huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye




                                                          
        
魂兮歸來哀江南          

東海當麻蹶速
悠悠千古眠山麓。
今朝若有管商才,
不使柳營被顰蹙。


当麻にある當麻蹶速の墓
東海の當麻たいま  蹶速けはやを生み,
悠悠いういう 千古  山麓さんろくに 眠る。
今朝こんてう し 管商くゎんしゃうの才 有りせば,
柳營りうえいをして 顰蹙ひんしゅくせられしめじ。

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  招魂。協会の対応が、後手後手に回ったことを詠う。

「…若(有)…使…被…」の読みは、「もし…ありせば…をして…せ(サ変動詞「す」形活用語尾・未然形)+られ(受身助動詞「らる」・下二型連用形)+しめ(使役助動詞「しむ」・未然形)+ず/じ(助動詞・特活)」でよいのだろうか。

・當麻蹶速: たいまのけはや。(奈良時代以前は「たいまのくはや」と言うとのこと)大和の当麻の勇者。相撲の始祖とされる。『日本書紀』の表現から見て、相撲のさばおりや蹴り技が得意だったのだろう。相撲の技やルールは、今とは大きく異なるようだ。『日本書紀』の記録では、垂仁天皇の命によって出雲の野見宿禰(のみのすくね)と力くらべをしたとき、互いに蹴り合い(キック)をして、野見宿禰は(當麻蹶速の)脇(あばら)骨を蹴り折り、(當麻蹶速が倒れたところを)腰の骨を踏みつぶして(當麻蹶速を)殺した、とある。組めば當麻蹶速が有利になると見て、野見宿禰は組むのを嫌い、蹴り技で勝負をしたのだろう。『日本書紀・垂仁天皇』七年に「當麻邑有勇悍士。曰當麻蹶速。其爲人也,強力以能毀角申鉤。天皇聞之,喚野見宿禰。於是,野見宿禰自出雲至。則當麻蹶速與野見宿禰令角力。二人相對立,各擧足相蹶,則蹶折當麻蹶速之脇骨。亦蹈折其腰而殺之。」とある。
・管商: 管仲と商鞅。ともに権謀術数の才に富む。管仲は、春秋時代の斉の宰相で策に富み、斉を中原の強国とした。商鞅は、戦国時代の政治家で、秦の宰相となり、令を定めて、秦の覇業の基礎を作った。

平成十九年八月二十七日

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