面でミミズが踊り出し、それを見た鳥たちがご馳走!とばかり上空から舞い降りてくる。鳥は多種多様で、何とものどかな風景だ。そしてミカンの開花に合わせて訪花害虫駆除の農薬散布を行う。開花した畑には橘の香が立ち込め、夜明けとともにミツバチ等が蜜を求めて一斉にやってくる。その中に花に悪戯をする虫がいてこれを退治するのだが、一緒にミツバチにも掛るから養蜂も営む家にとっては難しく辛い判断となる。
写真は開花した田んぼの早生温州の状況・・・未だつぼみのも目立つ。オンマウスは舞台の草刈前の様子・・・雑草の「すいば」がやたらと伸びていて地面が見えない。

May 1 令和元年の初仕事はタケノコ堀りと草刈
時代は令和になった。朝からTVでは天皇陛下の即位の話題で持ちっきりだ。穏やかな令和であって欲しい。 さて令和の初仕事はタケノコ堀だった。1週間程通っていなかった大峰のヒノキ林の中を歩くと結構出ている。掘りだすと20kgコンテナに3杯程になった。これを持ち帰り午後から皮をむいて釜茹でするが、1回では終わらず3釜分茹でた。終わったのは18時頃だった。これを友人知人へお裾わけに回る。裏庭には釜が出ていて、奥にタケノコを冷やす水場があり、辺りを人が行き来する、これもこの季節の風物詩だ。
写真はミカンのコンテナに縦に並べた掘り立てのタケノコ。大峰のヒノキ林は急斜面なので、掘り起こしてからの搬出に骨が折れる。取り敢えず掘っておいて、背負子を背負って改修に回るが、滑る斜面状況と自分と体力で荷の量を決めながら複数回で運び上げる。50位までは大したことないと思っていたが、65を迎える年になるとそれなりに体力劣化を感じ苦笑する。オンマウスは裏庭でタケノコを茹でている状況。燃料はミカンの伐採木。火を付ける時はさすがに文明の利器を使うが、その後は全て自然の燃料(木・竹)を使っている。
タケノコ堀に併せて、ミカン畑の草の伸びもこの時季はやたらと早い。暫く草刈機の音が当地の谷に響く。

Apr 30 平成最後の日
TVでは天皇陛下の退位と即位の話題で持ちっきりだ。長男一家は箱根から戻り、実家で1泊し午後名古屋への帰路に就いた。水が出ていなければ孫と山切川でハヤ釣りをするつもりでいたが、雨の影響で川は濁り水量も増していた。冬場に姿を消していた魚たちはしっかりと戻っていたのに残念だ。代わりにカミサンが箱根用にと買ってきたゲームを、コタツの上で孫たちと始める。独り勝ちするとつまらないのでバランスを取ろうとするとこれが結構難しい。年甲斐もなく自分もその気になっちゃうので困る・・・。
さて平成が今日4月30日で終わる。3男の年齢が平成の年数なので分かりやすいと思っていたが、もう31年かと感慨深い。大したことをしていないのあっという間だった。今は当たり前のように使っている携帯電話やPCなどの情報機器は、昭和の時代には家庭に無かった。職場にディスクトップのPC-9801が有った位で、インターネットなど想像もできなかった。居ながらにして、モバイルで世界の今が手に取るように分かる。便利になったが一方で失ったものも多い。個人情報保護法の出現で名簿類が一斉に世の中から消えた。でも何か有った時のために地区ではせっせと防災名簿を更新している。こうした妙なことも平成の象徴ではないだろうか。令和には、もっと自然でシンプルな時代を期待したい。皆さんの平成はどんなだったのだろうか…。

Apr 28-29 家族旅行
家族が箱根に集まった。名古屋・東京・群馬・静岡から集まるとなると、箱根辺りが丁度真ん中じゃんとカミサン。でも出掛ける前日の27日深夜までに、実家に勢揃いしてしまった。28日、レンタカーと3男の車2台に10名が分乗して新東名を東へ。長泉ICから伊豆縦貫道に出て、塚原ICからR1で箱根を越え湯本まで下り宿泊先の旅館に車を入れる。早々に徒歩で湯本駅へ赴き周遊券を購入、強羅までの登山鉄道に乗る。スイッチバックを3回体験し、インド人の親子と英語と日本語で歓談。30年程前、インドの国立公園を像に乗ってTV取材したことを伝えると驚いていた。強羅へ着くと、ケーブルカーは1時間待ちで、その間に線路の反対側のソバ屋で昼食。大勢の観光客が訪れ、半分近くは外国人に見えた。ケーブルカーとロープウェイを乗り継ぎ大涌谷へ向かう。天気も良く、ロープウェイの途中から富士山が見えだすと、一緒に乗っていた外人さんが総立ちになった。大涌谷は音と硫黄の匂いを放ち生きている様だ。芦ノ湖の桃源台へ下ろうと言う話もあったが、この日は来たルートをそのまま戻り宿入り。写真は夕食のスナップ。オンマウスは持ち帰ったチケット。29日は芦ノ湖の海賊船で湖を周遊。昼食は箱根ホテルのバイキング。そして箱根水族館を回り帰路に就く。楽しい1泊旅行だった。