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このところ雨が降って大地も湿り植物や昆虫が活気を帯びて来た。毎日何かしらの虫が目に飛び込んでくる。色もカラフルで我々の目を楽しませてくれるが、植物にとっては害虫だ。カミサンはこれ幸いとスマホで虫や植物を狙っているが、撮っているだけで何が目的か良く分からない。さて写真。工房横の三角地帯で野菜を作っているのだが、気が付くとナスの葉っぱが殆ど無い。朝は有ったのに数時間でこんな調子だ。よく見ると写真の如く黄色の幼虫。カミサンによればメンガタスズメらしいが、1匹だと良く分からないが3匹もいてあっと言う間の作業だったようだ。ナスの実は目的では無い様だが、葉が無きゃ成長しないので困ったもの。早々に捕獲して水攻めでご臨終頂いた。そしてオンマウス。汁見谷で栗拾いをしていたら栗の木の枝に居た。鮮やかな緑色で圧倒される。置物にしたい位だが相手は蛾の幼虫だが、名前は現在調べている。まさか栗の実が目的では無いと思うが、栗のイガなど全く気にしないで歩く。雨が降って気温が上がると色々な光景に遭遇する。屋敷のゆら早生ミカンの根元の草をむしっていたらこんな光景が飛び込んで来た。良くわからないが向うとこっちに2種類の真白な大型キノコ。直径10cmは下らない。 |
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2・3日前の早朝、汁見谷の草刈りに出掛けるとカミサンに告げると、栗を拾いに行くと言って付いて来た。カミサンはせっせとオキバサミを使ってイガのままの栗を掴みコンテナへ放り込んでいた。らちが明かないので一緒に手伝うことにしたが、今年は例年より生りが少ない感じだった。それでもコンテナ一杯になり自宅へ持ち帰った。そして今日、再び汁見谷を訪れ、法面で仕上げの草刈りを始めるとその後落ち弾けた栗が地面に目立った。その場で実を取り出したり拾ったりしたら両手では持ちきれない量になった。オンマウスはその時のスナップ。栗はほぼ落ちてから拾うが、落ちる前から虫が居る実も有ある。水に沈めただけでは判別できずに苦慮する。木を大きくしないで、農薬が良く回る様にして害虫駆除管理しないとダメかもしれない。ミカンと同じじゃん。 ところで写真、汁見谷に数本ある極早生(日南種)が色付き出した。日焼け気味の実をもぎ取って食べてみると結構イケてる。日南種は余り長く生らせると味が変わる、そろそろ収穫しても良いかもしれない。この種は余りないので関係筋へ「初ミカン」として配って終わってしまう。これが終ると来月からいよいよ「ゆら早生」の収穫と出荷が始まる。 |
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8月中旬、あの「ラジオの製作」の創刊70周年記念号が出ると、何処かの広告で見た。発送は9月らしいが早速販売サイトを訪ね1冊注文した。創刊70周年記念と言うこと、価格が¥2750でチョッと高すぎを思ったが、出版者は色々な条件を吟味し最大限の努力の結果だろうと直感。それが9月3日に届いた。何十年も休刊状態だったところに出るこういう本は、内容が時機を得ていればそれなりに売れるのかも知れないが、どちらかと言うと青少年だった頃の読者が懐かしむイメージが強いと思う。全国には同じ時代にラジオ作りに励んだ仲間が未だ多く存在し、その同窓会を出版上でやるって感じだろうか。広告を見て、間髪入れずに注文しちゃうってのは(価格も気にせず)、そう言うことなんだろう。卒業アルバムを見る様な感じで、クスクスと懐かしさを味わうには格好では無いだろうか。詳細は電波新聞社サイトやhamlife.jp等を参照頂きたい。写真は作業台に置いた創刊70周年特別記念号。同誌の表紙は昔からこんな異国の印象があった。 さて、台風15号が通過してから日中の気温が下がるかと期待ていたが、未だに35℃前後の天気が続いている。オンマウスは汁見谷の法面の雑草木を刈り上げた様子。法面は地主所有ではないが、畑に接する農家が刈ることになっている。その面積が耕作面積の半分近く、しかも斜面で危険だから、どうしたモノかと悩ましい。法面上に見える大きな木は栗。 |
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本日20時頃携帯電話が鳴った。JA1IIV窪寺さんと相手方が表示されたので驚いて出ると、何と奥様だった。そしてJA1IIV窪寺さんは昨年(2024年)12月31日に85歳で逝去されたと伺いビックリ。前立腺癌を患い自宅で療養中だったが、検査のために入院したところ帰らぬ人となったそうだ。TL-922のバンドスイッチの注文のこともあったので、年に2回程の連絡を試みていたが、ご高齢と分かっていても最初は信じられなかった。訃報を受け、数年前に注文を受けた皆さんへ訃報と注文キャンセルのメールを送り、BBSでもアナウンスを行った。窪寺さんとのお付き合いは東京単身赴任時代の28年程前まで遡る。ロシア管4CX800A/GU-74Bの普及や、メーカー補給が打ち切られたリニアアンプ・バンドスイッチの製作・頒布をボランティアで行われていた。その心意気に打たれ、拙作HPやBBSでも積極的に支援を行っていた。ご冥福をお祈りするばかりだ。 写真は2013年8月20日、TL-922同好会としてハムフェアに出展したブース。在りし日の窪寺氏が熱心に説明をされている。国産メーカーが供給を停止してしまったバンドスイッチをボランティアで製作し、世界のユーザーのヘルプに応えていた。そのスイッチをはじめ、オリジナルのスイッチ、そして手書きによる説明書が展示台の上に並んでいる。オンマウスは郵便で幾度も届いた手書き資料。 |
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ミカン栽培を生業としていて、植え付けた苗木や若木が枯れる時程辛いことはない。写真は昨年3月、隣組の先輩から譲り受け汁見谷に定植した青島(5年生?)。年明けまでは元気だったが、その後新芽は出たが葉が落ち、夏一気に枯れ出した。成木に近い移植で根付いてから枯れた経験は殆ど無いため、向学のために抜根して様子を診た。興味津々だったが根元にゴマダラカミキリの大きな脱出孔を発見。孔の古さからみて今年の脱出ではない。昨年の移植時には気付かなかったから、その前年に産卵され移植した夏出たものか、移植時は見落としていて既に脱出孔があったのか…。移植後は土を被せてあったので分かり難かったことも事実。もし、孔の発見が新しく、早目に殺菌と充填等の措置をしておけばこの様にはならなかった可能性がある。そう思うと残念でならない。オンマウスは脱出孔付近を横に切断した断面。木のサイズに比し孔が大きい。完璧に枯れ乾き切っている。穴の行き先は一番太い根に入り込んでいる。移植でエネルギーを使ってはいるが、充填剤が浸透すれば雑菌や虫類の侵入が制限され、木の健康が保たれたかもしれない。今年は異常高温で、ゴマダラカミキリの動向は例年と異なる印象だ。基本は木の健康管理だなぁと反省しきりだ。 |
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台風15号は東海沿岸を東へ抜けたが、静岡県下では竜巻を併発し、牧之原市をはじめとする地域に甚大な被害をもたらした。電柱は倒れ、農業施設や住宅などの被害は目を覆うもので、一刻も早い復旧を願うばかりだ。強風の影響を受けなかった地区も停電や断水が続いている。県外の友人から御見舞いのメールが届いたが、恵みの雨と喜んでいる当地からすると恐縮な話で戸惑うばかりだ。 という訳で書き難いばかりだが、こちらは恵みの雨だった。昨晩から今朝までに100mm程降ったが、その後も降り続き上がった午後には210mmに達していた。写真は玄関前の観測容器の様子。雨に打たれ水面が波打っている。手元メモによると、凡そ1ヶ月間雨が降らず200mm以上の雨が一気に降るパターンが3ヶ月続いている。根の深い果樹はまぁ良いが、根の浅い果樹や野菜は大変な状況に違いない。1週間程度のスパンで平均して降って貰えると有難いのだが、今夏は明確に1ヶ月スパンが続いている。ちょっと前は畑が乾き雑草も萎える程で、一部では灌漑用水を入れは始めていた。この雨で雑草は元気を取り戻してしまうだろう。このところ朝晩過ごしやすくなったが、日中の日照りは変わっていない。暑いと思うと35℃あり、30℃程度なら涼しいと感じる日々が続いている。草刈り、施肥、農薬散布が今月も続く。オンマウスは17時頃の山切川。 |
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先月25日の岡谷往復で、諏訪湖周辺の道路事情に明るくなった。ふと、青年時代や新婚前後までに幾度も通った白樺湖周辺の景色が思い浮かんだ。どうなっているのだろうと思うのは自然の成り行き。猛暑と日照りにホトホト参っていたが、再び気分転換で白樺湖周辺を目指すことになった。5時半に家を出て中部横断道と中央高速を走り諏訪南ICを下りる。昔は茅野のR20から斜めに入る道を使ったが、道路事情が変わり全く分からない。R299を北上し途中からR152へ。基本はナビに従うが、これアバウトで妙なルートを案内する。幸か不幸かカミサンの植物撮影にはグッドだった。白樺湖に近付くと燃料アラームが点灯。ナビでスタンドを検索する幾つもヒット。安心していたら殆どが廃業。結局女神湖近くのENEOSで給油し難を逃れる。スタンドの話では商売にならないらしい。その後白樺湖→蓼科山7合目→女神湖→麦草ヒュッテ→白樺湖と回り帰路に就く。結論から言うと、眺望は昔と余り変わらないが、道路や建物は殆ど作り替えられ、昔の面影は辛うじて分かる程度だった。良く通ったスキー場は進入ルートや施設が変わっていて同じ場所とは思えない。これを新たなイメージとして記憶することにした。帰路のR299沿いに蓼科自由農園と称する農産物ショップを発見。駐車場は殆ど県外ナンバー。高速IC直結の道路沿線の立地条件の良さに驚く。写真は45年振りの麦草ヒュッテ。標高2170mの気温は18℃で天気は雨。ちなみに白樺湖は23℃。オンマウスはR299沿いの別荘地で遭遇した鹿たち。 |
1991年9月4日に公開した当HPが、本日24周年となり25年目に突入した。全く想像もしなかった話で、よくも続いているモノだと自分でも感心する。同じ頃HPを始めたOMの多くは閉鎖したり、業者ベースのブログへ移行したりして、HTMLを手書きしている方は殆ど居なくなってしまった感がある。拙作HPサイトのLinkコーナーを見ても、更新されていなかったり、アクセス出来なくなって久しいHPが多い。公開前は未だWindows95か98の時代で、不安定なPCをマルチタスクで動かしている最中に固まってしまい、せっかく書いたHTMLファイルを幾度も壊してしまったことが懐かしい。ADSLが始まった頃で今では想像もつかないノロノロだったが、それでも電話線MODEMに比べたら圧倒的に早かった。無線と実験で得られた結果を世に問うには格好のスペースで、メールとBBSを併せて活発な情報交換をしていた。日々の生活や無線と実験の写真とメモを、手書きでHTMLに仕立てててHP化するプロセスは、今後も続くに違いない。このアナログ感たっぷりの手順が、老化した頭を冴えさせてくれている。画像は今朝のTopPageで、カウンタ値は369085。オンマウスは開設時からのカウンタ値の推移(クリックで拡大)。24年間記録を取り続けた自分に呆れる。ちなみに2002年6月17日開設のBBSは135万5千超を示している。 |
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先月18日早朝、標記主宰者のY氏が資料(写真)を届けてくれ、三池平古墳まつHPの更新を依頼されていた。この暑さの中、余り力も出ずに暫く放置していたら、知らぬ間に1ヶ月前を切ってしまった。慌てて資料を電子化しローカルでHPの修正を行った。にわか作りも良いとこで、部分的に前年の資料を使ったりしているので日付が可笑しかったりする。これらは近日中に修正することにして、8月31日(日)午前中に形を整えた。ところが、ファイルを置いてあるFC2のサーバーにFFFTPでログイン出来ない…可笑しい!。そういやFC2から一部HPサーバーが終了するようなアナウンスがあったことを思い出した。それでFC2総合インフォメーションを覗きに行ったら「FC2旧無料ホームページスペースのサービス終了について」ときた。幸いにも後継サービスが「FC2ホームページ」として確保してあり、利用方法も案内されていた。指示に従って再登録を行うと、FFFTPでログインできる様になり、修正ファイル等をコピー。無事修正を行うことが出来た。新しいサーバーではファイルマネージャが用意され、FFFTPを使わなくてもPCからファイルをドラッグ出来る様になっている…以前からそうなのか?、FFFTPに100%依存だったので良く分からない。本日9月1日(月)までにBBSも含め細部の修正・追記を完了した。 いよいよ本題、9月28日(日)10時より「第9回三池平古墳まつり」を開催します。お近くの方は是非お出かけください。 |
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連日の猛暑の中、8月30日(日)に清水区の高部生涯学習交流館で電波教室が行われた。写真は会場となった交流館2Fの部屋。やや小振りな部屋で、15組の親子と関係者が入ると、20℃にエアコンを設定した部屋でも汗をかく程の熱気だった。今回もDVDの鑑賞を受けたクイズの後、FMラジオキット製作と続いた。全員が一発でFMラジオを聴くことが出来た。イヤホンからFM放送が聴こえた時の生徒や親御さんの笑顔は、場所や時代が変わっても永遠だなぁと、今回も感じることが出来た。これがあるから毎回の支援が楽しくなるんだ…と密かに呟く。次回は来月の藤枝瀬戸谷だが、地元イベントとバッティングするため欠席になる見込み。 ところで、オンマウス。実は本日、旧隣組の報徳寄合(別名甲子さん)のホストが我が家だった。居間に報徳訓の掛け軸を掲げ、その前に線香と香炉にロウソク、そして供物の菓子が見える。19時にお勤めとして報徳訓の読み合わせと、線香を上げてお参りをする。その後は農業情報の交換や世間話がアルコールを交えて行われ、22時に終焉となる。ホストは毎月持ち回りで、年に2度回って来る。今時!と笑われそうだが、世代を超えたコミュニケーションの継承に一役かっている。 |