魂兮歸來哀江南
東海當麻生蹶速, 悠悠千古眠山麓。 今朝若有管商才, 不使柳營被顰蹙。 |
当麻にある當麻蹶速の墓 |
東海の當麻 蹶速を生み, 悠悠 千古 山麓に 眠る。 今朝 若し 管商の才 有りせば, 柳營をして 顰蹙せられしめじ。 ***************************** |
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招魂。協会の対応が、後手後手に回ったことを詠う。 「…若(有)…使…被…」の読みは、「もし…ありせば…をして…せ(サ変動詞「す」形活用語尾・未然形)+られ(受身助動詞「らる」・下二型連用形)+しめ(使役助動詞「しむ」・未然形)+ず/じ(助動詞・特活)」でよいのだろうか。 |
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・當麻蹶速: | たいまのけはや。(奈良時代以前は「たいまのくゑはや」と言うとのこと)大和の当麻の勇者。相撲の始祖とされる。『日本書紀』の表現から見て、相撲のさばおりや蹴り技が得意だったのだろう。相撲の技やルールは、今とは大きく異なるようだ。『日本書紀』の記録では、垂仁天皇の命によって出雲の野見宿禰(のみのすくね)と力くらべをしたとき、互いに蹴り合い(キック)をして、野見宿禰は(當麻蹶速の)脇(あばら)骨を蹴り折り、(當麻蹶速が倒れたところを)腰の骨を踏みつぶして(當麻蹶速を)殺した、とある。組めば當麻蹶速が有利になると見て、野見宿禰は組むのを嫌い、蹴り技で勝負をしたのだろう。『日本書紀・垂仁天皇』七年に「當麻邑有勇悍士。曰當麻蹶速。其爲人也,強力以能毀角申鉤。天皇聞之,喚野見宿禰。於是,野見宿禰自出雲至。則當麻蹶速與野見宿禰令角力。二人相對立,各擧足相蹶,則蹶折當麻蹶速之脇骨。亦蹈折其腰而殺之。」とある。 |
・管商: | 管仲と商鞅。ともに権謀術数の才に富む。管仲は、春秋時代の斉の宰相で策に富み、斉を中原の強国とした。商鞅は、戦国時代の政治家で、秦の宰相となり、令を定めて、秦の覇業の基礎を作った。 |
平成十九年八月二十七日 |
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