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いにしえより、人は平和を実現しようとしてきた。今なお、聖徳(せいとく)の治世は高く評価されている。人の歴史は螺旋階段のように廻っていくという。そうなのだろう。右へ行ったかと思えば、左へぶれ返し、それが行きつけば…と、往復運動を繰り返して(平衡を保って)いるかのようでもあるが…。「鼎鼎百年内」では、その運動のある一部分を担って、最尖端の「今」の部分を織り成し続けているのだろう。
この詩の題、本当は『イトミミズ』か『キリン』とでもしようかと思った。(勿論、漢語風に換えてだが)。わたしたちは自覚をもって主体的に判断を下しているようでも、あの群をなして動いている動物と同じ面もあるのだろう。その群動の間をどう泳いでいけるか(どう共に流されていくか)……。そんなことを考えながら作った。
・元好問:『岐陽』詩を作る。 |
・遺山: |
元好問の号。 『岐陽』詩では「百二關河草不,十年戎馬暗秦京。岐陽西望無來信,隴水東流聞哭聲。野蔓有情縈戰骨,殘陽何意照空城。從誰細向蒼蒼問,爭遣蚩尤作五兵。」と歎く。 |
・蚩尤: |
〔しいう;chi1you2○○〕黄帝時代の諸侯の名。兵乱を好み、黄帝に滅ぼされた人。『史記・五帝本紀』に「軒轅乃修コ振兵,治五氣,藝五種,撫萬民,度四方,ヘ熊羆貔貅虎,以與炎帝戰於阪泉之野。三戰,然後得其志。蚩尤作亂,不用帝命。於是黄帝乃徴師ゥ侯,與蚩尤戰於鹿之野(現・河北省、北京近郊),遂禽殺蚩尤。」とある。 |
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