[ら抜き言葉について]    問題別入り口

 「ら抜き言葉」(「ら抜け言葉」ともいう)とは、可能の意味の「見られる」「来(こ)られる」等を「見れる」「来れる」のように「ら」を抜いていう言い方のことである。話し言葉の世界では昭和初期から現れ、戦後さらに増加し、その流れが現在まで続いている。

 可能表現の作り方には、

(1)「動詞の未然形+れる・られる」による方法

(2)可能動詞による方法

(3)「動詞の連体形+ことができる」による方法 

などがある。(1)の例=「読まれる」「書かれる」、「着られる」「投げられる」。(2)の例=「読める」「書ける」「切れる」「作れる」。(3)の例=「読むことができる」「着ることができる」。

 五段動詞(「読む」「書く」など)の可能表現については、現在、「読まれる」「書かれる」よりも「読める」「書ける」のほうが一般的である。すなわち、五段動詞に助動詞「れる」を添えた形よりも、下一段動詞に転じた形のほうが圧倒的に優勢である。(五段動詞の下一段化は江戸時代後期に生じたもので、明治後期以降いっそう広まっていった現象である。)

 それに対して、一段活用の動詞とカ変動詞においては、五段動詞に見られるような可能動詞はまだ存在しないとされている。したがって、「見る」(上一段)「投げる」(下一段)「来(く)る」(カ変)などを可能表現にする場合は、(1)の「れる・られる」を添える方法にのっとって(助動詞「られる」は上一段・下一段・カ変の未然形に付き、「れる」は五段・サ変の未然形に付く)、「見られる」「投げられる」「来られる」と言うのが正しいとされる。学校の教科書、新聞、NHKなどでもこの形を標準とし、「ら抜き言葉」はほとんど用いていない。共通語においては、改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認められていないとすべきであろう。(「れる」「られる」は、可能のほか、受け身・尊敬・自発の意味をも表す。)

 しかし、「ら抜き言葉」については、

(1)今や若者層を中心に一般化しており、話し言葉のみならず書き言葉の上にもしばしば見られるようになった。この広がりは、今後もとどまることがないと思われる。

(2)「切る」(五段)から可能動詞「切れる」が生じたことを踏まえると、「着る」(上一段)から「(一人でも着物が)着れる」のような言い方が生じたとしても不自然ではない。「ら抜き言葉」の成立にはなるほどと思わせるものがある。

(3)「見られる」「来られる」には、「ぶざまな姿をあなたに見られてはずかしい」(受け身)「先生が来られたので皆静かになった」(尊敬)など、可能の意味以外の用法もあるが、「見れる」「来れる」などの言い方を用いると、これは受け身や尊敬などではなく可能の用法であると、形の上からもはっきりと区別して示すことができ、合理的である。

(4)現代人の感覚にマッチしたリズムやスピードがある。

などの理由で、現代語の標準的な言い方の中に加えてもよいのではないかとする識者も少なくない。(「ら」を抜くのは、三音までの、しかも限られた言葉で、四音以上の言葉には生じない。例えば、「覚える」「答える」などは、「覚え(ら)れる」「答え(ら)れる」の(ら)を抜いた形では言わない。また、「そんなに速い球は投げれない」「これ以上は負けれない」など、後に「ない」が付くことが多い。)

    よく使われる「ら抜き言葉」一覧

 

 活用

 標準的な言い方

 ら抜き言葉

生きる

上一段

生きれる

生きれる

(い)

上一段

れる

居れる

起きる      

上一段

起きれる

起きれる

決める

下一段

決めれる

決めれる

着る

上一段

れる

着れる

食べる

下一段

食べれる

食べれる

出る

下一段

れる

出れる

投げる

下一段

投げれる

投げれる

逃げる

下一段

逃げれる

逃げれる

寝る

下一段

れる

寝れる

負ける

下一段

負けれる

負けれる

見る

上一段

れる

見れる

よける

下一段

よけれる

よけれる