Another 2001/綾辻行人
冒頭の「Tuning II」に掲げられた前回の〈災厄〉での死亡者一覧をみれば、仮に『Another』を読んでいなくとも、赤沢泉美が〈死者〉であることは読者には明らかです(*1)が、それでもここで死亡者一覧を示した上で泉美を〈死者〉に据えてあるのは、作中では言及できない〈現象〉の法則を読者に示唆しておくためではないかと考えられます。
〈現象〉による〈死者〉の出自について、作中では“過去の〈災厄〉で死んだ“関係者”の誰か、らしい”
(63頁)と推測されるにとどまっていますが、『Another』及び本書の内容を踏まえると、“〈死者〉として“復活”するのは前回の〈災厄〉での死亡者”という法則が推定できます。〈現象〉による記憶・記録の改竄のせいで作中の人物はそれを認識できませんが、考えてみれば、直近の死亡者が〈死者〉として復活する方が、家族との関係など問題を生じにくいわけですから、〈死者〉が前回の死亡者に限定されるのは合理的ともいえるでしょう(*2)。
そうだとすれば、どのみち『Another』と突き合わせれば〈死者〉の正体は明らかになってしまうので、最初からある程度手の内をさらしておくのもやむを得ないところでしょう。しかしその中でも、泉美が“死”に還った後も〈災厄〉が続くことから存在が明らかな(*3)“もう一人の〈死者〉”については、美都代の再婚という形でひねりを加えて、死亡者一覧を一見しただけではその正体がわからないようにしてあるのはさすがというべきかもしれません。もっとも、鳴が双子の妹の名前を想に告げるまでの不自然な“間”(345頁~346頁)――露骨に〈現象〉の影響をうかがわせる――など、こちらも早い段階から読者にはわかるように書かれている節がありますが。
いずれにしても、想が(直接手を下してはいないとしても)いとこの泉美を“死”に還したのと対応するように、鳴が妹の未咲を“死”に還すという結末は、二人の主人公が同様の重荷を背負うという意味で、より印象深いものになっています。『Another エピソードS』の赤沢家の件と同様に、『Another』での藤岡未咲の死も、続編でこのように使うために仕込んであったということかもしれません。
さて本書では、真相が明らかになった後に想が細かく手がかりを振り返っているので、『Another』よりも手がかりがわかりやすくなっていると思います。また泉美については、〈死者〉であることが読者には最初からわかっているので、かなり手がかりに気づきやすいのではないでしょうか。その中で、演劇部に入っている泉美が、同じく“去年まで演劇部に入っていた”
(68頁)という葉住結香と“言葉を交わすの初めて”
(101頁)という不自然な事実は、少なくともどちらかが〈死者〉であることを示すユニークな手がかりだと思います。そして、八年前に公開された『ジュラシック・パーク』を映画館で見たという泉美の記憶(263頁~264頁)が、年齢との齟齬を生じている――年代がずれた〈死者〉であるというのも面白いところです。
一方の牧瀬未咲(*4)については、最後の決め手こそ“藤岡未咲”の名前――夜見山の外部(榊原恒一)からもたらされた情報ですが、その前に想が回想している(751頁~753頁)四月の始業式直後の机と椅子の手がかり――“机と椅子がひと組、足りない”
(43頁)という、〈現象〉としては当たり前の出来事がそのまま手がかりとなっているのが非常に秀逸。入院した牧瀬の分も含めると二組足りないことになりますが、それがすぐに発覚していない(*5)ことから、この時点では牧瀬が存在しなかったことを意味する、“枠外”の情報によらず牧瀬が〈死者〉であることを示す優れた手がかりだと思います。
この部分、本来であれば想の記憶が改竄されてもおかしくないようにも思いますが、四月以降に想が体験した出来事――本書で描写された出来事の記憶は改竄できない(改竄が読者に見え見えになる)(*6)という、メタ的な事情を逆手に取って手がかりを配置してあるのが巧妙ですし、泉美を“死”に還した想の“特権性”
(596頁)ゆえに〈現象〉の影響が弱まっている(*7)という形で、一応の説明がつくところもよくできています。
ただし机と椅子の数については、「Interlude IV」で“この間からひと組、余ってる”
(507頁)というのが気になるところで、“死”に還った泉美の席が空くのは間違いないのですが、空席の中に“入院中の牧瀬”
(507頁)の席までカウントされているところをみると、どうも数が合わないように思われます。
| 状況 | 人数 | 机と椅子 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 三月 | 〈現象〉が発生する前 | n人 | n組 | 机と椅子は人数分 |
| 四月 | 泉美が〈死者〉として加わる | n+1人 | n組 | 机と椅子が一組不足 |
| 不足した机と椅子を補充 | n+1人 | n+1組 | 〈死者〉も含めた人数分が揃う | |
| 牧瀬が〈死者〉として加わる | n+2人 | n+1組 | → 机と椅子が補充されない場合 | |
| n+2組 | → 机と椅子が補充された場合 | |||
| 七月 | 泉美が“死”に還る | n+1人 | n+1組 | 机と椅子が余らない |
| n+2組 | 机と椅子が一組余る |
三年三組の本来の人数をn人とすると、四月に泉美が加わってn+1人となり、さらに牧瀬が加わってn+2人となりますが、泉美が“死”に還った後に、牧瀬の席まで勘定に入れて机と椅子が一組余っているとすれば、机と椅子は当初から二組増やされたことになります。しかしながら、これまでの〈現象〉の様子からすると、〈死者〉の机と椅子が自動的に用意されたとは考えにくい一方で、クラスの誰かが牧瀬の分の机と椅子を補充するのはさらにあり得ない――というのも、三年三組において席の不足は一大事だからで、席の不足が発覚した時点で“もう一人の〈死者〉”の存在が明らかになったはずです。とはいえ、牧瀬の分の机と椅子が補充されなかったとすると、(七月以降の)作中での空席の数(*8)と整合しなくなるのが困ったところです。
実際のところは、牧瀬が登校しないのでしばらくは席の不足が発覚しない可能性もある(*9)ものの、それなりに早い段階で誰かが気づいて“もう一人の〈死者〉”の存在が明るみに出る――というのが自然な展開ではないかと思いますが、それでは後の展開が台無しになってしまう(*10)のも確かで、いかんともしがたいところです。このあたりの辻褄を合わせる手立てはどうにも思いつかないので、〈現象〉が特例で牧瀬の席を用意してくれたと考えるよりほかないかもしれません。
*2: 裏を返せば、〈現象〉が
“二年に一度かそれ以上の割合”(45頁)で発生するのも、復活した〈死者〉の”受け入れ環境”に大きな無理が生じるような間隔を空けるわけにはいかない、ということかもしれません。
*3: 泉美が提唱した““力”のバランス”説(302頁)がわかりやすいヒントになっていますし、最後に想が“思い出す”場面(746頁~751頁)で効果的な演出が施されているのも見逃せないところです。
*4: “牧瀬”という名字がローマ字アナグラムで“みさき”になる(“Makise”→“Misaki”)のは、作者からのヒントでしょうか。
*5: 〈現象〉が発生した直後ということでクラス名簿などが確認されるはずで、この時点で“入院中の牧瀬”が――〈死者〉か否かを問わず――存在していれば、二組足りないことが即座に明らかになると考えられます。
*6: いうまでもないでしょうが、三月に行われた〈対策会議〉の様子はかなりぼかして書かれている(「Inttroduction」)ことで、改竄の余地が残されています。
*7: この意味でも、〈死者〉としての泉美の存在は(読者に見え見えであっても)不可欠だといえるでのではないでしょうか。
*8: その後も、
“泉美が使っていた席はもうかたづけられていたから、これで空席は六人ぶん。”(670頁)と、
“入院中の牧瀬”の空席を含めて“数が合っている”とされています。
*9: 七月まで誰も気づかないまま、泉美の席が空いた時点で“牧瀬の席”と認識されるようになる――というのが穏当な流れですが、江藤らが見舞いに行ったりしていることを考えると難しいでしょう。
*10: 少なくとも、早い段階で〈死者〉が二人存在するとわかっていれば、(鳴の〈人形の目〉によって)泉美と同時期に牧瀬も〈死者〉と判明することになり、七月で物語が終わってしまうのは避けられません。
2021.04.13読了