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征戍在桑乾,
年年薊水寒。
殷勤驛西路,
此去向長安。
幽州
征戍(せいじゅ)して 桑乾(さうかん)に在り,
年年 薊水(けいすゐ) 寒し。
殷勤にす 驛西の路,
此(ここ)より 去りて 長安に 向かはん。
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◎ 私感註釈
※李益:中唐の詩人。749年?(天寶八年)~827年(太和元年)。大暦年間の進士。燕趙の間(現・河北山東の間)の軍幕にいた。辺塞詩の七絶をよくする。字は君虞。隴西姑臧の人。
※幽州:現・河北省一帯。中原を故地とする漢民族にとっては、幽燕が、最北の地になる。『幽州賦詩見意時佐劉幕常建』ともする。
※征戍在桑乾:山西省北部の桑乾河附近で、国境の守備の任に就いているが。 *桑乾も、漢民族にとっては、最北の地になる。 ・征戍:〔せいじゅ;zheng1shu4○●〕国境の守備に行く。岑参に『胡笳歌送顏真卿使赴河隴』「君不聞胡笳聲最悲,紫髯綠眼胡人吹。吹之一曲猶未了,愁殺樓蘭征戍兒。涼秋八月蕭關道,北風吹斷天山艸。崑崙山南月欲斜,胡人向月吹胡笳。胡笳怨兮將送君,秦山遙望隴山雲。邊城夜夜多愁夢,向月胡笳誰喜聞。」
大きな地図で見る桑乾河:地図中央を西から東に流れている河 がある。 ・在:…にいる。 ・桑乾:〔さうかん;Sang1gang1○○〕桑乾水。現・桑乾河のこと。山西省北部から東に流れ、河北省北部を通り、北京を貫流する。永定河の別称。北京より上流を桑乾河と呼び、北京より下流を永定河と呼ぶ。長安の人にとっては遙かなところになる。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)48-49ページ「唐 河北道南部」西部にある。唐・賈島『渡桑乾』「客舍并州已十霜,歸心日夜憶咸陽。無端更渡桑乾水,卻望并州是故鄕。」
李白『戰城南』「去年戰桑乾源,今年戰葱河道。洗兵條支海上波,放馬天山雪中草。萬里長征戰,三軍盡衰老。匈奴以殺戮爲耕作,古來唯見白骨黄沙田。秦家築城備胡處,漢家還有烽火然。烽火然不息,征戰無已時。野戰格鬪死,敗馬號鳴向天悲。烏鳶啄人腸,銜飛上挂枯樹枝。士卒塗草莽,將軍空爾爲。乃知兵者是凶器,聖人不得已而用之。」
がある。
※年年薊水寒:年を追う毎に、薊を流れる永定河が冷たく(感じられるようになってきた)。 ・年年:毎年。 ・薊水:〔けいすゐ;Ji4shui3●●〕現・北京近郊を流れる川。現・永定河。前出・桑乾河の下流。
※殷勤驛西路:何度も心をこめて駅亭から西に向かう道(を眺めていると)。 ・殷勤:〔いんぎん;yin1qin2○○〕心をこめて念入りにするさま。きわめて叮嚀なさま。=慇懃。 ・驛西:駅亭から西に向かう道。駅亭から西の方の長安に向かう道。桑乾から、長安の方は西南西になる。
※此去向長安:ここより去って、長安に向かって(帰りたい)。 ・此去:ここより去って。「此去」の前の「從」が省略されているが、本来は「從此去」の意。李白に「送君從此去,迴首泣迷津。 」「吾欲從此去,去之無時還。」がある。 ・向:向かう。 ・長安:唐の首都。
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◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「乾寒安」で、平水韻上平十四寒。次の平仄はこの作品のもの。
○●●○○,(韻)
○○●●○。(韻)
○○●○●,
●●●○○。(韻)
2005.1. 6完 2011.2.17補 |
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