大きな地図で見る |
<北海道三笠市> 三笠市は、空知地方の南部、北海道のほぼ中央に 位置しています。 三笠市は、北海道の石炭と鉄道の発祥の地として 栄えた歴史あるまちです。 また、「エゾミカサリュウ」「アンモナイト」をはじめと した、 多くの化石を産する、地域です。 現在の人口は、約1万人です。 ■北海道三笠市公式ホームページ |
◆三笠市出身の有名人◆ 小さな街ですが、有名な方も輩出しています。 ◆声優〜キートン山田さん ちびまるこちゃんの影の声などでお馴染みですね。 ◆歌手〜倉橋ルイ子さん 欽ちゃんのどこまでやるの!? - のぞみ(4代目) ガラスのYESTERDAY など ◆俳優〜小日向文世さん TVを見ると、なんだかんだとよく出ていますね。 |
|
◆市内のご案内◆ 市内には、見所がたくさんあります。 ・鉄道博物館(蒸気機関車の動態保存) ・博物館(化石を中心) ・桂沢ダム ・炭鉱廃鉱跡地 ・鉄道廃線跡地 ・きれいな街並み散策 など |
|
三笠市中心部 | |
|
<2010> ◆高速みかさ号 に乗車して◆ 街中を散策すると、多くの家の庭で、きれいな 花を育てています。 今の時期ですと、チューリップや芝桜などが、 咲き誇っています。 富良野の花畑もいいですが、街中を散策すると、 家ごとに違った手入れをしていて、 知らず知らずに1時間くらい歩いてしまいます。 三笠を目的地にする必要はありませんが、 レンタカーなどで通る際は、ゆっくりとひとまわりすると、儲けた気分になると、私は思います。 札幌から公共交通機関を利用する場合は、 岩見沢経由で行くか、札幌から高速みかさ号 で行くことができます。 札幌からの高速みかさ号は、夕方の2便のみ です。 岩見沢からは、大きな通りを経由せず、 萱野(かやの)を通って三笠に向かいます。 玉ねぎ畑の真ん中を走りながら、また帰って きたんだな、と思うことができます。 |
<2010> ◆三笠中央公園◆ 市の中心部にある公園です。 お盆の時期には、北海盆唄の全国大会が 開催されます。 やぐらは、常設です。 |
|
<2010> ◆中央バスターミナル跡地◆ 中央バス三笠ターミナルの跡地です。 車庫は、残されていますが、農協の 駐車場になっていました。 残してほしかったですね。 |
|
<2010> ◆高美町 郵便局横から◆ 三笠高美高校があった辺りから、中央公園 方向を撮影しました。 左の小川生花店は、閉店しているそうです。 見た目は平らですが、坂の上からの撮影です。 |
|
<2010> ◆多賀町付近を撮影◆ 西野理容店のあった辺りから、三笠山橋方向を 撮影。 カメラ店の三美堂やダイマル書店、マルサンが つづいて建っています。 |
|
<2010> ◆三笠市役所◆ 50年以上の建物です。 光が建物の両方向から入るように、Y字方に 作られています。 建設された当時は、左端に消防署が併設され ていました。 |
|
<2010> ◆三笠高等学校のポプラ◆ 私が通っていた高校のポプラです。 私が卒業するとしに、現在の校舎の一部が 完成し、卒業のときだけは、新校舎で迎えました。 でも、懐かしいのは木造の校舎です。 平成24年に閉校となります。 |
|
市立病院、幸町8番地付近、藤幼稚園、市民会館、市役所、公営住宅などです。 公営住宅は、ブロック作りで3部屋程度の狭い住宅でしたが、ほとんどが 新しい家になってしまいましたね |
|
<2010> ◆中央バス車庫◆ 消防署前にある、北海道中央バスの車庫です。 ターミナル廃止とともに、無くなったと思っていま したが、今でも健在で使っています。 |
|
三笠小学校付近 | |
◆三笠小学校のポプラ◆ 三笠小学校と言えば、ポプラを思い出される方 も多いのではないでしょうか? 私が、小学生の頃には既に大木のポプラでした。 小学生の時に、猛烈な風がふいたため、 右端のポプラの先端が数メートル折れてしまい ました。 樹齢も100年になろうかという、シンボルですね。 校舎は、木造から鉄筋に変わってしまいましたが。 校庭の木々は、全く変わっていません。 |
|
◆三笠小学校 校歌 | |
◆実家の花壇◆
ご近所は、チューリップを植えている方が多いようです。 |
|
◆実家の花壇 | |
<2002頃> ◆冬の三笠◆ 北海道を離れ、長い年月が過ぎてしまいました。 青函トンネルがあるので、一応地べた続きですが、現在の住家から実家までは、航空機を利用しても最短で6時間。 新幹線を利用すると、13時間程度かかってしまいます。 本当に、なかなか帰れない私の故郷です。 かなり以前に帰省した時の実家の写真です。 我が家の子供は、三笠に到着するやいなや 「雪だらけだ!!!」。 |
|
◆三笠小学校 正門◆ 三笠小学校 校門(昭和3年)に設置。三笠小学校の創立は明治19年。 私が通っていた頃は、木造2階建ての校舎でした。今は鉄筋です。 ◆三笠小学校◆ 二宮金次郎の横には、桜の老木がありましたが、今は切り株だけが残されています。 校庭の正面には、立派なポプラの木が昔と変わらずたたずんでいます。 2005年は、三笠小学校は開校120周年を迎えました。私が通っていた頃に、90周年記念式典に 参加しましたから、あれから30年。時のたつのは早いものです。 ◆空知集治監 周辺◆ 三笠市本郷町周辺が、市来知の中心であったのでしょう。 役場跡や国事犯を収監した刑務所、現在の街の名前の由来 となった、観音山(三笠山)があります。 |
|
◆北海道中央霊園◆ 大里の山の上にある霊園です。 公園のようなきれいな芝生や、西側に広がる 石狩平野の眺めが、とてもきれいです。 |
|
◆市来知神社◆ 市来知神社〜三笠市宮本町にある神社です。 芝桜がとてもきれいです。 |
|
<2011.6> ◆早朝の窓から 早朝(AM3:50頃)の窓からの景色です。 山の上の空は、朝日を浴びて赤く染まっています。 まだ、外は誰も歩いていませんが、窓を開けると、とても気持ちのいい空気が入ってきました。 |
|
<2011.6> ◆畑仕事もこれから 5時代に散歩に出かけると、トラクターの音が聞こえてきました。 北海道は、これから植物が青々と生長する時期です。今年もおいしいスイカやメロン、とうきびも食べたいですね。 |
|
<2011.6> ◆幾春別川 石狩川水系の川です。 私が子供の頃は、河原で石投げやピクニックもできたのですが、今は鬱葱とした雑木林が続く場所になってしまいました。 |
|
<2011.6> ◆幌内線 新本郷橋踏切 かつて踏切があった場所です。 これだけ、草や木が生い茂っていては、分け入るわけにも行かず、ここから撮影です。 |
|
<2011.6> ◆幾春別川堤防 左が川、右が畑です。 |
|
三笠駅付近(クロフォード公園) | |
昔の写真へリンク(昭和50年頃の三笠駅付近) | |
<2011.6> ◆旧三笠駅構内 キハ80系おおぞら として活躍した気動車特急です。 車体の横には、JNRのロゴが誇らしげに輝いています。 |
|
<2011.6> ◆幌内太駅 三笠駅舎のあった場所に、建てられた、幌内太駅です。 三笠駅は、かつて幌内太と言われていたため、鉄道が引かれた当時の駅名としたのでしょう。 |
|
<2011.6> ◆幌内線 幌内方向へ 幌内線に残された線路です。 この線路が残されたのは、S304が観光用に三笠〜幌内間を運行する予定だったからですが、色々難しい事があり実現しませんでした。 今は、トロッコ鉄道が走っています。 |
|
<2011.6> ◆トロッコ鉄道 幌内線のトロッコ鉄道乗り場です。 乗ってみたいですね。 |
|
◆三笠鉄道記念館◆
北海道の中央部に位置する三笠市は、炭鉱で栄えた街です。 |
|
◆クロフォード公園(旧三笠駅構内の59609)◆ 三笠駅構内です。 現在のクロフォード公園のあった駅構内です。 昭和50年頃に私が撮影したものです。 北海道の運炭鉄道として、最後までSLが残った地です。 大宮の鉄道博物館には、弁慶号が保存されています。 小樽の手宮から、三笠の幌内を結ぶ、日本発の運炭鉄道として北海道開拓史に残る場所です。 鉄道に興味のある方は、ぜひ三笠鉄道記念館にお越しください。 <一口メモ> 写真の機関車は、三笠鉄道記念館に静態保存されている59609ということになっています。 というのは、廃車になって整理される際に、プレートの取り違いがあり、29622と入れ替わってしまったようです。 三笠鉄道記念館の車両と比べると、写真の車両と明らかに違うのがわかります。 幾春別駅 三笠駅 ◆1975年頃の三笠市◆ 1975年頃の三笠駅構内と、急な勾配を幌内駅方面に向かう59609。 ヤシカのカメラで撮影しました。 東京から来た、大学生の方とお話しながら、小学生の私は撮影していました。 三笠駅〜幌内駅間は、線路がそのまま残されています。 軌道自転車などで遊ぶこともできるのですが、踏み切りも多いため、競技のときのみ 使用しているようですね。 ◆北海道の鉄道発祥の地◆ この街が繁栄を極めたのは、昭和30年代から40年代前半でした。 繁栄の源は、「燃える石」石炭の発見にさかのぼります。 明治時代、有望な石炭鉱脈が発見され、石炭輸送の手段として、北海道最初の鉄道建設が行われました。 小樽の手宮(石炭積み出し港)から三笠の幌内まで鉄道建設が行われました。 明治13年、第一次として、手宮〜札幌間が開通した。その2年後幌内まで延伸され、日本初の運炭鉄道「幌内鉄道」は 全線開通したのです。 鉄道建設には、国事犯を中心に収容していた「空知集治監」(刑務所)の受刑者が当てられていたようです。 石狩川から幾春別川に沿った鉄道建設は、極めて困難を極めたと想像されます。 弁慶号(交通博物館の保存)・義経号(小樽に保存)といったアメリカ製機関車が三笠を爆走していた。 カウキャッチャーと煙突がなんともいい。 |