huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye





                    
述懷
           

            
        唐  魏徴



中原初逐鹿,
投筆事戎軒。
縱橫計不就,
慷慨志猶存。
杖策謁天子,
驅馬出關門。
請纓繋南越,
憑軾下東藩。
鬱紆陟高岫,
出沒望平原。
古木鳴寒鳥,
空山啼夜猿。
既傷千里目,
還驚九折魂。
豈不憚艱險,
深懷國士恩。
季布無二諾
侯嬴重一言。
人生感意氣,
功名誰復論。


    **********************

          述懷
          

中原  初めて 鹿を逐
(お)ひ,
筆を投じて   戎軒
(じゅうけん)を事とす。
縱橫の 計 就
(な)らざるも,
慷慨の 志  猶
(な)ほ 存す。
策を杖つきて   天子に謁
(ゑつ)し,
馬を驅
(か)りて  關門を出(い)づ。
(えい)を請(こ)ひて  南越を繋ぎ,
(しょく)に憑(よ)りて  東藩を下(くだ)さん。
鬱紆
(う)として  高岫(かうしう)に陟(のぼ)り,
出沒して  平原を望む。
古木  寒鳥 鳴 き,
空山  夜猿 啼く。
既に 千里の目を 傷ましめ,
(ま)た  九折の魂を 驚かす。
(あ)に  艱險を 憚(はばか)らざらんや,
深く  國士の恩を 懷
(おも)ふ。
季布に  二諾 無く,
(こうえい)は  一言を 重んず。
人生  意氣に 感ず,
功名  誰
(たれ)か復(ま)た論ぜん。


             ******************

◎ 私感訳註:

※魏徴:(580年~643年)初唐の詩人、政治家、学者。字は玄成。魏州鉅鹿曲城(現・山東省)の人。諫議大夫、檢校侍中、鄭國公に封ぜらる。直言を以て皇帝を補佐して貞觀の治を為したことは有名。不遇な環境の中より抜擢を受けて、朝廷で高位の役職に就いた唐室創業の功臣。『舊唐書』・列傳第二十一魏徴・には「魏徴,字玄成鉅鹿曲城人也。父長賢北齊屯留令。少孤貧,落拓有大志,不事生業,出家爲道士。好讀書,多所通渉,見天下漸亂,尤屬意縱橫之説。」とある。

※述懷:『樂府詩集』では「出關」とする。横吹曲。この作品は『唐詩選』の巻頭を飾る詩篇であるが、日本では『唐詩選』を重視するのに対し、中国では『唐詩三百首』の方を重視し、なおかつ、そこではこの詩は採りあげられていないので、中国では日本ほどには有名ではない。

※中原初逐鹿:中原に始めて鹿をを追いかけ。 ・中原:漢民族の故地。黄河下流域の華北平原一帯。神州。 ・初:最初のうちは。 ・逐鹿:隋朝を倒して唐朝を開くという政権奪取に活躍したことをいう。「中原還逐鹿」ともする。その場合は、「中原 還(ま)た鹿を逐(お)ひ」(なおもまだ、中原に鹿を追いかける、建国のための戦闘を継続して行っている)になる。

※投筆事戎軒:行政事務を辞めて、戦闘に従事した。事務を辞めて、軍務に就いた。 ・投筆:行政事務を辞めて。 ・事:つかえる。従事する。仕事とする。こととする。動詞。 ・戎軒:戦闘に使う車。兵車。戎車。ここでは軍事を指す。

※縱橫計不就:軍略は採用されることがなかったが。 ・縱橫計:軍略。蘇秦、張儀の合
、連の策。衡≒横で、「、連」を併せた語。ここでは、「戦略」の意。 ・不就:魏徴の戦略は採用してもらえなかったが。『舊唐書』前出卷には「太宗新即位,勵精政道,數引徴入臥内,訪以得失。徴雅有經國之才,性又抗直,無所屈撓。太宗與之言,未嘗不訴然納受。徴亦喜逢知己之主,思竭其用,知無不言。太宗嘗勞之曰:『卿所陳諫,前後二百餘事,非卿至誠奉國,何能若是?』」魏徴は、剛直で頑固な面もあったようだ。

※慷慨志猶存:昂ぶる心意気は、なおも依然として持っている。 ・慷慨:昂ぶる心意気。 ・志:こころざし。 ・猶:なお、依然として。 ・存:存在している。

※杖策謁天子:出陣の用意をし、軍馬のムチを手に持って、高祖・李淵に拝謁し。 ・杖策:乗馬用のムチを杖ついて。出陣の用意をして、軍馬のムチを手に持って。 ・策:乗馬用のムチ。 ・謁:天子に拝謁する。 ・天子:皇帝。ここでは唐の高祖・李淵になる。「仗策」ともする。その場合、「策に仗(よ)りて」となる。 ・仗:よる。(≒倚)。頼む。また「杖」に通じ、つえつく。

※驅馬出關門:(軍)馬に乗って、軍隊を指揮して関より外へ出て敵を攻伐めに行(った)。 ・驅馬:(軍)馬に乗って。軍隊を指揮して。 ・出關門:関より外へ出て敵を攻伐すること。ここの関は、陝西の潼關(とうくわん;tong2guan1=洛陽から長安に入る要地。現・陝西省潼関県の南東)になる。『中国軍事史略』中冊p37によれば、618年~620年、或いは622年(武徳5年)の中原平定戦になろう。

※請纓繋南越:南越の蕃王を縛め、(引き連れてくるための)纓(ひも)を(帝に)請い。 ・請纓:(皇帝より夷狄を縛める)綱をいただくよう請う。 ・纓:冠のひも。ここでは、捕虜にした夷狄を縛る縄。 ・繋南越:南越の蕃王を縛める。「漢書」巻六十四下 嚴朱吾丘主父徐嚴終王賈傳 第三十四下に「南越與漢和親,乃遣軍使南越,説其王,欲令入朝,比内諸侯。軍自請:『願受長纓,必羈南越王而致之闕下。』…」に基づく。

※憑軾下東藩:兵車に乗って、東の方の属国をくだし(た)。 ・憑軾:(兵)車に乗る。 ・憑:よる。ここでは(車に)乗ること。 ・軾:車のながえの横木、転じて車。 ・下:くだす。降伏させる。 ・東藩:東の方の属国。

※鬱紆陟高岫:山坂が曲がりくねって、山の頂まで続いているところを登り。 ・鬱紆:山坂などが曲がりくねって続いているさま。≒紆。 ・陟:のぼる。・高岫:高い山の峰。山の頂。

※出沒望平原:山道が上り下りして、(やがて、道が開けて)平原が望めた。 ・出沒:山道が上下して、上り下りしているさまをいう。

※古木鳴寒鳥:冬枯れの林には、寒々とした寂しげな鳥の鳴き声が(響き)。 ・古木:冬枯れの木や林のようす。 ・寒鳥:寒々として、寂しげな鳥。

※空山啼夜猿:落葉してしまった山には、夜に猿が(哀れっぽい声で)鳴いている。 ・空山:秋が過ぎて落葉してしまった山のようす。人気のない山。 ・夜猿:夜に啼く猿。もの寂しげなさまをいう。

※既傷千里目:(光景は)十分に遥か彼方まで、心を痛めるものであるのに。 ・既:であるうえに。であるのに。すでに。 ・既…還…:…であるばかりか、なおもまだ…である。 ・千里目:遠くまで。はるかな眺望。

※還驚九折魂:(その上)なおも、遥かな旅路を重ねてきたわたしの心は、驚かされた。或いは、後出『楚辞・九章・抽思』にもとづけば、なおも、何度も襲ってくる忘れがたい望郷の念に心は動かされる。 ・還:なおも、また。 ・九折:坂などの曲がりくねりの多いこと。つづら折り。 ・九折魂:長い遥かな路を努力を重ねて、曲がりくねって歩んできたわたしの魂。前出「千里目」に対応している。ただ、似たものに屈原の『楚辞・九章・抽思』の一節に「望孟夏之短夜兮,何晦明之若歳。惟郢路之遼遠兮,一夕而九逝。曾不知路之曲直兮,南指月與列星。」がある。それを考慮すれば、「忘れがたい望郷の念」の意になる。また、魏の曹丕の『寡婦』に「霜露紛兮交下,木葉落兮淒淒。候鴈叫兮雲中,歸燕翩兮徘徊。妾心感兮惆悵,白日忽兮西頽。守長夜兮思君,
一夕兮九乖。悵延佇兮仰視,星月隨兮天廻。徒引領兮入房,竊自憐兮孤栖。願從君兮終沒,愁何可兮久懷。」ともある。

※豈不憚艱險:どうして、艱難辛苦をはばかることがあろうか。 ・豈:どうして…になろうか。 ・不憚:はばからない。 ・艱險:けわしいものごと。

※深懷國士恩:衷心から自分を取り立て、功臣国士と扱ってもらったことに対する恩義を感じている。 ・深懷:心より。衷心から。 ・國士恩:自分を取り立てて、功臣国士と、一人前に扱ってもらったことに対する恩義。

季布無二諾:季布はひとたび承諾すれば、信義を貫き。 ・季布:「漢初の楚人。楚漢戦争(「項羽と劉邦の天下制覇争奪戦」)の時は、項羽の部将として活躍する。任侠の士として有名。後歸漢,任河東守。布以任侠著名,重然諾,楚人有“得黄金百斤,不如得季布一諾”之諺。見『史記季布欒布列傳』。後以“季布一諾”爲重然諾而不失信用之典。」。 ・無二諾:ひとたび、「諾、OK」と言って承知すれば、千金より重く、信義を貫き通す。『史記・巻一百・季布欒布列傳第四十』に「楚人諺曰『得黄金百(斤),不如得季布一諾。』…。」とあるのに基づいている。

侯嬴重一言:侯は自分が言った一言の信義のため、自ら言ったとおりに命を絶った(ではないか)。 ・侯嬴:戦国時代の魏の隠士の名。自分の一言と、その信義のため、自ら言ったとおりに命を絶った故事による。侯嬴は、七十歳で夷門(東門)の監者となり、後、信陵君の客となる。信陵君が出陣するとき、侯嬴は、献策するとともに、老齢ゆえ従軍不能のため、従軍を辞退した。しかし、信陵君が目的地に着到すると思われる日に、自刎して公子(信陵君)を送ろうと言い、その言の如く自殺した故事に拠る。『史記・魏公子列傳』に「魏有隱士曰侯嬴年七十,家貧,爲大梁夷門監者。公子聞之,往請,欲厚遺之。不肯受,曰:“臣嬴身藉行數十年,終不以監門困故而受公子財。”公子於是乃置酒大會賓客。…於是公子請仇亥。仇亥笑曰:“臣乃市井鼓刀屠者,而公子親數存之,所以不報謝者,以爲小禮無所用。今公子有急,此乃臣效命之秋也。”遂與公子倶。公子過謝侯生。侯生曰:“臣宜從,老不能。請數公子行日,以至晉鄙軍之日,
北向自剄,以送公子”公子遂行。」という壮烈な場面がある。

※人生感意氣:人は、自分を理解してくれる者に対して、感動・感激して、生命をも擲つものであって。 ・人生:人の生命。詩詞では、日本語の「じんせい、一生、人の生」という名詞句の外に、「人が(生まれてきて)生き(てい)る」という動詞句で使うことがままある。ここもおそらくそうになる。漢・卓文君の『白頭吟』に「皚如山上雪,皎若雲間月。聞君有兩意,故來相決絶。今日斗酒會,明旦溝水頭。御溝上,溝水東西流。淒淒復淒淒,嫁娶不須啼。願得一心人,白頭不相離。竹竿何嫋嫋,魚尾何男兒重
意氣,何用錢刀爲。とある。

※功名誰復論:手柄をたて、名をあげるということは、一体誰が問題としようか。問題としない。 ・功名:手柄と名誉。 ・誰復論:反語。一体だれが問題としようか。しない。 ・論:問題とする。動詞。動詞は。名詞はになる。ここでは動詞。





◎ 構成について

  平韻一韻到底。韻式は「AAAAAAAAAA」。韻脚は「軒存門藩原猿魂恩言論」で、平水韻上平十三元。次の平仄はこの作品のもの。


   ○○●●●,
   ○●●○○
。(韻)
   ●○●●●,
   ○○●○○。(韻)
   ●●●○●
   ●●●○○。(韻)
   ●○●○●,
   ○●●○○。(韻)
   ●○●○●,
   ●●○○。(韻)
   ●●○○●,
   ○○○●○。(韻)
   ●○○●●,
   ○○●●○。(韻)
   ●●●○○,
   ○○●●○。(韻)
   ●●○●●,
   ○○○●○。(韻)
   ○○●●●,
   ○○○●○。(韻)

2003. 2.11
      2.12
      2.15
      2.22完
      5.30補
2004. 9.11
2005. 1.15
2007.10.4

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